マーガレット・F・パワーズのことば(詩) [キリスト者(クリスチャン)]

このブログに3回目の掲載となります。
百万人もの人々を感動させた『あしあと』という詩は、長い間、作者不明とされていましたが、アメリカ人のマーガレット・F・パワーズという女性の方の作でした。
マーガレットさんは、ご主人と娘さんが水難事故に巻き込まれ、自分も腕を折るという試練の時、病院の看護師が、「この詩をお読みすれば、きっと励ましになると思うの」と夫に読んでくれたという詩を聞いて驚きました。なぜならそれは彼女が若い頃に作った「フット・プリント(あしあと)」という詩だったからです。

詩『あしあと』
「ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
ひとつはわたしのあしあと、ひとつは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。

このことがいつもわたしの心を乱していたので、
わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
『主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、
あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
わたしと語り合ってくださると約束されました。
それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
ひとりのあしあとしかなかったのです。
いちばんあなたを必要としたときに、
あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、
わたしにはわかりません。』

主は、ささやかれた。
『わたしの大切な子よ。
わたしは、あなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。
ましてや、苦しみや試みの時に。
あしあとがひとつだったとき、
わたしはあなたを背負って歩いていた。』」

一人の足跡とは彼女の足跡ではなく、彼女を背負った主(神様)の足跡だったのです。神様の愛は、人間の計り知れないほど大きなものなのですね。
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教会日記2020.4.17(カトリック松原教会「ロザリオの祈り」金曜日) [教会日記]

今日も仕事が終わってから帰り道を変更し、京王線明大前駅で途中下車してカトリック松原教会でお祈りを捧げてきました。東京都に緊急事態宣言が出された関係で、いつも通っていたカトリック麹町・聖イグナチオ教会やカトリック成城教会のお御堂が、無期限で閉鎖となりましたので、毎日21時までお御堂が開いている松原教会でお祈りすることにしました。通勤経路からは少し外れはしますが、京王線明大前駅から徒歩3分~4分と近いのがありがたいですね。
今夜も静寂に包まれたお御堂で、心静かにお祈りすることができました。「新型コロナウィルスの感染が拡大しませんように、感染者の皆さんが早く治りますように、不安定となっている人々の心に平安が戻りますように」とお祈りしました。

そして『健康を求める祈り』をお祈りしました。
『すべてを造り、新たにする方、
わたしのいのちの源、神の聖なる霊、
聖マリアとともに、あなたを礼拝し、感謝し、愛します。
あなたは、全宇宙にいのちを与え、活気づける方です。
わたしたちに健康を保たせ、
いのちをおびやかし危険にさらす病気から
解放してください。
あなたの恵みに助けられ、
神の栄光と、わたしの魂の善と、
兄弟姉妹への奉仕のために、
わたしのすべての力を常に用いることを約束します。
医師と、看護にあたるすべての人に、
あなたの知識と聡明の賜物を与え、照らしてください。
いのちをおびやかし危険にさらす病気の原因を知り、
予防と回復のため、
より効果ある治療がなされますように。
聖なるおとめ、いのちの母、病人のいやしである御母、
わたしのこの貧しい祈りをあなたにゆだねます。
あなたは神の母、わたしたちの母、
あなたの執り成しをもって、
この祈りに力を添えてください。
アーメン」

続いて、日本カトリック司教協議会が発表(認可)した『新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り』をお祈りしました。
「いつくしみ深い神よ、
新型コロナウイルスの感染拡大によって、
今、大きな困難の中にある世界を顧みてください。
病に苦しむ人に必要な医療が施され、
感染の終息に向けて取り組むすべての人、
医療従事者、病者に寄り添う人の健康が守られますように。
亡くなった人が永遠のみ国に迎え入れられ、
尽きることのない安らぎに満たされますように。
不安と混乱に直面しているすべての人に、
支援の手が差し伸べられますように。
希望の源である神よ、
わたしたちが感染拡大を防ぐための犠牲を惜しまず、
世界のすべての人と助け合って、
この危機を乗り越えることができるようお導きください。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
希望と慰めのよりどころである聖マリア、
苦難のうちにあるわたしたちのためにお祈りください。」
新型コロナウイルス肺炎が早く終息するよう、一人でも多くの皆さんと一緒にお祈りしましょう!
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聖ペレグリンの祈り [祈り]

『聖ペレグリンの祈り』
身近に癌に罹患(りかん)された人がいらっしゃる方は、次のお祈りを唱えましょう。
「あぁ、偉大なる聖ペレグリン、
あなたにより頼む人々のために
神から多くの奇跡を得て「力ある者」、「奇跡をおこなう者」と呼ばれた方、
あなたは、私達の命そのものを破壊する癌の病を長年ご自分の身に負われ、
人の力ではもはや何もできなくなったとき、
すべての恩寵(おんちょう)の源により頼み、
主イエスがご自分の十字架から降りて
あなたの病をいやされる示現(じげん)を賜りました。
私があなたに委ねる病人の癒しを、神と聖母に願ってください。

(ここで沈黙のうちに、自分が祈りたい病人の名前を想起する)

あなたの力強いとりなしに助けられ、今、そして永遠に、
偉大な善と慈悲への感謝の賛歌を神に向かって歌います。
わが母マリア、平和の元后(げんこう)、癌の聖人聖ペレグリン、すべての天使と聖人、
私と私の愛する人を助けてください。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン。」     
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ペレグリン・ラツィオーシ(イタリア:1265年頃~1345年)は、イタリアのロマーニャ州のフォルリ市で、裕福な家庭の一人息子として生まれました。不良グループのリーダーでもあった若きペレグリンは、ある時、町にやってきた修道士達を打ち据えてしまいました。やがて我に返って自分のとった行動を深く恥じたペレグリンは、このころから回心して友人たちと群れるのを止め、礼拝堂で一人跪いたまま時間を過ごすようになりました。

そんなある日、聖母マリア様がペレグリンの前にあらわれました。聖母マリア様は「シエナに行きなさい。そこであなたは、“聖母の僕(せいぼのしもべ)”と名乗る敬虔な人たちに出会うでしょう。その人達に付き従いなさい」とおっしゃられました。ペレグリンは直ちに行動し、シエナの修道院に腰を落ち着けると情熱をもって修行に励みました。自分の欲求を抑えるために、できるかぎり休息をとらないようにしていました。何年もの間、座ったり横になったりすることを避け、ほんの少しだけ地面に横たわることで満足していました(; ̄O ̄)………私には絶対に無理!(⌒-⌒; )

熱心な修行の末、やがて司祭となったペレグリンに課せられた最初の仕事は、フォルリ市に戻って新たな修道院を造ることでした。若い頃無法者として過ごした故郷に、修道院の創立者として戻ることになったのです。修道院の建設をすすめる傍ら、病にある人達、貧しい人達に献身的に奉仕しました。そんな苦行を続けていたせいか、ペレグリンの足に”悪性腫瘍”ができました。彼はこの苦しみをできるかぎり隠しとおしましたが、これ以上隠しきれなくなった時には病気は随分と進行しており、後は足を切断するしか治療の手立てはなさそうでした。

医師たちは手術の日取りを決めました。ペレグリンは足を引きずって聖堂へ行くと、キリスト磔刑像が描かれた絵画の前で、「私の腫瘍を治し、傷と痛みをお取り除きください。」と祈りました。すると信じられないことが起こりました。十字架の像(イエス・キリスト)が前にかがみ、そっとペレグリンの傷に触れると、その瞬間、病は癒されてしまったのです。この奇跡は、その献身的な生活ゆえにすでにもたらされていたペレグリンの名声をいっそう強固なものにし、やがて誰からともなく彼を聖人と呼ぶようになりました。ペレグリンはさらに20年を生きました。

ペレグリンの死は、公表される前から知れ渡り、街なかのみならず周辺の市からも、人々が修道院に押し寄せていました。あまりの群衆に、その晩は市の門を閉めることができないほどだったそうです。群集は、聖人の遺骸が教会へ運ばれ埋葬されるのを待っていましたが、その間、驚くべきことが起こりました。昔の伝記作家はこう記しています。「ペレグリンの遺骸が教会に安置されると、遺骸から漂う芳香で多くの病人が癒された。」と。
聖ペレグリンは、現在でもなお奇跡を起こす聖人として知られていますが、ある著述家は、遺骸がまだ人前に安置されていたときに起きた、おびただしい数の奇跡について語っています。どうやら他の人たちに混じって奇跡を目の当たりにしていたようで、それは「畏敬の念を起こさせる出来事であった。」と記しています。

ある時、聖ペレグリンの驚くべき奇跡を聞きつけて、生まれつき目の見えない男が教会にやって来て、深い信仰心を胸に棺台に近づくと、遺骸はまるで生きているかのように起き上がり、その場にいる全員の前で盲目の男の目に触れました。そして再び、もとのように横たわったのです。男は自分の目が見えていることに気づきました。この奇跡に人々はひどく興奮してしまい、その興奮を静めるためには、教会の聖職者たちが乗り出さざるを得なくなったほどだったそうです。棺台が置いてある教会のまわりに武装した守衛たちを配置し、人々が聖人の遺品を持ち去るのを防ぎました。

1639年、フォルリの修道院に礼拝堂が新設された際、聖ペレグリンの遺骸が掘り起こされましたが、その遺骸は腐敗もしておらず、「かぐわしい香り」を放っていたそうです。遺骸は行列とともに壮麗な大聖堂へ運ばれ、崇敬者たちのためにしばらく公開された後、新しい礼拝堂に安置されました。今もそこに霊廟があります。1726年12月27日、聖ペレグリンは正式に聖人の列に加えられました(列聖)。1926年、フォルリ司教は再び遺骸を調べましたが、どの部分もほぼ完全な状態で残っていたそうです。聖ペレグリンは、病気、特に”癌の守護聖人”となっています。お祈りしましょう。
写真は、四ッ谷にあるキリスト教カトリックの書籍や聖品などを扱う専門店「ドン・ボスコ社」で、聖ペレグリンの”メダイ(メダル)”を購入したものです(2016年12月29日現在)。『聖ペレグリンの祈り』が書かれた紙付きです。
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教会日記2020.4.16(カトリック松原教会「ロザリオの祈り」木曜日) [教会日記]

今日は、一昨日と同じように仕事が終わってから帰り道を変更し、京王線明大前駅で途中下車してカトリック松原教会でお祈りを捧げてきました。東京都に緊急事態宣言が出された関係で、いつも通っていたカトリック麹町・聖イグナチオ教会やカトリック成城教会のお御堂が、無期限で閉鎖となりましたので、毎日21時までお御堂が開いている松原教会でお祈りすることにしました。通勤経路からは少し外れはしますが、京王線明大前駅から徒歩3分~4分と近いのがありがたいですね。

今夜は、本来の予定であれば、ホームレス支援活動グループ「山谷夜回りの会」の活動に参加するため、仕事が終わってから荒川区南千住(山谷)に向かうことになっていたのですが、①土日以外は出勤して身体の疲れがピーク近くになっているのを感じ始めたこと、そして、②今日は花粉症が酷くて体力が消耗していること、③仕事が「令和元年度決算」という重大局面を迎えているということを勘案し、ホームレス支援活動を中止して、教会のお御堂でのお祈りに専念することにしました。

熱い心で真剣にホームレス支援活動をされている仲間の皆さんには、自分勝手で誠に申し訳ないのですが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、国の緊急事態宣言が出ていることもあります。私の職場では、職場全体で7割はもちろんのこと、8割以上の出勤削減を達成していますが、それでも通勤での感染の可能性は否定できません………ということで、都心方面への行動は自粛しなければなりません。自分が感染しても大問題ですが、それよりも他人にうつすことの方が大々問題ですね。

今夜も静寂に包まれたお御堂で、心静かにお祈りすることができました。神様に「新型コロナウィルスの感染が拡大しませんように、感染者の皆さんが早く治っりますように、不安定となっている人々の心が平安を取り戻すことができますように。」とお祈りしました。
そして『健康を求める祈り』をお祈りしました。
『すべてを造り、新たにする方、
わたしのいのちの源、神の聖なる霊、
聖マリアとともに、あなたを礼拝し、感謝し、愛します。
あなたは、全宇宙にいのちを与え、活気づける方です。
わたしたちに健康を保たせ、
いのちをおびやかし危険にさらす病気から
解放してください。
あなたの恵みに助けられ、
神の栄光と、わたしの魂の善と、
兄弟姉妹への奉仕のために、
わたしのすべての力を常に用いることを約束します。
医師と、看護にあたるすべての人に、
あなたの知識と聡明の賜物を与え、照らしてください。
いのちをおびやかし危険にさらす病気の原因を知り、
予防と回復のため、
より効果ある治療がなされますように。
聖なるおとめ、いのちの母、病人のいやしである御母、
わたしのこの貧しい祈りをあなたにゆだねます。
あなたは神の母、わたしたちの母、
あなたの執り成しをもって、
この祈りに力を添えてください。
アーメン」

続いて、日本カトリック司教協議会が発表(認可)した『新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り』をお祈りしました。
「いつくしみ深い神よ、
新型コロナウイルスの感染拡大によって、
今、大きな困難の中にある世界を顧みてください。
病に苦しむ人に必要な医療が施され、
感染の終息に向けて取り組むすべての人、
医療従事者、病者に寄り添う人の健康が守られますように。
亡くなった人が永遠のみ国に迎え入れられ、
尽きることのない安らぎに満たされますように。
不安と混乱に直面しているすべての人に、
支援の手が差し伸べられますように。
希望の源である神よ、
わたしたちが感染拡大を防ぐための犠牲を惜しまず、
世界のすべての人と助け合って、
この危機を乗り越えることができるようお導きください。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
希望と慰めのよりどころである聖マリア、
苦難のうちにあるわたしたちのためにお祈りください。」
新型コロナウイルス肺炎が早く終息するよう、一人でも多くの皆さんと一緒にお祈りしましょう!
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御絵(ごえ)のご紹介 [聖品紹介]

御絵(ごえ)は、キリスト教カトリック教会の信徒が持っている一種のお守りですね。表には信仰するイエス・キリスト、崇敬する聖母マリア様、いろいろな聖人、四大天使などの絵が描かれ(印刷され)、裏にはお祈りの祈祷文が書いてあります。大きさは様々ですが、だいたい名刺くらいの大きさが一般的で、パウチ加工したものもあります。すべてイタリア製です。
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写真の左上から「聖霊」、「無原罪の聖母マリア」、「ルルドの聖母マリア」、「結び目を解く聖母マリア」、中央上から「迷える子羊を担いだイエス・キリスト」、「絶えざる御助けの聖母マリア」、その下は、昨夜忘れ物でお世話になった「聖アントニオ」(その右も)、右上は「大天使聖ミカエル」(その下も)、これらの御絵には、「不思議のメダイ」を付けてパウチ加工してあるものもあります。お守りですから、カバンやポケットに入れたりしますが、私は持ち歩きの聖書、手帳や携帯ケースに入れています。
下の写真は御絵の裏面です。祈祷文がラテン語(またはイタリア語や英語)で書かれています。 
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以上のものは、記念にもらったり、四ツ谷にあるキリスト教専門図書やカトリック教会の聖品を扱っている「ドン・ボスコ」で買い求めました。御絵1枚は、100円〜120円くらいです。
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今日の日記2020.4.15(忘れ物!) [日記]

今日も仕事で出勤でした。仕事が終わって、新型コロナウイルス肺炎のこともありますので、早く家に帰ろうと急いで電車に乗りました。しばらくして携帯電話に職場から緊急?の電話があり、丁度都合よく乗り換え駅に着いたものですから、下車して電話に出ました………そこまではよかったのですが、慌てて降りたため、なんと!通勤リュックサックを電車の網棚に置いたまま電車を降りたのでした( ̄◇ ̄;) またやっちまいました!(⌒-⌒; ) 昨年の8月22日に、電車の中に忘れた今回と同じリュックサックをJR青梅駅に取りに行った以来の忘れ物です(⌒-⌒; )

リュックの中には、聖書、財布、その財布の中には現金数万円と各種カード、仕事関係の参考書など勉強道具一式が入っています。電車の網棚に忘れるのは、この4年で5回目です!………やはりボケてきたか?ですね( ̄◇ ̄;) とにかく、こういう時に毎度お世話になっている聖アントニオ司祭教会博士様に、またまたお祈りを捧げました。聖アントニオ様は、遺失物の聖人でもありますから、ひたすら忘れ物が見つかるようにお願いのお祈りをしました。そうしたら、小田急線藤沢駅に届いていました。よかったです!聖アントニオ様様です!感謝感謝です!聖アントニオ様のことは、このブログの2019年6月13日に「聖アントニオのお話し」として掲載してありますからご覧ください。ちなみに、お祈りの祈祷文も掲載しています。次のアドレスをクリックしてください https://jesus195876.blog.so-net.ne.jp/2019-06-13 です。
そして、駅事務室に届けてくれた善意の方に感謝感謝です!「この方に神様の平安と豊かなお恵みがありますように!アーメン」
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新約聖書:ルカによる福音書・第6章・第37〜第38節 [聖書]

『裁いてはならない。
そうすれば、あなた方も裁かれない
人を罪に定めてはならない。
そうすれば、あなたがたも罪に定められない。
赦しなさい。
そうすれば、あなた方も赦される。
与えなさい。
そうすれば、あなたがたも与えられる。
押し入れ、揺さぶり、溢れるほど升の量りをよくして、
あなたがたのふところに入れてもらえる。
あなた方が図るその升で、
あなた方も量り返されるからである。』」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
(マタイによる福音書では第7章・第1~第5節です。)

この聖句(イエス・キリストの言葉)は、ルカによる福音書の中で「人を裁くな」という見出しが付いているところです。このブログでは3回目の登場となります。
自分に対して罪を犯した人を赦せということです。イエス・キリストの教えは、「隣人への愛」と「人への赦し」です。この聖句は、人を裁くことではなく“赦すこと”を説いています。イエス・キリストは、人が人に寛大であれば、神様はその人が寛大である以上にはるかに寛大であると説いているのです。また、聖書の別のところで、裁きや報復することは神のすることだと説いています。神様が、いかに人間社会に平安を与えようとしているかよく分かる聖句ですね。
現在の日本では「裁判員制度」があり、この聖句との関係で悩むことになりますが、それは各人の良心に従って判断、行動することになるでしょう。
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教会日記2020.4.14(カトリック松原「ロザリオの祈り」火曜日) [教会日記]

今日は、仕事が終わってから帰り道を変更し、京王線明大前駅で途中下車し、カトリック松原教会でお祈りを捧げてきました。松原教会は、昨年の6月12日(水)の平日のミサ以来となります。東京都に緊急事態宣言が出された関係で、いつも通っていたカトリック麹町・聖イグナチオ教会やカトリック成城教会のお御堂が閉鎖となりましたので、どこかの教会のお御堂が開いていないか探していました。松原教会は、通勤経路からは外れますが、京王線明大前駅から徒歩3分~4分と近く、21時まで開いているそうですのでありがたいですね。なによりもお御堂でお祈りできるのは幸せなことです。
今夜も静寂に包まれたお御堂で、心静かにお祈りすることができました。新型コロナウィルスの感染が拡大しないように、感染者の皆さんが早く治るように、不安定となっている人々の心の平安をお祈りしました。
写真は、松原教会の入口とお御堂です。神父様のご許可をいただきました。
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聖母子像です。ご像の前でお祈りしました。
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そして『健康を求める祈り』をお祈りしました。
『すべてを造り、新たにする方、
わたしのいのちの源、神の聖なる霊、
聖マリアとともに、あなたを礼拝し、感謝し、愛します。
あなたは、全宇宙にいのちを与え、活気づける方です。
わたしたちに健康を保たせ、
いのちをおびやかし危険にさらす病気から
解放してください。
あなたの恵みに助けられ、
神の栄光と、わたしの魂の善と、
兄弟姉妹への奉仕のために、
わたしのすべての力を常に用いることを約束します。
医師と、看護にあたるすべての人に、
あなたの知識と聡明の賜物を与え、照らしてください。
いのちをおびやかし危険にさらす病気の原因を知り、
予防と回復のため、
より効果ある治療がなされますように。
聖なるおとめ、いのちの母、病人のいやしである御母、
わたしのこの貧しい祈りをあなたにゆだねます。
あなたは神の母、わたしたちの母、
あなたの執り成しをもって、
この祈りに力を添えてください。
アーメン」

続いて、日本カトリック司教協議会が発表(認可)した『新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り』をお祈りしました。
「いつくしみ深い神よ、
新型コロナウイルスの感染拡大によって、
今、大きな困難の中にある世界を顧みてください。
病に苦しむ人に必要な医療が施され、
感染の終息に向けて取り組むすべての人、
医療従事者、病者に寄り添う人の健康が守られますように。
亡くなった人が永遠のみ国に迎え入れられ、
尽きることのない安らぎに満たされますように。
不安と混乱に直面しているすべての人に、
支援の手が差し伸べられますように。
希望の源である神よ、
わたしたちが感染拡大を防ぐための犠牲を惜しまず、
世界のすべての人と助け合って、
この危機を乗り越えることができるようお導きください。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
希望と慰めのよりどころである聖マリア、
苦難のうちにあるわたしたちのためにお祈りください。」
新型コロナウイルス肺炎が早く終息するよう、一人でも多くの皆さんと一緒にお祈りしましょう!
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絶えざる御助け(おんたすけ)の聖母の困難な時の祈り [祈り]

「信じる者の力である父よ、
すべての悪から私たちをお救いください。
忍耐する力をもって、すべての困難に打ち勝つよう、
私たちの信仰を強めてください。
私たちのために、
十字架を背負った主イエス・キリストと共に歩むことができますように、
聖霊の光によってお導きください。
絶えざる御助け(おんたすけ)の聖母よ、
困難の中にある私達を助け、心身ともに健やかに保てますよう、
あなたの御摂理(みせつり)によって力を与えてください。
私たちの主イエス・キリストの御名(みな)によって。
アーメン」

困難な時というものは、予期しない時に不意に誰にでも訪れるものです。私たちはそれを嘆くのではなく、神様からいただいた試練として受けとめることです。聖書に書いてあるとおり、神様は人間に耐えられない試練はお与えになりません。困難さを感じたら、何時どこでいても「絶えざる御助け(おんたすけ)の聖母」様にこのお祈りを唱えてください。
◯新約聖書:コリントの信徒への手紙第一・第10章・第13節
「あなた方を襲った試練は、何一つとして人間に耐えられないようなものではありませんでした。神は信頼に値する方です。絶えられないような試練にあなた方を遭わせるようなことはなさらず、むしろ、耐えることができるように、試練とともに抜け出る道をも用意してくださるのです。」
『フランシスコ聖書研究所訳註 原文校訂による口語訳聖書』から
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イーディス・ルイーザ・キャヴェルのことば [キリスト者(クリスチャン)]

「愛国心だけでは十分ではありません。私は誰に対しても一切恨みや憎しみは抱いていないのです。」

イーディス・ルイーザ・キャヴェル(イギリス:1865年~1915年)は、第一次世界大戦時に活躍した有名な看護師です。ベルギーにおける近代看護の先駆者として、存命中からすでに知られる存在でした。エディス・キャベルなどと表記されることもあります。4人兄妹の長女として生まれ、学校を卒業後は、ベルギーのブリュッセルで家庭教師(ガヴァネス)として働いていました。父の介護に従事することがきっかけとなって、看護職の道を歩むことになりました。ちなみに、キャヴェルはイングランド国教会のクリスチャンです。

1896年に30歳で王立ロンドン病院の看護師だったエヴァ・ラッケスの元で看護師としての勉強を始め、イギリスの様々な病院で看護師として働くようになりました。その後、自立して個人看護師とし働き、1907年、それまでの実績が評価され、ブリュッセルに設立されたベルギー看護学校に42歳で看護の教師としてとして招聘されました。6年間で約400人の生徒(看護師)を送り出したそうです。

第一次世界大戦時、敵味方の兵士の命を差別なく救い、約200人以上の連合国軍兵士がドイツ占領下のベルギーから脱出するのに尽力しました。そのためドイツ軍に捕らえられ、軍事法廷で反逆罪の有罪判決を受け、死刑を宣告されました。赦免のための国際的な圧力があったにもかかわらず、ドイツ軍によって1915年10月12日に射殺されました。彼女の処刑は世界中に報道され、国際的な非難を受けました。

キャヴェルはイングランド国教会(聖公会)の篤い信徒で、その信念に従って、助けを必要とするすべての人々、ドイツ、連合国の両陣営の兵士に救いの手を差し伸べました。ナイチンゲールの事績に「敵味方の区別なく」という表現が使われますが、それはナイチンゲールではなく、キャヴェルのことだそうです。「助けを必要とする命がある限り、私は働き続ける。(I can’t stop while there are lives to be saved.)」という彼女の言葉が知られています。イングランド国教会は、彼女を列聖して聖人暦の10月12日を聖人としています。

ロンドンのトラファルガー広場にイーディス・キャヴェル記念碑があり、そこには「愛国心だけでは十分ではありません。私は誰に対しても一切恨みや憎しみは抱いていないのです」という死刑執行前夜の彼女の言葉が刻まれています。死を目前にしたキャヴェルの言葉ですが、自分の生まれ育った国だけでなく、どこの国の人々であっても、困っているのを見過ごすことなく救済するという崇高な使命を感じます。そして、イエス・キリストの説く「赦し」をです。赦すところに平安があるのです。キャヴェルは、すべての人を赦して帰天したのですね。
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