「聖コルネリオ教皇・聖チプリアノ司教殉教者」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日9月16日は、「聖コルネリオ教皇・聖チプリアノ司教殉教者」の記念日です。
聖コルネリオ教皇は、カルタゴ(現在のチュニジア共和国)に生まれ、キリスト教徒ではありませんでしたが、成人してから洗礼を受けて司祭への道を志しました。叙階されて249年ごろ、カルタゴの司教になりました。ローマ帝国のデキウス帝の迫害によって苦しむ信徒たちを心にかけ、司教として励ましました。250年1月20日に教皇ファビアノが殉教し、その後、コルネリオが教皇に選ばれました。

右側が聖コルネリオ教皇、左側が聖チプリアノ司教です。
聖コルネリオ教皇・聖チプリアヌス司教.jfif
コルネリオが教皇の在位中に「大罪のゆるし」と「迫害のときに棄教した信徒の教会復帰」が問題となりました。コルネリオ教皇は「司教によれば、大罪をゆるすことができる」と主張し、カルタゴの司教チプリアノがこれを支持しました。しかし、ノヴァティアヌスはコリネリオの主張に反対し、自らが教皇であると宣言して対立教皇となりました。しかし、251年にコルネリオ教皇はカルタゴに司教たちを集め、棄教者がゆるしの秘跡を受け、償いのわざを行えば教会に戻ることができることを確認し、これによってノヴァティアヌス派は排斥されました。

同じ9月16日に記念するチプリアノ司教は、コリネリオ教皇をあらゆる面でよく助け、教会が一つであるために、使徒ペトロの後継者である教皇のもとに、司教、信徒たちが一致することの大切さを強調しました。ローマ帝国のデキウス帝の死後、ペストが流行し、民衆の不満はキリスト教徒に向けられました。そのため、トレボニアヌス帝もキリスト教を弾圧し、コリネリオ司教は捕らえられました。彼は、追放されたチェントゥリチェッレ(現在のチヴィタヴェッキア)で253年に亡くなりました。
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教会日記2020.9.16(カトリック成城教会「平日のミサ」水曜日) [教会日記]

今日も出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城教会で7時からの平日のミサに与りました。今朝は一段と涼しくなりましたね。昨夜は、窓を開けて寝ましたが、涼し過ぎて夜中に窓を閉めました。東京都の予想し高気温は27度です。これから朝夕は過ごしやすくなりますね。

ミサでは、「聖コルネリオ教皇・聖チプリアノ司教殉教者」の記念日をお祈りし、先週から共同祈願でお祈りしている「すべてのいのちを守るためのキリスト者の祈り」をお祈りしました。そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学2年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病気が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
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旧約聖書:箴言・第5章・第3〜第8節 [聖書]

「よその女の唇は蜜を滴らせその口は油よりも滑らかだ。
だがやがて、苦よもぎよりも苦くなり両刃の剣のように鋭くなる。
彼女の足は死へ下って行き一歩一歩と、陰府に達する。
人生の道のりを計ろうともせず分の道から外れても、知ることもない。
それゆえ、子らよ、わたしに聞き従え。
わたしの口の言葉からそれてはならない。
あなたの道を彼女から遠ざけよ。
その門口に近寄るな。」

久しぶりに“男女の誘惑の戒め”です。旧約聖書のいたるところにでてきますね~。( ̄▽ ̄;) 特に「箴言」には、このような戒めの言葉は何回も出てきます。一歩一歩と陰府に堕ちると戒めています。“陰府(いんふ)”とは、死後に生前の罪業によって刑苦を受ける世界のことで、いわゆる“地獄”のことです(; ̄O ̄)紀元前から、既婚者の異性への誘惑は禁止事項なのです。
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