支援活動日記2022.7.7(山谷夜回りの会活動) [支援活動日記]
今日は、仕事はお休みをいただき、日中は義父の法事とお墓参りに行き、夜は、先ほどまでホームレス支援活動グループ「山谷夜回りの会」の活動に参加していました。毎回毎回このブログに書いていることですが、私は一人の人間としてもキリスト者(クリスチャン)としても、人道のための支援活動を行うことが本望であり、若い時からの念願でもありました。働けなくて経済的に困窮し、路上生活を余儀なくされている人、家族に見放され精神時に不調をきたし、路上生活を余儀なくされている人、ホームレスの皆さんにはいろいろな理由があります。国や自治体など行政ができないところを私たちが支援するということですね。
それと、私たちキリスト教の信徒は、前述したような生活に困窮している人のことをイエス様だと思って支援しています。これは聖書にあるイエス・キリストの教えです。聖書には次のとおり書かれています。
◯新約聖書の『マタイによる福音書』第25章・第31~第46節に、次の聖句(イエス・キリストの言葉)があります。
「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」
解釈をしますと、冒頭にある「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき」というのは、終末(この世の終わり)に、イエス・キリストがこの世に再臨するということです。その時に天使たちを従えて来て「最後の審判」が行われます。分かりやすく説明すると、この世の終わりに、イエス・キリストが再び現れて、天国に入る者と地獄に落ちる者とを選別するということです。「王」とは、イエス・キリストのことです。「兄弟であるこの最も小さい者」とは、生活に困窮している人、弱い立場にある人、病で苦しんでいる人など、救いを求めている人たちのことです。「永遠の罰を受け」とは地獄に落ちるということで、「永遠の命にあずかる」とは天国に入るということになります。
困っている人たちの為に善い行いをすること。生活に困窮している人、弱い立場にある人、病で苦しんでいる人など、救いを求めている人たちのために支援すること。それがイエス・キリストにすることになるのです。ですから、私たちはこのような人たちのことを、自分が天国に入る入れないに関係なく、ただイエス様だと思って接して支援活動をしているのです。
今夜も台東区端の泪橋交差点から少し歩いた所にある、「いろは商店街(以前は実測250mほどのアーケード商店街でした)」に、ビニールシートのテントで寝ている方を含め65人ほどのホームレスの皆さんが私達を待っていました。支援活動に集まった15人で、ホームレスの皆さんにジャムパン、マスク、軍手、石鹸、歯ブラシ、髭剃り、靴下、上下の下着類、Tシャツ、ズボン、寝袋、葛根湯などをお配りしました。最近は、女性の方もいますから生理用品も配ります。毎回約300個ほどのおにぎりは、カトリック板橋教会や松戸教会の信徒の皆さんの善意で作ってもらっています。数年前まで、私が以前所属していたカトリック町田教会も作っていました。
支援活動に集まった皆さんは、私のような仕事帰りの社会人は少数派ですが、中心になるのは大学生や若い20歳代~30歳代の社会人で、若い人たちが使命感を持って支援活動に取り組んでいます。6月末には梅雨が明け、先週は連日30度~35度の猛暑日となり、今週は戻り梅雨のような感じでジメジメした蒸し暑い日が続いています( ̄◇ ̄;) ホームレスの皆さんは路上で寝る方も多く、衛生的にも極めて悪い環境にあります。連日の蒸し暑さで体力的に限界にきている方もおり、健康を維持するためにも体には特に気をつけてもらいたいものですね。活動が終了してから反省会を行い、20時50分に解散しました。今は、すでに帰宅する電車の中です。
それと、私たちキリスト教の信徒は、前述したような生活に困窮している人のことをイエス様だと思って支援しています。これは聖書にあるイエス・キリストの教えです。聖書には次のとおり書かれています。
◯新約聖書の『マタイによる福音書』第25章・第31~第46節に、次の聖句(イエス・キリストの言葉)があります。
「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」
解釈をしますと、冒頭にある「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき」というのは、終末(この世の終わり)に、イエス・キリストがこの世に再臨するということです。その時に天使たちを従えて来て「最後の審判」が行われます。分かりやすく説明すると、この世の終わりに、イエス・キリストが再び現れて、天国に入る者と地獄に落ちる者とを選別するということです。「王」とは、イエス・キリストのことです。「兄弟であるこの最も小さい者」とは、生活に困窮している人、弱い立場にある人、病で苦しんでいる人など、救いを求めている人たちのことです。「永遠の罰を受け」とは地獄に落ちるということで、「永遠の命にあずかる」とは天国に入るということになります。
困っている人たちの為に善い行いをすること。生活に困窮している人、弱い立場にある人、病で苦しんでいる人など、救いを求めている人たちのために支援すること。それがイエス・キリストにすることになるのです。ですから、私たちはこのような人たちのことを、自分が天国に入る入れないに関係なく、ただイエス様だと思って接して支援活動をしているのです。
今夜も台東区端の泪橋交差点から少し歩いた所にある、「いろは商店街(以前は実測250mほどのアーケード商店街でした)」に、ビニールシートのテントで寝ている方を含め65人ほどのホームレスの皆さんが私達を待っていました。支援活動に集まった15人で、ホームレスの皆さんにジャムパン、マスク、軍手、石鹸、歯ブラシ、髭剃り、靴下、上下の下着類、Tシャツ、ズボン、寝袋、葛根湯などをお配りしました。最近は、女性の方もいますから生理用品も配ります。毎回約300個ほどのおにぎりは、カトリック板橋教会や松戸教会の信徒の皆さんの善意で作ってもらっています。数年前まで、私が以前所属していたカトリック町田教会も作っていました。
支援活動に集まった皆さんは、私のような仕事帰りの社会人は少数派ですが、中心になるのは大学生や若い20歳代~30歳代の社会人で、若い人たちが使命感を持って支援活動に取り組んでいます。6月末には梅雨が明け、先週は連日30度~35度の猛暑日となり、今週は戻り梅雨のような感じでジメジメした蒸し暑い日が続いています( ̄◇ ̄;) ホームレスの皆さんは路上で寝る方も多く、衛生的にも極めて悪い環境にあります。連日の蒸し暑さで体力的に限界にきている方もおり、健康を維持するためにも体には特に気をつけてもらいたいものですね。活動が終了してから反省会を行い、20時50分に解散しました。今は、すでに帰宅する電車の中です。
「新島襄先生生誕之地」の記念碑訪問 [キリスト者(クリスチャン)]
今日は、義父の法事・お墓参りのため、仕事はお休みをいただきました。藤沢市での法事・お墓参りを終えて、今夜19時30分からの「山谷夜回りの会(ホームレス支援)」活動に行く途中、カトリック成城・聖タデオ教会で「ロザリオの祈り」を一環お祈りし、終わってからまだ時間がありましたので、都営地下鉄半蔵門線神保町駅で途中下車し、「新島襄先生生誕之地」の記念碑を訪ねました。記念碑は、千代田区神田錦町三丁目28番「学士会館」の敷地外周の植込みにあります。
新島 襄(にいじま じょう:1843年~1890年)先生は、プロテスタント教会のクリスチャンで布教家、同志社英学校(後の同志社大学)を創立したことで有名です。1890年、46歳のときに同志社大学設立運動中に倒れ亡くなりました。1843年(天保14年)、江戸の神田にあった上州安中藩板倉家江戸屋敷で、藩士の子として生まれ、本名を「七五三太(しめた)」といいます。この名前は、祖父弁治が女子が4人続いた後の初の男子誕生に喜び「しめた」と言った事から命名されたという説があります。後に敬幹(けいかん)と改名しています。
元服して安中藩士となったころ、友人からアメリカの地図書を受け取り、アメリカの制度に触れ、アメリカに憧れを持つようになりました。その後、幕府の軍艦操練所で洋学を学んでいます。函館港からアメリカに向けて出航し、船中で船長から「Joe(ジョー)」と呼ばれていたことから以後その名を使い始め、後年の帰国後は「譲」又は「襄」と名乗りました。1865年(慶応元年)7月、ボストン到着後、船長の計らいでフィリップス・アカデミーに入学、アンドーヴァー神学校付属教会で洗礼を受けました。
フィリップス・アカデミーを卒業、そしてアマースト大学を卒業(理学士)しました。これは日本人初の学士の学位取得でした。アマースト大学では、後に札幌農学校(現、北海道大学農学部)教頭となるウィリアム・スミス・クラークから化学の授業を受け、クラークにとっては最初の日本人学生であり、この縁でクラークは来日することとなったそうです。クラーク博士の「青年(少年)よ大志を抱け!」はよく知られていますよね。
ちなみに、学士会館の敷地周りには、他にも記念碑があります。
まず、「日本野球発祥の地」の記念碑です。
次に「東京大学発祥の地」の記念碑です。
次の写真は、学士会館の建物です。この時間になると、ビルの谷間になっている日陰は、風が吹いてとても涼しいです!
新島 襄(にいじま じょう:1843年~1890年)先生は、プロテスタント教会のクリスチャンで布教家、同志社英学校(後の同志社大学)を創立したことで有名です。1890年、46歳のときに同志社大学設立運動中に倒れ亡くなりました。1843年(天保14年)、江戸の神田にあった上州安中藩板倉家江戸屋敷で、藩士の子として生まれ、本名を「七五三太(しめた)」といいます。この名前は、祖父弁治が女子が4人続いた後の初の男子誕生に喜び「しめた」と言った事から命名されたという説があります。後に敬幹(けいかん)と改名しています。
元服して安中藩士となったころ、友人からアメリカの地図書を受け取り、アメリカの制度に触れ、アメリカに憧れを持つようになりました。その後、幕府の軍艦操練所で洋学を学んでいます。函館港からアメリカに向けて出航し、船中で船長から「Joe(ジョー)」と呼ばれていたことから以後その名を使い始め、後年の帰国後は「譲」又は「襄」と名乗りました。1865年(慶応元年)7月、ボストン到着後、船長の計らいでフィリップス・アカデミーに入学、アンドーヴァー神学校付属教会で洗礼を受けました。
フィリップス・アカデミーを卒業、そしてアマースト大学を卒業(理学士)しました。これは日本人初の学士の学位取得でした。アマースト大学では、後に札幌農学校(現、北海道大学農学部)教頭となるウィリアム・スミス・クラークから化学の授業を受け、クラークにとっては最初の日本人学生であり、この縁でクラークは来日することとなったそうです。クラーク博士の「青年(少年)よ大志を抱け!」はよく知られていますよね。
ちなみに、学士会館の敷地周りには、他にも記念碑があります。
まず、「日本野球発祥の地」の記念碑です。
次に「東京大学発祥の地」の記念碑です。
次の写真は、学士会館の建物です。この時間になると、ビルの谷間になっている日陰は、風が吹いてとても涼しいです!
教会日記2022.7.7(カトリック成城・聖タデオ教会「ロザリオの祈り」木曜日) [教会日記]
今日は、義父の法事・お墓参りのため、仕事はお休みをいただきました。藤沢市での法事・お墓参りを終えて、今夜19時30分からの「山谷夜回りの会(ホームレス支援)」活動に行く途中、カトリック成城・聖タデオ教会で「ロザリオの祈り」を一環お祈りしました。聖堂は、オルガン奏者お二人がパイプオルガンの練習をしていましたが、心静かにお祈りできました。
「ロザリオの祈り」を終えて、祈願しました。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と主を讃えて、
続いて
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
とお祈りしました。
続いて、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」と祈り、
そして、同僚の病と同じ病の私が親しくしているご婦人のお二人が癒されるようお祈りしました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』をお祈りしました。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
とお祈りしました。
「ロザリオの祈り」を終えて、祈願しました。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と主を讃えて、
続いて
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
とお祈りしました。
続いて、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」と祈り、
そして、同僚の病と同じ病の私が親しくしているご婦人のお二人が癒されるようお祈りしました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』をお祈りしました。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
とお祈りしました。
今日の日記20222.7.7(法事:お墓参り) [日記]
今日は、義父の法事に出席し、お墓参りをしてきました。「お斎(おとき:法事での食事のこと)」は、まだコロナ渦でもあり、感染者が再び増えてきたこともあってありませんでした。午前中は曇り空で風もあり涼しかったのですが、お昼過ぎから晴れてものすごく蒸し暑くなりました。
浄土真宗本願寺派 鳳谷山永勝寺です。このお寺には、「飯盛女の墓」があります。
お墓参りは蒸し暑くて、汗でドロドロになりました( ̄▽ ̄;) お墓の周りの草取りをしてからお祈りしましたが、暑さもありますが、そろよりも蚊の多さに悩まされてました(⌒-⌒; ) 温暖化が進んで平均気温が高くなっている現在、喪服は勘弁ですね( ̄▽ ̄;)
【飯盛女の墓(藤沢市教育委員会)】
永勝寺「飯盛女」の墓
「飯盛女とは江戸時代、宿場 の旅籠屋で給仕をする女として公認されていた。遊女としての側面ももっていた。藤沢宿大鋸町では、飯盛女のいない宿場がさびれたため、万延2年(1861年)宿民のためとして1旅籠屋2名の飯盛女を置く許可を役人から得ている。永勝寺に眠る小松屋の抱えた飯盛女の墓は39基あり、内三十八基が宝暦11年(1761)から享和元年(1801年)まで、小松屋の墓域に建てられている。このように供養された者は少なく、借金の形など苦界の中で身を沈めた者が多い中、小松屋の温情がしのばれる。
(藤沢市教育委員会)」
浄土真宗本願寺派 鳳谷山永勝寺です。このお寺には、「飯盛女の墓」があります。
お墓参りは蒸し暑くて、汗でドロドロになりました( ̄▽ ̄;) お墓の周りの草取りをしてからお祈りしましたが、暑さもありますが、そろよりも蚊の多さに悩まされてました(⌒-⌒; ) 温暖化が進んで平均気温が高くなっている現在、喪服は勘弁ですね( ̄▽ ̄;)
【飯盛女の墓(藤沢市教育委員会)】
永勝寺「飯盛女」の墓
「飯盛女とは江戸時代、宿場 の旅籠屋で給仕をする女として公認されていた。遊女としての側面ももっていた。藤沢宿大鋸町では、飯盛女のいない宿場がさびれたため、万延2年(1861年)宿民のためとして1旅籠屋2名の飯盛女を置く許可を役人から得ている。永勝寺に眠る小松屋の抱えた飯盛女の墓は39基あり、内三十八基が宝暦11年(1761)から享和元年(1801年)まで、小松屋の墓域に建てられている。このように供養された者は少なく、借金の形など苦界の中で身を沈めた者が多い中、小松屋の温情がしのばれる。
(藤沢市教育委員会)」
相田みつをのことば(第8日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]
「悲しいときは全身で悲しみ、嬉しいときには手放しで喜ぶ。そういう人間で私はありたい。 」
相田みつをのことは、「相田みつをのことば(第1日目)2022.4.3」をご覧ください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-04-03-1
基本的に「喜怒哀楽」は、素直に表現することです。そのようなことができる人は、人間本来の感情を持った人です。すべては“素直であれ”ということですね。ただ、怒りは、カトリック教会においては7つの大罪の一つとなりますから怒ってはいけませんね。喜びも悲しみもすべての表現は、周囲の人に配慮して「TPO」を考えてからのことです。
【TPO】
Time(時間)、Place(場所)、Occasion(場合)の頭文字をとった略語です。本来は、時、場所、場合に即した服装をすべきだというファッション業界の提案として登場したものです。要は、時と場所、場合に応じた方法・態度(服装等を含めて)の使い分けのことですね。
相田みつをのことは、「相田みつをのことば(第1日目)2022.4.3」をご覧ください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-04-03-1
基本的に「喜怒哀楽」は、素直に表現することです。そのようなことができる人は、人間本来の感情を持った人です。すべては“素直であれ”ということですね。ただ、怒りは、カトリック教会においては7つの大罪の一つとなりますから怒ってはいけませんね。喜びも悲しみもすべての表現は、周囲の人に配慮して「TPO」を考えてからのことです。
【TPO】
Time(時間)、Place(場所)、Occasion(場合)の頭文字をとった略語です。本来は、時、場所、場合に即した服装をすべきだというファッション業界の提案として登場したものです。要は、時と場所、場合に応じた方法・態度(服装等を含めて)の使い分けのことですね。