修道院が作ったコットンバッグのご紹介 [日記]
東京都新宿区四ツ谷にある修道院製品のお店「サン パオリーノ」で販売しているコットン地のバッグ(小)です。(大)もあります。大きさは、開口部幅28.5㎝、底幅19.5㎝、高さ19.5㎝です。確か360円か380円だったと思います。安くて丈夫で使い勝手がよいので3つも持っています。このお店は、聖パウロ修道会のお店ですが、トラピスト修道会など他の全国にある修道会の製品も販売しています。ホームページは次のアドレスをクリックしてください。https://sanpaolino.jp/
◯職場のデスクの上に置いたコットンバッグです。朝出勤した時に撮影しました。ちなみに、パソコンの壁紙はミケランジェロの「最後の晩餐」です。
◯お店の主な取扱品
クッキー、ガレット、キャンディ、チョコレート、ケーキ、ジャム、ワイン、グラッパ、ビール、リキュール、オリーブオイル、蜂蜜、トマトソース、塩、ハーブティ、ハーブ水、コーヒー豆、プロポリスのシロップ、天然石アクセサリー、ロザリオ、キャンドル、聖像などの工芸品、サンダル、スリッパ、バッグ、グリーティングカード、本、CD・DVDなど。
◯主な取扱先修道院 ※国内
函館トラピスチヌ修道院天使園(北海道)、燈台の聖母トラピスト修道院(北海道)、伊達カルメル会修道院(北海道)、十勝カルメル会修道院(北海道)、那須トラピスチヌ修道院(栃木)、桐生クララ会(群馬)、イエスの小さい姉妹の友愛会(埼玉)、ドミニコ会聖ヨゼフ修道院(愛知)、西宮トラピスチヌ修道院(兵庫)、京都カルメル会修道院、山口カルメル会修道院、伊万里トラピスチヌ修道院(佐賀)、福岡カルメル会修道院、大分カルメル会修道院、大分トラピスト修道院、安心院(あじむ)トラピスチヌ修道院(大分)、聖血礼拝会(鹿児島)レデンプトリスチン修道院(宮崎)など。
その他、海外はイタリア、フランス、ドイツなどの修道院製品を扱っています。
◯職場のデスクの上に置いたコットンバッグです。朝出勤した時に撮影しました。ちなみに、パソコンの壁紙はミケランジェロの「最後の晩餐」です。
◯お店の主な取扱品
クッキー、ガレット、キャンディ、チョコレート、ケーキ、ジャム、ワイン、グラッパ、ビール、リキュール、オリーブオイル、蜂蜜、トマトソース、塩、ハーブティ、ハーブ水、コーヒー豆、プロポリスのシロップ、天然石アクセサリー、ロザリオ、キャンドル、聖像などの工芸品、サンダル、スリッパ、バッグ、グリーティングカード、本、CD・DVDなど。
◯主な取扱先修道院 ※国内
函館トラピスチヌ修道院天使園(北海道)、燈台の聖母トラピスト修道院(北海道)、伊達カルメル会修道院(北海道)、十勝カルメル会修道院(北海道)、那須トラピスチヌ修道院(栃木)、桐生クララ会(群馬)、イエスの小さい姉妹の友愛会(埼玉)、ドミニコ会聖ヨゼフ修道院(愛知)、西宮トラピスチヌ修道院(兵庫)、京都カルメル会修道院、山口カルメル会修道院、伊万里トラピスチヌ修道院(佐賀)、福岡カルメル会修道院、大分カルメル会修道院、大分トラピスト修道院、安心院(あじむ)トラピスチヌ修道院(大分)、聖血礼拝会(鹿児島)レデンプトリスチン修道院(宮崎)など。
その他、海外はイタリア、フランス、ドイツなどの修道院製品を扱っています。
教会日記2023.8.25(カトリック成城・聖タデオ教会「年間第20金曜日のミサ」金曜日) [教会日記]
今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での7時からの「年間第20金曜日のミサ」に与りました。ミサおける奉仕活動は信徒の責務ですが、責務というと何か義務的な感じになってしまいます。奉仕ですから、自ら進んで行うという積極的な姿勢が必要だと思います。祭壇奉仕(侍者)、先唱奉仕、朗読奉仕など、一人でも多くの方にご担当いただき、まさにミサに与ること、すなわち参与する、参画するということが大切だと思います。ミサは決して受け身ではなく、ミサを司式する司祭と共に、「またあなたとともに」ですね。
ミサでは、先唱奉仕を担当し、
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。
そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、
そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。
終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい日を迎えています!
ミサでは、先唱奉仕を担当し、
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。
そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、
そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。
終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい日を迎えています!
新約聖書:マタイによる福音書・第20章・第1〜第16節 [聖書]
「天の国は、ある家の主人に似ている。主人は、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明とともに出かけて行った。彼は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場で立っている人々がいたので、『あなたがたもぶどう園に行きなさい。それなりの賃金を払うから』と言った。それで、彼らは出かけて行った。主人はまた、十二時ごろと三時ごろに出て行って、同じようにした。五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と言った。彼らが、『だれも雇ってくれないのです』と答えたので、主人は、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。
夕方になって、ぶどう園の主人は管理人に言った。『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていたが、一デナリオンずつであった。それで、受け取ると、主人に不平を言った。『最後に来たこの連中は、一時間しか働かなかったのに、丸一日、暑い中を辛抱して働いた私たちと同じ扱いをなさるとは。』
主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたは私と一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。私はこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」
『聖書協会共同訳聖書』から
◯「ぶどう園の労働者のたとえ話」・『エヒテルナッハの黄金福音書』11世紀ごろ
今日の聖書の箇所は、「ぶどう園の労働者」といわれる有名なところです。イエス様の聖句(イエス・キリストの言葉)ですね。物語のあらすじの概略は次のとおりです。
①朝早くから雇われた者と夕方から1時間しか働かなかった者が同じ賃金を支払われた。
②朝早くから働いていた者が文句を言うと、ぶどう園の主人は「私は不当なことはしていない」と言います。
③労働した人と労働時間に比例した賃金を払うという約束ではないわけですから、ぶどう園の主人に不公平であると非難するのは筋がとおりません。
しかし、現代の私達の社会では、一般的に言って昔も今も労働の報酬というのは、時間に比例するというシステムの中で生きていますから、このお話しを聴くと朝早くから働いた労働者と同じで奇異に感じるのは当然だと思うのです。
ところで、この労働の報酬は1デナリオンです。「デナリオン」という価値は、1日の賃金にあたるということです。この時代、1日の賃金というのはまさにその日を生きていくために必要なお金なのですね。この話は、その日雇ってもらわなければいけない人々ですから、定職があるわけではないのです。その日、その日を生きていくのが精いっぱいなわけです。つまり、1デナリオンというのはその人とその家族が、その日、あるいはその日を含めた数日を最低限生きていくために必要な金額なのです。
そこで、解釈に移りますが、いろいろと解釈されています。
ある解釈では、
①「イエス様は、洗礼を受けた時期とは関係なく、神様はどの人も天国に招いている。」ということです。具体的な解釈では、10時間働いた人=幼児洗礼を受けた人で、1時間しか働かなかった人=死ぬ間際になって洗礼を受けた人(これを「天国泥棒」といいます。)ということです。まぁ、これはこれで、こういう解釈もあるということです。でも、これでは、聖句の最後にある1時間の人が先に天国に入るということがわかりませんね。
また、次の解釈もあります。
②「キリスト教徒の方が先に天国に入るが、ユダヤ教徒は後回しにはされるものの結局は天国に入れる。1時間の人が優先されるのはイエス・キリストを信じたからということ」という解釈です。当時、ユダヤ教の社会においてイエス様が生まれ、その教えが福音書となりキリスト教徒となったわけですから、イエス様を迫害したユダヤ教徒は後回しになるということですね。
しかし、いずれにしても私は①と②のどちらにも納得できないですね。
そこで、私は次のとおり解釈します。
まず「労働者」というのは私たち人間のことで、賃金を支払う「ぶどう園の主人」は神様のことです。すると「朝から一日中」、「一時間だけ」というのは、人間にとって最も大切なことの一つである “ 働くこと ” =与えられた “ 労働の時間 ” 、これを私は “ 人生において善き行いをした時間 ” と解釈します。そして「賃金」とは、人生への「報酬」=「神様の愛」です。
このように捉えると、元々神様の愛は「無限」ですから、それを「同じ」とか「多い少ない」とか比較すること自体意味をなしませんね。労働者たちが受け取った「同じ賃金(1デナリオン)」=「同じ神様の愛(憐れみ慈しみ)」とは、神様の愛が無限であることを指しています。ぶどう園での労働で、最後に来た者(1時間しか働かなかった者)が、最初に賃金を受け取ることが出来たのも、時間に関係なくすべての人が1日分の賃金を与えられたのも、すべては神様(ぶどう園の主人)の憐れみ慈しみによるのです。
「先にいる者が後になる」とは、” 人生における善き行いをした時間 ” が長いにもかかわらず、神様の憐れみ慈しみを忘れていつしか傲慢になり、他の人と比較して不公平だとふてくされ、他の者が自分と同じ報酬を受けることを喜ばない人です。つまり神様の憐れみ慈しみを素直に喜ばない人です。そしてあたかも神様が不公平をしているかのように受け取っている人です。そういう人達は、天の国に入るのは後になるのです。
反対に、“ 人生のおける善き行いをした時間 ” が短いにもかかわらず、素直に謙虚に神様の憐れみ慈しみを喜ぶ人達は、先に天国に入れるのですね。私達は、今一度、神様の前に謙虚になり、他人と比較するのではなく、自分に与えられた “ 分際(ぶんざい)” に感謝し、今ここにいる幸せに心から感謝を捧げなければなりません。それをイエス・キリストは、このたとえ話で説いておられるのです。
朝から働いている人は不平や不満を言うのではなく、夕方1時間しか働かなかった人に「少しの時間しか働くことができなかったけど、同じお金をもらえてよかったですね。」と言うべきでしたね。私も他人(隣人)と比べるのではなく、他人と(隣人)と同じであると心から素直に喜べる人になりたいですね。
【分際】
身分・地位の程度のこと。身のほど。分限。大した身分でもないのに、という軽蔑(けいべつ)の気持ちを込めて用いることが多いですね。例えば「学生の分際でぜいたくだ!」など。
夕方になって、ぶどう園の主人は管理人に言った。『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていたが、一デナリオンずつであった。それで、受け取ると、主人に不平を言った。『最後に来たこの連中は、一時間しか働かなかったのに、丸一日、暑い中を辛抱して働いた私たちと同じ扱いをなさるとは。』
主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたは私と一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。私はこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」
『聖書協会共同訳聖書』から
◯「ぶどう園の労働者のたとえ話」・『エヒテルナッハの黄金福音書』11世紀ごろ
今日の聖書の箇所は、「ぶどう園の労働者」といわれる有名なところです。イエス様の聖句(イエス・キリストの言葉)ですね。物語のあらすじの概略は次のとおりです。
①朝早くから雇われた者と夕方から1時間しか働かなかった者が同じ賃金を支払われた。
②朝早くから働いていた者が文句を言うと、ぶどう園の主人は「私は不当なことはしていない」と言います。
③労働した人と労働時間に比例した賃金を払うという約束ではないわけですから、ぶどう園の主人に不公平であると非難するのは筋がとおりません。
しかし、現代の私達の社会では、一般的に言って昔も今も労働の報酬というのは、時間に比例するというシステムの中で生きていますから、このお話しを聴くと朝早くから働いた労働者と同じで奇異に感じるのは当然だと思うのです。
ところで、この労働の報酬は1デナリオンです。「デナリオン」という価値は、1日の賃金にあたるということです。この時代、1日の賃金というのはまさにその日を生きていくために必要なお金なのですね。この話は、その日雇ってもらわなければいけない人々ですから、定職があるわけではないのです。その日、その日を生きていくのが精いっぱいなわけです。つまり、1デナリオンというのはその人とその家族が、その日、あるいはその日を含めた数日を最低限生きていくために必要な金額なのです。
そこで、解釈に移りますが、いろいろと解釈されています。
ある解釈では、
①「イエス様は、洗礼を受けた時期とは関係なく、神様はどの人も天国に招いている。」ということです。具体的な解釈では、10時間働いた人=幼児洗礼を受けた人で、1時間しか働かなかった人=死ぬ間際になって洗礼を受けた人(これを「天国泥棒」といいます。)ということです。まぁ、これはこれで、こういう解釈もあるということです。でも、これでは、聖句の最後にある1時間の人が先に天国に入るということがわかりませんね。
また、次の解釈もあります。
②「キリスト教徒の方が先に天国に入るが、ユダヤ教徒は後回しにはされるものの結局は天国に入れる。1時間の人が優先されるのはイエス・キリストを信じたからということ」という解釈です。当時、ユダヤ教の社会においてイエス様が生まれ、その教えが福音書となりキリスト教徒となったわけですから、イエス様を迫害したユダヤ教徒は後回しになるということですね。
しかし、いずれにしても私は①と②のどちらにも納得できないですね。
そこで、私は次のとおり解釈します。
まず「労働者」というのは私たち人間のことで、賃金を支払う「ぶどう園の主人」は神様のことです。すると「朝から一日中」、「一時間だけ」というのは、人間にとって最も大切なことの一つである “ 働くこと ” =与えられた “ 労働の時間 ” 、これを私は “ 人生において善き行いをした時間 ” と解釈します。そして「賃金」とは、人生への「報酬」=「神様の愛」です。
このように捉えると、元々神様の愛は「無限」ですから、それを「同じ」とか「多い少ない」とか比較すること自体意味をなしませんね。労働者たちが受け取った「同じ賃金(1デナリオン)」=「同じ神様の愛(憐れみ慈しみ)」とは、神様の愛が無限であることを指しています。ぶどう園での労働で、最後に来た者(1時間しか働かなかった者)が、最初に賃金を受け取ることが出来たのも、時間に関係なくすべての人が1日分の賃金を与えられたのも、すべては神様(ぶどう園の主人)の憐れみ慈しみによるのです。
「先にいる者が後になる」とは、” 人生における善き行いをした時間 ” が長いにもかかわらず、神様の憐れみ慈しみを忘れていつしか傲慢になり、他の人と比較して不公平だとふてくされ、他の者が自分と同じ報酬を受けることを喜ばない人です。つまり神様の憐れみ慈しみを素直に喜ばない人です。そしてあたかも神様が不公平をしているかのように受け取っている人です。そういう人達は、天の国に入るのは後になるのです。
反対に、“ 人生のおける善き行いをした時間 ” が短いにもかかわらず、素直に謙虚に神様の憐れみ慈しみを喜ぶ人達は、先に天国に入れるのですね。私達は、今一度、神様の前に謙虚になり、他人と比較するのではなく、自分に与えられた “ 分際(ぶんざい)” に感謝し、今ここにいる幸せに心から感謝を捧げなければなりません。それをイエス・キリストは、このたとえ話で説いておられるのです。
朝から働いている人は不平や不満を言うのではなく、夕方1時間しか働かなかった人に「少しの時間しか働くことができなかったけど、同じお金をもらえてよかったですね。」と言うべきでしたね。私も他人(隣人)と比べるのではなく、他人と(隣人)と同じであると心から素直に喜べる人になりたいですね。
【分際】
身分・地位の程度のこと。身のほど。分限。大した身分でもないのに、という軽蔑(けいべつ)の気持ちを込めて用いることが多いですね。例えば「学生の分際でぜいたくだ!」など。
教会日記2023.8.24(カトリック成城・聖タデオ教会「聖バルトロマイ使徒の祝日のミサ」木曜日) [教会日記]
今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での7時からの「聖バルトロマイ使徒の祝日のミサ」に与りました。昨夜は、夜中や夜明けごろに雨が降り、毎日不安定な天気ですね(⌒-⌒; ) 晴れても突然雨が降りますから、外出する時は傘が必要です。ただ、昨夜ウォーキングしている時に感じたのですが、夜の風が少々涼しくなった気がしました。秋が近づいてきたのでしょうか。
ミサでは、「聖バルトロマイ使徒の祝日」をお祝いしてお祈りしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。
そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、
そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。
終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい日を迎えています!
ミサでは、「聖バルトロマイ使徒の祝日」をお祝いしてお祈りしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。
そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、
そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。
終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい日を迎えています!
「聖バルトロマイ使徒」のお話し [聖人・福者・尊者]
今日8月24日は、イエス・キリストの12使徒(弟子)の一人である聖バルトロマイ使徒の祝日です。
聖バルトロマイは、イエスの12使徒の1人で、別名ナタナエルとも呼ばれ、イスラエルのカナに生まれ育ちました。使徒であった友人フィリポの勧めでイエス・キリストと出会ったとき、イエスは「まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない」(ヨハネによる福音・第1章・第47節)とバルトロマイのことを言いました。この出会いをきっかけに、彼は弟子としてイエス・キリストに従いました。
伝承によると、イエス・キリストの復活後、彼はインドとアルメニアで宣教し、インド又はアルメニアで殉教したとされています。彼の遺骸は、983年にローマに移され、聖堂に安置されました。職人の守護の聖人とされています。日本では、キリシタン時代にとても尊敬されていた聖人であり、最初のキリシタン大名大村純忠が洗礼を受けた際に、聖バルトロマイを守護の聖人に選んだといわれています。肖像画は、皮剥ぎの刑で殉教したといわれていることから、例えば、バチカンのシスティーナ礼拝堂に描かれているミケランジェロ作の「最後の審判」には、剥がれた自分の皮とナイフを持った姿で描かれています。ただ、この皮の顔はミケランジェロの自画像になっているとのことです。
◯ミケランジェロの大作『最後の審判』です。1541年に完成しています。イタリア・バチカン市国にあるシスティーナ礼拝堂の祭壇後方の壁一面に描いたフレスコ画で、盛期ルネサンスから次代への転換期の作品とみなされており、西洋美術の最高傑作といわれています。『最後の審判』は、400名以上の人物が描かれているそうです。中央では再臨したイエス・キリストが死者に裁きを下しており、向かって左側には天国へと昇天していく人々が、右側には地獄へと堕ちていく人々が描写されています。右下の水面に浮かんだ舟の上で、亡者に向かって櫂を振りかざしているのは冥府の渡し守カロンであり、この舟に乗せられた死者は、アケローン川を渡って地獄の各階層へと振り分けられていくということです。ミケランジェロはこの地獄風景を描くのに、ダンテの『神曲』地獄篇のイメージで描いたそうです。画像をクリックし、大きくして見てください。
聖バルトロマイが、剥ぎ取られた自分の全身の生皮を持っています(; ̄O ̄)上の絵の中心にいるイエス・キリストの右下に描かれています。聖バルトロマイは、アルメニアで伝道活動をしていたときに既存宗教の指導者から恨まれ、捕らえられて生きながら皮を剥がれて殉教したことから描かれているのです。
◯新約聖書:ヨハネによる福音書・第1章・第45~第51節
「フィリポはナタナエルを見つけて言った、「わたしたちは、モーセが律法の書に記し、預言者たちも書き記している人を見つけました。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスです」。すると、ナタナエルは、「ナザレから、何か善いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは、「来て、見なさい」と言った。
イエスは、ナタナエルがご自分の方へ来るのを見て、彼についてこと仰せになった。「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には嘘偽りがない」。ナタナエルが、「どうして、わたしをご存知なのですか」と尋ねると、イエスは、「フィリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを、わたしは見た」とお答えになった。
ナタナエルは答えた、「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」。イエスはさらに答えて仰せになった、「あなたがいちじくの木の下にいるのを見たと言ったので、あなたは信じるのか。これよりもって素晴らしいことをあなたは見る」。また、仰せになった、「よくよくあなた方に言っておく、天が開けて神の使いたちが人の子の上に昇り降りするのを見ることになる。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
聖バルトロマイは、イエスの12使徒の1人で、別名ナタナエルとも呼ばれ、イスラエルのカナに生まれ育ちました。使徒であった友人フィリポの勧めでイエス・キリストと出会ったとき、イエスは「まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない」(ヨハネによる福音・第1章・第47節)とバルトロマイのことを言いました。この出会いをきっかけに、彼は弟子としてイエス・キリストに従いました。
伝承によると、イエス・キリストの復活後、彼はインドとアルメニアで宣教し、インド又はアルメニアで殉教したとされています。彼の遺骸は、983年にローマに移され、聖堂に安置されました。職人の守護の聖人とされています。日本では、キリシタン時代にとても尊敬されていた聖人であり、最初のキリシタン大名大村純忠が洗礼を受けた際に、聖バルトロマイを守護の聖人に選んだといわれています。肖像画は、皮剥ぎの刑で殉教したといわれていることから、例えば、バチカンのシスティーナ礼拝堂に描かれているミケランジェロ作の「最後の審判」には、剥がれた自分の皮とナイフを持った姿で描かれています。ただ、この皮の顔はミケランジェロの自画像になっているとのことです。
◯ミケランジェロの大作『最後の審判』です。1541年に完成しています。イタリア・バチカン市国にあるシスティーナ礼拝堂の祭壇後方の壁一面に描いたフレスコ画で、盛期ルネサンスから次代への転換期の作品とみなされており、西洋美術の最高傑作といわれています。『最後の審判』は、400名以上の人物が描かれているそうです。中央では再臨したイエス・キリストが死者に裁きを下しており、向かって左側には天国へと昇天していく人々が、右側には地獄へと堕ちていく人々が描写されています。右下の水面に浮かんだ舟の上で、亡者に向かって櫂を振りかざしているのは冥府の渡し守カロンであり、この舟に乗せられた死者は、アケローン川を渡って地獄の各階層へと振り分けられていくということです。ミケランジェロはこの地獄風景を描くのに、ダンテの『神曲』地獄篇のイメージで描いたそうです。画像をクリックし、大きくして見てください。
聖バルトロマイが、剥ぎ取られた自分の全身の生皮を持っています(; ̄O ̄)上の絵の中心にいるイエス・キリストの右下に描かれています。聖バルトロマイは、アルメニアで伝道活動をしていたときに既存宗教の指導者から恨まれ、捕らえられて生きながら皮を剥がれて殉教したことから描かれているのです。
◯新約聖書:ヨハネによる福音書・第1章・第45~第51節
「フィリポはナタナエルを見つけて言った、「わたしたちは、モーセが律法の書に記し、預言者たちも書き記している人を見つけました。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスです」。すると、ナタナエルは、「ナザレから、何か善いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは、「来て、見なさい」と言った。
イエスは、ナタナエルがご自分の方へ来るのを見て、彼についてこと仰せになった。「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には嘘偽りがない」。ナタナエルが、「どうして、わたしをご存知なのですか」と尋ねると、イエスは、「フィリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを、わたしは見た」とお答えになった。
ナタナエルは答えた、「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」。イエスはさらに答えて仰せになった、「あなたがいちじくの木の下にいるのを見たと言ったので、あなたは信じるのか。これよりもって素晴らしいことをあなたは見る」。また、仰せになった、「よくよくあなた方に言っておく、天が開けて神の使いたちが人の子の上に昇り降りするのを見ることになる。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
教会日記2023.8.23(カトリック成城・聖タデオ教会「年間第20水曜日のミサ」水曜日) [教会日記]
今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での7時からの「年間第20水曜日のミサ」に与りました。昨夜から不安定な天気で、雨が降ったり止んだり晴れたりと、短い時間で目まぐるしく変化します。晴れていても傘がないと外にはでれません(⌒-⌒; ) ここ数年で、地球温暖化を身近に感じるようになりましたね。
ミサでは、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。
そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、
そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。
終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい日を迎えています!
ミサでは、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。
そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、
そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。
終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい日を迎えています!
『フランシスカン・ロザリオの祈り』のお話し [ロザリオ日記]
今日ご紹介するお祈りは、『フランシスカン・ロザリオの祈り(フランシスコ会士のロザリオの祈り)』です。通常の『ロザリオの祈り』とは違いがあり、使用するロザリオも、5連のロザリオではなく7連のロザリオを使用します。私は、毎日の『ロザリオの祈り』は5連のロザリオを使用しますが、時間のある時は7連のロザリオを使用して、このお祈りを唱えます。では、ご紹介いたします!
カトリック教会の修道会であるフランシスコ会に7連のロザリオを使ってのお祈りがあります。正式には『フランシスコ会の冠(コロナ・フランチェスカーナ)』という名称ですが、その起源は15世紀初頭にまで遡ります。そのころの話しですが、聖母マリア様の美しいご像に、野の花で花輪を作り捧げて祈ることに精神的な喜びを感じていた若者がいました。その若者は敬虔な人で、自分の生涯を神に捧げようとフランシスコ会に入りました。しかし、規律ある修道生活の中で聖母マリア様のために花を集める時間がなくなり、ついに花輪を捧げることができなくなってしまいました。
ある晩、自分の召し出し(司祭=神の弟子になること)に悩んでいた時、聖母マリア様が彼の前にご出現されました。聖母は、若い修練者にフランシスカン精神の素晴らしさを思い起こすよう励まし、『ロザリオの祈り』の新しい形として、聖母マリアの喜びの体験を毎日黙想するように勧めました。黙想によってこの若い修練者は、花輪の代わりに祈りの花輪を編むことができるようになり、また、この話しを聞いた他の多くのフランシスコ会士たちはこの祈りを唱えはじめ、瞬く間に修道会全体に広がって、1422年にこの祈りは教会により公式に認められるようになったとのことです。
◯フランシスカン・ロザリオの祈り方は次のとおりです。
お祈りの順番で説明しますと、通常の5連のロザリオを使っての『ロザリオの祈り』のように、最初に『使徒信条』は唱えません。初めから第一の黙想の後に『主の祈り』を1回唱え、『アヴェ・マリアの祈り』を10回唱えます。これを「1連(主の祈り1回 +アヴェ・マリアの祈り10回 )」といいますが、7連ありますから7つの黙想ごとにお祈りします。第七の黙想が終わった後、聖母の御年(72歳)を尊んで『アヴェ・マリアの祈り』を2回唱えます。そして、教皇のご意向に従って『主の祈り』、『アヴェマリアの祈り』と『栄唱の祈り』を1回ずつ唱えてお祈りを終わります。
70年の後、2つの『アヴェ・マリアの祈り』が追加され、合計72の『アヴェ・マリアの祈り』が唱えられるようになったのは、地上のマリアの年齢が、72歳であったという伝説によるものです。ほとんどのカトリック教会の信徒は、5連のロザリオの祈りで「7つの悲しみ」を黙想することに慣れているかもしれませんが、「7つの喜び」も黙想してみましょう。フランシスコ会では何世紀にもわたってこの伝統を継承しているとのことです。
◯7つの黙想は次のとおりです!
フランシスカン・ロザリオの祈りは、聖母マリア様の72年(72歳)のご生涯を10年ごとに分けて、聖母の喜びの一つひとつを黙想してお祈りします。
第一の黙想(第一連:最初の10年)
神の御子、聖霊によっておとめマリアの胎内に宿られる。
第二の黙想(第二連:次の10年で20年)
聖母マリア、エリザベトを訪れ、エリザベトは神の御子とその御母をたたえる。
第三の黙想(第三連:次の10年で30年)
神の御子イエス・キリスト、ベツレヘムの馬小屋でおとめマリアからお生まれになる。
第四の黙想(第四連:次の10年で40年)
幼子イエス、三人の博士の礼拝と捧げ物を受けられる。
第五の黙想(第五連:次の10年で50年)
聖母マリア、少年イエスを神殿の中で見いだされる。
第六の黙想(第六連:次の10年で60年)
主イエス・キリスト、復活の後、聖母に現れ、聖母を慰められる。
第七の黙想(第七連:次の10年で70年)
聖母マリア、御子によって天にあげられ、天地の女王となられる。
◯写真のロザリオは、3本とも私のコレクションですが、右側が7連ロザリオです。
これは、7連(1連は珠1個 + 珠10個)あるのですが、センターピースと十字架の間が5連ロザリオと同じ(珠1個 + 珠3個 + 珠1個)になっています。本物の7連ロザリオは、センターピースと十字架の間が、珠2個 + 珠1個 + 珠1個となっています。
7連ロザリオは、四ツ谷にある「サン パオリーノ(修道院製品のお店)」で販売していますが、ない時もありますので、ホームページを見て予めお店に問合わせてください。なお、このお店は、聖パウロ修道会のお店ですが、フランシスコ修道会など他の修道会の製品も販売しています。
https://sanpaolino.jp/
◯現在、毎日使っているロザリオです。タウ型十字架です。アンティーク専門店で購入したのですが、お店の方の話しでは、イタリアのフランチェスコ聖堂のあるアッシジで仕入れされたそうです。アッシジは、フランシスコ会の創設者である聖フランシスコの出身地ですね。
【タウ型十字架】
タウ型十字架は、聖フランシスコ(フランチェスコ)が用いたことで有名ですね。ヘブライ文字とギリシャ文字の19番目の「T(タウ)」(アルファベットの「T」に相当する)の形をしたもので、普通の十字架の上の部分が無い形のものです。一番古い形の十字架とも言われ、旧約聖書では、タウ型の十字は予言者エゼキエルが使用しました。『エゼキエル書』の第9章・第4節に「主は彼にこう仰せられた。町の中、エルサレムの中を行き巡り、この町で行なわれているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々の額にしるしをつけよ。」とあります。
この「しるしをつけよ」と書かれているものが、「タウ」の形をした十字架だそうです。横の線が天(神)、縦の線が大地(人間)をあらわし、両者が合流する形で、「真実・言葉・光・善に向かった心」をあらわしているそうです。聖フランシスコのタウには、三つの結び目がついた、紐があり、それは、清貧・貞潔・従順をあらわしています。普通の十字架の形から、上を取り去ったような形の十字架を聖フランシスコが用いた理由は、キリストへの大いなる謙遜をあらわす意味があったと言われています。
カトリック教会の修道会であるフランシスコ会に7連のロザリオを使ってのお祈りがあります。正式には『フランシスコ会の冠(コロナ・フランチェスカーナ)』という名称ですが、その起源は15世紀初頭にまで遡ります。そのころの話しですが、聖母マリア様の美しいご像に、野の花で花輪を作り捧げて祈ることに精神的な喜びを感じていた若者がいました。その若者は敬虔な人で、自分の生涯を神に捧げようとフランシスコ会に入りました。しかし、規律ある修道生活の中で聖母マリア様のために花を集める時間がなくなり、ついに花輪を捧げることができなくなってしまいました。
ある晩、自分の召し出し(司祭=神の弟子になること)に悩んでいた時、聖母マリア様が彼の前にご出現されました。聖母は、若い修練者にフランシスカン精神の素晴らしさを思い起こすよう励まし、『ロザリオの祈り』の新しい形として、聖母マリアの喜びの体験を毎日黙想するように勧めました。黙想によってこの若い修練者は、花輪の代わりに祈りの花輪を編むことができるようになり、また、この話しを聞いた他の多くのフランシスコ会士たちはこの祈りを唱えはじめ、瞬く間に修道会全体に広がって、1422年にこの祈りは教会により公式に認められるようになったとのことです。
◯フランシスカン・ロザリオの祈り方は次のとおりです。
お祈りの順番で説明しますと、通常の5連のロザリオを使っての『ロザリオの祈り』のように、最初に『使徒信条』は唱えません。初めから第一の黙想の後に『主の祈り』を1回唱え、『アヴェ・マリアの祈り』を10回唱えます。これを「1連(主の祈り1回 +アヴェ・マリアの祈り10回 )」といいますが、7連ありますから7つの黙想ごとにお祈りします。第七の黙想が終わった後、聖母の御年(72歳)を尊んで『アヴェ・マリアの祈り』を2回唱えます。そして、教皇のご意向に従って『主の祈り』、『アヴェマリアの祈り』と『栄唱の祈り』を1回ずつ唱えてお祈りを終わります。
70年の後、2つの『アヴェ・マリアの祈り』が追加され、合計72の『アヴェ・マリアの祈り』が唱えられるようになったのは、地上のマリアの年齢が、72歳であったという伝説によるものです。ほとんどのカトリック教会の信徒は、5連のロザリオの祈りで「7つの悲しみ」を黙想することに慣れているかもしれませんが、「7つの喜び」も黙想してみましょう。フランシスコ会では何世紀にもわたってこの伝統を継承しているとのことです。
◯7つの黙想は次のとおりです!
フランシスカン・ロザリオの祈りは、聖母マリア様の72年(72歳)のご生涯を10年ごとに分けて、聖母の喜びの一つひとつを黙想してお祈りします。
第一の黙想(第一連:最初の10年)
神の御子、聖霊によっておとめマリアの胎内に宿られる。
第二の黙想(第二連:次の10年で20年)
聖母マリア、エリザベトを訪れ、エリザベトは神の御子とその御母をたたえる。
第三の黙想(第三連:次の10年で30年)
神の御子イエス・キリスト、ベツレヘムの馬小屋でおとめマリアからお生まれになる。
第四の黙想(第四連:次の10年で40年)
幼子イエス、三人の博士の礼拝と捧げ物を受けられる。
第五の黙想(第五連:次の10年で50年)
聖母マリア、少年イエスを神殿の中で見いだされる。
第六の黙想(第六連:次の10年で60年)
主イエス・キリスト、復活の後、聖母に現れ、聖母を慰められる。
第七の黙想(第七連:次の10年で70年)
聖母マリア、御子によって天にあげられ、天地の女王となられる。
◯写真のロザリオは、3本とも私のコレクションですが、右側が7連ロザリオです。
これは、7連(1連は珠1個 + 珠10個)あるのですが、センターピースと十字架の間が5連ロザリオと同じ(珠1個 + 珠3個 + 珠1個)になっています。本物の7連ロザリオは、センターピースと十字架の間が、珠2個 + 珠1個 + 珠1個となっています。
7連ロザリオは、四ツ谷にある「サン パオリーノ(修道院製品のお店)」で販売していますが、ない時もありますので、ホームページを見て予めお店に問合わせてください。なお、このお店は、聖パウロ修道会のお店ですが、フランシスコ修道会など他の修道会の製品も販売しています。
https://sanpaolino.jp/
◯現在、毎日使っているロザリオです。タウ型十字架です。アンティーク専門店で購入したのですが、お店の方の話しでは、イタリアのフランチェスコ聖堂のあるアッシジで仕入れされたそうです。アッシジは、フランシスコ会の創設者である聖フランシスコの出身地ですね。
【タウ型十字架】
タウ型十字架は、聖フランシスコ(フランチェスコ)が用いたことで有名ですね。ヘブライ文字とギリシャ文字の19番目の「T(タウ)」(アルファベットの「T」に相当する)の形をしたもので、普通の十字架の上の部分が無い形のものです。一番古い形の十字架とも言われ、旧約聖書では、タウ型の十字は予言者エゼキエルが使用しました。『エゼキエル書』の第9章・第4節に「主は彼にこう仰せられた。町の中、エルサレムの中を行き巡り、この町で行なわれているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々の額にしるしをつけよ。」とあります。
この「しるしをつけよ」と書かれているものが、「タウ」の形をした十字架だそうです。横の線が天(神)、縦の線が大地(人間)をあらわし、両者が合流する形で、「真実・言葉・光・善に向かった心」をあらわしているそうです。聖フランシスコのタウには、三つの結び目がついた、紐があり、それは、清貧・貞潔・従順をあらわしています。普通の十字架の形から、上を取り去ったような形の十字架を聖フランシスコが用いた理由は、キリストへの大いなる謙遜をあらわす意味があったと言われています。
教会日記2023.8.22(カトリック成城・聖タデオ教会「天の元后聖マリアの記念日(年間第20火曜日)のミサ」火曜日) [教会日記]
今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での7時からの「天の元后聖マリアの記念日(年間第20火曜日)のミサ」に与りました。「天の元后聖マリアの記念日」の詳しいことは、先ほど掲載いた「天の元后聖マリアのお話し」をご覧ください。https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-08-22
雨が降って涼しくなるかと思いきや、蒸し暑さが勝っていますね~( ̄▽ ̄;) 今日も一日、焦らず急がずぼちぼち頑張りましょう!(*^▽^*)
ミサでは、「天の元后聖マリア」の記念日をお祝いしてお祈りしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。
そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、
そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。
終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい日を迎えています!
雨が降って涼しくなるかと思いきや、蒸し暑さが勝っていますね~( ̄▽ ̄;) 今日も一日、焦らず急がずぼちぼち頑張りましょう!(*^▽^*)
ミサでは、「天の元后聖マリア」の記念日をお祝いしてお祈りしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。
そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、
そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。
終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい日を迎えています!
「天の元后聖マリア」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]
今日8月22日は、天の元后聖マリアの記念日です。
この記念日は、1954年に教皇ピオ12世が発表した回勅“Ad Caeli eginam”(アド・チェリ・レジナム)によって定められました。この回勅のなかで、教皇は「マリアは神の母であり、新しいエバとしてイエスのあがないの業に参与した。また、卓越した完徳と、力強い取り次ぎによって、天の元后と呼ばれるにふさわしい方である」と述べています。以前は5月31日でしたが、典礼暦の改訂後、聖母被昇天の8日目にあたる8月22日に祝われるようになりました。
◯スペインの画家ディエゴ・ベラスケスの「聖母戴冠(1641~1644年)」です。スペイン・マドリッドにあるプラド美術館に収蔵されています。
聖書の中には、イエス様が王として描かれている箇所がいくつかあります(マタイ27.11、黙示録19.16など)が、聖母マリア様は、神から遣わされた大天使ガブリエルから、生まれてくる子が「いと高き方の子」であり、ダビデの王座が与えられることを告げられていました。その時から、聖母マリア様はイエス・キリストの母となり、生涯にわたって特別にイエス様の救いの業に協力しました。4世紀の教父、聖エフレム(306年ごろ-373年)は多くの賛歌を残し、マリアを「元后、女王」と呼んで讃えています。その後、この称号は教父や教会博士たちによって好んで用いられ、人々に親しまれるようになりました。
カトリック教会の公会議である第2バチカン公会議で発表された会議文書の「教会憲章」は、「原罪のいかなる汚れにも染まらずに守られていた汚れないおとめは、地上生活の道程を終えて、肉体と霊魂ともども天の栄光に引き上げられ、そして主からすべてのものの女王として高められた。それは、主たる者の主であり(黙示録19.16)、罪と死の征服者である自分の子に、マリアがよく似たものとなるためであった」と述べています。天に上げられた聖母マリア様は、王であるイエス様の栄光にあずかり、女王として讃えられ、すべての人のために恵みを取り次いてくださっています。
聖母マリア様を讃えて祈る祈祷文はたくさんありますが、次に掲載する聖母マリア様へのお祈りは、伝統的なお祈りの祈祷文です。短い祈祷文ですので、見ながらではなく覚えてお祈りしたいものですね。
◯救い主を育てた母(アルマ・レデンプトリス・マーテル)
「救い主を育てた母、あなたは開かれた天の門
光り輝く海の星
倒れる者に走り寄り、力づけてくださる方。
すべてのものがたたえる中で、造り主を生んだ方。
ガブリエルから言葉を受けた永遠(とわ)の乙女よ、
罪深いわれらのために祈り給え。」
◯天の元后 天の女王(アヴェ・レジナ・チュロルム)
「天の元后 天の女王、
世に光を生み出した、いのちの泉、天の門
よろこべ、輝く乙女、すべてにまさる尊い乙女
われらのためにキリストに祈り給え。」
◯元后あわれみの母(サルヴェ・レジナ)
「元后、あわれみの母、われらのいのち、喜び、希望。
旅路からあなたに叫ぶエバの子、なげきながら、
泣きながらも、涙の谷にあなたを慕う。
われらのためにとりなすかた、憐れみの目をわれらに注ぎ、
とうといあなたの子イエスを、旅路の果てに示してください。
おお、慈しみ、恵みあふれる、喜びのおとめマリア。」
◯天の元后 よろこび給え アレルヤ(レジナ・チェリ)
「天の元后、よろこび給え アレルヤ
あなたに宿られた方は アレルヤ
仰せのように復活された アレルヤ
われらのために祈り給え アレルヤ」
◯神の御母(みはは)よ(スブ・トゥウム・プレシディウム)
「神の御母よ、わたしたちはご保護を仰ぎます。
いつ、どこでもわたしたちの祈りを聴き入れ、
御助け(おんたすけ)をもってすべての危険から守ってください。」
この記念日は、1954年に教皇ピオ12世が発表した回勅“Ad Caeli eginam”(アド・チェリ・レジナム)によって定められました。この回勅のなかで、教皇は「マリアは神の母であり、新しいエバとしてイエスのあがないの業に参与した。また、卓越した完徳と、力強い取り次ぎによって、天の元后と呼ばれるにふさわしい方である」と述べています。以前は5月31日でしたが、典礼暦の改訂後、聖母被昇天の8日目にあたる8月22日に祝われるようになりました。
◯スペインの画家ディエゴ・ベラスケスの「聖母戴冠(1641~1644年)」です。スペイン・マドリッドにあるプラド美術館に収蔵されています。
聖書の中には、イエス様が王として描かれている箇所がいくつかあります(マタイ27.11、黙示録19.16など)が、聖母マリア様は、神から遣わされた大天使ガブリエルから、生まれてくる子が「いと高き方の子」であり、ダビデの王座が与えられることを告げられていました。その時から、聖母マリア様はイエス・キリストの母となり、生涯にわたって特別にイエス様の救いの業に協力しました。4世紀の教父、聖エフレム(306年ごろ-373年)は多くの賛歌を残し、マリアを「元后、女王」と呼んで讃えています。その後、この称号は教父や教会博士たちによって好んで用いられ、人々に親しまれるようになりました。
カトリック教会の公会議である第2バチカン公会議で発表された会議文書の「教会憲章」は、「原罪のいかなる汚れにも染まらずに守られていた汚れないおとめは、地上生活の道程を終えて、肉体と霊魂ともども天の栄光に引き上げられ、そして主からすべてのものの女王として高められた。それは、主たる者の主であり(黙示録19.16)、罪と死の征服者である自分の子に、マリアがよく似たものとなるためであった」と述べています。天に上げられた聖母マリア様は、王であるイエス様の栄光にあずかり、女王として讃えられ、すべての人のために恵みを取り次いてくださっています。
聖母マリア様を讃えて祈る祈祷文はたくさんありますが、次に掲載する聖母マリア様へのお祈りは、伝統的なお祈りの祈祷文です。短い祈祷文ですので、見ながらではなく覚えてお祈りしたいものですね。
◯救い主を育てた母(アルマ・レデンプトリス・マーテル)
「救い主を育てた母、あなたは開かれた天の門
光り輝く海の星
倒れる者に走り寄り、力づけてくださる方。
すべてのものがたたえる中で、造り主を生んだ方。
ガブリエルから言葉を受けた永遠(とわ)の乙女よ、
罪深いわれらのために祈り給え。」
◯天の元后 天の女王(アヴェ・レジナ・チュロルム)
「天の元后 天の女王、
世に光を生み出した、いのちの泉、天の門
よろこべ、輝く乙女、すべてにまさる尊い乙女
われらのためにキリストに祈り給え。」
◯元后あわれみの母(サルヴェ・レジナ)
「元后、あわれみの母、われらのいのち、喜び、希望。
旅路からあなたに叫ぶエバの子、なげきながら、
泣きながらも、涙の谷にあなたを慕う。
われらのためにとりなすかた、憐れみの目をわれらに注ぎ、
とうといあなたの子イエスを、旅路の果てに示してください。
おお、慈しみ、恵みあふれる、喜びのおとめマリア。」
◯天の元后 よろこび給え アレルヤ(レジナ・チェリ)
「天の元后、よろこび給え アレルヤ
あなたに宿られた方は アレルヤ
仰せのように復活された アレルヤ
われらのために祈り給え アレルヤ」
◯神の御母(みはは)よ(スブ・トゥウム・プレシディウム)
「神の御母よ、わたしたちはご保護を仰ぎます。
いつ、どこでもわたしたちの祈りを聴き入れ、
御助け(おんたすけ)をもってすべての危険から守ってください。」
教会日記2023.8.21(カトリック成城・聖タデオ教会「聖ピオ10世教皇の記念日(年間第20月曜日)のミサ」月曜日) [教会日記]
今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での7時からの「日ピオ10世教皇の記念日(年間第20月曜日)のミサ」に与りました。今月31日(木)までは交替勤務で、1人5日〜6日くらいの出勤となっています。私は、決裁がありすからほぼ毎日出勤(今日は午前中だけ)です。
ミサ中に胸が痛くなりかけ苦しくなり、少々焦りました( ̄◇ ̄;) 治りましたからよかったです。それにしても朝から暑いですね〜(⌒-⌒; ) 熱中症に注意です!
ミサでは、朗読奉仕を担当し、
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。
そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、
そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。
終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい日を迎えています!
ミサ中に胸が痛くなりかけ苦しくなり、少々焦りました( ̄◇ ̄;) 治りましたからよかったです。それにしても朝から暑いですね〜(⌒-⌒; ) 熱中症に注意です!
ミサでは、朗読奉仕を担当し、
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。
そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、
そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。
終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい日を迎えています!