今日の日記2019.11.24(フランシスコ教皇来日!) [日記]

フランシスコ教皇は、昨日の夕刻に訪問先のタイ・バンコクから東京国際空港(羽田空港)にお着きになり、今日は、朝から飛行機で長崎へ移動、長崎爆心地公園において〈核兵器に関するメッセージ 〉を演説されました。また、西坂公園の「日本二十六聖人殉教の記念碑」に表敬され、14時からは長崎県営野球場において、教皇司式のミサが行われました。
長崎の行事を終えて飛行機で広島へ移動し、広島平和記念公園にておいて「平和の集い」が行われ、教皇の演説がありました。フランシスコ教皇は、長崎と広島という世界で唯一原子爆弾が投下された場所で、世界の指導者に対して核兵器の廃絶を訴え、核兵器を開発することはテロ行為であると言明され、平和の尊さを説かれました。すべて携帯からYouTubeで中継を見ました。
明日は、東日本大震災の被災者とお会いになり、天皇陛下との会見や安倍総理大臣との会談があります。また、16時からは東京ドームにおいてフランシスコ教皇司式のミサが行われます。私は応募が落選でしたので、明日は仕事が終わってからYouTubeで見ますね(⌒-⌒; )
とにかく、日本滞在中は過密スケジュールですから、ご高齢のフランシスコ教皇のお身体が心配です。睡眠される時間はきちんとあるのでしょうか。フランシスコ教皇のご健勝を主にお祈りするしだいです。信徒の皆さん!ともにフランシスコ教皇のために祈りましょう!
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ジーニスト日記2019.11.24(ボアデニムジャケット) [ジーニスト日記]

寒くなってきましたから、ボア付きのデニムジャケット(濃色ブルー)にしました。もちろん愛用しているEDWIN(エドウイン)です。カットソーは、白系のタートルネックにしてコーデします。なかなか暖かいですよ。
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今日の日記2019.11.24(ローマ法王を改め「ローマ教皇」) [キリスト教関係事項・用語等]

日本では、カトリック教会のトップでありバチカン市国の元首である教皇(きょうこう)を、政府とメディア共に「ローマ法王」としてきましたが、外務省が11月20日(水)付けで「教皇」を使用すると発表しました。 今まで、日本のカトリック教会を統括するカトリック中央協議会は、「教皇」を使用するように政府やメディアに求めていました。このブログに、「ローマ法王」と「ローマ教皇」の違いについて書いた記事がありますからお読みください。https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2016-10-09

日本のカトリック教会の司祭や信徒は、もちろん「教皇」としていました。これは「教」の方が、教皇の職務に合っているという理由からです。外務省の発表を聞いたとき、私にしてみれば「やっと教皇という呼称が認められた。」との思いが強かったですね。まだ、メディアでは法王と教皇が混在していますが、時間がたてば「教皇」に統一されることでしょう。
◯NHKの発表:11月23日13時14分発表
「NHKは、これまで「ローマ法王」とお伝えしてきましたしてきましたが、日本のカトリック関係者を中心に「教皇」(きょうこう)と呼ばれていることや、今回の訪日にあわせ、日本政府も「法王」から「教皇」に変更したことなどを踏まえて、今後、「ローマ教皇」とお伝えします。」
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「王あるキリスト」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

このブログの2018年11月25日に掲載した記事を再掲載いたします。
今日(昨夜から)は、「王であるキリスト」の祭日です。典礼暦で年間最後の主日(日曜日)に当たり、次の主日である12月1日(日)から待降節が始まります。つまり、キリスト教の暦では、今年の場合は11月30日で2019年度が終わり、12月1日から2020年度が始まるということです。
今日は、この世の終わりに王として来られる(再臨する)イエス・キリストを祝います。十字架という形で表されたイエス・キリストの愛の奉仕の勝利を記念する日でもあり、私たちもこのイエス・キリストの国に属する者としてふさわしい生き方ができるように決意を新たにする日ですね。
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この祭日は、第一次世界大戦後、1925年に教皇ピオ11世によって定められ、同年に出された回勅にその趣旨を説明しておられます。それは第一次世界大戦の後、ヨーロッパでは社会が非キリスト教化し、平和を脅かす数々の要素が出はじめ、憂いを覚えられた教皇はイエス・キリストが「社会の王」として認められるように、ということでした。その後、イエス・キリストの「王」という称号は、聖書的な意味で祝われるようになりました。この祭日は、かつて10月最後の日曜日に祝われていましたが、典礼刷新後、年間最後の主日に祝うことになりました。この日、教会は“イエス・キリストがすべての人を導き、神のもとに一つに集めてくださる”という希望を表して祈ります。
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