教会日記2020.4.17(カトリック松原教会「ロザリオの祈り」金曜日) [教会日記]

今日も仕事が終わってから帰り道を変更し、京王線明大前駅で途中下車してカトリック松原教会でお祈りを捧げてきました。東京都に緊急事態宣言が出された関係で、いつも通っていたカトリック麹町・聖イグナチオ教会やカトリック成城教会のお御堂が、無期限で閉鎖となりましたので、毎日21時までお御堂が開いている松原教会でお祈りすることにしました。通勤経路からは少し外れはしますが、京王線明大前駅から徒歩3分~4分と近いのがありがたいですね。
今夜も静寂に包まれたお御堂で、心静かにお祈りすることができました。「新型コロナウィルスの感染が拡大しませんように、感染者の皆さんが早く治りますように、不安定となっている人々の心に平安が戻りますように」とお祈りしました。

そして『健康を求める祈り』をお祈りしました。
『すべてを造り、新たにする方、
わたしのいのちの源、神の聖なる霊、
聖マリアとともに、あなたを礼拝し、感謝し、愛します。
あなたは、全宇宙にいのちを与え、活気づける方です。
わたしたちに健康を保たせ、
いのちをおびやかし危険にさらす病気から
解放してください。
あなたの恵みに助けられ、
神の栄光と、わたしの魂の善と、
兄弟姉妹への奉仕のために、
わたしのすべての力を常に用いることを約束します。
医師と、看護にあたるすべての人に、
あなたの知識と聡明の賜物を与え、照らしてください。
いのちをおびやかし危険にさらす病気の原因を知り、
予防と回復のため、
より効果ある治療がなされますように。
聖なるおとめ、いのちの母、病人のいやしである御母、
わたしのこの貧しい祈りをあなたにゆだねます。
あなたは神の母、わたしたちの母、
あなたの執り成しをもって、
この祈りに力を添えてください。
アーメン」

続いて、日本カトリック司教協議会が発表(認可)した『新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り』をお祈りしました。
「いつくしみ深い神よ、
新型コロナウイルスの感染拡大によって、
今、大きな困難の中にある世界を顧みてください。
病に苦しむ人に必要な医療が施され、
感染の終息に向けて取り組むすべての人、
医療従事者、病者に寄り添う人の健康が守られますように。
亡くなった人が永遠のみ国に迎え入れられ、
尽きることのない安らぎに満たされますように。
不安と混乱に直面しているすべての人に、
支援の手が差し伸べられますように。
希望の源である神よ、
わたしたちが感染拡大を防ぐための犠牲を惜しまず、
世界のすべての人と助け合って、
この危機を乗り越えることができるようお導きください。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
希望と慰めのよりどころである聖マリア、
苦難のうちにあるわたしたちのためにお祈りください。」
新型コロナウイルス肺炎が早く終息するよう、一人でも多くの皆さんと一緒にお祈りしましょう!
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聖ペレグリンの祈り [祈り]

『聖ペレグリンの祈り』
身近に癌に罹患(りかん)された人がいらっしゃる方は、次のお祈りを唱えましょう。
「あぁ、偉大なる聖ペレグリン、
あなたにより頼む人々のために
神から多くの奇跡を得て「力ある者」、「奇跡をおこなう者」と呼ばれた方、
あなたは、私達の命そのものを破壊する癌の病を長年ご自分の身に負われ、
人の力ではもはや何もできなくなったとき、
すべての恩寵(おんちょう)の源により頼み、
主イエスがご自分の十字架から降りて
あなたの病をいやされる示現(じげん)を賜りました。
私があなたに委ねる病人の癒しを、神と聖母に願ってください。

(ここで沈黙のうちに、自分が祈りたい病人の名前を想起する)

あなたの力強いとりなしに助けられ、今、そして永遠に、
偉大な善と慈悲への感謝の賛歌を神に向かって歌います。
わが母マリア、平和の元后(げんこう)、癌の聖人聖ペレグリン、すべての天使と聖人、
私と私の愛する人を助けてください。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン。」     
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ペレグリン・ラツィオーシ(イタリア:1265年頃~1345年)は、イタリアのロマーニャ州のフォルリ市で、裕福な家庭の一人息子として生まれました。不良グループのリーダーでもあった若きペレグリンは、ある時、町にやってきた修道士達を打ち据えてしまいました。やがて我に返って自分のとった行動を深く恥じたペレグリンは、このころから回心して友人たちと群れるのを止め、礼拝堂で一人跪いたまま時間を過ごすようになりました。

そんなある日、聖母マリア様がペレグリンの前にあらわれました。聖母マリア様は「シエナに行きなさい。そこであなたは、“聖母の僕(せいぼのしもべ)”と名乗る敬虔な人たちに出会うでしょう。その人達に付き従いなさい」とおっしゃられました。ペレグリンは直ちに行動し、シエナの修道院に腰を落ち着けると情熱をもって修行に励みました。自分の欲求を抑えるために、できるかぎり休息をとらないようにしていました。何年もの間、座ったり横になったりすることを避け、ほんの少しだけ地面に横たわることで満足していました(; ̄O ̄)………私には絶対に無理!(⌒-⌒; )

熱心な修行の末、やがて司祭となったペレグリンに課せられた最初の仕事は、フォルリ市に戻って新たな修道院を造ることでした。若い頃無法者として過ごした故郷に、修道院の創立者として戻ることになったのです。修道院の建設をすすめる傍ら、病にある人達、貧しい人達に献身的に奉仕しました。そんな苦行を続けていたせいか、ペレグリンの足に”悪性腫瘍”ができました。彼はこの苦しみをできるかぎり隠しとおしましたが、これ以上隠しきれなくなった時には病気は随分と進行しており、後は足を切断するしか治療の手立てはなさそうでした。

医師たちは手術の日取りを決めました。ペレグリンは足を引きずって聖堂へ行くと、キリスト磔刑像が描かれた絵画の前で、「私の腫瘍を治し、傷と痛みをお取り除きください。」と祈りました。すると信じられないことが起こりました。十字架の像(イエス・キリスト)が前にかがみ、そっとペレグリンの傷に触れると、その瞬間、病は癒されてしまったのです。この奇跡は、その献身的な生活ゆえにすでにもたらされていたペレグリンの名声をいっそう強固なものにし、やがて誰からともなく彼を聖人と呼ぶようになりました。ペレグリンはさらに20年を生きました。

ペレグリンの死は、公表される前から知れ渡り、街なかのみならず周辺の市からも、人々が修道院に押し寄せていました。あまりの群衆に、その晩は市の門を閉めることができないほどだったそうです。群集は、聖人の遺骸が教会へ運ばれ埋葬されるのを待っていましたが、その間、驚くべきことが起こりました。昔の伝記作家はこう記しています。「ペレグリンの遺骸が教会に安置されると、遺骸から漂う芳香で多くの病人が癒された。」と。
聖ペレグリンは、現在でもなお奇跡を起こす聖人として知られていますが、ある著述家は、遺骸がまだ人前に安置されていたときに起きた、おびただしい数の奇跡について語っています。どうやら他の人たちに混じって奇跡を目の当たりにしていたようで、それは「畏敬の念を起こさせる出来事であった。」と記しています。

ある時、聖ペレグリンの驚くべき奇跡を聞きつけて、生まれつき目の見えない男が教会にやって来て、深い信仰心を胸に棺台に近づくと、遺骸はまるで生きているかのように起き上がり、その場にいる全員の前で盲目の男の目に触れました。そして再び、もとのように横たわったのです。男は自分の目が見えていることに気づきました。この奇跡に人々はひどく興奮してしまい、その興奮を静めるためには、教会の聖職者たちが乗り出さざるを得なくなったほどだったそうです。棺台が置いてある教会のまわりに武装した守衛たちを配置し、人々が聖人の遺品を持ち去るのを防ぎました。

1639年、フォルリの修道院に礼拝堂が新設された際、聖ペレグリンの遺骸が掘り起こされましたが、その遺骸は腐敗もしておらず、「かぐわしい香り」を放っていたそうです。遺骸は行列とともに壮麗な大聖堂へ運ばれ、崇敬者たちのためにしばらく公開された後、新しい礼拝堂に安置されました。今もそこに霊廟があります。1726年12月27日、聖ペレグリンは正式に聖人の列に加えられました(列聖)。1926年、フォルリ司教は再び遺骸を調べましたが、どの部分もほぼ完全な状態で残っていたそうです。聖ペレグリンは、病気、特に”癌の守護聖人”となっています。お祈りしましょう。
写真は、四ッ谷にあるキリスト教カトリックの書籍や聖品などを扱う専門店「ドン・ボスコ社」で、聖ペレグリンの”メダイ(メダル)”を購入したものです(2016年12月29日現在)。『聖ペレグリンの祈り』が書かれた紙付きです。
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