教会日記2022.7.23(カトリック松原教会「主日のミサ」土曜日) [教会日記]

今日は、終業定時の17時を超えて18時過ぎまで仕事でしたので、私の所属するカトリック成城・聖タデオ教会の16時からの主日のミサに与ることはできませんでした。ですから、職場に比較的近いカトリック松原教会の19時からの主日のミサに与りました。松原教会でのミサは、2016年からお世話になっています。一時期は、毎朝平日のミサに与っていました。主日のミサは、聖歌奉仕活動がない限り、土曜日に与ることにしています。日曜日は、家族は信徒ではないので貴重な家庭サービス(奥様孝行)の日であり、平日にできないいろいろな諸用もあって、基本的に主日のミサは土曜日に与ることにしています。

私は、土曜日が仕事の場合、職場が世田谷区世田谷四丁目にあって終業定時が17時ですので、17時にすぐ退勤できれば、成城教会の18時からの主日のミサ(現在はコロナ渦で16時に変更)に与り、17時15分を超えた場合は、三軒茶屋教会の18時30分からの主日のミサに与り、18時を超えた場合は、京王線沿線にある松原教会、調布教会又は東急田園都市線沿線にある田園調布教会の19時からの主日のミサに与り、時間的に最後の教会となるのは、自宅が町田市ということもあって小田急線沿線にある厚木教会の19時30分からの主日のミサ(現在はコロナ渦で変更)に与ることにしています。土曜日に働く信徒にとっては、遅い時間にミサを開式する教会があると非常に助かります。

松原教会聖堂の祭壇前の生花です。ピンク色のユリ百合の花がとってもキレイですね!
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ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と主を讃えて、
続いて
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
とお祈りしました。
続いて、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」と祈り、
そして、同僚の病と同じ病の私が親しくしているご婦人のお二人が癒されるようお祈りしました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』をお祈りしました。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
とお祈りしました。
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新約聖書:ローマの人々への手紙・第12章・第19~第21節 [聖書]

「愛するみなさん、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「主は仰せになる、『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と書かれているからです。しかし、次のようにも書かれています、「敵が飢えてうるなら食べさせよ、渇いているなら飲ませよ。そのようにすることで、あなたは敵の頭に燃える炭火を積むからである」。悪に負けてはなりません。むしろ善をもって悪に勝ちなさい。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

今日の聖句(聖書の言葉)は、使徒であるパウロが説いている言葉です。このブログにたびたび掲載しています。神様は、人間に復讐(報復)することを絶対にお許しになりません。それは復讐(報復)することよって、人間に暴力などの罪を犯させることになるからですね。ですから、復讐(報復)は人間に代わって神様ご自身がなさるというわけです。この部分は非常に大切なことです。

また、フランシス・ベーコンは、次のとおり述べています。
「復讐する時、人間はその仇敵と同列である。しかし、許す(赦す)時、彼は仇敵よりも上にある。」

今日の聖句は、私がいつも肝に銘じている言葉です。私たちが日常において、復讐(報復)とまでいかなくてもそれに近い感情を抱くことはよくあることです。自分はまったく悪くないにもかかわらず!そうすると、これは何かきっかけがあるとその相手と喧嘩になってしまうのですね。復讐(報復)は、聖書にも書かれていますが、神様がなされることであって人間のすることではないのです。そして、何よりも大切なことは相手を“赦す”ことです。本気で心の底から赦すことです。難しいことであると思いますが、でも赦さなければなりません。
人は怒った時に、自分を相手と同じレベルか、それ以下にして怒っているから頭にくるのです。それでは気分は最悪ですよね。これを決して上から目線ではないですが、慈しみと憐みの心を持って相手を見てあげるのです。「なんと、かわいそうな人なんだろう。」と。それができれば、赦すことなど何でもないことです。
ですから、自分が悪くなくても“怒りを覚えた時”は、「神様が報復する」と自分に言い聞かせることです。決して手出しは愚か、口でも相手を罵ってはいけません。私はすでに実践していますが………と言ってもまだ愚痴は出ますが。これは最も自戒すべきことです。

【フランシス・ベーコン(イギリス:1561年~1626年)】
フランシス・ベーコンは、キリスト教イギリス国教会(カトリックかもしれない)のクリスチャンで哲学者、神学者、法学者です。「知識は力なり」という言葉で有名ね。
エリザベス1世の国璽相(こくじしょう)という最高官職を務めたニコラス・ベーコンの息子です。12歳でケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学し、ロンドンのグレイ法曹院で法律を学びました。18歳で父を亡くした後、23歳で国会議員となり、当時、エリザベス女王の寵臣だったエセックス伯の腹心となりました。エリザベス朝期およびジェームズ1世期の初期には栄達に恵まれず、この時期の1605年に『学問の進歩』を出版。45歳のときに14歳の少女と再婚し、法務次長になったことを皮切りに順調に栄達し、1617年に国璽相、翌年には大法官となりました。1621年、汚職の嫌疑をかけられて失脚し、ロンドン塔に幽閉されましたが、ジェームズ1世に助けられています。フランシス・ベーコンのことは、「フランシス・ベーコンのことば(第1日目)2019.1.5」をご覧ください。次のアドレスをクリックしてください!
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2019-01-05
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