「聖マリアの奉献」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

このブログに2018年11月21日に掲載した記事を再掲載いたします。
今日は、聖母マリア様が、自分の生涯を神様に捧げたということを記念する「聖マリアの奉献」の記念日です。
新約聖書の外典(がいてん)である『ヤコブの原福音書』には、聖母マリア様の幼年物語が記されています。それは、父ヨアキム(聖ヨアキム)と母アンナ(聖アンナ)は、3歳になった聖母マリア様を神に奉献するために神殿に連れていったそうです。大祭司ザカリアに引き取られた聖母マリア様は、12年の間、神殿の至聖所で大祭司から教育を受けられたそうです。聖書には、神殿に住み、断食や祈りそして神を礼拝する女性の集団があったと記されています。(旧約聖書:サムエル記(上)第2章・第22節、出エジプト記第38章・第8節)

彼女の奉献は、「わたしは、主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」(新約聖書:ルカによる福音書・第1章・第38節)という言葉に表現されています。彼女の神様への信頼はその生涯を貫くものでした。この記念日は、エルサレム神殿の近くにある「聖マリア・ノーヴァ」と呼ばれる聖堂の献堂式を、543年11月21日に行ったことが始まりです。西方教会では「マリアの奉献」という名称ですが、東方教会では、「神の聖なる母の神殿入りの記念」という名称です。

ティントレット作の「聖マリアの奉献」です。1553-56年、油彩・画布、429×480cm、マドンナ・デルオルト教会(イタリア:ヴェネツィア)
聖マリアの奉献.jpg
実物の絵を観てみたいのですが、圧倒的な構図ですね。下から見上げた大胆な遠近、陰影のその先に、急な階段を上りきろうという3歳の聖母マリア様の凛としたお姿があります。迎えるのは祭司ザカリア、のちの洗礼者ヨハネの父ザカリアです。周囲に父ヨアキムと母アンナの姿は見えませんね。これ以後、聖母マリア様は14歳になるまで神殿で育つのです。ティントレットは、この絵がある聖マリアに捧げられた教会の信徒でした。
nice!(0)  コメント(0) 

永井隆のことば(第4日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「本当の平和をもたらすのは、ややこしい会議や思想ではなく、ごく単純な愛の力による。」

永井隆のことは、「永井隆のことば(第1日目)2019.11.16」をご覧ください。
イエス・キリストが説く「隣人への愛」ですね。イエス・キリストの教えは「愛」と「赦し」です。愛は力です。全ての人間がその愛を注ぐことができれば、この世に真の平和をもたらすことができるのです。永井博士の迫真の言葉です。
nice!(0)  コメント(0) 

職場のデスク:その120(小サンタさん!) [職場のデスク&カウンター]

職場のカウンター上に「サンタクロースの起源!」を貼り付けました!A4判1枚に説明文をまとめるため、随分と端折り(はしょり)ました(⌒-⌒; ) 前回からサンタが増殖しています(; ̄O ̄)
サンタ7.jpg
サンタ6.jpg
一人たたずむ小サンタ(こさんた)さんであった………。
サンタ5.jpg
nice!(0)  コメント(0) 

永井隆のことば(第3日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「腕力が尊いなら、熊は人間より偉い。
肩の力が尊いなら、人間は牛にかなわない。
走れば馬に負け、鼻は犬ほどきかぬ。
人間の人間たる尊さは、知恵と意志とを備えた霊魂を持っているということだ。」

永井隆のことは、「永井隆のことば(第1日目)2019.11.16」をご覧ください。
亡くなるまで世界の平和を唱え続けた永井博士の言葉です。“人間の知恵”は世界の平和のために使うべきであり、“人間の意思”は平和な世界にする決断に必要なものです。この知恵と意識を備えた我々人間は、何物にも代えることができない尊い命である“霊魂”を持っているということです。そうであれば、人類の幸福を願うことは当たり前のことであり、世界の平和なくして人類の幸福はあり得ないのです。
世界は平和でなければなりません。戦争や紛争は、やられたからやり返す。殺されたから殺す。ロケット弾を打ち込まれたから空爆する。これでは、いつまでたっても戦争・紛争は終わりません。キリスト教では、主(神様)が聖書で「主が報復される。」と教えておられます。報復は人間のすることではないのですね。
nice!(0)  コメント(0) 

永井隆のことば(第2日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「われは主のつかいめなり、おうせのごとくわれになれかし」
(我は主の使目なり、仰せのごとく我になれかし)

「われらは無益なしもべなり、なすべきことをなしたるのみ」
(我らは無益な僕なり、為すべきことを為したるのみ)

永井隆のことは、「永井隆のことば(第1日目)2019.11.16」をご覧ください。
永井博士のお墓は、長崎市坂本町の国際墓地(南側)入り口のすぐ脇にあり、奥様の緑さんと一緒に眠っておられます。水平な墓碑(縦長の平たい長方形の石板)には、大きく右側にパウロ永井隆(1908-1951)、左側にマリア永井緑(1908-1945)と刻まれています。医学博士でありカトリックの信徒だった永井博士は、原爆によって奥様を亡くし、自分もまた放射線治療研究での被爆による白血病と戦いながら死の直前まで原子病の研究と多くの著作の発表を続けました。その博士も、長崎に落とされた原始爆弾との二重の放射線障害を受け、1951年(昭和26年)5月1日に長崎大学医学部付属病院で亡くなりました。亡くなった後、 3日には浦上カトリック教会葬、14日には長崎市公葬が行われました。当日は長崎市内の全教会の鐘が鳴らされ、2万人を超える参列者に見守られての葬儀でした。

永井隆お墓2.jpg
墓石が水平(石板)なのは、永井博士が生前に、次のようなことを言っていたからだそうです。
「わたしの墓に来てくださる方がいるかもしれない、そのとき、石碑を見上げていただいては気の毒だ。わたしは見上げられるようなこともしていないし、見上げてもらうほどの人物でもない。わたしの墓は石碑を立てない。その人よりも下の方にいるために、地面に自分の名を置くよ。名前を読んでくださるかたは、わざわざ頭を下げなくても、頭を下げてくださったことになるからね。」永井誠一著『長崎の鐘はほほえむ』から。なんと謙虚な方だったのでしょうか。

今日の言葉は、永井博士が頼んで作ってもらった二枚の石板に刻まれている言葉です。
その一枚には、「われは主のつかいめなり、おうせのごとくわれになれかし」と刻まれています。これは、「わたしは神様に仕えるものです。おっしゃった通りになりますように。」という意味です。聖書にある聖母マリアの言葉で、永井博士が毎日、何十回、何百回と念じていた祈りの言葉の一部だそうです。
もう一枚には、「われらは無益なしもべなり、なすべきことをなしたるのみ」と刻まれています。これは、「わたしたちは役にたたない召使です。ただすべきことをしたに過ぎません。」という意味で、これも聖書の言葉です。永井博士は、一生を振り返った時、自分たちは大した役にも立たなかったのだと謙虚に考えていたようです。しかし、永井博士の平和への願いは偉大であり、その名は世界に知れ渡っています。悲しいかな、最近の日本の若い方は知らない人が多いのではないでしょうか。
nice!(0)  コメント(0) 

今日の日記2019.11.17(フランシスコ教皇訪日!) [日記]

フランシスコ教皇は、11月23日(土)〜26日(火)の日程で訪日され、25日(月)には、東京ドームにおいて教皇司式のミサが行われます。教皇訪日の詳細は、このブログの9月14日の記事に掲載しましたのでお読みください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2019-09-14-1

ところで、25日(月)の東京ドームで行われる教皇司式ミサですが、ミサへの出席は応募制ですので私も応募したのですが、先週の11日〜15日の期間に自宅に当選ハガキが届きませんでしたので、残念ながら落選したようです( i _ i )あ〜ぁ、これで教皇司式ミサに与るにはローマに行くしかないですね〜(⌒-⌒; ) 諦めるしかないか〜………。

どこかで一眼だけでも!………ということで、訪日予定を掲載いたします!
11月23日(土)
バンコクー東京
09:30 航空機にて東京へ
17:40 東京国際空港(羽田空港)到着
17:40 歓迎式 東京国際空港(羽田空港)にて
18:30 司教との集い ローマ教皇庁大使館にて 教皇の講話

11月24日(日)
東京ー長崎ー広島ー東京
07:20 航空機にて長崎へ
09:20 長崎空港到着
10:15 核兵器に関するメッセージ 長崎爆心地公園にて 教皇のメッセージ
10:45 日本二十六聖人殉教者への表敬 西坂公園 ・殉教の記念碑にて 教皇の挨拶「お告げの祈り」
長崎大司教館にて昼食
14:00 ミサ 長崎県営野球場にて 教皇の説教
16:35 航空機にて広島へ
17:45 広島空港到着
18:40 平和のための集い 広島平和記念公園にて 教皇のメッセージ
20:25 航空機にて東京へ
21:50 羽田空港到着

11月25日(月)
東京
10:00 東日本大震災被災者との集い ベルサール半蔵門にて 教皇の講話
天皇陛下とのご会見 皇居にて
11:45 青年との集い 東京カテドラル聖マリア大聖堂にて 教皇の講話
教皇使節団と共に昼食 ローマ教会庁大使館にて
16:00 ミサ 東京ドームにて 教皇の説教
首相との会談 官邸にて
要人及び外交団との集い 官邸にて 教皇の講話

11月26日(火)
東京ーローマ
07:45 イエズス会員とのプライベートなミサ
上智大学クルトゥルハイムのチャペルにて
イエズス会員と共に朝食及びプライベートな集い
イエズス会SJハウスにて
09:40 病気・高齢の司祭を訪問 イエズス会SJハウスにて
10:00 上智大学への訪問
11:20 別れの式 東京国際空港(羽田空港)にて
11:35 航空機にてローマ(フィウミチーノ空港)へ
17:15 ローマ(フィウミチーノ空港)到着
以上です。大変お疲れ様でした。

ミサには与ることはできませんが、記念のメダイを購入しました。これで我慢します(⌒-⌒; )
231A92C9-AC1F-4837-8C90-9860A41D46BB.jpeg




nice!(0)  コメント(0) 

新約聖書:使徒言行録・第20章・第33〜第35節 [聖書]

「わたしは人の金や銀、衣服を貪ったことはありません。あなた方がみな知っているとおり、わたしのこの手は、自分の生活のためにも、また、ともにいた人たちのためにも働いたのです。あなた方もこのように働いて、弱い人を助けなければならないこと、また、『受けるより与えるほうが幸いである』と仰せになった主イエスご自身の言葉を、心に留めておくように、わたしはいつも模範を示してきました。」

『使徒言行録』は、『ルカによる福音書』の記者と同じルカによる著作です。内容は、イエス・キリストが復活して天に召された後の使徒(弟子)たちの活躍が描かれています。使徒の中でもペテロとパウロの活躍が中心となっており、キリスト教がエルサレム教会(キリスト教初期のユダヤ人のみのコミュニティー)から、異邦人(非ユダヤ人)社会へと広がっていった様子が書かれている古代キリスト教時代の重要な書となっています。

この聖句は、使徒パウロの言葉です。「受けるより与えるほうが幸いである」という言葉は、罪を犯した人、病にある人、貧しい人などの弱者救済にすべてを与えつくされたイエス・キリストの教えです。私も含め、人生のほとんどを「受ける」ことで生きてきた人は案外と多いのではないでしょうか。「与える」ことの意味は、優しさ、思い遣り、親切、施し、寄り添いなど、いわゆる「隣人への愛の実践」です。心に刻むべき言葉ですね。
nice!(0)  コメント(0) 

教会日記その二2019.11.16(カトリック町田教会「主日のミサ」土曜日) [教会日記]

今日は、早朝からカトリック麹町・聖イグナチオ教会でのミサや高校野球大会の応援など、盛りだくさんな一日でした(⌒-⌒; ) 夜は、私の所属するカトリック町田教会で、主日のミサに与りました。
左は今週の祭壇前の生け花です。右は朗読台(説教台)前の生け花です。いつもいつも綺麗ですね!
F506A175-D874-404C-A751-B810141E8E91.jpegBFB684F4-32A6-4F5D-8447-7232879E7508.jpeg
18時30分からのミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学一年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんのケガが完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
nice!(0)  コメント(0) 

教会日記2019.11.16(カトリック麹町・聖イグナチオ教会「平日のミサ」&「自死された方々のために捧げる追悼ミサ」土曜日) [教会日記]

今日は、四ツ谷にあるカトリック麹町・聖イグナチオ教会の正午12時からの平日のミサ(早朝7時のミサに続いて本日2回目)に与り、同大聖堂で13時30分から行われた「自死された方々のために捧げる追悼ミサ」に与ってきました。2017年11月25日(土)以来2年振り3回目の参加となりました。このミサは、自死(自殺)された方がクリスチャンであるかないかは関係なく、自分にご縁のある(あった)方のために、神様の憐れみと慈しみを願い、永遠の憩いを願う追悼のミサです。次第は、平日のミサに準ずるものでした。
616D4750-3936-492D-87E7-BD97B9971A92.jpeg
主催は「聖イグナチオいのちを守るプロジェクト」、司式はカトリック東京大司教区の幸田和生補佐司教、聖歌隊は「イエスのカリタス修道女会スモールクワイア」の皆さんでした。2015年4月に自殺で亡くなった同僚(クリスチャンではありません)のために、司教様にこの同僚を神様に奉納していただき、永遠の安息をいただけるようにお祈りしてまいりました。永遠の平安の時を過ごしてもらいたいのです。
4FDD5423-39AA-4BB8-A0BF-B2F6658CDE09.jpeg
今年も司教様の慈愛溢れるご説教とカリタス修道女会の悲哀を感じる聖歌に、私は溢れる涙を抑えかねました。このミサに与った皆さんも涙を流さない方はいなのではないでしょうか。涙で声がふるえ、共同祈願が言葉になりませんでした。毎回のことですが、なぜ彼の苦悩に気付かなかったのかと。なぜ、彼を救うことができなかったのかと悔やみます。
「主の永遠の平安が彼にありますように。アーメン」
nice!(0)  コメント(2) 

今日の日記2019.11.16(第50回記念明治神宮野球大会!) [日記]

今日は、先日「2019年度 秋季東京都高等学校野球大会」で2年連続7回目の優勝をし、来年3月に阪神甲子園球場で開催されれる春の甲子園「全国選抜高等学校野球大会」に10回目の出場が確定した国士舘高等学校硬式野球部が、「第50回記念明治神宮野球大会(秋の全国大会)」に東京都代表として出場しましたので、応援のため試合会場の神宮球場に来ました!
AD3426C7-4077-4A0B-9E98-79C9A039CC0C.jpeg
499D449F-B4D1-4134-A20A-AF9647418B1E.jpeg
北海道代表の白樺学園高等学校と対戦し、3ー4で惜敗しました( ̄◇ ̄;) う〜ん、本領を発揮する前にエラー、死球、四死球などで失点しましたから悔やまれますね。しかし、本命は来年3月の春の甲子園「全国選抜高等学校野球大会」ですから、これから練習に練習を重ねて優勝を目指して頑張ってもらいたいものです。
8A9E2E98-0CE3-463C-86EF-476B466C6503.jpeg
nice!(0)  コメント(0)