永井隆のことば(第2日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「われは主のつかいめなり、おうせのごとくわれになれかし」
(我は主の使目なり、仰せのごとく我になれかし)

「われらは無益なしもべなり、なすべきことをなしたるのみ」
(我らは無益な僕なり、為すべきことを為したるのみ)

永井隆のことは、「永井隆のことば(第1日目)2019.11.16」をご覧ください。
永井博士のお墓は、長崎市坂本町の国際墓地(南側)入り口のすぐ脇にあり、奥様の緑さんと一緒に眠っておられます。水平な墓碑(縦長の平たい長方形の石板)には、大きく右側にパウロ永井隆(1908-1951)、左側にマリア永井緑(1908-1945)と刻まれています。医学博士でありカトリックの信徒だった永井博士は、原爆によって奥様を亡くし、自分もまた放射線治療研究での被爆による白血病と戦いながら死の直前まで原子病の研究と多くの著作の発表を続けました。その博士も、長崎に落とされた原始爆弾との二重の放射線障害を受け、1951年(昭和26年)5月1日に長崎大学医学部付属病院で亡くなりました。亡くなった後、 3日には浦上カトリック教会葬、14日には長崎市公葬が行われました。当日は長崎市内の全教会の鐘が鳴らされ、2万人を超える参列者に見守られての葬儀でした。

永井隆お墓2.jpg
墓石が水平(石板)なのは、永井博士が生前に、次のようなことを言っていたからだそうです。
「わたしの墓に来てくださる方がいるかもしれない、そのとき、石碑を見上げていただいては気の毒だ。わたしは見上げられるようなこともしていないし、見上げてもらうほどの人物でもない。わたしの墓は石碑を立てない。その人よりも下の方にいるために、地面に自分の名を置くよ。名前を読んでくださるかたは、わざわざ頭を下げなくても、頭を下げてくださったことになるからね。」永井誠一著『長崎の鐘はほほえむ』から。なんと謙虚な方だったのでしょうか。

今日の言葉は、永井博士が頼んで作ってもらった二枚の石板に刻まれている言葉です。
その一枚には、「われは主のつかいめなり、おうせのごとくわれになれかし」と刻まれています。これは、「わたしは神様に仕えるものです。おっしゃった通りになりますように。」という意味です。聖書にある聖母マリアの言葉で、永井博士が毎日、何十回、何百回と念じていた祈りの言葉の一部だそうです。
もう一枚には、「われらは無益なしもべなり、なすべきことをなしたるのみ」と刻まれています。これは、「わたしたちは役にたたない召使です。ただすべきことをしたに過ぎません。」という意味で、これも聖書の言葉です。永井博士は、一生を振り返った時、自分たちは大した役にも立たなかったのだと謙虚に考えていたようです。しかし、永井博士の平和への願いは偉大であり、その名は世界に知れ渡っています。悲しいかな、最近の日本の若い方は知らない人が多いのではないでしょうか。
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