教会日記2020.9.15(カトリック成城教会「平日のミサ」火曜日) [教会日記]

今日も出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城教会で7時からの平日のミサに与りました。今朝は随分と涼しくなりました。日中は蒸し暑くなるそうですが、もう猛暑のようなことはないですね。徐々に朝夕は過ごしやすくなってきました。

ミサでは、「悲しみの聖母」記念日をお祈りし、先週から共同祈願でお祈りしている「すべてのいのちを守るためのキリスト者の祈り」をお祈りしました。そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学2年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病気が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
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「悲しみの聖母」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日9月15日は、「悲しみの聖母」の記念日です。2018年9月15日に掲載した記事を再掲載いたします。
新約聖書にある4つの福音書の中で、聖母マリア様が大きな悲しみに遭う場面が7度あります。聖母とは、「聖母の7つの悲しみ」と呼ばれるこれらの出来事に心を痛める聖母マリア様のことで、通常7本の剣で心臓を刺し貫かれ、悲しむ表情を見せる聖母の図像(絵画や彫像など)で表されます。悲しみの聖母の記念日は、1814年に教皇ピウス7世がこれをラテン典礼教会全体に広めました。当初は9月の第3日曜日が悲しみの聖母の記念日でしたが、1913年に教皇ピウス10世が9月15日に定めて(1914年に教会歴へ)現在に至っています。では、新約聖書からこの7つの悲しみの記載箇所を見てみましょう。7つすべて聖母マリア様ご自身に起こった悲しい出来事です。
カルロ・ドルチ作の「悲しみの聖母」です。私の大好きな絵です。東京の上野公園内の国立西洋美術館(常設展)にあります。
悲しみの聖母.jpg
スペイン・サラマンカ市のサラマンカ大聖堂にある悲しみの聖母像です。7つの剣で心臓を刺し抜かれています。とっても痛そうです(; ̄O ̄)
聖母マリアのななつの悲しみ.jpg
◯第一の悲しみ:「幼子イエスに関するシメオンの預言」
母親である聖母マリア様と父親である聖ヨセフ様が、幼いイエス様を父である神様にお捧げするために、エルサレム神殿へ入った時の出来事。(日本の神社へのお宮参りみたいなものですか!?)
新約聖書:ルカによる福音書・第2章第25~第35節
「そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。 わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」

◯第二の悲しみ:「エジプトへの逃避」
ローマ帝国の属州となっていたユダヤ地域を統治することを許されていたヘロデ王が、この世に救世主(メシア)=イエス様が誕生したことに危機感を抱き、見つけしだい殺害しょうと思案していた時の出来事。
新約聖書:マタイによる福音書・第2章・第7~第16節
「そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。」

◯第三の悲しみ:「3日のあいだ少年イエスとはぐれたこと」
イエス様が12歳の時に、母親である聖母マリア様と父親である聖ヨセフ様と一緒にエルサレム神殿に捧げ物を持って行った時、帰りにイエス様が行方不明になった出来事。(日本の神社への七五三参りみたいなものですか!?)
新約聖書:ルカによる福音書・第2章・第40~第48節
「幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」

◯第四の悲しみ:「十字架を背負って歩くイエスと出会ったこと」
イエス様の磔刑(たっけい:十字架による死刑)が決まり、ローマ帝国のエルサレムにあるポンティオ・ピラト総督の官邸から、十字架の刑場であるゴルゴタの丘に、イエス様が重い十字架を担って行く途中、聖母マリア様がイエス様と出会った出来事。
新約聖書:ルカによる福音書・第23章・第26~第28節
「人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。」

◯第五の悲しみ:「イエスの十字架のもとに立ったこと」
ゴルゴタの丘の刑場で、イエス様が十字架に磔(はりつけ)となった時の出来事。
新約聖書:ヨハネによる福音書・第19章・第25~第27節
「イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。」

◯第六の悲しみ:「十字架から降ろしたイエスの遺体を抱きとめたこと」
ゴルゴタの丘の刑場で、イエス様が十字架に磔(はりつけ)となり、亡くなって十字架から遺体を下ろした時ので出来事。
新約聖書:マタイによる福音書・第27章・第55~第61節
「またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々である。その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。そこでピラトは、渡すようにと命じた。ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った。マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた。」

◯第七の悲しみ:「イエスの遺体を埋葬したこと」
亡くなったイエス様をお墓に納めた時の出来事。
新約聖書:ヨハネによる福音書・第19章・第40~第42節
「彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。」
以上の7つの悲しい出来事です。
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