「マラカイトのロザリオ」のご紹介 [ロザリオ日記]
今日ご紹介するロザリオは、緑色が鮮やかなマラカイトの石を使ったロザリオです。本当は、濃いめのグリーン(モスグリーン)が好きですが、これはこれで好きな色ではあります。十字架の部分は、シルバー製のイエス様の体が付いた十字架に替えました。チェーンの部分がしっかりしていますから、切れる(外れる)などのトラブルは少なくなりそうですね。またロザリオ・コレクションが増えました(^◇^)
写真右側にあるデザインされた十字架が付いていたのですが、イエス様の体が付いた十字架に替えました。
マラカイトの原石です。
【マラカイト】
英名は「Malachite」。和名は「孔雀石(くじゃくいし・くじゃくせき)」。産地は、ナミビア・コンゴ・ロシア・アメリカ・メキシコ・ザイール・ザンビアなどで、色は「グリーン」です。パワーストーンとしての意味は、「ストレスや緊張にとても高いヒーリング効果を発揮し、体力の回復をサポートしながら安眠をもたらす効果があるといわれています。また、邪気をはね返すパワーが強く、危険を感知させることで災いをもたらすものを遠ざける。」そうです。私は、祈りの聖具としてのロザリオに意味をもっていますが、ロザリオにパワーストーンとしての意味は見出せません。パワーストーンが好きな人は気になるのでしょうね(⌒-⌒; )
写真右側にあるデザインされた十字架が付いていたのですが、イエス様の体が付いた十字架に替えました。
マラカイトの原石です。
【マラカイト】
英名は「Malachite」。和名は「孔雀石(くじゃくいし・くじゃくせき)」。産地は、ナミビア・コンゴ・ロシア・アメリカ・メキシコ・ザイール・ザンビアなどで、色は「グリーン」です。パワーストーンとしての意味は、「ストレスや緊張にとても高いヒーリング効果を発揮し、体力の回復をサポートしながら安眠をもたらす効果があるといわれています。また、邪気をはね返すパワーが強く、危険を感知させることで災いをもたらすものを遠ざける。」そうです。私は、祈りの聖具としてのロザリオに意味をもっていますが、ロザリオにパワーストーンとしての意味は見出せません。パワーストーンが好きな人は気になるのでしょうね(⌒-⌒; )
教会日記2022.7.18(カトリック成城・聖タデオ教会「平日のミサ」月曜日) [教会日記]
今朝は、カトリック成城・聖タデオ教会で7時からの平日のミサに与りました。今日は「海の日」の祝日で世間一般はお休みですが、私の職場である大学は、月曜日の授業日数が足らないということで授業日となっています。私は休み組に入りましたら仕事はお休みですが、仕事組は出勤となります(後日、振替休日)。ミサでは第一朗読を担当しました。今月は、もう3回目の朗読となります。内一回は、ピンチヒッターでした(⌒-⌒; ) 今朝は、少し涼しく感じますが、これから蒸し暑くなるのでしょうか。今日も清々しい朝を迎えています。
ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と主を讃えて、
続いて
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
とお祈りしました。
続いて、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」と祈り、
そして、同僚の病と同じ病の私が親しくしているご婦人のお二人が癒されるようお祈りしました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』をお祈りしました。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
とお祈りしました。
ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と主を讃えて、
続いて
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
とお祈りしました。
続いて、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」と祈り、
そして、同僚の病と同じ病の私が親しくしているご婦人のお二人が癒されるようお祈りしました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』をお祈りしました。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
とお祈りしました。
新約聖書:マルコによる福音書・第1章・第40〜第45節 [聖書]
「さて、一人の重い皮膚病を患っている人が、イエスのもとに来てひざまずき、こう願った。「お望みなら、わたしを清くすることがおできになります」。イエスは憐れに思い、手を差し伸べて、その人に触り、「わたしは望む、清くなれ」と仰せになった。すると、たちまち、重い皮膚病は治り、その人は清くなった。イエスはその人をきびしく戒め、すぐに立ち去らせたが、その時、こう仰せになった。「誰にも話さないように注意しなさい。ただ祭司のもとに行って、体を見せ、あなたが清められたことを人々に証しするために、モーセが命じた物をささげなさい」。しかし、その人は立ち去ると、盛んにこの出来事を語り、言いふらし始めた。それで、イエスはもう公然と町にお入りにならず、人里離れた所に留まれたが、至る所から、人々はイエスのところにやって来た。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
この聖句(イエス・キリストの言葉・聖書の言葉)は、新約聖書にある有名な箇所で、イエス・キリストが、宣教のためにガリラヤ地方の町々を巡っておられた時のお話しとなっております。「重い皮膚病」とは、「ハンセン病」のことを指しています。この「重い皮膚病」という言葉は、聖書の翻訳と共に変化しています。2019年に出版された、世界最大の聖書翻訳ネットワークである聖書協会世界連盟による最新の研究成果と、国内の聖書学者、日本語の専門家ら延べ148人の委員により、8年という歳月をかけて翻訳作業が行われた新しい共同訳聖書『聖書協会共同訳』では、「重い皮膚病」は、「規定の病」という言葉に変わっています。では、なぜ「規定の病」なのか?それは旧約聖書の『レビ記』第13章に書いてあります。このブログの2021年5月14日に掲載した「新約聖書:ルカによる福音書・第5章・第12〜第16節」https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2021-05-14を必ずお読みください。
では、同じ箇所を『聖書協会共同訳聖書』で掲載いたします。第1章・第40節の始まりに題として「規定の病を患っている人を清める」とあります。
「さて、規定の病を患っている人が、イエスのところに来て、ひざまずいて願い、「お望みならば、私を清くすることがおできになります」と言った。イエスが深く憐んで、手を差し伸べてその人に触れ、「私は望む。清くなれ」と言われると、たちまち規定の病は去り、その人は清くなった。イエスは、彼を厳しく戒めて、すぐに立ち去らせ、こう言われた。「誰にも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めた物を清めのために献げて、人々に証明しなさい。」しかし、彼は出て行って、大いにこの出来事を触れ回り、言い広め始めた。それで、イエスはもはや表立って町に入ることができず、外の寂しい所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。」
『聖書協会共同訳聖書』から
ハンセン病は、ライ菌によって起こる感染症のことですが、現代医学では完治する病気です。当時は罪深い者、神様から呪われた者、宗教的に穢れた者とされていましたので、神様の在所である神殿などに近づくことが禁じられていたばかりでなく、村八分となって人里離れたところに住まなければなりませんでした。
そして、首から鈴をさげて、“チリンチリン”と鳴らし、人の気配がすれば「穢れた者です。近寄らないでください。」と叫ばなければなりませんでした。それは、重い皮膚病者に触れた人は穢れた人として村八分にされるからです。そうした悲惨な境遇に置かれていた重い皮膚病者が、救いを求めて密かにイエス・キリストのところにやってきました。そしてイエス・キリストの前にひざまずいて言いました、「お望みなら、わたしを清くすることがおできになります。」と。
この、重い皮膚病者の純粋で素直な信仰心と必死の祈り(願い)が、イエス・キリストの心を打ったのです。当時「触れれば穢れるから絶対に触れるな」という律法の戒めを破り、この男のからだに触れて「わたしは望む、潔くなれ。」と命ずると、不治の病である重い皮膚病が一瞬のうちに癒されました。私もこの重い皮膚病者のような信仰心でありたいものです。
クリスチャン詩人である八木重吉は、この聖句を詩にしています。
『奇蹟』
「らい病の男が
キリストのところへ来ておがんでいる
旦那(だんな)
おめえ様が癒してやってくれべいとせえ思やあ
わしの病気やすぐ癒りまさあ
旦那 なおしておくんなせい
拝むから旦那
癒してやっておくんなせい
キリストは悲しいお顔をなさった
そしてその男のからだにさわって
よし さあ潔くなれ
とお言いになると
見てるまにらい病が癒った」
【八木重吉(やぎ じゅうきち)】
私が尊敬するクリスチャン詩人です。
八木重吉(1898年~1927年)は、詩人、英語科教師でプロテスタント教会のクリスチャンです。生前に刊行した詩集は1冊のみで、昭和初期に若くして亡くなりましたが、第二次世界大戦(太平洋戦争)後にクリスチャン詩人としての評価が高まりました。当時は不治の病であった結核を28才で発病し、翌年29才の若さで早世しています。祈りの詩人、信仰の詩人ともいわれ、短い生涯でしたが数多くの詩を残しています。皆さんは、きっと小学生か中学生の時に、国語の教科書で八木重吉氏の詩と出会ってますね。
生家と家族のお墓は、私の自宅のある東京都町田市相原町にあり、現在の生家は「八木重吉記念館」として一般の皆さんに開館しており、貴重な資料を展示しています。八木重吉の詩は短い詩が多く、単純な分かりやすい言葉で純粋な抒情詩になっているのですが、どの詩も侘びしさがあり、そこに人間の儚い美しさがあると思うのです。読む人の胸に、何かキューと締め付けるような、何とも言えない儚さがあり、キリスト教の信仰による詩も数多くあります。詩集「秋の瞳」や「貧しき信徒」などが有名ですね。
『八木重吉全詩集1秋の瞳・詩稿1・2』
『八木重吉全詩集2貧しき信徒・詩稿3』
(株)筑摩書房:ちくま文庫(文庫版)・1988年第1刷発行
◯「八木重吉記念館」
住所は、東京都町田市相原町4473番地です。詳細は、ホームページ:https://www.jukichi-yagi.org/
をご覧ください。
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
この聖句(イエス・キリストの言葉・聖書の言葉)は、新約聖書にある有名な箇所で、イエス・キリストが、宣教のためにガリラヤ地方の町々を巡っておられた時のお話しとなっております。「重い皮膚病」とは、「ハンセン病」のことを指しています。この「重い皮膚病」という言葉は、聖書の翻訳と共に変化しています。2019年に出版された、世界最大の聖書翻訳ネットワークである聖書協会世界連盟による最新の研究成果と、国内の聖書学者、日本語の専門家ら延べ148人の委員により、8年という歳月をかけて翻訳作業が行われた新しい共同訳聖書『聖書協会共同訳』では、「重い皮膚病」は、「規定の病」という言葉に変わっています。では、なぜ「規定の病」なのか?それは旧約聖書の『レビ記』第13章に書いてあります。このブログの2021年5月14日に掲載した「新約聖書:ルカによる福音書・第5章・第12〜第16節」https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2021-05-14を必ずお読みください。
では、同じ箇所を『聖書協会共同訳聖書』で掲載いたします。第1章・第40節の始まりに題として「規定の病を患っている人を清める」とあります。
「さて、規定の病を患っている人が、イエスのところに来て、ひざまずいて願い、「お望みならば、私を清くすることがおできになります」と言った。イエスが深く憐んで、手を差し伸べてその人に触れ、「私は望む。清くなれ」と言われると、たちまち規定の病は去り、その人は清くなった。イエスは、彼を厳しく戒めて、すぐに立ち去らせ、こう言われた。「誰にも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めた物を清めのために献げて、人々に証明しなさい。」しかし、彼は出て行って、大いにこの出来事を触れ回り、言い広め始めた。それで、イエスはもはや表立って町に入ることができず、外の寂しい所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。」
『聖書協会共同訳聖書』から
ハンセン病は、ライ菌によって起こる感染症のことですが、現代医学では完治する病気です。当時は罪深い者、神様から呪われた者、宗教的に穢れた者とされていましたので、神様の在所である神殿などに近づくことが禁じられていたばかりでなく、村八分となって人里離れたところに住まなければなりませんでした。
そして、首から鈴をさげて、“チリンチリン”と鳴らし、人の気配がすれば「穢れた者です。近寄らないでください。」と叫ばなければなりませんでした。それは、重い皮膚病者に触れた人は穢れた人として村八分にされるからです。そうした悲惨な境遇に置かれていた重い皮膚病者が、救いを求めて密かにイエス・キリストのところにやってきました。そしてイエス・キリストの前にひざまずいて言いました、「お望みなら、わたしを清くすることがおできになります。」と。
この、重い皮膚病者の純粋で素直な信仰心と必死の祈り(願い)が、イエス・キリストの心を打ったのです。当時「触れれば穢れるから絶対に触れるな」という律法の戒めを破り、この男のからだに触れて「わたしは望む、潔くなれ。」と命ずると、不治の病である重い皮膚病が一瞬のうちに癒されました。私もこの重い皮膚病者のような信仰心でありたいものです。
クリスチャン詩人である八木重吉は、この聖句を詩にしています。
『奇蹟』
「らい病の男が
キリストのところへ来ておがんでいる
旦那(だんな)
おめえ様が癒してやってくれべいとせえ思やあ
わしの病気やすぐ癒りまさあ
旦那 なおしておくんなせい
拝むから旦那
癒してやっておくんなせい
キリストは悲しいお顔をなさった
そしてその男のからだにさわって
よし さあ潔くなれ
とお言いになると
見てるまにらい病が癒った」
【八木重吉(やぎ じゅうきち)】
私が尊敬するクリスチャン詩人です。
八木重吉(1898年~1927年)は、詩人、英語科教師でプロテスタント教会のクリスチャンです。生前に刊行した詩集は1冊のみで、昭和初期に若くして亡くなりましたが、第二次世界大戦(太平洋戦争)後にクリスチャン詩人としての評価が高まりました。当時は不治の病であった結核を28才で発病し、翌年29才の若さで早世しています。祈りの詩人、信仰の詩人ともいわれ、短い生涯でしたが数多くの詩を残しています。皆さんは、きっと小学生か中学生の時に、国語の教科書で八木重吉氏の詩と出会ってますね。
生家と家族のお墓は、私の自宅のある東京都町田市相原町にあり、現在の生家は「八木重吉記念館」として一般の皆さんに開館しており、貴重な資料を展示しています。八木重吉の詩は短い詩が多く、単純な分かりやすい言葉で純粋な抒情詩になっているのですが、どの詩も侘びしさがあり、そこに人間の儚い美しさがあると思うのです。読む人の胸に、何かキューと締め付けるような、何とも言えない儚さがあり、キリスト教の信仰による詩も数多くあります。詩集「秋の瞳」や「貧しき信徒」などが有名ですね。
『八木重吉全詩集1秋の瞳・詩稿1・2』
『八木重吉全詩集2貧しき信徒・詩稿3』
(株)筑摩書房:ちくま文庫(文庫版)・1988年第1刷発行
◯「八木重吉記念館」
住所は、東京都町田市相原町4473番地です。詳細は、ホームページ:https://www.jukichi-yagi.org/
をご覧ください。