『マフィア国家――メキシコ麻薬戦争を生き抜く人々―』のご紹介 [日記]

緊急事態宣言が3月7日まで延長され、引き続き「不要不急の外出は避けること」に象徴されるように、人がいるところはなるべく避け、私のコロナ標語である「コロナに感染しない。感染させない。」を肝に銘じ、仕事で大学、ミサで教会へ行く以外は自宅で過ごすようにしています。そこで、積読してあった『エクソダス―アメリカ国境の狂気と祈り―』を読んだところ、その中に「マラス」というメキシコ、エルサルバドル、ホンジュラス及びグアテマラで広がっている若者ギャング団のことが書いてあり、興味があって『マラス―暴力に支配される少年たち―』を読みました。続いて、根本的にメキシコ麻薬戦争の全体像を把握・理解しようと『メキシコ麻薬戦争―アメリカ大陸を引き裂く「犯罪者」たちの叛乱―』を読み、そして、本書を読み終わったところです。
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この本の内容は、岩波書店のホームページに書かれている本書の案内文を引用させていただくと、「格差の増大と政府の失策により,麻薬カルテルに侵食されるメキシコ社会.この10年間に15万人以上の犠牲者と3万人を超える行方不明者が生み出された.国際社会をも震撼させる麻薬戦争の震源地で何が起きているのか,そして人々は暴力にどのように抗しているのか.その最前線の町に入った本格ルポルタージュ」ということです。ジャーナリストである工藤律子氏の著書は2冊目となりました。

皆さんご存じのとおり、中近東のシリア(シリア・アラブ共和国)は、現在でも内戦が続いています。シリア政府軍とシリアの反体制派及びそれらの同盟組織などによる国内戦争のことですね。ところで、2016年の世界における殺人事件の件数ですが、シリアの内戦による件数は約90,000件で第1位です。第2位はメキシコの麻薬戦争がらみで数約23、000件です。国家間の戦争や内戦でもないのに、1年でこれだけの殺人事件=死者数(実際にはもっと多い)があるのは異常としかいいようがありません。

それに、過去10年間で誘拐などでの行方不明者が約30,000人もおり、その誘拐事件の65%は麻薬犯罪組織の犯行ですが、残りは政府軍や地方警察、連邦警察によるものだそうです。毎日殺人事件があり、殺人は日常の出来事となっています。麻薬カルテルは、政党、中央政府、州政府、自治体、連邦警察、地方警察や軍隊の中にも入りこんでおり、行政や警察と癒着しています。被害者が声を上げても誘拐犯を探そうともしないのです。警察がなかなか捜査や調査に乗り出そうとしない実態があるのです。

このように国家としての体をなしていない状況にありますが、メキシコは親日国であるとのことです。日本の対メキシコへの経済協力では、2017年度までの累計供与額は、有償資金協力2,295.68億円、無償資金協力62.68億円、技術協力765.52億円となっており、日本からの巨額のお金が、国家の体をなしていないメキシコに援助されているのです。日本国民としてガッカリしますね。しかし、援助することで貧困者への雇用の促進を図ることができると思うと、日本のお金が役に立っているわけです。
本書の最後の方に出てくる13歳の少年の将来の夢は、「パパのような殺し屋になる」ことだそうです。虚しさというか、やるせなさを感じます。

書名:『マフィア国家――メキシコ麻薬戦争を生き抜く人々―』
著者:工藤 律子(くどう りつこ)
1963年大阪生まれ。ジャーナリスト。東京外国語大学大学院地域研究研究科修士課程在籍中より、メキシコの貧困層の生活改善運動を研究し、フリーのジャーナリストとして取材活動を始める。主なフィールドはスペイン語圏、フィリピン。NGO「ストリートチルドレンを考える会」共同代表。著書に『仲間と誇りと夢と』(JULA出版局)、『ストリートチルドレン』(岩波ジュニア新書)、『ルポ 雇用なしで生きる』(岩波書店)などがある。『マラス―暴力に支配される少年たち』(集英社)で第14回開高健ノンフィクション賞受賞.NGO「ストリートチルドレンを考える会」共同代表.
出版:岩波書店
発行:2017年7月27日
定価:1,900円(税別)

◯目次
まえがき
プロローグ
1.麻薬戦争の町シウダー・フアレスに生きる
 カルテルと軍と警察の町/子どもたちは遊び場を失った/溢れる犯罪、見えない希望/一〇年、二〇年後への不安
2.子どもたちを飲み込む暴力
 殺し屋になった少年/非暴力を説く元ギャング・リーダー/ギャングを生んだもの、変えたもの/モンテレイへ/役人の意識を変える/ロス・セタスの影/「戦争避難民」を支える/カルテルから逃げる少年/日本人も危機管理/二人の勇敢な女性たち/カウセ・シウダダーノの挑戦/非暴力ワークショップ/刑務所で得た悟り/高校生と対話する
3.立ち上がる人々
 疑惑の大統領と市民運動/最初に立ち上がった者たち/増える失踪者/詩人の決意/PRIと米国の功罪/アヨツィナパ・ケース/失踪者の家族たち/家族を探す
4.マフィア国家の罠
 シウダー・フアレス、再び/暴力のなかで育った子どもたち/ジャーナリストの闘い/地方政治を変える/首都に迫りくる恐怖/ギャングの変貌/分断される被害者家族/それでも兄を探す
5.国家の再建
 マフィア的平和/対話するメキシコ/メキシコの再生
エピローグ
あとがき
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新約聖書:ヤコブの手紙・第1章・第14〜第15節「誘惑」のお話し [聖書]

今日の聖書のお話しは、「誘惑」についてです。
新約聖書にある「ヤコブの手紙」は、誘惑について次のとおり書いてあります。
「人はそれぞれ、自分の欲に引かれ、
そそのかされて誘惑に陥るのです。
そして、欲は身籠って罪を生み、
罪は熟して死を生み出します。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注 聖書』から

邪悪な欲のあるところに誘惑があり、その誘惑に負ける(陥る)と罪が待っています。罪は、死と直結するのですね。私達が気をつけなければならないことは、まず悪い誘惑に絶対にのらないことです。これに負けてしまっては罪を犯すことになります………反省です(⌒-⌒;)この世の中の悪いことの始まりはすべて誘惑です。良い・善いことで誘惑するとは言わないですから。すべて悪いことに使われる言葉です。私達クリスチャンで、一番重要なお祈りである「主の祈り」の最後の言葉は「誘惑におちいらせず、悪からお守りください。」です。この一番重要なお祈りに誘惑という言葉が出てくることからも理解できますね。私達の最も自戒とする言葉です。

そこで、「自分の欲に引かれ、そそのかされて誘惑に陥る」の解釈です。
先ほどの記事にも書いてあるとおり、キリスト教で一番大切なお祈りとして「主の祈り」という祈祷文があります。その最後のところに「………私たちを誘惑におちいらせず、悪からお救い下さい。」とあります。また、私が毎日お祈りする「聖母の御助け(おんたすけ)を求める祈り」の祈祷文にも、「………私たちをお助けくださいますよう、心から祈り求めます。特に、困難に出会時、病気の時、誘惑を受けた時、罪を犯した時………」とあります。それほど、昔からこの「誘惑」が人間の最大で永遠の課題なのです。それは食欲、金欲、物欲、性欲、名誉欲などなど、誘惑は欲から発生するのです。

最初に、結論として述べますが、私の解釈では「そそのかされて誘惑に陥る」のではなく、「自ら進んで自発的に行った」ということになります。う~ん、少々分かりにくいですかね~(⌒-⌒;)誘惑の意味は、辞書には「人を迷わせて、悪い道にさそいこむこと。」とありますから、「自分の外から(相手から)きた誘惑を自分が受けて(陥って)悪い道に誘い込まれた・悪いことを行った」という解釈になりがちですが、私はそうのうな解釈はしません。「自分の意思で行ったもの」ということです。つまり、自分の“欲”が行わせているのですね。ですから、「自分がそそのかされた」ではなく、「自らが進んで行った」と解釈します。誘惑した相手が悪いのではなく、自分が悪いのですね。逆に相手を誘惑したということにもなりますから、相手にも悪いことをしてしまうことになるのです。欲を制御できない者は、この誘惑の呪縛から逃れることはできません。すべては自分の意思しだい、自分の善悪の判断しだいです。

…………ということで、聖書における誘惑のリアルな掲載箇所をご紹介いたします!
◯旧約聖書:箴言・第7章・第6~第27節
「わたしが家の窓から格子を通して外を眺めていると浅はかな者らが見えたが、中に一人意志の弱そうな若者がいるのに気づいた。 通りを過ぎ、女の家の角に来るとそちらに向かって歩いて行った。 日暮れ時の薄闇の中を、夜半の闇に向かって。 見よ、女が彼を迎える。遊女になりきった、本心を見せない女。 騒々しく、わがままで自分の家に足の落ち着くことがない。 街に出たり、広場に行ったりあちこちの角で待ち構えている。

彼女は若者をつかまえると接吻し厚かましくも、こう言った。 『和解の献げ物をする義務があったのですが今日は満願の供え物も済ませました。 それで、お迎えに出たのです。あなたのお顔を捜し求めて、やっと会えました。 寝床には敷物を敷きましたエジプトの色糸で織った布を。 床にはミルラの香りをまきましたアロエやシナモンも。 さあ、愛し合って楽しみ朝まで愛を交わして満ち足りましょう。 夫は家にいないのです、遠くへ旅立ちました。 手に銀貨の袋を持って行きましたから満月になるまでは帰らないでしょう。』

彼女に説き伏せられ、滑らかな唇に惑わされて、たちまち、彼は女に従った。まるで、屠り場に行く雄牛だ。足に輪をつけられ、無知な者への教訓となって。 やがて、矢が肝臓を貫くであろう。彼は罠にかかる鳥よりもたやすく自分の欲望の罠にかかったことを知らない。 それゆえ、子らよ、わたしに聞き従いわたしの口の言葉に耳を傾けよ。 あなたの心を彼女への道に通わすな。彼女の道に迷い込むな。 彼女は数多くの男を傷つけ、倒し殺された男の数はおびただしい。 彼女の家は陰府への道、死の部屋へ下る。」
『新共同訳聖書』から

このようなお話しが聖書にあるとは正直ビックリです!Σ( ̄ロ ̄lll) しかし、なかなかリアルに表現していますね~。これはいけませんよね~でも、私も一度でいいのでお誘いを受けてみたいのですが。いやいやいけませんね!( ̄▽ ̄;) 既婚者のすることではないです。 “陰府”とは、死後に生前の罪業によって刑苦を受ける世界のことで、いわゆる“地獄”のことです。誘惑に負けるとこのようになるのです。身に覚えのある経験者は、さっそく悔い改めましょうね!
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