今日の日記2020.4.25(加齢による憤怒!) [日記]

今年は数えで62歳となります。加齢による性格の変化や体力・気力の減退が気になる年齢となりました。
性格の変化ということについては、一般的に「歳をとると怒りっぽくなる。(頑固になる)」とか、反対に「歳をとると(性格が)丸くなる。」などと聞きますが、最近、駅やコンビニで怒りを爆発させている高齢者をよく見かけます。いわゆる「キレるおじさん」ですね。キリスト教では、「怒り(憤怒)」は「七つの大罪」の一つです。要するに怒り(憤怒)は罪なのですね。しかし、怒りっぽくなるのには、いろいろな理由があると思います。

私が思うに①加齢と共に経験や知識が豊かになり、自分独自の判断基準が出来上がっているため、他人(特に経験の浅い若年者)に対して厳しい目でみたりするため。②現役時代の地位や名誉を捨てられず、いつまで経っても上から目線で人を見るため。③聴覚や視覚の減退によってイライラが溜まり、それが何かのきっかけで爆発するため。④脳の前頭葉が萎縮するため。これが萎縮すると、(1)意欲の低下、(2)感情抑制の低下、(3)判断力の低下、(4)性格の先鋭化という4つの老化現象が表れ、なかでも「性格の先鋭化」は、頑固者はより意固地に、疑り深い人はより猜疑心の塊に、怒りっぽい人はよりキレやすくなるなど、生来の性格がキツくなるそうです。

まぁ、いずれにしてもキレる高齢者というのは、周りに迷惑をかける存在なだけです!ある意味<環境破壊>でもあります( ̄◇ ̄;) この世は自分一人では生きていくことはできません。生きていくには周りと協調、協働して生活しなければなりません。そこで、自分の感情をコントロールするには、どうすればよいのか?となります。今更、精神修養といっても遅すぎますね。そこで私が考えるのは、自分の中で簡単な行動規範を作り、それを自覚して実行することです。例えば怒りがこみ上げてきたら、①言葉を発する前に一呼吸おく。②心を落ち着かせて冷静になって話す。③優しい言葉にしてゆっくり話す。という行動規範です。これを実生活の中で厳守する訓練をすることです………あぁ~!これができないからキレるのでしたね~(⌒-⌒; ) だめか〜( ̄▽ ̄;)

そこで、若いころから「せっかち」な性格で短気で頑固だったと自認する私ですが(; ̄O ̄)、それが、年と共にまず短気がいつの間にか自制できるようになり、頑固は随分と緩和され、せっかちだけはまだ残っているという状態です………自己診断ですが(⌒-⌒; ) これは、25歳から約10年間続けた居合道(古流の田宮流居合剣術四段)の毎日の修練を通して、どんな時も心(気持ち)自制して平常心を保つことを心がけてきたことが、50歳を超えた辺りからジワジワと効いてきたことによります。そして、それにも増して大きな影響を受けたのは、54歳の時にキリスト教カトリック教会の洗礼を受け、イエス・キリストの教えを信じて信徒になったことですね。過去にこのブログに書きましたのでここでは割愛いたしますが、私は、キリスト教(カトリック教会)の信仰のおかげで、以前にも増して幸せ者になりました。

神様への崇拝と聖母マリア様への崇敬のおかげですね。それは、聖書(特に新約聖書)をお読みいただければわかりますが、イエス・キリストの一番重要な教えは「隣人への愛」と「人への赦し」です。この2つを実践することが心の平安と平和の実現につながるのです。つまり、憤怒(激怒)などとは無縁の世界なのです。このブログに何回も掲載していますから、ここでの詳しい説明は省きますね。聖書に(旧約聖書にも新約聖書にも)たくさんの怒り(憤怒)に対する戒めの聖句がありますが、今日は次の聖句をご紹介いたします。簡素に書かれていますが、この聖句にイエス・キリストの大切な教えが凝縮されています。
◯新約聖書:エフェソの信徒への手紙・第4章・第31〜第32節
「恨み、憤り、怒り、わめき、冒涜はすべて、一切の悪意と共に捨て去りなさい。互いに親切で憐れみ深い者となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」
『聖書協会共同訳聖書』から
nice!(0)  コメント(0)