「イコン」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

「イコン」とは、イエス・キリスト、聖人、天使、聖書における重要出来事やたとえ話、教会史上の出来事を画いた画像のことです。そのほとんどは平面画(板絵)です。キリスト教正教会では「聖像」とも呼ばれています。写真左は、私の部屋に飾ってある小型のイコンです。イコン作りの職人が、金箔や銀箔を用いて丹念に手作りしていますので、この小型(10㎝×14㎝)のイコンでも高価になります。(この大きさで、1万円くらいです!)

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実際の教会にあるイコンを観るのが一番です。最適なのが千代田区駿河台(JR御茶ノ水駅の近く)にある、キリスト教日本正教会の「東京復活大聖堂(ニコライ堂)」(写真右)です。この聖堂には、たくさんの歴史を感じさせる古いイコンを観ることができます。なお、聖堂に入るには、拝観献金として300円(中学生は100円、小学生以下は無料。)が必要になります。ただし、聖堂内の信徒が着席する“内陣”には入れません。

イコンと言えば正教会で用いられるものを指すことが多く、場合によってはイコンは正教会のものとして限定的に説明されることもあります。でも、正教会以外のキリスト教の教派でも用いられないわけではなく、一般的ではありませんがカトリック教会においても「聖画像」とも呼んで用いられています。正教会におけるイコンとは、単なる聖堂の装飾や奉神礼の道具ではなく、正教徒が祈り、口付けする、聖なるものとしています。信仰の対象となるのはイコンそのものではなく、イコンに画かれた原像ですが、カトリック教会の聖堂にある十字架(磔刑像)と同じような扱いをしていますね。
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教会日記2020.7.22(カトリック成城教会「平日のミサ」水曜日) [教会日記]

今日も出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城教会の7時からの平日のミサに与りました。今朝は小雨がポツポツと降っています。今年は長い梅雨ですね~( ̄▽ ̄;) 早く夏空を仰ぎたいものです。

ミサでは、聖マグダラのマリアの祝日をお祝いしてお祈りしました。また、今日は第1朗読の担当で、旧約聖書の「雅歌」第3章・第1~第4節を朗読しました。そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りし、共同祈願では、『新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り』をお祈りしました。
また、行方不明となっている小学2年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病気が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
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「聖マグダラのマリア」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日7月22日(水)は、聖マグダラのマリアの祝日です。
エルサレムの裕福な家に生まれ、幼くして両親を失い、兄のラザロと姉のマルタといっしょに暮らしていたといわれています。自由奔放な生活をし、やがて7つの悪霊につかれて苦しみ、人々から「罪の女」というレッテルをつけられて疎まれるようになりました。その時に、イエス・キリストと出会い、悪霊からも解放され、真の愛を知って回心して徹底して信仰の道を歩みました。復活したイエスが最初に現われたのは、このマリアであり、彼女が他の弟子たちにイエスの復活を告げました。その後は、使徒たちの宣教活動を助けて、イエス昇天後、兄弟ラザロ、マルタ (マリアの姉) らとともに南仏マルセイユ(あるいはサント=マリー=ド=ラ=メール)に着き、晩年はサント=ボームの洞窟で隠士生活を送った後にその一生を終え、遺骸はいったんエクス=アン=プロヴァンス郊外のサン=マクシマン=ラ=サント=ボームに葬られたと信じられていました。ヴェズレーのサント=マドレーヌ大聖堂はその遺骸(頭蓋骨)を移葬したものと主張しています。しかし、サン=マクシマン側は今も遺骸を保持していると主張しており、一部はパリのマドレーヌ寺院にも分骨されているそうです。
(ブログ掲載文献表示:「女子パウロ会ホームページ」から引用、一部加筆・修正)

私の大好きなスペイン出身の画家エル・グレコ作の「悔悛するマグダラのマリア」です。アメリカ・マサチューセッツ州のウースター美術館に所蔵されています。グレコはマグダラのマリアを複数枚描いていますが、この絵はスペインのトレドに移り住んで数年後の1580年頃に完成された作品です。エル・グレコの作品に限らず、マグダラのマリアを主題とした宗教画では、アトリビュートとして頭蓋骨と香油の入った壺が描かれることが多いですね。これは墓にあると思われていたイエスの遺体に塗るために香油を持って墓を訪れたとの聖書の記述に由来しています。また、結わずに長くのばされた髪、若干露出が高めの肌の描写が多く、元娼婦という伝説上の固定観念が若干色濃く反映されているようにも見えます。なお、マグダラのマリアの長い髪については、フランスの洞窟で隠者として苦行をしていた頃に、服をまとわず髪を伸ばして毛皮のように体をおおっていたという伝説が元となっているそうです。
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新約聖書の4つの福音書で、聖マグダラのマリアについて記載されているのは、次のとおりです。①七つの悪霊をイエスに追い出していただき、磔にされたイエスを遠くから見守り、その埋葬を見届けたこと。②復活したイエスに最初に立ち会い、「すがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから」とイエスに窘められたこと。
◯新約聖書:マタイによる福音書・第24章・第8節
「そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。」
◯新約聖書:ルカによる福音書:第24章・第9~第10節
「しばらくしていつの間にかマグダラのマリアのそばには復活したイエスがついていたが、最初、彼女はそれがイエスだとは気づかなかった。「マリア」と呼びかけられてやっと、彼女はそうと気づいた。彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。」
◯新約聖書:ヨハネによる福音書・第20章・第1~2節、第11~18節
「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」
マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」 マリアは、園丁だと思って言った。 「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。 わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、 また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」 マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。」

★教皇庁典礼秘跡省、教令「マグダラの聖マリアの祭儀について」2016年6月3日:教皇庁文書 典礼秘跡省 諸文書『典礼秘跡省教令』
「教会は、西方においても東方においても、マグダラの聖マリアが主の復活の最初の証人であり最初に福音を告げた者(evangelista)であると、つねに最高の敬意をもって考え、さまざまな方法ではあるがあがめてきた。
現代において教会は、女性の尊厳、新しい福音宣教、そして神のいつくしみの神秘の偉大さに関して、いっそう熱心に熟考するよう求められている。そのため、マグダラの聖マリアの模範が信者によりふさわしく供されることも有意義であると思われる。実際、この女性は、キリストを愛し、キリストから非常に愛された者として知られている。そして、大聖グレゴリオからは「神のいつくしみの証人」(testis divinae misericordiae)と呼ばれ、聖トマス・アクィナスからは「使徒の中の使徒」(apostolorum apostola)と呼ばれ、今では教会における女性の役務の模範としてキリスト信者に認められている。
それゆえ、教皇フランシスコは、マグダラの聖マリアの祭儀が、今後は現在の記念日ではなく祝日(festum)の等級で一般ローマ暦に記入されるべきであると定めた。
 祭儀の新しい等級は、祭儀そのものが執り行われる日付の変更を含むものではない。ミサならびに聖務日課の式文に関しては、以下のことを守ることとする。
a) マグダラの聖マリアの祭儀に与えられた日付は、ローマ暦に記載されているのと同じ日付、すなわち 7 月 22 日をそのまま保つ。
b) ミサと聖務日課で用いる式文は、『ミサ典礼書』と『教会の祈り』の中でこの日に定められているのと同じ式文をそのまま使用する。ただし、本教令に添付された固有の叙唱を『ミサ典礼書』に追加する。この叙唱を国語に翻訳するのは司教協議会の務めであり、あらかじめ使徒座の認証を受けて用いることができ、『ローマ・ミサ典礼書』の次回の増刷時に挿入される。
局地法の規定に従って、マグダラの聖マリアが異なる日付または等級で適法に祝われているところでは、今後もこれまでの日付と等級のまま祝われる。
以上に反することはすべて退けられる。」
Prot. N. 257/16
典礼秘跡省にて
2016 年 6 月 3 日、イエスのみ心の祭日
長官 ロベール・サラ枢機卿
次官 アーサー・ローチ大司教

【アトリビュート】
西洋絵画、特に宗教画(キリスト教絵画)には、「アトリビュート(=持物:じぶつ)」というものがあります。これは、絵を描く時の“約束事”として、特定の人物(聖人など)に密接に結びつけられたもの、例えば花、動物、小物、道具や背景などが画かれるのです。「聖母マリア様」は、その名を讃える名称として「マリア・ステラ(Maria Stella)=海の星」が古くから使われていますが、その海の星から来る青い海のイメージから、①青色(濃紺色)のマントや聖母マリア様の象徴である②百合の花がアトリビュートとなっています。
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教会日記2020.7.21(カトリック成城教会「平日のミサ」火曜日) [教会日記]

今日も出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城教会の7時からの平日のミサに与りました。今朝は曇り空です。雨が降るのでしょうか。新型コロナウイルスの感染者が多くなり、引き続き注意が必要ですね。マスクはもちろんのこと、手洗い、や消毒をこまめにしましょう。

ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りし、共同祈願では、『新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り』をお祈りしました。
また、行方不明となっている小学2年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病気が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
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ジョン・ウェスレーのことば [キリスト者(クリスチャン)]

「あらゆる手段を用いて、あらゆる方法によって、あらゆる場所で、あらゆる時に、あらゆる人に対して、自分にできる限りの、あらゆる善を行なうこと」

ジョン・ウェスレー(イギリス・:1703年~1791年)は、キリスト教イングランド国教会の司祭で、その後メソジスト運動と呼ばれる信仰覚醒運動を指導した聖職者です。この運動から生じたのがメソジスト派というキリスト教プロテスタント教会であり、アメリカ合衆国・ヨーロッパ、アジアで大きな勢力をもつに至りました。特にアメリカではプロテスタント系で信徒数第2位の教派です。このブログに3回目の掲載となります。
人に善い行いをする時は、場所や手段を尽くして、誰に対しても差別なく善い行いをすることを説いています。しかし、お節介過ぎるのは敬遠されますね。まずは相手の気持ちを大切にしなければなりません。ちなみに、東京都渋谷区にある青山学院大学と兵庫県西宮市にある関西学院大学は、このメソジスト派の学校です。

青山学院大学の正門です。正門を入った右側にキリスト教プロテスタントのメソジスト派の創始者ジョン・ウェスレーのご像があります。
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大学構内にある教会(礼拝堂)です。
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私の支援活動!その5「特定非営利活動法人国境なき医師団日本」献金 [支援活動日記]

写真は、「特定非営利活動法人国境なき医師団日本」から届いた、昨年の8月~先月の6月までの11ヶ月分の寄付金の報告書(領収証)です。昨年の8月に寄付の申込みをしましたので、先月の6月で11ヶ月となりました。私は、他にも難民救済支援のために「国連UNHCR協会」に毎月4,000円、世界の恵まれない子ども達を支援するため「公益財団法人日本ユニセフ協会」に毎月3,000円の寄付をしています。皆さんも可能な方は、月1.000円でもご寄付いただければと思います。
世界中の困っている人たちを救うという、イエス・キリストの教えである「隣人への愛=善き行い」が、現地に行って行う<直接支援>は物理的にできないものですから、現在、私にできる寄付という<間接支援>によって行っています。ただ、毎度のことですが「寄付しているから善い行いをしている。」と思うのは、傲慢であり自惚れにしか過ぎません。危険なことです。やはり、可能な限りは実際の現場において手と足で行う支援活動を行いたいですね。

報告書が届きました。月3,000円✕11ヶ月=33,000円
33,000円で、はしかのワクチンを1,331人分、または、栄養治療食を991人分になります。少しでも困っている子どもたちを救うことができればと思います。
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◯国境なき医師団とは
国境なき医師団(Médecins Sans Frontières=MSF)は、 独立・中立・公平な立場で医療・人道援助活動を行う民間・非営利の国際団体です。1971年に設立し、1992年には日本事務局が発足しました。MSFの活動は、緊急性の高い医療ニーズに応えることを目的としています。紛争や自然災害の被害者や、貧困などさまざまな理由で保健医療サービスを受けられない人びとなど、その対象は多岐にわたります。MSFは世界各地に38事務局を設置しています。主な活動地はアフリカ・アジア・中東・中南米で、2018年は70ヵ国以上で活動しました。約4万7000人の海外派遣スタッフ・現地スタッフ・事務局スタッフが世界各地で働いています。2018年、MSF日本は106人を派遣しました。派遣回数はのべ148回で、27の国と地域で活動しました。MSFの活動は、95%が民間からの寄付で成り立っています(2018年)。また、活動地へ派遣するスタッフの募集も通年で行っています。さらに、活動地の現状報告や患者の方々の声を届ける証言・広報活動も重視しています。
1人でも多くの方が、私たちとともに行動してくださることを願っています。
特定非営利活動法人国境なき医師団日本のホームページは、https://www.msf.or.jp/ です。
以上です。
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教会日記2020.7.20(カトリック成城教会「平日のミサ」月曜日) [教会日記]

今日は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城教会の7時からの平日のミサに与りました。昨日と同様に晴れましたね~(*^▽^*) 夜遅くに雨模様となるようですが、やはり晴天はいいですね。ここのところ新型コロナウイルスの感染者が多くなり、引き続き今後の生活環境や仕事環境の変化に注意が必要です。

ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りし、共同祈願では、『新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り』をお祈りしました。
また、行方不明となっている小学2年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病気が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
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新約聖書:ガラテヤの人々への手紙・第6章・第7〜第10節 [聖書]

「思い違いをしてはいけません。神は人から愚弄されることはないのです。人は自分の蒔いたものを刈り取ります。自分の肉という畑に種を蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊という畑に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。倦まず弛まず善を行いましょう。飽きずに励めば、時が来たとき、わたしたちは刈り取ることになります。ですから、機会のあるごとに、すべての人に、特に、信仰によっていわば家族となった人々に対して、善を行いましょう。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

新約聖書には、「種蒔き」と「刈り取り」についてのイエス・キリストのたとえ話しがよく出てきます。イエス・キリストが説かれるのは、「良い実を得たいのであれば、良い種を蒔きなさい。」、「豊かな収穫を得たいのであれば、良い種をまきなさい」ということです。結局、良くも悪くも 「蒔いた種は刈らねばならない」わけですから、良い種を蒔きましょうということですね。

作物を収穫する「刈り入れ」は、大きな喜びの時です。畑を耕して種を蒔き、水や肥料をやり、草取りをして世話をし、やがて実が豊かに実る。それを刈り取る=収穫するのです。収穫は、これまで汗水流して働いた労苦の実りを刈り取る時であり、労働の成果を目に見えるかたちで手にする最高の時です。良い種を蒔いたのであれば、良い実をつけ豊かな収穫を得ることになるわけです。

ナスビの種を蒔いたらキューリがなった!Σ( ̄ロ ̄lll) ということはありませんね。ナスビの種を蒔けばナスビが生ります。同じように愛の種を捲けば、愛の芽が出て、その愛が成長して、平和を刈り取ることができます。その反対に、憎しみの種を蒔けば、憎しみという芽が出て、その憎しみが成長して、戦争を刈り取ることになります。仏教で説くところの「因果応報(いんがおうほう)」と似ていますね。

これは、「種蒔き」と「刈り取り」のたとえ話しですが、イエス・キリストが説く<種蒔き>とは、人々に神のみ言葉(教え)を蒔くことであり、福音を告げ知らせることであり、善き行いをすることでもあります。<刈り入れ>とは、種蒔きの結果の報いであって、イエス・キリストが再臨する時に行われる、永遠の安らぎが与えられる天の国に昇る者と燃え盛る火が尽きることのない地獄に落ちる者とが選別される「最後の審判」を指しています。ですから、私たち信徒は、日々において神のみ言葉を実践し、福音を告げ知らせ、善き行いを実践しなければならないのですね。

他にも種蒔のたとえ話しはたくさんありますが、ここでは次の3つを掲載いたします。
〇新約聖書:コリントの人々への第一の手紙・第19章・第6節
「少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。」
〇新約聖書:マルコによる福音書・第4章・第26~第29節
「神の国は、ある人が地に種をまくようなものである。 夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。 地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。 実がいると、すぐにかまを入れる。刈入れ時がきたからである。」
〇新約聖書:マルコによる福音書・第4章・第30~第32節
「神の国を何に比べようか。また、どんな譬で言いあらわそうか。 それは一粒のからし種のようなものである。地にまかれる時には、地上のどんな種よりも小さいが、 まかれると、成長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が宿るほどになる。」

【因果応報】
人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ。仏教の用語で、行為の善悪に応じて、その報いがあることを意味します。現在では悪いほうに用いられることが多いですね。「因」は因縁の意で、原因のこと。「果」は果報の意で、原因によって生じた結果や報いのことです。
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教会日記2020.7.19(カトリック成城教会「主日のミサ」日曜日) [教会日記]

今日は、カトリック成城教会での10時からの主日のミサに与りました。これで、6月20日(土)にミサが再開されてから、30日間連続してミサに与ってご聖体を拝領したことになります。今日は久しぶりによく晴れました!やはり晴れると気持ちがいいですね(^∇^)ミサは、いつものように3蜜を避けるため、ソーシャルディスタンスで入堂制限がありますから40人くらいしか入れません。ですから、聖堂に入れない人のために、信徒館でスクリーンで映してミサに与る対策もしています。また、マスクの着用はもちろんのこと、聖堂(信徒館)入口の受付でカードに氏名と電話番号の記入と手の消毒があります。そして、ミサの時間を通常よりも短縮するためと信徒の声の発生を少なくするために、約30分のミサとなっています。聖歌は歌いません( ̄◇ ̄;) 今日も残念です(T_T)

成城教会の聖堂です。よく晴れましたね〜\( ˆoˆ )/
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ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学2年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病気が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
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内村鑑三のことば(第4日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「愛に恐怖なし、最上の道徳たればなり。
愛に疑惑なし、最上の真理たればなり。
愛に束縛なし、真個の自由なればなり。」

内村鑑三のことは、このブログの「内村鑑三のことば(第1日目)2020.7.15」をご覧ください。
クリスチャンらしい言葉ですね。読んでそのとおりの言葉ですが、愛には恐れも、疑いも、束縛もないのです。愛にあるのは、“真心”です。「真個」とは“真実であること”という意味です。
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