『貞操の賜物について』のご紹介 [キリスト教と読書]

今日は、『貞操の賜物について』のご紹介です。
著者であるノウァティアヌス(190-210年ごろ~258年)は、フリュギア生まれの改宗したキリスト教徒で、ノウァティアヌス派の創始者、対立教皇(司祭)、神学者です。著書にラテン語による『三位一体論』があり、この『三位一体論』はローマで書かれた最初の本格的な神学書で、神学史上重要な作品とされています。ローマ帝国のデキウス帝の大迫害(249年~250年)時に、背教した(棄教・離教した)信徒の迫害後の教会復帰を認めるか否かの問題で、ウァティアヌスは非妥協,厳格主義の立場からそれを認めず、対立教皇としてローマ教皇(司教)コルネリウスと対立しました。258年頃にローマ皇帝のウァレリアヌスの迫害を受けて殉教したと伝えられていますが、確かなことではないそうです。

この『貞操の賜物について』は、概要としては「主(神)の神殿である信徒は、貞操の徳を守るべきこと、貞操の三段階を指摘した上で、貞操を守るために資する事柄と妨げになる事柄について具体的に示す。」というものです。ノウァティアヌスは、第三章「貞操の徳と淫猥の悪徳」のところで次のとおり説いています。長くなりますが掲載いたします。
「(1)貞操は身体の誇り、徳の飾り、両性の聖化、結婚の絆、血統の保護、羞恥心の守り、貞潔の泉、家庭の平和、一致の冠です。貞操は自分以外の誰も喜ばせません。貞操は常に控え目で、したがって、無知の母です。貞操は常に羞恥心だけを飾りとし、邪悪なことを嫌悪するときこそ、自分の美を意識します。貞操は装飾を求めません。それ自体が優美だからです。
(2)貞操は私たちを主に委ね、キリストに結び合わせます。それは肢体からあらゆる不法な欲望の刺激を追放し、私たちの身体に平和をもたらします。それ自体祝福されたものであり、誰れであろうと、それをふさわしく住まいとする者を祝福します。貞操はその敵からさえ崇められています。敵は貞操を奪い取ることができなければ、それだけいっそう賛嘆します。
(3)その上この徳は、男性にあっては常に(善いものと)是認され、女性によっては熱心に求められています。ですからその敵である淫猥は常に避けるべきです。それに使える者は猥褻(わいせつ)の道具とされ、身体をも魂をも節制しません。
(4)自分の生活態度が一度淫猥に征服されると、その人の全体が欲望の勝利(の軛:くびき)の下に送られ、初めはうっとりと喜ばせておきながら、(次第に)よりいっそうの害を加え、羞恥心を奪い取り、節制の敵となって、しばしば欲望の絶えざる狂気は血にまで入り込み、良心を破壊してしまいます。淫猥は悔い改めのない頑なさの母、人生の麗しい時期の破滅、性の恥辱、血筋と家族への忠実の略奪、自分の子らを誰だかわからない者の情欲に任せ、誰だかわからない、腐敗した者の子孫を引き込んでしまいます。
(5)欲望はしばしば(人間の)性(の法則)を超えて燃え上がり、許されている限界内で抑制できず、そこに満足することは取るに足らぬこととみなし、男の身体の中に新たな快楽を探し求めるだけでなく、異常で人間性に反した、男と男の獣的な(恥ずべき)交わりを遂げなければ満足できなくなります。」

これはいけないことですね~ 昔も今も、いつの世も変わりませんね~(⌒-⌒; )淫猥とは「情欲を刺激する、下品でみだらなこと。また、そのさま。」という意味です。ノウァティアヌスは、淫猥は、人間の魂を奪い取って人生を破滅させ、主(神)の神殿であるはずの身体が破壊されてしまうと忠告し、いかに貞操に努めなければならないかを説いています。
ところで、このブログの8月1日の記事として「読書計画『平凡社ライブラリー 中世思想原典集成 精選(全7巻)』のご紹介」を掲載し、今年の読書計画について書きました………が、本日時点で、計画全体のの4割2分(7巻中3巻読了)しか進んでいません(; ̄O ̄)今年も挫折か!?( T -T )言い訳はしません!引き続き頑張ります!読書計画の詳細は、https://jesus195876.blog.so-net.ne.jp/2019-08-01 をご覧ください。

◯『平凡社ライブラリー「中世思想原典集成2 ラテン教父の系譜」』
発行:(株)平凡社
初版:2019年1月10日
定価:2,400円+税
2『貞操の賜物について』
著者:ノウァティアヌス
訳者:塩谷惇子
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