「聖ベネディクトのメダイ」のお話し [聖品紹介]
今日は、聖ベネディクト修道院長の記念日でしたが、ここで「聖ベネディクトのメダイ」をご紹介いたしましす。なお、聖ベネディクトについては、このブログの今朝(2022年7月11日)掲載した「聖ベネディクト修道院長のお話し」をお読みください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-07-11
◯聖ベネディクトのメダイについて
写真は、私がいつもカバンに入れて持ち歩いているメダイです。メダイの起源は非常に古いそうです。当時、瀕死の状態に陥ったべネディクト会修道士のブルーノという青年が、このメダイを介して奇跡的に全快したことが記録されています。また、このメダイの正確な図形が示されたのは1647年で、この年、魔法騒ぎがある修首院を襲いましたが、このメダイに守られていた修道院に対しては、悪魔も関与できなかったといわれています。このことがあって、キリスト教カトリック教会の布教国では「悪魔よけのメダイ」と呼ばれるようになりました。実に多くの取り次ぎがこのメダイを通してなされており、このメダイは、すべての悪なるものに対する祝別された<防御の標徴>であるとされています。神道の「破魔矢」や仏教の「厄除けのお札」とよく似ていますね。
◯聖ベネディクトのメダイの表側(写真左)と裏側(写真右)です。
◯メダイの図章の説明
「聖人像の面(写真左)」
まず、①中央の人物は聖べネディクトです。右手に聖なる「十字架」を持ち、左手に「戒津」を持っています、
向かって左、②毒葡萄酒が十字架の印によって祝福されたとき砕け、中から蛇が出た図です。
向かって右、③毒入りパンは、カラスによって運び去られる図です。
次に、④メダイの外周の文字「Eius in obitu nostro praesentia muniamur」ですが、訳は「我らの臨終において、御身がその功徳と臨在とによりて、我らの鎖とならんことを(私達が死ぬ時に、聖ベネディクトがその功徳をもって臨終の場に来られ、私達のご保護をお願いします!)」です。
「十字架の面(写真右)」
まず、①メダイ上部の「PAX」は、“主の平安”の意です。
次に、②十字架の四隅にある「C・S・P・B(Crux Saricti Patris Benedicti)」 の訳は、「聖なる父べネディクトの十字架」です。
次に、③十字架の縦に書いてある「C・S・S・M・L(Crux Sacra Sit Mihi Lux)」の訳は、「願わくは、聖なる十字架がわが光とならんことを(お願いします!聖なる十字架が、私達を導く光となってください!)」です。
次に、④十字架の横に書いてある「N・D・S・M・D(Non Draco Sit Mihi Dux)」の訳は、「サタンが我が導き手とならざらんことを(悪魔が私達を誘惑に引き込まないように)」です。
そして、⑤外周の頭文字「V・R・S・N・S・M・V(Vade Retro Sataria Nunquam Suade Mihi Vana),S・M・O・L・I・V・B(Sunt Mala Quae Libas Ipse Veneria Bibas)」の訳は、「サタンよ退け、汝の虚無もて我を惑わすな。汝が与うるものは悪のみ、毒杯は、汝自ら仰げ(悪魔よ退散せよ!おまえの誘惑で私達を惑わすな!おまえが与えるもの悪(悪意)のみ!おまえ自らが毒杯を飲め!)」です。
以上です。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-07-11
◯聖ベネディクトのメダイについて
写真は、私がいつもカバンに入れて持ち歩いているメダイです。メダイの起源は非常に古いそうです。当時、瀕死の状態に陥ったべネディクト会修道士のブルーノという青年が、このメダイを介して奇跡的に全快したことが記録されています。また、このメダイの正確な図形が示されたのは1647年で、この年、魔法騒ぎがある修首院を襲いましたが、このメダイに守られていた修道院に対しては、悪魔も関与できなかったといわれています。このことがあって、キリスト教カトリック教会の布教国では「悪魔よけのメダイ」と呼ばれるようになりました。実に多くの取り次ぎがこのメダイを通してなされており、このメダイは、すべての悪なるものに対する祝別された<防御の標徴>であるとされています。神道の「破魔矢」や仏教の「厄除けのお札」とよく似ていますね。
◯聖ベネディクトのメダイの表側(写真左)と裏側(写真右)です。
◯メダイの図章の説明
「聖人像の面(写真左)」
まず、①中央の人物は聖べネディクトです。右手に聖なる「十字架」を持ち、左手に「戒津」を持っています、
向かって左、②毒葡萄酒が十字架の印によって祝福されたとき砕け、中から蛇が出た図です。
向かって右、③毒入りパンは、カラスによって運び去られる図です。
次に、④メダイの外周の文字「Eius in obitu nostro praesentia muniamur」ですが、訳は「我らの臨終において、御身がその功徳と臨在とによりて、我らの鎖とならんことを(私達が死ぬ時に、聖ベネディクトがその功徳をもって臨終の場に来られ、私達のご保護をお願いします!)」です。
「十字架の面(写真右)」
まず、①メダイ上部の「PAX」は、“主の平安”の意です。
次に、②十字架の四隅にある「C・S・P・B(Crux Saricti Patris Benedicti)」 の訳は、「聖なる父べネディクトの十字架」です。
次に、③十字架の縦に書いてある「C・S・S・M・L(Crux Sacra Sit Mihi Lux)」の訳は、「願わくは、聖なる十字架がわが光とならんことを(お願いします!聖なる十字架が、私達を導く光となってください!)」です。
次に、④十字架の横に書いてある「N・D・S・M・D(Non Draco Sit Mihi Dux)」の訳は、「サタンが我が導き手とならざらんことを(悪魔が私達を誘惑に引き込まないように)」です。
そして、⑤外周の頭文字「V・R・S・N・S・M・V(Vade Retro Sataria Nunquam Suade Mihi Vana),S・M・O・L・I・V・B(Sunt Mala Quae Libas Ipse Veneria Bibas)」の訳は、「サタンよ退け、汝の虚無もて我を惑わすな。汝が与うるものは悪のみ、毒杯は、汝自ら仰げ(悪魔よ退散せよ!おまえの誘惑で私達を惑わすな!おまえが与えるもの悪(悪意)のみ!おまえ自らが毒杯を飲め!)」です。
以上です。
今日の日記2022.7.11(「ラーメンの日」!) [日記]
教会日記2022.7.11(カトリック成城・聖タデオ教会「平日のミサ」月曜日) [教会日記]
今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会の7時からの「平日のミサ」に与りました。ミサで第一朗読を担当しました。朝から蒸し暑いですね〜(⌒-⌒; ) 天気予報では、今週は雨天の日が多いようです。今日も清々しい朝を迎えています。
ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と主を讃えて、
続いて
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
とお祈りしました。
続いて、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」と祈り、
そして、同僚の病と同じ病の私が親しくしているご婦人のお二人が癒されるようお祈りしました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』をお祈りしました。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
とお祈りしました。
ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と主を讃えて、
続いて
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
とお祈りしました。
続いて、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」と祈り、
そして、同僚の病と同じ病の私が親しくしているご婦人のお二人が癒されるようお祈りしました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』をお祈りしました。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
とお祈りしました。
「聖ベネディクト修道院長」のお話し [聖人・福者・尊者]
今日7月11日は、「聖ベネディクト修道院長」の記念日です。
聖ベネディクト(イタリア:480年ごろ〜547年、「ヌルシアのネディクトゥス」とも呼ばれます)は、イタリアのヌルシアに生まれ、ローマで勉学に励みましたが、20歳のころスビアコに身を退けました。そこで隠修士ロマヌスに出会い、修道士となって洞窟で厳しい禁欲生活を送りました。やがて聖ベネディクトの名声は高まり、彼に倣おうと多くの青年が集まったので、近くに12の修道院を建てました。529年、彼は数名の修道士を伴ってモンテ・カッシーノに修道院を建て、それは教会で最も有名な修道院となりました。また、彼は修道士のために修道生活の規則「ベネディクトの戒律(会則)」を書き、祈りや生き方などについて分かりやすく述べ、修道士を完徳へ導くものでした。「ベネディクトの戒律(会則)」は、長い間、中世ヨーロッパの修道院制度(生活の規則など)の基礎を築き、西方ヨーロッパの修道院制に重要な役割を果たすものとなりました。
聖ベネディクト(イタリア:480年ごろ〜547年、「ヌルシアのネディクトゥス」とも呼ばれます)は、イタリアのヌルシアに生まれ、ローマで勉学に励みましたが、20歳のころスビアコに身を退けました。そこで隠修士ロマヌスに出会い、修道士となって洞窟で厳しい禁欲生活を送りました。やがて聖ベネディクトの名声は高まり、彼に倣おうと多くの青年が集まったので、近くに12の修道院を建てました。529年、彼は数名の修道士を伴ってモンテ・カッシーノに修道院を建て、それは教会で最も有名な修道院となりました。また、彼は修道士のために修道生活の規則「ベネディクトの戒律(会則)」を書き、祈りや生き方などについて分かりやすく述べ、修道士を完徳へ導くものでした。「ベネディクトの戒律(会則)」は、長い間、中世ヨーロッパの修道院制度(生活の規則など)の基礎を築き、西方ヨーロッパの修道院制に重要な役割を果たすものとなりました。