教会日記その二2019.11.2(カトリック町田教会「主日のミサ」土曜日) [教会日記]

今日は、仕事が終わってから私が所属するカトリック町田教会で、18時30分からの主日のミサに与りました。勤務する国士舘大学世田谷キャンパスでは、今日と明日の2日間は学園祭をやっていますので残業をするほどではなく、17時過ぎに退勤することができました………ということで町田教会のミサに与ることができました。

18時30分からのミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学一年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんのケガが完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
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教会日記2019.11.2(カトリック成城教会「平日のミサ」土曜日) [教会日記]

今日も出勤前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城教会の7時からの平日のミサに与りました。昨日よりも寒くなりましたが、今日も清々しい朝を迎えています!

6時50分から「お告げの祈り」をお祈りし、7時からのミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学一年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんのケガが完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
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11月は「死者の月」・11月2日は「死者の日」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

昨年(2018年)11月2日に掲載したものを一部加筆・修正して再掲載いたします。
キリスト教カトリック教会では、今月11月は「死者の月」で、今日11月2日は「死者の日」となっています。11月が「死者の月」として定着してきたのがいつからなのか定かではないそうですが、死者への思いがミサをはじめとする様々な祈りの形で表され、それが広がって伝統・習慣となり、次第に死者の月になったと考えられています。
「死者の日」は、昨日(11月1日)の「諸聖人の祭日」の翌日(本日)に、すべての死者を記念する習慣は998年にクリュニー修道院のオディロンによって始められ、クリュニーの修道士たちの影響によって11世紀には広く行われるようになったそうです。ローマ教会には1311年の暦に初めて記されていますが、それ以前からローマでも死者の日の記念が行われていたと思われます。カトリック教会では、正式には「The Commemoration of All the Faithful Departed(信仰を持って逝った人全ての記念日)」という名称になっています。

私達は、生者と死者を問わず万人との連帯関係にあり、その連帯関係は聖徒の交わりを土台としています。「聖徒の交わり」とは、「聖なるものの分かち合い」と「聖なる人々の交わり」という意味を持ち、聖徒たちの交わりが、まさに教会なのです。すべての罪はこの交わりを損なうものです。教会はキリスト教の初期の時代から、死者の記念を深い敬愛の心をもって尊び、死者のための祈願をもささげてきました。死者のためのわたしたちの祈りは、死者を助けるだけでなく、死者がわたしたちのために執り成すのを有効にすることができるのです。
(『カトリック教会のカテキズム』(946、953、958)を参照、一部『毎日の読書』及びカトリック中央協議会のホームページから抜粋)

<カトリック中央協議会のホームページから>
カトリック教会で行われる通夜の式は「親しい人との別れは、だれにとっても悲しいことです」という招きの言葉で始まりますが、特に身近な人の死を前にして、死という現実を目の当たりにするのはいつの世も同じです。しかしキリストを信じる者にとって死が人生の終わりに思えたとしても、新たな人生の始まりであり、目的である天国への旅立ちであることを信じているからこそ、人の死を素直に見つめ、悲しみの中にも安らぎを覚えるのです。通夜での祈りはそのことを表明します、「キリストは『わたしは復活であり、いのちである。わたしを信じる者はたとえ死んでも生きる』と教えられました。別離の悲しみのうちにもわたしたちは、このキリストのことばに慰めと希望を見いだします」
(カトリック儀式書「葬儀」)。

このようにキリスト教においては、死いうものが神のみもとに帰り、永遠のいのちにあずかるということですから、亡くなった人の魂が永遠に安らかに憩うように祈りをささげることをかねてから教えてきました。またわたしたちは生者同士の関係だけでなく、生者と死者との連帯関係にあります。故人が天国に入るためにはその霊魂があらゆる罪の汚れから清められ、神のみもとで永遠の幸福にあずかることができるように祈ることによって死者を助けるだけでなく、死者がわたしたちのために執り成しをしてくださることを信じるがゆえに、教会はキリスト教の初期時代から、死者の記念を深い敬愛の心をもって尊び、死者のための祈願をもささげてきました。教会の典礼暦で11月2日は「死者の日」とし、亡くなったすべてのキリスト者を記念します。キリスト者の間では2世紀頃から死者のための祈りを唱える習慣が生まれ、次第にミサが伴うようになりました。

亡くなったすべてのキリスト者を1年の特定の日に記念することは、7世紀初めにセビーリャの司教インドルスが、聖霊降臨の祝日の翌日に死者を記念するミサを行なうように指示したことに始るとされています。さらに、諸聖人の祭日(11月1日)の翌日にすべての死者を記念する習慣は、998年にクリュニー修道院院長のオディロンによって始められ、その修道院の修道士たちの影響によって11世紀には広く行なわれるようになりました。ローマ教会には1311年の暦に始めて記されていますが、それ以前からローマでも死者の日の記念日が行われていたと思われます。この記念日は西欧諸国に広まり、15世紀には、スペインのドミニコ修道会で盛んに行なわれ、司祭がこの日に3回のミサをささげるようになったのもこの頃だといわれています。18世紀になる頃には、3回のミサの習慣が世界各地に広まり、1915年に教皇ベネディクト15世がこれをすべての司祭に許可することによって、全教会に広めました。現在はこのような規定はありません。

◯「自死された方々のためにささげる追悼ミサ」
(「聖イグナチオいのちを守るプロジェクト」Facebookから)
「苦しみの中で自死(自殺)された方々のために、神様の憐みと慈しみを願い、永遠の憩いを願いましょう。この追悼ミサを悲しみの中で慰めと癒しを必要としている遺族の皆様とともに心をこめて捧げます。
日時:2019年11月16日(土)13:30~
場所:カトリック麹町教会(聖イグナチオ教会)主聖堂
司式:幸田和生司教
(共同司式してくださる司祭はアルバと白のストラをご持参ください)
聖歌隊:イエスのカリタス会スモールクワイア
★どなたでも参加できます。
★参加費無料・申込不要です。
★毎月「自死遺族のつどい・虹の会」を行っています。
(毎月第二水曜日18:30~20:00第三水曜日14:00~15:30・聖イグナチオ教会信徒会館401号室)
主催:聖イグナチオいのちを守るプロジェクト
連絡先:聖イグナチオ教会03-3263-4584
担当:090-4959-0652 岩田鐵夫 te-iwata@mub.biglobe.ne.jp

3年前と2年前の2年間参加させていただきましたが、昨年は大阪での社会活動と重なったため参加できませんでした。司式する幸田司教様の慈愛溢れるご説教とカリタス修道女会の悲哀を感じる聖歌に、涙を流さない方はいなかったのではないでしょうか。涙で歌う声がふるえ、共同祈願をお祈りする方が涙で言葉になりませんでした。思いで深い特別なミサになりました。
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