教会日記2020.10.10(カトリック成城教会「主日のミサ」土曜日) [教会日記]

今日は、このコロナ渦で、いつものように仕事は勤務免除でお休みでしたが、カトリック成城教会での18時からの主日のミサに与りました。連日の雨天で気温が下がり、日中でも寒い日となりました。ジージャンの下に厚手の長袖シャツを着込みました。

ミサは、いつものように3蜜を避けるため、ソーシャルディスタンスで入堂制限があります。普段は200人以上入れる聖堂ですが、今は47人しか入れません。ですから、聖堂に入れない人のために、信徒館でスクリーンで映してミサに与る(42人)対策もしています。また、マスクの着用はもちろんのこと、聖堂(信徒館)入口の受付でカードに氏名と電話番号の記入と手の消毒があります。そして、ミサの時間を通常よりも短縮するためと信徒の声の発生を少なくするために、約30分のミサとなっています。聖歌も歌えません( ̄◇ ̄;) 早くコロナに効くワクチンがほしいものです!

ミサでは、この10月が「ロザリオの月」ということもありますので、共同祈願で「アヴェ・マリアの祈り」をお祈りしました。そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学2年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病気が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
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不定期連載・<私の吹奏楽人生>第6回「挫折!」 [吹奏楽日記]

前回「不定期連載・<私の吹奏楽人生>第5回「高慢!」」は、次のアドレスをクリックしてください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2020-10-03-1
なお、この第6回も第2回〜第5回と同様に、会話部分は地元の言葉(関西弁系)になっています。

入部した初日、中学校でトロンボーンを経験している者は、トロンボーン・パートに集められました。そこには2年生・3年生の先輩方がおられ、パートリーダーの3年生の先輩が恐怖の言葉を発しました。それは「トロンボーンは新入生(全部で4人)が多いから、くじ引きして当たりの一人は、ホルン・パート行ってもらうから。」とΣ( ̄ロ ̄lll) なんで他の1年生と同等なん?俺を誰やと思うとんの?前年度優勝校の四日市市立南中学校出身者やで!名もない中学校の吹奏楽部出身者とわけが違うで!なんで同じに扱われやなあかんの?…………曲を吹かして比べてや。なんでくじ引きせなあかんの?…………こないはずはない!これはなんか理由があるはずや。平等に扱うという理由か?なんぼなんでも俺が一緒のはずはない!これはなんか細工してあって俺には当たらんようになってるんや。きっとそうや。そうに決まってる…………と、結果、即刻、私がホルン・パートへΣ( ̄ロ ̄lll)…………一瞬目の前が真っ暗になりました。しかし、この不満は、担当楽器をホルンに替えられたという理由より、やはり前年度優勝校の四日市市立南中学校出身者を軽く扱われたことへの不満でしたね。

鳴り物入りで入部するはずだったのに…………一瞬にして奈落の底に突き落とされてしまいました。やる気満々だったのが、もうどうでもいいかなと。なんで白子に来てしまったのかと。他の高校に行っていれば即刻レギュラーだったのに。その夜は寝られなかったことを覚えています。挫折です。初めて経験しました。しばらくはやる気のないモンモンとした日々を送っていましたが、それでも部を退部しょうとは思いませんでした。なぜか?それは中学校時代2年間の吹奏楽活動が“おもしろかった=充実していた=有意義だったから”ということを思い出したからです。あの初心者軍団が、一丸となって必死に練習して県大会で優勝したこと。優勝という達成感を経験(成功体験)をしたこと。その過程の2年間で「絶対にあきらめない心」を学んだこと。やはり中学校時代の吹奏楽部顧問のW先生のご指導のおかげですね。こうなると、逆境にめげず不満を別方向へ向けることが得意な私は、「上等じゃ~!じゃぁ、やってやろうじゃねえか!」と頭を切り替え、「白子の金看板は俺が背負ったる!3年になったら絶対に全国大会に出てやる!今に見ておれ!」と、見事に不満を方向転換したのでした!
(つづく)

☆予告編
次回以降のネタばらしになりますが、全国大会、すなわち全日本吹奏楽コンクールには、私が白子高校を卒業した次の年に初出場を果たしました。私が3年生の時の1年生が、3年生になった年ですね。後輩諸君が夢をかなえてくれたのでした。この時、国士舘大学の1年生(高校卒業後1年間就職したため、1年遅れで進学)だった私は、全国大会の会場の東京都杉並区にある「普門館(ふもんかん)」で、駐車場係として全国から来る出場学校の生徒が乗った貸し切りバスの駐車整理をしており、その駐車場で白子高校の後輩諸君が乗ったバスをお迎えしたのでした。ついに念願の全国大会に母校は初出場を果たし、私は普門館に初入場を果たしたのでした( ̄▽ ̄;)

【普門館】
東京都杉並区の環状七号線沿にある「宗教法人 立正佼成会」の施設(5,000人収容の多目的ホール)で、当時の社団法人全日本吹奏楽連盟が毎年お借りして、全日本吹奏楽コンクール(全国大会)の中学校の部と高等学校の部を長年にわたって開催したことから、”吹奏楽の甲子園”、”吹奏楽のメッカ”、”吹奏楽の殿堂”などと呼ばれ、全国の吹奏楽を愛する中高生は、「目指せ!普門館」が合言葉でした。中高生のあこがれの的となったホールです。
普門館.jpg
現在は、東日本大震災の影響で建物が使用できなくなり、建物すべてを取り壊して今はありません。この全国大会の主催は、当時の全日本吹奏楽連盟ですが、運営を主管したのが地元の東京都吹奏楽連盟で、実際にホール内外の係り(受付係り、会場係り、駐車場係り、ステージ係りなど)として運営を担ったのが、東京都大学吹奏楽連盟の大学生だったのです。大学4年間、普門館で運営を担った私は、大学を卒業して十数年後、東京都大学吹奏楽連盟の第4代理事長に就任することになるのでした。

【フレンチ・ホルン】
写真は、私が所有していたホルン(正式名称は「フレンチホルン」)、ドイツ製の「ハンスホイヤーG10MAL」です。このホルンは、フルダブル・ホルンといって、F管(へ長調の管)とB管(変ロ長調の管)の2つの管がある楽器です。演奏する時は、左手の指(人差し指、中指、薬指)で3本のレバーを押します。右手はベルの中に入れます。レバーにコインを付けていますが、これは指の滑り止めですね。コインは、イギリスのキング・ジョージ6世の肖像があるコインです。現在は、H大学をご卒業された中学校教諭のY女史に買い取っていただきました!(*^▽^*)
ホルン1.jpgホルン2.jpg
余談ですが、ホルンは難しい!これは世界中の器楽奏者が認めるところです。正式名称は「フレンチ・ホルン」です。ギネス・ブックに世界で演奏するのが一番難しい楽器として登録されています。ちなみに、有名なウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のホルン奏者は、他の器楽演奏者よりも給料が高い(コンサートマスターと同じくらい)のです。これは楽器を演奏するのが難しいからですね。
私は担当楽器が替わったわけですが、トロンボーンのマウスピース(口に当てて息を吹き込むもの)は大きく、ホルンのマウスピースが小さいのです。一般的に言って、小さいマウスピースの楽器から大きいマウスピースの楽器は吹きやすいのですが、その逆は吹きづらい。つまり、トロンボーン経験者には、ホルンは吹きづらいのです。他にも楽器の調が違うため、音階の理解も違ってきます。転調して演奏するにも慣れていないので、とまどってしまいます。そして、決定的に違うのは、トロンボーンはスライドを動かして音を出しますが、ホルンは左手の指でロータリー・レバーを押して音を出すという、楽器の構造がまったく違うことです。高校生一のトロンボーン吹きを目指していたのに~!( T T )
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ロザリオの奇跡! [キリスト教関係事項・用語等]

昨夜、帰宅する電車の中で携帯(インターネット)で「ロザリオ」を検索していたら、「Ako's Family Ministries 活動報告」というブログ?があり、その中に「ロザリオの奇跡〜広島の原爆とある神父のお話」という記事がありましたのでご紹介いたします。アドレスは次のとおりですので、クリックしてください。http://akos-family.net/blog/archives/3110

内容は、「広島に原爆が落とされた日、その投下された地点からわずか1キロほどしか離れていないところに教会があって、もちろん被害はありましたが、木造の教会のほとんどは倒れることなく形をそのまま残し、教会内にいた神父たちは多少の傷はあったものの、ほとんど影響がなく守られた、という話です。
…………彼らは日本人に宣教するために来た人々で、軍人ではない。ドイツと日本は第2次世界大戦の間は同盟軍であったため、日本に滞在し、宣教することを許された人たちであった。彼らは生き残っただけではない、ほとんどが比較的軽傷で、その後も放射能による影響もないまま、聴覚も影響なし、その他目に見える影響や深刻な後遺症もなく、生き続けることができた。
…………当然、彼らは科学者から、または保健の立場にいる人々から、その驚くべき体験について多くのインタビューを受けることとなる。(その神父の一人、Schiffer神父は200回以上にもなった、と言っている)彼らは言う「私達が生き残ったのは、ファティマのメッセージを信じて、そのように生きてきたからだ、と信じています。家(=教会)では毎日ロザリオを祈る生活を送りました。」」という内容です。

なんらかの物理的要素がなく、科学的に解明できないことを私たちはどのように受け止めるのか?どのように解釈するのか?解明できない解釈できないことは奇跡とするのか?いずれにしても事実は事実であり、現実は現実なのです。どのように判断するかは、その事実を知った個々の人の判断となります。
神父様たちが、原爆の被害が最小限で済んだ要因は、「毎日ロザリオを祈る生活をおくりました。」という言葉にあると思います。ファティマのメッセージにある「ロザリオを、毎日祈りなさい!」というメッセージを信じて実行したからですね。
「ファティマのメッセージ(ファティマの聖母)」のことは、次の「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」にある記事をお読みください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%9E%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D
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