教会日記2020.4.2(カトリック成城教会「ロザリオの祈り」木曜日) [教会日記]

今日は仕事が終わってから、「山谷夜回りの会」のホームレス支援活動があったのですが、今一つ体調がよくないため(熱も咳もありません!)、大事をとって支援活動に行くのを中止し、帰り道を小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城教会で「ロザリオの祈り」一環を捧げてきました。
今夜も静寂に包まれたお御堂で、聖母マリア様のご像の前で一人で心静かにお祈りすることができました。また、「耐えざる御助けの聖母マリア」様に感謝のお祈りを捧げ、新型コロナウィルスの感染が拡大しないように、感染者の皆さんが早く治るように、不安定となっている人々の心の平安をお祈りしました。

そして、『健康を求める祈り』をお祈りしました。
『すべてを造り、新たにする方、
わたしのいのちの源、神の聖なる霊、
聖マリアとともに、あなたを礼拝し、感謝し、愛します。
あなたは、全宇宙にいのちを与え、活気づける方です。
わたしたちに健康を保たせ、
いのちをおびやかし危険にさらす病気から
解放してください。
あなたの恵みに助けられ、
神の栄光と、わたしの魂の善と、
兄弟姉妹への奉仕のために、
わたしのすべての力を常に用いることを約束します。
医師と、看護にあたるすべての人に、
あなたの知識と聡明の賜物を与え、照らしてください。
いのちをおびやかし危険にさらす病気の原因を知り、
予防と回復のため、
より効果ある治療がなされますように。
聖なるおとめ、いのちの母、病人のいやしである御母、
わたしのこの貧しい祈りをあなたにゆだねます。
あなたは神の母、わたしたちの母、
あなたの執り成しをもって、
この祈りに力を添えてください。
アーメン」
新型コロナウイルス肺炎が早く終息するよう、一人でも多くの皆さんと一緒にお祈りしましょう!
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聖フランシスコ・サレジオのことば(第4日目) [聖人・福者・尊者]

「何事も単純に考えなさい。
心の平安を勝ちとろうとあくせくしてはいけない。
あわてなければ、心は自然と静まえる。」

聖フランシスコ・サレジオのことは、「聖フランシスコ・サレジオのことば(第1日目)2020.3.28」をご覧下さい。
この言葉は、仏教、特に禅宗で教えるところの“平常心是道(へいじょうしん これみちなり)”と共通するところがあります。学生時代に「東洋倫理学思想史」の授業で学んだことですが、これは、禅語として宋代の禅匠、趙州和尚と師の南泉普願禅師の問答に由来しています。このブログに2回目の掲載となります。

 趙州問う「如何なるか是道(いかなるかな これどう?)」 
 南泉曰く「平常心是道(へいじょうしん これどう!)」

趙州和尚が師の南泉禅師に「如何是道」(道とはどんなものでしょうか)と問いました。
その答えが「平常心是道」(ふだんの心こそが道である)でした。
(ここでいうところの道とは、仏道ということです。)
趙州和尚が「その心はどのようにしてつかむことができるのでしょうか」と重ねて問うと、
南泉禅師は「つかもうとすれども、つかむことができない」と答えました。
趙州和尚は「つかむことができないのであれば、それは道とはいえないのではないでしょうか」とさらに問いました。
これに対して南泉禅師は、「道は考えてわかるようなものではない、しかし、わからないといってしまうこともできない。考えてわかるというものであれば妄想になってしまう、わからないとすれば意味のないことになってしまう。」と答えました。さらに、「理解できるとか、理解できないとかという分別を離れてみると、自ずからそこに道が現れる。あたかも晴れて澄みわたっている秋空のようなもので、分別を入れる余地がまったくない」と答えたましたので、趙州和尚はその答えを聞いて悟ったということです。

このままじゃいけない、何とか落ちつこうと泰然(たいぜん)としていようとすればするほど緊張は高まり、不安になることも少なくありません。むしろ上がり緊張しているその心こそ、今の自分の真実の姿であり、ありのままの心なんだ、ということを素直に認め受け入れることですね。
ありのままの心、ありのままの姿を認め受け入れるとき、そこには自らが否定し、排除しようとした自分の心はなくなり、障りとする緊張感はなく、平生の平常心のみとなります。とは言っても「平常心」は普段のそのまま、現在の煩悩(ぼんのう)心のそのままではいけないのです。
曹洞宗開祖である道元禅師の言われる「ただわが身も放ち忘れて、仏のいへになげいれて、仏の方より行われ、是に従い行くとき、力も入れず心も費やさずして、生死を離れてほとけとなる。」ということです。要は自然の運行、自然のままに一切を仏にお任せするという、その心そのままが平常心といわれています。
キリスト教も、主である神様に一切をお任せし、後は一心に祈ることです。キリスト教も仏教も共通するところはたくさんありますね。

【泰然】
落ち着いていて物事に驚かないさま。「―として構える」「―たる態度」

【煩悩】
仏教で、心身を悩まし、乱し、煩わせ、惑わし、汚す心の作用のこと。人間の苦の原因とされる。煩悩の根源は貪(とん)・瞋(しん)・痴の三惑で、それに慢・疑・悪見の三つを加えて根本煩悩ともいう。
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