ミサにおける「主に栄光」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

このブログの2019年6月20日に掲載した記事を再掲載(このブログに4回目の掲載)いたします。
ある信徒の方から「ミサの中で、司祭(神父様)が福音書を朗読する前に、私達(信徒)が“主に栄光”と言いながら3回十字を切るのですが、あれはどういう意味があるのですか?」との質問を受けましたので、その回答を書きます。なお、このお話しは、たぶんカトリック教会の信徒しかわからない内容だと思いますので、予めご了承くださいね。

◯ミサの中の「福音朗読」の前のところの司式
司祭 「主は皆さんと共に。」
信徒一同 「また、司祭と共に。」
司祭 「ヨハネによる福音」
信徒一同 「主に栄光」
司祭が福音書の朗読をする。
続いて司祭が、朗読をした福音に基づいて「説教」を行います。
「福音」とは、新約聖書にある「マタイによる福音書」、「マルコによる福音書」、「ルカによる福音書」及び「ヨハネによる福音書」の4つの福音書のことです。ミサでは、これら4つの福音書から、予め決められた福音書の箇所を司祭が「福音朗読」することになっています。朗読後に、朗読した福音書の箇所に基づいて司祭から「説教」が行われます。

◯説明
ミサの中で、司祭(神父様)の「福音の朗読」の時に、神父様が(例えば)「ヨハネによる福音」と言った後に、続けて私たち信徒が「主に栄光(しゅにえいこう)」と言います。
この「主に栄光」と言いながら、右手の親指を自分の身体の方の向けて、
①「主に」で、額の前で小さく十字を切り、
②「栄(えい)」で、口の前で小さく十字を切り、
③「光(こう)」で、胸の前で小さく十字架切ります。

これらは連続動作となりますが、この連続動作の意味は、次のとおりです。
①「主に」額で十字は、「思い」
②「栄(えい)」口で十字は、「言葉」
③「光(こう)」胸で十字は、「行い」
「思い、言葉、行いのうちに、御言葉(みことば)を受け入れ、伝えることを心します。」という意味を十字を切る動作で表します。
ですから、私の場合は、口で「主に栄光」と声に出して唱え、同時に十字を3箇所で切りながら、心の中で「思い、言葉、行いのうちに、御言葉(みことば)を受け入れ、伝えることを心します。」と念じます。これは「司祭(神父様)の福音朗読と説教を聴いて、聴いたことを福音宣教に務めます!」という福音宣教の決意表明ですね。この意味を知らない信徒が案外と多いのです(⌒-⌒;)
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教会日記2020.10.30(カトリック成城教会「平日のミサ」金曜日) [教会日記]

今日は、先日のお休みに入試業務で出勤した振替休日で仕事はお休みです。お休みですが、早起きしてカトリック成城教会の7時からの平日のミサに与りました。今日は予想最高気温が18度となるとのことです。どおりで今朝は寒いわけです。体調管理に注意ですね!

ミサでは、この10月が「ロザリオの月」ということもあり、共同祈願で「アヴェ・マリアの祈り」をお祈りしました。そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学2年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病気が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
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ウィリアム・アーサー・ウォードのことば(第2日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「成功者とは、成功しようと決心し、
努力した人である。
失敗者とは、成功しようと決心し、
願った人である。
明らかな失敗者とは、決心ができず、
待った人である。」

ウィリアム・アーサー・ウォードのことは、「ウィリアム・アーサー・ウォードのことば(第1日目)」2020.10.29」をご覧下さい。
ことの成功、失敗というものは、その人の決心(覚悟)と努力しだいということですね。頭の中で思い描いているだけでは目標や目的は成就しません。待っているだけの人には神様は微笑みません。何ごとも根本は決心(覚悟)と努力です!
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