「聖週間」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日3月23日(土)の夕刻から「聖週間」が始まります。今夜から明日は「受難の主日(枝の主日)」です。キリスト教会において「降誕祭(クリスマス)」と並んで最も重要な「復活祭(イースター)」前の「聖週間」が始まり、3月31日(日)の「復活祭(復活の主日)」の前日までの一週間を「聖週間(せいしゅうかん)」といいます。また「受難週(じゅなんしゅう)」ともいいますが、この受難とは、イエス・キリストが十字架で磔刑(たっけい:十字架のはりつけの刑)されたことをいいます。
今夜3月23日(土)から明日の3月24日(日)は「受難の主日=枝の主日(えだのしゅじつ)」で、月曜日からは次のようになります。
3月25日(月)は「受難の月曜日」
3月26日(火)は「受難の火曜日」
3月27日(水)は「受難の水曜日」
3月28日(木)は「聖木曜日・主の晩餐の夕べのミサ」
3月29日(金)は「聖金曜日・主の受難の祭儀」・「過ぎ越しの聖なる断食(大斎・小斎)」
3月30日(土)は「聖土曜日」・夜から「復活の主日(復活祭)・復活の聖なる徹夜祭」です。通常はこの復活の聖なる徹夜祭で「入信式(洗礼式)」が行われます。28日(木)からは最も重要な「聖なる三日間」となります。
3月31日(日)は「復活の主日(復活祭)・日中のミサ」です。

◇受難の主日=枝の主日(えだのしゅじつ:「棕梠(シュロ)の主日」ともいいます)
聖週間の初日となる「受難の主日=枝の主日」は、キリスト教カトリック教会では祝日で、復活祭の一週間前の日曜日に当たります。この祝日は、イエス・キリストが子ろばに乗り、エルサレムに入城した時を記念するものです。新約聖書の「ヨハネによる福音書」では、エルサレムに来たイエス・キリストを、イエス・キリストの通る道で棕梠(シュロ)の木の枝を振ったり道に敷きつめたりして、「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に。」と叫び喜び迎えました。

このイエス・キリストがエルサレムに入城した時の、その群衆の様子をミサの中で思い起こすため、皆さんは聖歌を歌いながら、棕梠(シュロ)の枝をもって神父様から祝別(祝福)のため、聖水をかけてもらいます。その日が今夜と今日のミサとなります。祝福(祝福)を受けた枝はもらって帰り、来年の「灰の水曜日」の前に、灰を作るために教会で集めるまで家の中に飾っておきます。
また、この日の典礼の最大の特徴は、司祭(神父様)と複数の朗読者、さらには会衆(=信徒)全員の参加による「イエスの受難の朗読」が行われることです。朗読は今年は典礼の聖書朗読配分がA年ですので、『マタイによる福音書』の第27章・第11〜第54節からとられています。多くの教会では、イエス・キリスト役は司祭(神父様)、ローマ帝国のシリア州総督であったポンティオ・ピラト役は信徒から1人、群集役は会衆全員で語り手は信徒から1人です。悲しくも感激のある朗読となります。

◯ピーテル・パウル・ルーベンス作の「キリストのエルサレム入城」で 1632年の作品です。シュロの葉を手にしてイエス様に振ってますね。フランス最古の美術館の一つである「ディジョン美術館」蔵です。
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〈入城の福音〉
今年のミサにおける聖書朗読配分が「B年」となっていますから、次の『マタイによる福音書』が朗読されます。ミサでは、司祭と十字架を先頭にして、会衆(信徒)が行列して聖堂に入ります。
◯新約聖書:マタイによる福音書・第21章・第1~第11節
「一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山に面したベトファゲに来たとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、私のところに引いて来なさい。もし、誰かが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐ渡してくれる。」それは、預言者を通して言われたことが実現するためであった。
「シオンの娘に告げよ。
『見よ、あなたの王があなたのところに来る。
へりくだって、ろばに乗り、
荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」
弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、ろばと子ろばを引いて来て、その上に上着を掛けると、イエスはそれにお乗りになった。大勢の群衆が自分の上着を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。群衆は、前を行く者も後に従う者も叫んだ。
「ダビデの子にホサナ。
主の名によって来られる方に
祝福があるように
いと高きところにホサナ。」
イエスがエルサレムに入られると、都中の人が、「一体、これはどういう人だ」と言って騒いだ。群衆は、「この方は、ガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」と言った。」
『聖書協会共同訳聖書』から

◇聖木曜日「主の晩餐」(この日のミサは「主の晩餐の夕べのミサ」と言います。)
聖木曜日(せいもくようび)は、復活祭前の週の木曜日のこと。「洗足木曜日(せんぞくもくようび)」とも呼ばれます。聖木曜日からの三日間は特に尊重され、「聖なる三日間」と呼びます。イエス・キリストと使徒たちの「最後の晩餐(さいごのばんさん)」を記念する日であり、その席でイエスが(へりくだりの行いとして)弟子たちの足を洗ったという記述が福音書に見られるため、「洗足木曜日」という呼称が生まれました。また、カトリック教会ではこの日を「司祭職の制定の日」としており、司教が司祭たちに聖香油を渡す慣習があります。
◯新約聖書:コリントの信徒への手紙一・第11章・第23〜第26節
「私があなたがたに伝えたことは、私自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りを献げてそれを裂き、言われました。『これは、あなたがたのための私の体である。私の記念としてこのように行いなさい。』
食事の後、杯も同じようにして言われました。『この杯は、私の血による新しい契約である。飲む度に、私の記念としてこれを行いなさい。』だから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲む度に、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。
『聖書協会共同訳聖書』から

◯新約聖書:ヨハネによる福音書・第13章・第1〜第15節 ※「洗足」
「過越祭の前に、イエスは、この世から父のもとへ移るご自分の時が来たことを悟り、世にいるご自分の者たちを愛して、最後まで愛し抜かれた。夕食のときであった。すでに悪魔は、シモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていた。イエスは、父がすべてをご自分の手に委ねられたこと、また、ご自分が神のもとに帰ろうとしていることを悟り、夕食の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手拭いを取って腰に巻かれた。それから、たらいに水を汲んで弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手拭いで拭き始められた。(中略)こうしてイエスは弟子たちの足を洗うと、上着を着て、再び席に着いて言われた。「私があなたがたにしたことが分かるか。あなたがたは、私を『先生』とか『主』とか呼ぶ。そう言うのは正しい。私はそうである。それで、主であり、師である私があなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合うべきである。私があなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのだ。」
『聖書協会共同訳聖書』から

◇聖金曜日「主の受難」
聖金曜日(せいきんようび)は、復活祭前の週の金曜日のこと。「主の受難日」とも呼ばれます。『ヨハネによる福音書:第18章・第1〜第19節・42節』にある記述をもとにイエスの受難を思い起こす特別な典礼や祈りが行われます。カトリック教会では聖金曜日には断食を行う習慣があます。断食といっても完全な絶食ではありませんが、「大斎(たいさい)」と「小斎(しょうさい)」を行います。「大斎・小斎」の説明は、このブログの「灰の水曜日のお話し・教会日記2024.2.14(カトリック成城・聖タデオ教会 灰の水曜日のミサ・灰の式 水曜日)」をお読みください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2024-02-14-3
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