教会日記2023.7.25(カトリック成城・聖タデオ教会「聖ヤコブ使徒の祝日のミサ」火曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での早朝7時からの「聖ヤコブ使徒の祝日のミサ」に与りました。私は、イエス・キリストの弟子である12使徒に、ヤコブの名がつく人が2人いますから、今日の祝日のヤコブを「使徒聖大ヤコブ」と呼んでいます。もう1人は「使徒聖小ヤコブ」となります。
ここ数日は夜が涼しく、網戸にカーテンをして寝るのですが、夜明けは寒くて目が覚め、窓を閉めることになります。日中は、猛暑日になって連日厳しい暑さですね(⌒-⌒; ) 毎日が熱中症注意報です!こまめな水分補給を心掛けましょう!
今日も清々しい朝を迎えています!

ミサでは、「聖ヤコブ使徒の祝日」をお祝いしてお祈りしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
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「使徒聖大ヤコブ」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日7月25日は、イエス・キリストの12使徒(弟子)の一人の「使途聖大ヤコブ」の祝日です。
漁師のゼベダイの子であるヤコブは、同じ使徒である弟ヨハネと兄弟で、もう一人の同じ使徒であるアルファイの子であるヤコブ(こちらは「小ヤコブ」)と区別するため、通称「大ヤコブ」と称されています。聖人の概念を持つカトリック教会をはじめ、キリスト教の各教派で聖人として崇敬されています。
◯ピーテル・パウル・ルーベンス作の「使徒聖ヤコブ」です。1612〜13年、油彩・画布、108X84cm、スペイン:マドリードにある「プラド美術館」に所蔵されています。
使徒聖ヤコブ.jpg
新約聖書:マルコによる福音書・第1章・第19〜20節に、ヤコブは父ゼベダイ、兄弟ヨハネと共にガリラヤ湖畔の漁船の中で網の手入れをしていたところをイエス様に呼ばれ、そのまま父と雇い人を残して弟ヨハネと共に弟子になったと記載されています。2人は、気性の激しさから「ボアネルゲス(雷の子ら)」と呼ばれていたようです。大ヤコブはエルサレム教会において、一貫として中心的な立場を占めていましたが、新約聖書:使徒言行録・第12章・第20節の記載によると、ユダヤ人の歓心を買おうとしたヘロデ・アグリッパ1世によって捕らえられて斬首され殉教しました。紀元44年のころと推定されています。

◯新約聖書:マルコによる福音書・第1章・第19〜20節
「さらに少し行くと、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネをご覧になった。彼らは舟の中で網の手入れをしていた。イエスはただちに二人をお呼びになった。すると、二人は父ゼベダイと雇い人たちを舟に残して、イエスの後について行った。」
◯新約聖書:マルコによる福音書・第3章・第16〜第17節
「こうして彼ら十二人を選び、シモンには、ペトロという名を与え、ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネにはボアゲルネス、すなわち、雷の子という名をお与えになった。」
ちなみに、以前私が所属していたカトリック町田教会の教会堂名は、聖大ヤコブです。ですから教会の機関紙(広報紙)は「雷の子(いかずちのこ)」という名前になっています。
◯新約聖書:使徒言行録・第12章・第1〜第2節
「そのころ、ヘロデ王は、教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。」
以上は『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

さて、時代は下って9世紀になり、ヤコブの遺体とされるものが、遥か遠くスペインの現在のサンティアゴ・デ・コンポステーラの地で”奇跡的に発見された”とされています。その頃のスペインは、イベリア半島において、レコンキスタの最中であり、イスラム勢力と闘っていたキリスト教勢力を守護する又はキリスト教徒勢力が、イベリア半島を制圧する行動のシンボルとして熱狂的に崇められました。このため、スペインの守護聖人(聖ヤコブは、スペイン語で「サンティアゴ(Santiago)」)とされています。サンティアゴ・デ・コンポステーラには教会聖堂が建てられ、現在はキリスト教カトリックの3大聖地の一つとなっています。

ところで、ホタテ貝(写真)はヤコブのシンボルとなっています。なぜか?その理由は、そもそも、エルサレムでヘロデ・アグリッパ1世に捕らえ斬首された後、その遺体は船で地中海を渡ってスペインに運ばれたそうです。その船に貝がたくさん付着していおり、そこからホタテ貝がシンボルとなったそうです(なぜホタテ貝?)。ですから、聖ヤコブを画く場合、必ずと言っていいほど巡礼者の格好をして、杖を持ってホタテ貝を首に吊るしているところを画いています。巡礼者の杖と帆立貝が、絵を描く時のアトリビュートになっているのですね。
また、フランス語ではホタテ貝を「聖ヤコブの貝」(coquille Saint-Jacques、コキーユ・サンジャック)と呼びます。英語圏で多いジャック(Jack)の名は、彼の名(ジェイコブ)か、あるいは旧約聖書に登場するユダヤ人の祖ヤコブに因むJames又はJacobの愛称です。カトリック教会における記念日は7月25日となっています。
◯写真は、スペインの“サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼”から帰ってこられた方のお土産としていただいたロザリオです。玉の部分が“ホタテ貝”の形になっており、十字架は“ヤコブの十字架”の形になっています。
ロザリオ2.jpg

【レコンキスタ】
レコンキスタとは、718年から1492年までに行われた、キリスト教国によるイベリア半島(スペイン全土とポルトガル全土のあるヨーロッパ大陸の南西に突き出た大きな半島)の再征服活動の総称のことです。ウマイヤ朝による西ゴート王国の征服とそれに続くアストゥリアス王国の建国から始まり、1492年のグラナダ陥落によるナスル朝滅亡で終わる再征服活動です。つまり、簡単に説明しますと、元々キリスト教圏であったイベリア半島は、イスラーム勢力(国)に征服されていました。それをキリスト教の国々が再征服したということです。それを「レコンキスタ」というのですね。

【キリスト教カトリック3大聖地(3大巡礼地)】
まず、①イエス・キリストが生まれて亡くなられたイスラエルのエルサレム付近(ベツレヘムも含む)、②イタリアのローマにあるカトリックの総本山のバチカン。ここにイエス様の使徒の筆頭の聖ペテロのお墓があります。そして③スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラです。これにフランスのルルドを加えて4大聖地(4大巡礼地)する場合もあります。3大聖地は、定年退職後に妻と二人で巡礼に行くことにしています!今からとっても楽しみです!
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今日の日記2023.7.24(核医学検査結果!) [日記]

今日は、北里大学附属病院で、7月4日に受検した核医学検査の結果を医師から聴きました。結果は、「狭心症とは認められない。」というものでした。検査結果の写真を見ながら説明を受けたのですが、負荷をかけた時と平静時の差があまりなく、狭心症とまでは言えないというこどでした。だったら、あの胸の痛みは何だったのか?ということになりますが、細菌が入り込んだためなのか?検査結果からは判断できないとのことでした。次の段階の検査となると入院しての検査となりますが、現時点で発作的な心臓の痛みはないため、検査を続けずに経過を見ながら生活することになりました。まずは一安心安ですが、不安は払拭できません。とにかく節生です!

引き続き、①体重の減量に努め、②食事の量と内容を制限し、③最低でも6〜7時間の睡眠を確保するという3点を継続します。後は、無理をしない適度な運動ですね。今は、①1.5Kg 〜2Kgのダンベルで回数を多くしたダンベルダイエット、②40分〜60分のウォーキング、①と②を一日おきに交互にやっています。ウォーキングは、右膝の痛みもありますから約3Km〜4Kmを急がずに歩くことにしています。昨夜は、久しぶりに妻と2人で歩きました(^◇^)ところで、今までお金と時間を注ぎ込んだ出っ張ったお腹は、いっこうに凹っこまないですね〜(⌒-⌒; ) お腹が出っ張ったまま腹筋がついたらどうしょう!( ̄◇ ̄;) これも不安を払拭できませんね!(T_T)
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教会日記2023.7.24(カトリック成城・聖タデオ教会「年間第16月曜日のミサ」月曜日) [教会日記]

今日は、仕事はお休みをいただき、北里大学附属病院で診察と7月4日に行った核医学検査の結果・今後の治療や生活などについて、医師から詳しい話しがあります( ̄▽ ̄;) その前にカトリック成城・聖タデオ教会での早朝7時からの「年間第16月曜日のミサ」に与りました。
梅雨が開け、先週初めの連日の猛暑日(35度以上の日)からは少し解放されましたが、やはり33度前後くらいの気温が続きそうです(⌒-⌒; ) でも、夜は涼しくなりました。昨夜の22時時点で、町田市は25度ということでしたが、実際には23度、夜明け前は21度くらいではなかったかと思います。寝る前に網戸にしてカーテンを閉めてあったのですが、寒くて目が覚めて窓を閉めました。さすがすぐそばに小高い山?丘の森の樹々がありますから。相原町は田舎です!
今日も清々しい朝を迎えています!

ミサでは、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
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渡辺和子シスターのことば(第4日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「神様は私たちの『願ったもの』よりも、幸せを増すのに『必要なもの』を与えてくださいます。それは必ずしも自分が欲しくないものかもしれません。しかしすべて必要なものなのだと、感謝して謙虚に受け入れることが大切です。」

渡辺和子シスターのことは、「渡辺和子シスターのことば(第1日目)2023.7.19」をご覧下さい。
本当は「願ったもの」が欲しかったのに、神様から見てその人に「必要なもの」が与えられるということです。実はこれが案外とあるのです。願ったもの・希望したものでなく、欲しくなかったもの・希望しなかったものが与えられ、“予想しなかった結果”となって、結果的に良かったことになることがあります。過去を振り返ってみると、これも案外とあるのです。
不思議なことですね。これを「神の摂理(せつり)」と言います。キリスト教では、創造主である神の、宇宙と歴史に対する永遠の計画・配慮のことをいいます。神様はこれによって被造物(人間)をそれぞれの目標に導くということです。願ったことではなくても、与えられたもの・ことを運命だと思って受け入れることが良い結果を招くことになります。でも謙虚にならないと受け入れることはできませんね。私の自戒とするところです。

次の詩は、アメリカの南北戦争で負傷した南軍の無名兵士が、収容先の病院の病室に書き残したとされる詩です。現在は、ニューヨーク州立大学病院物理療法リハビリテーション研究所の受け付けの壁に展示されているそうです。このブログの2023年6月5日に掲載しましたが、渡辺和子シスターの言葉と同じ意味をなしていますので、ここに再掲載いたします。
◯『苦しんでいる者のための信条(詩)』
「私は何かを成し遂げようとして神に力を求めたが
私が謙遜になって従うようにと弱くされた。

私はより大きなことを成そうとして健康を求めたが
私がより良いことを成すようにと病を授かった。

私は幸福になろうとして富を求めたが
私が賢明になるようにと貧困を授かった。

私は人々の賞賛を得ようとして権力を求めたが
私が神の必要を感じるようにと弱さを授かった。

私は人生を楽しもうとしてあらゆることを求めたが
私があらゆることを喜ぶようにといのちを授かった。

私が求めたものは何一つ得られなかった
しかし願ったことはすべてかなえられた。

こんな私であるにもかかわらず
私の数々の暗黙の祈りは答えられた。

私はあらゆる人々の中にあって
最も豊かに祝福された者だ!」
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「切支丹御禁制高札」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日は、「切支丹御禁制高札(きりしたん ごきんせい こうさつ)」のお話しです。過去にこのブログに掲載しましたが、写真の「高札(こうさつ)」は、2017年6月15日にカトリック本所教会を訪問した際に、教会の信徒館の玄関に展示されていましたので撮らさせていただきました。もちろん教会の方に撮影許可はいただいております。黒ずんではいますが、文字はきちんと読めます。この高札は、江戸時代最後の年=明治元年に出されたもので、「キリスト教は固く禁止します。」ということが書いてあります。
高札.jpg
◯次の写真は、私が所蔵している高札です。日焼けしたのか雨ざらしになっていたのか、字が薄くなっていますが判読することはできます。書いてある内容(文字・文章)は、本所教会が所蔵している高札とまったく同じです。手前にボールペンを置いてありますから、この高札の大きさがわかると思います。
IMG_5505.jpeg
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高札は、一般的には「こうさつ」、他に「たかふだ」と読みます。テレビや映画の時代劇に出てきますから、皆さんご存知だと思います。江戸時代以前から明治時代初期にかけて、時の政権(幕府や大名など)が発令した法令を板面に記し、往来する人々に掲示して民衆に周知させるために用いたものです。「高」は高く掲げたことから。「札」は板のことですね。一種の掲示板のことです。

写真の2つの高札は、両方とも慶応4年3月(1868年)とありますから今から155年前になります。慶応4年は、この年の9月8日に「明治」に改元していますから、慶応4年=明治元年ということですね。そして、この慶応4年の3月は、明治天皇が「五個条の御誓文」を発令した時と同じ月です。書いてある文章を現代語訳すると「キリスト教の信仰は、これまで禁止してきたとおりに固く守ること。邪悪な宗教は固く禁止します。」ということです。明治政府になっても、切支丹に対する取り締まりは厳しく、切支丹を捕縛しては拷問にかけるという弾圧・迫害をしていました。

「定
(さだめ)

一、切支丹宗門之儀ハ
(キリシタン宗門の儀は、)

是迄御制禁之通り
(これまでご禁制のとおり、)

固く可相守事
(固くあい守るべきこと。)

一、邪宗門之儀者固く
(邪宗門の儀は固く、)

禁止之事
(禁止のこと。)

慶應四辰年三月
(1868年3月)

太政官
(だじょうかん)」

「切支丹(キリシタン:又は「吉利支丹」)」とは、語源はポルトガル語(Cristão)で、日本の戦国時代から江戸時代、明治時代初期まで使われていた日本語です。元々はポルトガル語で「キリスト教徒」という意味であり、英語では「クリスチャン(Christian)」となります。本来はキリスト教徒全般を指しますが、戦国時代以降、日本に伝来したキリスト教(カトリック教会)の信者・伝道者などを指します。

「太政官(だじょうかん)」とは、日本の江戸時代末(幕末)から明治時代初期にかけて設けられた明治維新政府に設けられた官僚職名で、慶應4年6月(慶応4年=明治元年・旧暦閏4月)に公布された政体書(慶応4年太政官達第331号)に基づいて設置されました。後に、長官として太政大臣(だじょうだいじん)が置かれるようになり、1885年(明治18年)に内閣制度が発足したことに伴って廃止されました。

新政府(明治政府)は、江戸時代(徳川幕府)から引き継いだ「引き続きキリスト教を禁止するので固く守ること」の旨を国民に告知したのですが、調べてみると、これと同じ高札は全国の高札場に掲示されています。ちなみに切支丹御禁制(キリスト教禁教)の高札が撤去されるのは明治6年(1873年)になってからです。約5年間ほど高札場に掲げられていたのです。高札が撤去されただけで、キリスト教の信仰が公認されたわけではなく、ただ黙認されただけでした。なぜ撤去されたか?それは諸外国の内政干渉でした。

当時の明治政府は、諸外国との不平等条約の解消に力を注いでいましたが、明治政府による一連のキリシタン弾圧行為の情報が欧米諸国に伝わり、「キリスト教徒を弾圧するなど、そのような野蛮な国とは対等な条約など結ぶことはできない!」ということで、日本政府に対しキリスト教弾圧政策に圧力をかける結果に繋がったからでした。極めて限定的ですが、公式に信教の自由(キリスト教の信仰)が認められたのは、『大日本帝国憲法』が発布された明治22年(1889年)になってからのことです。しかし、真の意味において平等に信教の自由が認められたのは、『日本国憲法』が施行された昭和22年(1947年)からのことでした。

◯ご参考
1.『大日本帝国憲法』第28条(信仰自由)
「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務二背カサル限二於テ信教ノ自由ヲ有ス」
2.『日本国憲法』第20条(信仰の自由と政教分離)
「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」
◯復元された高札場
写真は、東海道・日坂宿(静岡県掛川市日坂)の街道沿いに設けられた「高札場(こうさつば)」です。いろいろな高札が掲げられていますね。ちなみにこれは復元したものです。
高札2.jpg
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渡辺和子シスターのことば(第3日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「暗いと不平をいうよりも、進んであかりをつけましょう。」
「他人まかせでは幸せは得られない。自分が光となって世の中を照らそう。」

渡辺和子シスターのことは、「渡辺和子シスターのことば(第1日目)2023.7.19」をご覧下さい。
この2つの言葉は多少ニュアンスが違いますが、共通することは「自らがこの世(人々)の光となる」ということです。それも進んで光となることです。この光(あかり)のことが新約聖書にあります。
◯新約聖書:マタイによる福音書・第5章・第14~第16節
「あなた方は世の光である。山の上にある町は、隠れることはできない。ともしびをともして、升の下に置く人はいない。燭台の上に置く。こうすれば、家のいるすべての人々のために輝く。このように、あなたがたの光を人々の前に輝かせなさい。そうすれば、人々はあなたがたの善い行いを見て、天におられるあなたがたの父をほめたたえるであろう。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

この部分は、イエス・キリストの聖句(言葉)です。イエス・キリストは「あなた方は世の光である。」と宣言されています。私たちがこの世を照らす光となる。つまり、愛をもって善い行いをし、人に希望をあたえることのできる人間になりなさい。それを人々に模範となって示しなさい。これを喩(たとえ)話しをもって説いています。渡辺氏も自分の心に光を灯し、その光(希望など)を持ち続ける模範ある人になりなさい、決して他人任せでなく、不平を言わないで進んで明かりとなるような善い行いをしなさいと説いています。
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今日の日記2023.7.22(カフェの午前の風景!) [日記]

今日は、仕事はお休みをいただき、都心に出て四ツ谷の整体院に行ってきました。終わってからスタバでアイスコーヒーを飲んだのですが、この数年でスタバを含めてカフェの店内風景が変わりました。それは、母親と小学生の子どもの親子が勉強をしているという風景です。子どもの勉強に母親がついて来ているとうことですね。別に夏休みだからということではなく、毎週日曜日・祝日はすでにこの風景となっています。また、大学生や中高校生は、以前から勉強している人はいました。皆さんパソコン持ち込みでやってますね。

この夏、休みの日は出かけない限り家で暑い日を過ごすことなります。電気代は値上がりしていますが、だからといってクーラーをかけないわけにはいきません。カフェなら電気代はいらないわけです。カフェは夏は冷房&冬は暖房が効いており、飲み物一つである程度の時間を過ごすことができます。ある意味、最適とはいかないまでも、いい勉強部屋になっているわけですね。また、テレビやゲームの誘惑もカフェならありません。そうなると、このカフェでの勉強はいい利用方法となるわけです………ただ、お店の方からすると、お客様の回転率は下がりますから営業としてはどうなのかなと?つい心配してしまいます(⌒-⌒; )
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教会日記2023.7.22(カトリック成城・聖タデオ教会「年間第16主日のミサ」土曜日) [教会日記]

今日は、仕事はお休みをいただき、夕方から出かけてカトリック成城・聖タデオ教会で18時からの「年間第16主日のミサ」に与りました。成城教会は、コロナ渦以前のミサ司式に戻りつつあります。朗読奉仕は、コロナ渦の間は1人で担当していましたが、以前のように第一朗読の担当と第二朗読の担当の2人体制に戻りました。また、聖歌は全部ではありませんが、すでにアレルヤ唱や閉祭の歌などは会衆全員で歌っていますし、ミサ中の応唱の部分も少しずつではありますが、新しいミサ式次第になって変更された楽譜で応唱しています。暗譜するまで、しばらく配布された楽譜を見ながら応唱することになります。

そこで、今日は第一朗読奉仕と答唱詩編の担当でした。先月、典礼係りの方から依頼がありました。私は、平日のミサで一昨年から第3月曜日の朗読奉仕を担当しており、先唱奉仕は、初金のミサを除いて第2~第4金曜日を担当しています。ちなみに以前所属していたカトリック町田教会では、毎週土曜日の主日のミサの第2朗読奉仕を6年間ほど、それこそほぼ毎週担当していたものですから、典礼委員会の皆さんから「第2朗読の男」と言われていました( ̄▽ ̄;) 朗読は聴いている方には簡単そうに思われがちですが、話す方にとってはいつまで経っても難しいですね。声量は小さ過ぎず大き過ぎず、速度は早過ぎず遅過ぎず、抑揚はつけ過ぎずですね。

◯6年ぶりにアルバを着ました。身長180cmの私がアルバを着ると、なんか余計にデカく見えてしまいます(⌒-⌒; ) やたら頭がデカくないですか!?( ̄▽ ̄;) アルバのことは、このブログの先月6月24日に掲載した「ミサの祭壇奉仕者・朗読奉仕者の服装アルバのお話し」をお読みください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-06-24-3
昨年11月末の待降節から新しい「ミサ式次第」が始まり、司式内容だけでなく、ミサに係る奉仕者の服装も新しい勧めがありました。それは、祭壇奉仕者の侍者だけでなく、朗読奉仕者もアルバ(白衣)を着用するように勧めれたことです。ただ、アルバの他に①洗礼の時に男性が使用する首から掛ける白い布(男女共用)又は②ベール(女性)に替えることもできます。
IMG_5501.jpeg
ところで、私は左耳がまったく聴こえなくて、右耳もあまり聴こえがよくないものですから、声の音量と声色(こわいろ)が自分ではよく分かりません。これでよく聖歌隊で歌ってられるなと思うのですが、幼稚園の1年間にカワイ楽器のオルガン教室、小学1年から5年までいやいやながらもピアノの個人レッスンを受けていたのと、中学2年から大学卒業まで吹奏楽をやっていたので、一応の音感はあると思います( ̄▽ ̄;) ちなみに、ピアノはバイエルを終わってチェルニーの初めの練習曲くらいで終わり、吹奏楽の担当楽器はトロンボーン3年、フレンチホルンを6年です。しかし、今でも歌う時は音程が合っているか?という不安がつきまといますから辛いですね。

もっと問題なのは会話です。会話で相手の話す声が聴こえない、或いは聴き取りにくいものですから「もう一度お話ししていただけませんか?」と聴き返すのも相手に申し訳ないし、いいけげん面倒くさくなって、分かっていないのに「ハイ」とか「分かりました。」と言ってしまう時があるのです( ̄▽ ̄;) これは相手に対して失礼ですよね。ですから後で嫌な思いをして後悔したりする時があります( T _ T ) 声色もかわらないものですから、軽い口調で話していたり、ろれつもまわっていなかったりする時があるようです( ̄▽ ̄;) 大学時代は勉強好きでもないのに、授業で教授の声が聴きずらいものですから、教室ではいつも一番前に座っていました。

ミサでは、朗読奉仕で第一朗読と答唱詩編を担当し、主日ではありませんが、個人的に今日(22日・土曜日)の「マグダラの聖マリア」の祝日をお祝いしてお祈りしました。
そして、「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。

【音感】
音の高さに対する感覚のことで、音の高度や高度の隔たりを捉える感覚のことをいいます。主に高度に対する感覚を「絶対音感」、隔たりに対する感覚は「相対音感」と呼ぶことがあります。
【声色】
声の音色や声の調子のこと。
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「マグダラの聖マリア」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日7月22日は、「マグダラの聖マリア」の祝日です。
マグダラの聖マリアは、エルサレムの裕福な家に生まれ、幼くして両親を失い、兄のラザロと姉のマルタといっしょに暮らしていたといわれています。自由奔放な生活をし、やがて7つの悪霊につかれて苦しみ、人々から「罪の女」というレッテルをつけられて疎まれるようになりました。その時に、イエス・キリストと出会い、悪霊からも解放され、真の愛を知って回心して徹底して信仰の道を歩みました。復活したイエスが最初に現われたのは、このマリアであり、彼女が他の弟子たちにイエスの復活を告げました。

その後は、使徒たちの宣教活動を助けて、イエス昇天後、兄弟ラザロ、マルタ (マリアの姉) らとともに南仏マルセイユ(あるいはサント=マリー=ド=ラ=メール)に着き、晩年はサント=ボームの洞窟で隠士生活を送った後にその一生を終え、遺骸はいったんエクス=アン=プロヴァンス郊外のサン=マクシマン=ラ=サント=ボームに葬られたと信じられていました。ヴェズレーのサント=マドレーヌ大聖堂はその遺骸(頭蓋骨)を移葬したものと主張しています。しかし、サン=マクシマン側は今も遺骸を保持していると主張しており、一部はパリのマドレーヌ寺院にも分骨されているそうです。
(ブログ掲載文献表示:「女子パウロ会ホームページ」から引用、一部加筆・修正)

私の大好きなスペイン出身の画家エル・グレコ作の「悔悛するマグダラのマリア」です。アメリカ・マサチューセッツ州のウースター美術館に所蔵されています。グレコはマグダラの聖マリアを複数枚描いていますが、この絵はスペインのトレドに移り住んで、数年後の1580年頃に完成された作品です。エル・グレコの作品に限らず、マグダラの聖マリアを主題とした宗教画では、アトリビュートとして頭蓋骨と香油の入った壺が描かれることが多いようです。
これは墓にあると思われていたイエスの遺体に塗るために香油を持って墓を訪れたとの聖書の記述に由来しています。また、結わずに長くのばされた髪、若干露出が高めの肌の描写が多く、元娼婦という伝説上の固定観念が若干色濃く反映されているようにも見えます。なお、マグダラのマリアの長い髪については、フランスの洞窟で隠者として苦行をしていた頃に、服をまとわず髪を伸ばして毛皮のように体をおおっていたという伝説が元となっているそうです。
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新約聖書の4つの福音書で、マグダラの聖マリアについて記載されているのは、次のとおりです。①七つの悪霊をイエスに追い出していただき、磔にされたイエスを遠くから見守り、その埋葬を見届けたこと。②復活したイエスに最初に立ち会い、「すがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから」とイエスに窘められたこと。
◯新約聖書:マタイによる福音書・第24章・第8節
「そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。」
◯新約聖書:ルカによる福音書:第24章・第9~第10節
「しばらくしていつの間にかマグダラのマリアのそばには復活したイエスがついていたが、最初、彼女はそれがイエスだとは気づかなかった。「マリア」と呼びかけられてやっと、彼女はそうと気づいた。彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。」
◯新約聖書:ヨハネによる福音書・第20章・第1~2節、第11~18節
「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」
マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」 マリアは、園丁だと思って言った。 「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。 わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、 また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」 マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。」

★教皇庁典礼秘跡省、教令「マグダラの聖マリアの祭儀について」2016年6月3日:教皇庁文書 典礼秘跡省 諸文書『典礼秘跡省教令』
「教会は、西方においても東方においても、マグダラの聖マリアが主の復活の最初の証人であり最初に福音を告げた者(evangelista)であると、つねに最高の敬意をもって考え、さまざまな方法ではあるがあがめてきた。
現代において教会は、女性の尊厳、新しい福音宣教、そして神のいつくしみの神秘の偉大さに関して、いっそう熱心に熟考するよう求められている。そのため、マグダラの聖マリアの模範が信者によりふさわしく供されることも有意義であると思われる。実際、この女性は、キリストを愛し、キリストから非常に愛された者として知られている。そして、大聖グレゴリオからは「神のいつくしみの証人」(testis divinae misericordiae)と呼ばれ、聖トマス・アクィナスからは「使徒の中の使徒」(apostolorum apostola)と呼ばれ、今では教会における女性の役務の模範としてキリスト信者に認められている。
それゆえ、教皇フランシスコは、マグダラの聖マリアの祭儀が、今後は現在の記念日ではなく祝日(festum)の等級で一般ローマ暦に記入されるべきであると定めた。
 祭儀の新しい等級は、祭儀そのものが執り行われる日付の変更を含むものではない。ミサならびに聖務日課の式文に関しては、以下のことを守ることとする。
a) マグダラの聖マリアの祭儀に与えられた日付は、ローマ暦に記載されているのと同じ日付、すなわち 7 月 22 日をそのまま保つ。
b) ミサと聖務日課で用いる式文は、『ミサ典礼書』と『教会の祈り』の中でこの日に定められているのと同じ式文をそのまま使用する。ただし、本教令に添付された固有の叙唱を『ミサ典礼書』に追加する。この叙唱を国語に翻訳するのは司教協議会の務めであり、あらかじめ使徒座の認証を受けて用いることができ、『ローマ・ミサ典礼書』の次回の増刷時に挿入される。
局地法の規定に従って、マグダラの聖マリアが異なる日付または等級で適法に祝われているところでは、今後もこれまでの日付と等級のまま祝われる。
以上に反することはすべて退けられる。」
Prot. N. 257/16
典礼秘跡省にて
2016 年 6 月 3 日、イエスのみ心の祭日
長官 ロベール・サラ枢機卿
次官 アーサー・ローチ大司教

【アトリビュート】
西洋絵画、特に宗教画(キリスト教絵画)には、「アトリビュート(=持物:じぶつ)」というものがあります。これは、絵を描く時の“約束事”として、特定の人物(聖人など)に密接に結びつけられたもの、例えば花、動物、小物、道具や背景などが画かれるのです。
例えば、聖母マリア様ですと、必ず画かれているのが純潔の象徴である「百合の花」ですね。「受胎告知」の絵で、大天使ガブリエルが百合の花を持っています。そして、天の真実を意味する「青色(濃紺色)のマント」です。「祈りの聖母」と「悲しみの聖母」の絵もそうですね。他にも、「12の星の冠」や足の下に「三日月」と「蛇」が画かれています。聖母マリア様の絵を見るときはよく観察しましょうね。
他にも、聖母マリアの夫である聖ヨセフは、大工であったことから大工道具がアトリビュートになっていますし、聖アガタは、乳房を切り取られたことから、乳房がアトリビュートになっています。旧約聖書の「トビト記」に出てくるトビアスを描いた絵は、必ず魚が画かれています。(「トビト記」を読めばわかります。)
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