教会日記2022.7.25(カトリック成城・聖タデオ教会「平日のミサ」月曜日) [教会日記]
今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会の7時からの「平日のミサ」に与りました。朝から晴れて暑いですね〜気温は34度を超えるようですよ(⌒-⌒; ) 今日も清々しい朝を迎えています。
ミサでは、使徒聖大ヤコブの祝日を祝いしてお祈りを捧げました。
そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と主を讃えて、
続いて
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
とお祈りしました。
続いて、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」と祈り、
そして、同僚の病と同じ病の私が親しくしているご婦人のお二人が癒されるようお祈りしました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』をお祈りしました。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
とお祈りしました。
ミサでは、使徒聖大ヤコブの祝日を祝いしてお祈りを捧げました。
そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と主を讃えて、
続いて
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
とお祈りしました。
続いて、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」と祈り、
そして、同僚の病と同じ病の私が親しくしているご婦人のお二人が癒されるようお祈りしました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』をお祈りしました。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
とお祈りしました。
「使徒聖大ヤコブ」のお話し [聖人・福者・尊者]
今日7月25日は、イエス・キリストの12使徒(弟子)の一人の聖ヤコブの祝日です。
漁師のゼベダイの子であるヤコブは、同じ使徒である弟ヨハネと兄弟で、もう一人の同じ使徒であるアルファイの子であるヤコブ(こちらは「小ヤコブ」)と区別するため、通称「大ヤコブ」と称されています。聖人の概念を持つカトリック教会をはじめ、キリスト教の各教派で聖人として崇敬されています。
ピーテル・パウル・ルーベンス作の「使徒聖ヤコブ」です。1612〜13年、油彩・画布、108X84cm、スペイン:マドリードにある「プラド美術館」に所蔵されています。
新約聖書:マルコによる福音書・第1章・第19〜20節に、ヤコブは父ゼベダイ、兄弟ヨハネと共にガリラヤ湖畔の漁船の中で網の手入れをしていたところをイエス様に呼ばれ、そのまま父と雇い人を残して弟ヨハネと共に弟子になったと記載されています。2人は、気性の激しさから「ボアネルゲス(雷の子ら)」と呼ばれていたようです。大ヤコブはエルサレム教会において、一貫として中心的な立場を占めていましたが、新約聖書:使徒言行録・第12章・第20節の記載によると、ユダヤ人の歓心を買おうとしたヘロデ・アグリッパ1世によって捕らえられて斬首され殉教しました。紀元44年のころと推定されています。
◯新約聖書:マルコによる福音書・第1章・第19〜20節
「さらに少し行くと、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネをご覧になった。彼らは舟の中で網の手入れをしていた。イエスはただちに二人をお呼びになった。すると、二人は父ゼベダイと雇い人たちを舟に残して、イエスの後について行った。」
◯新約聖書:マルコによる福音書・第3章・第16〜第17節
「こうして彼ら十二人を選び、シモンには、ペトロという名を与え、ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネにはボアゲルネス、すなわち、雷の子という名をお与えになった。」
ちなみに、以前私が所属していたカトリック町田教会の教会堂名は、聖大ヤコブです。ですから教会の機関紙(広報紙)は「雷の子(いかずちのこ)」という名前になっています。
◯新約聖書:使徒言行録・第12章・第1〜第2節
「そのころ、ヘロデ王は、教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。」
以上は『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
さて、時代は下って9世紀になり、ヤコブの遺体とされるものが、遥か遠くスペインの現在のサンティアゴ・デ・コンポステーラの地で”奇跡的に発見された”とされています。その頃のスペインは、イベリア半島において、レコンキスタの最中であり、イスラム勢力と闘っていたキリスト教勢力を守護する又はキリスト教徒勢力が、イベリア半島を制圧する行動のシンボルとして熱狂的に崇められました。このため、スペインの守護聖人(聖ヤコブは、スペイン語で「サンティアゴ(Santiago)」)とされています。サンティアゴ・デ・コンポステーラには教会聖堂が建てられ、現在はキリスト教カトリックの3大聖地の一つとなっています。
ところで、ホタテ貝(写真)はヤコブのシンボルとなっています。なぜか?その理由は、そもそも、エルサレムでヘロデ・アグリッパ1世に捕らえ斬首された後、その遺体は船で地中海を渡ってスペインに運ばれたそうです。その船に貝がたくさん付着していおり、そこからホタテ貝がシンボルとなったそうです(なぜホタテ貝?)。ですから、聖ヤコブを画く場合、必ずと言っていいほど巡礼者の格好をして、杖を持ってホタテ貝を首に吊るしているところを画いています。巡礼者の杖と帆立貝が、絵を描く時のアトリビュートになっているのですね。
また、フランス語ではホタテ貝を「聖ヤコブの貝」(coquille Saint-Jacques、コキーユ・サンジャック)と呼びます。英語圏で多いジャック(Jack)の名は、彼の名(ジェイコブ)か、あるいは旧約聖書に登場するユダヤ人の祖ヤコブに因むJames又はJacobの愛称です。カトリック教会における記念日は7月25日となっています。
写真は、スペインの“サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼”から帰ってこられた方のお土産としていただいたロザリオです。玉の部分が“ホタテ貝”の形になっており、十字架は“ヤコブの十字架”の形になっています。
【レコンキスタ】
レコンキスタとは、718年から1492年までに行われた、キリスト教国によるイベリア半島(スペイン全土とポルトガル全土のあるヨーロッパ大陸の南西に突き出た大きな半島)の再征服活動の総称のことです。ウマイヤ朝による西ゴート王国の征服とそれに続くアストゥリアス王国の建国から始まり、1492年のグラナダ陥落によるナスル朝滅亡で終わる再征服活動です。つまり、簡単に説明しますと、元々キリスト教圏であったイベリア半島は、イスラーム勢力(国)に征服されていました。それをキリスト教の国々が再征服したということです。それを「レコンキスタ」というのですね。
【キリスト教カトリック3大聖地(3大巡礼地)】
まず、①イエス・キリストが生まれて亡くなられたイスラエルのエルサレム付近(ベツレヘムも含む)、②イタリアのローマにあるカトリックの総本山のバチカン。ここにイエス様の使徒の筆頭の聖ペテロのお墓があります。そして③スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラです。これにフランスのルルドを加えて4大聖地(4大巡礼地)する場合もあります。3大聖地は、定年退職後に妻と二人で巡礼に行くことにしています!今からとっても楽しみです!
漁師のゼベダイの子であるヤコブは、同じ使徒である弟ヨハネと兄弟で、もう一人の同じ使徒であるアルファイの子であるヤコブ(こちらは「小ヤコブ」)と区別するため、通称「大ヤコブ」と称されています。聖人の概念を持つカトリック教会をはじめ、キリスト教の各教派で聖人として崇敬されています。
ピーテル・パウル・ルーベンス作の「使徒聖ヤコブ」です。1612〜13年、油彩・画布、108X84cm、スペイン:マドリードにある「プラド美術館」に所蔵されています。
新約聖書:マルコによる福音書・第1章・第19〜20節に、ヤコブは父ゼベダイ、兄弟ヨハネと共にガリラヤ湖畔の漁船の中で網の手入れをしていたところをイエス様に呼ばれ、そのまま父と雇い人を残して弟ヨハネと共に弟子になったと記載されています。2人は、気性の激しさから「ボアネルゲス(雷の子ら)」と呼ばれていたようです。大ヤコブはエルサレム教会において、一貫として中心的な立場を占めていましたが、新約聖書:使徒言行録・第12章・第20節の記載によると、ユダヤ人の歓心を買おうとしたヘロデ・アグリッパ1世によって捕らえられて斬首され殉教しました。紀元44年のころと推定されています。
◯新約聖書:マルコによる福音書・第1章・第19〜20節
「さらに少し行くと、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネをご覧になった。彼らは舟の中で網の手入れをしていた。イエスはただちに二人をお呼びになった。すると、二人は父ゼベダイと雇い人たちを舟に残して、イエスの後について行った。」
◯新約聖書:マルコによる福音書・第3章・第16〜第17節
「こうして彼ら十二人を選び、シモンには、ペトロという名を与え、ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネにはボアゲルネス、すなわち、雷の子という名をお与えになった。」
ちなみに、以前私が所属していたカトリック町田教会の教会堂名は、聖大ヤコブです。ですから教会の機関紙(広報紙)は「雷の子(いかずちのこ)」という名前になっています。
◯新約聖書:使徒言行録・第12章・第1〜第2節
「そのころ、ヘロデ王は、教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。」
以上は『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
さて、時代は下って9世紀になり、ヤコブの遺体とされるものが、遥か遠くスペインの現在のサンティアゴ・デ・コンポステーラの地で”奇跡的に発見された”とされています。その頃のスペインは、イベリア半島において、レコンキスタの最中であり、イスラム勢力と闘っていたキリスト教勢力を守護する又はキリスト教徒勢力が、イベリア半島を制圧する行動のシンボルとして熱狂的に崇められました。このため、スペインの守護聖人(聖ヤコブは、スペイン語で「サンティアゴ(Santiago)」)とされています。サンティアゴ・デ・コンポステーラには教会聖堂が建てられ、現在はキリスト教カトリックの3大聖地の一つとなっています。
ところで、ホタテ貝(写真)はヤコブのシンボルとなっています。なぜか?その理由は、そもそも、エルサレムでヘロデ・アグリッパ1世に捕らえ斬首された後、その遺体は船で地中海を渡ってスペインに運ばれたそうです。その船に貝がたくさん付着していおり、そこからホタテ貝がシンボルとなったそうです(なぜホタテ貝?)。ですから、聖ヤコブを画く場合、必ずと言っていいほど巡礼者の格好をして、杖を持ってホタテ貝を首に吊るしているところを画いています。巡礼者の杖と帆立貝が、絵を描く時のアトリビュートになっているのですね。
また、フランス語ではホタテ貝を「聖ヤコブの貝」(coquille Saint-Jacques、コキーユ・サンジャック)と呼びます。英語圏で多いジャック(Jack)の名は、彼の名(ジェイコブ)か、あるいは旧約聖書に登場するユダヤ人の祖ヤコブに因むJames又はJacobの愛称です。カトリック教会における記念日は7月25日となっています。
写真は、スペインの“サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼”から帰ってこられた方のお土産としていただいたロザリオです。玉の部分が“ホタテ貝”の形になっており、十字架は“ヤコブの十字架”の形になっています。
【レコンキスタ】
レコンキスタとは、718年から1492年までに行われた、キリスト教国によるイベリア半島(スペイン全土とポルトガル全土のあるヨーロッパ大陸の南西に突き出た大きな半島)の再征服活動の総称のことです。ウマイヤ朝による西ゴート王国の征服とそれに続くアストゥリアス王国の建国から始まり、1492年のグラナダ陥落によるナスル朝滅亡で終わる再征服活動です。つまり、簡単に説明しますと、元々キリスト教圏であったイベリア半島は、イスラーム勢力(国)に征服されていました。それをキリスト教の国々が再征服したということです。それを「レコンキスタ」というのですね。
【キリスト教カトリック3大聖地(3大巡礼地)】
まず、①イエス・キリストが生まれて亡くなられたイスラエルのエルサレム付近(ベツレヘムも含む)、②イタリアのローマにあるカトリックの総本山のバチカン。ここにイエス様の使徒の筆頭の聖ペテロのお墓があります。そして③スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラです。これにフランスのルルドを加えて4大聖地(4大巡礼地)する場合もあります。3大聖地は、定年退職後に妻と二人で巡礼に行くことにしています!今からとっても楽しみです!