職場のデスク:その134(ハンドクリーム!) [職場のデスク&カウンター]

職場で使っているアルガン油から作られたハンドクリームです。昨年、ポーランドに旅行されたとってもお美しいご婦人から、お土産としていただきました。この季節は重宝します。香りの良いハンドクリームです。
IMG_1524.jpg
【Argan・oil(アルガン油)】
「アルガン油は、広葉常緑樹のアカテツ科のアルガンノキ属に属する唯一の種であるアルガンノキ(Argania spinosa)から採取される。伝統的には、アルガンノキの付ける硬い種子を石で割り、ペースト状にすり潰してから搾油するという、非常に手間が掛かる工程を経て製造される。かつては家内制手工業で限定的に生産されてきたが、消費量が拡大するにつれ、アルガンの自生地であるモロッコ南西部のアガディールを拠点とした生産組合が増加している。」(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から)
nice!(0)  コメント(0) 

今日の2021.2.26(しだれ梅!) [日記]

今年も<しだれ梅>がキレイに咲きました!これは、世田谷キャンパス構内にある国士舘創立100周年を記念して3年前に植樹された梅木です。町田キャンパスには白梅、多摩キャンパスには紅梅の木があります。いずれも福岡県太宰府市にある太宰府天満宮から、天満宮が育成した梅木を寄贈されました。太宰府は、国士舘創立者である柴田徳次郎(正四位・勲二等瑞宝章・経済学博士)の生まれ故郷でもあります。
右側の写真は、記念のプレートです(説明書き)
紅梅1.jpg紅梅2.jpg
nice!(0)  コメント(0) 

教会日記2021.2.26(カトリック成城・聖タデオ教会「平日のミサ」金曜日) [教会日記]

今日は、指定休で仕事はお休みです(17時30分から会議があるため16時には出勤します)。今朝は、カトリック成城・聖タデオ教会の7時からの平日のミサに与りました。少し暖かくなってきたかなと思っていたら、一昨日からまた寒さが厳しくなりましたね。「四旬節」に入り、いつもに増して祈りに専心し、積極的に愛徳の業を行い、毎日の生活で節制するようにしなければなりません。日々の信仰生活を充実したものにしましょう。

成城教会にある「河津桜(かわづさくら)」です。もう満開ですね。花期が早い桜として知られています。
8DF32A96-361F-4F0D-8DE1-D113783390E8.jpeg
ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学2年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病と同じ病の私が親しくしているご婦人の二人が癒されるようお祈りしました。
nice!(0)  コメント(0) 

旧約聖書:詩編・第38編 [聖書]

「主よ、怒って私を責めず
憤って私を懲らしめないでください。
あなたの矢が私を射抜き
あなたの手が私の上にの降りて来ました。
あなたの憤りのために
私の肉体に健やかなところはなく
私の罪のために、骨に安らぎはありません。
私の過ちは頭を越えるほどにもなり
重い荷物のように重くのしかかります。

私の傷は、愚かな行いのために
膿んで悪臭を放ちました。
私は身をかがめ、深くうなだれ
日夜、打ちしおれて歩き回りました。
私の腰はただれにただれ
体に健やかなところはなくなりました。
私は力を失い、いたく打ち砕かれ
心は呻き、うなり声をあげるだけでした。

わが主よ
私の望みはすべてあなたの前にあります。
嘆きもあなたから隠されてはいません。
心は動転し、私の力も私を見捨て
目の光も私から離れ去りました。
愛する者も友も病の私から離れて立ち
親戚の者も遠くに立ちました。
私の命を狙う者は罠を仕掛け
私の災いを求める者は破滅を語り
日夜、欺きを口にします。
私は聞こえる者のように聞かず
黙する者のように口を聞きません。
聞くこともせず
抗議も口にしない人のようになりました。
主よ、私はあなたを待ち望んでいました。
わが主、わが神よ、あなたは答えてくださいます。
私は言いました。
「私のことで彼らが喜ばないように」と。
私の足が揺らぐと
彼らは私に尊大に振る舞いました。

私は今にも倒れそうです。
常に痛みが私の前にあります。
私は自分の過ちを告げ
罪のためにおびえます。
私の敵は意気盛んで、数を増し
私を憎む偽り者が増えています。
善に悪をもって報いる者が
善を求める私を訴えます。
主よ、私を見捨てないでください。
わが神よ、私から遠ざからないでください。
急いで私を助けに来てください。
わが主、わが救いよ。」
「聖書協会共同訳 聖書」から

この詩編の第38編は、病気に苦しむ人の嘆きの詩編です。昔は不治の病といわれていた病気が、今では医療技術の発達・発展により、ある程度の病気は完治するようになってきました。しかし、いくら進歩しても、直らない病気はまだまだあります。これは、誰の人生にとっても避けられない深刻な問題です。ここに書かれていることは、病人が唱えた極めて敬虔な信仰を持った信徒の祈りです。病気を表現しながら罪を表現し、罪を表現しながら病を表現し、病の重さと共に罪の重さが表現されています。
それだけにこの詩編は、今日の私達にも病気とは何なのかということを考えさせられます。旧約聖書の詩編は、イエス・キリストもお祈りになったのです。でも、イエス・キリストは病気になったりしませんので、第38編ではお祈りしていないですね………(⌒-⌒; ) 皆さんも病気になった時は、是非ともこの詩編の第38編で祈ることをお勧めいたします。
nice!(0)  コメント(0)