キリスト教関係事項・用語等 ブログトップ
前の10件 | 次の10件

「INRI」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

このブログに過去に掲載した記事を再掲載いたします。
◯写真は、自宅の自室にある祭壇上の十字架で、イタリアのレーピ社から日本の貿易会社を経て取り寄せました。高さは50㎝ほどあります。ちなみに、イエス様の体は木彫りです。なお、キリスト教カトリック教会の聖堂にある十字架は、イエス・キリストの身体がついていますが、キリスト教プロテスタント教会の聖堂にある十字架は、十字架そのままで、イエス・キリストの身体はついていません。
image.jpeg
写真のように、イエス・キリストの身体がついた十字架の上部には、必ず「INRI」と書いた板があります。「INRI」とは、ラテン語の「IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM」の頭文字で、日本語訳すると「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」となります。これは、イエス・キリストの十字架の磔刑(たっけい:十字架に磔(はりつけ)にする刑罰)において、十字架の上に掲げられた「罪状書き(イエスが自らを神の子でありユダヤ人の王であると称し、神を冒涜したとの罪状)」です。
このため、磔刑を描いた絵画や、十字架の上のイエス・キリストを彫った磔刑像では、イエス・キリストの頭上に「INRI」という頭文字が記された(略した)札・銘板が、必ず描かれています。古代の磔刑は、処刑場に引かれてゆく罪人の首に罪状を書いた銘板がぶら下げられ、その銘板は磔刑時に十字架上にかけられていたそうです。ヨーロッパにおけるルネサンス美術では、このうちラテン語の罪状書きのみが描かれるようになり、単に「INRI」と略して描かれるようになったそうです。

◯次の絵は、ルーベンスの作品『キリストの昇架』です。ピーテル・パウル・ルーベンス(オランダ:1577年~1640年)は、バロック期のフランドルの画家で外交官です。見えにくいですが、この絵にはきちんと罪状がヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれており、「IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM」も描かれています。
raising2013.jpg
◯次の絵もルーベンスの作品で『キリストの磔刑』です。この絵もきちんと罪状書きが描かれていますね。右下の黒いマントを着た悲しみのあまり今にも崩れ落ちそうな女性は、聖母マリアさまです。その身体を支えている赤いマントを着た男性は使徒のヨハネです。
ルーベンス.jpg
「IESVS NAZARENVS REX IVDAEORVM(ユダヤ人の王、ナザレのイエス)」という言葉は、新約聖書の「ヨハネによる福音書」第19章・第19節に登場します。他の3つの福音書は表現が少し異なり、マタイによる福音書の第27章・第37節では「これはユダヤ人の王イエスである」、マルコによる福音書の第15章・第26節では「ユダヤ人の王」、ルカによる福音書の第23章・第38節では「これはユダヤ人の王」となっています。ヨハネによる福音書は、掲げられた状況を説明しています。
◯新約聖書:ヨハネによる福音書・第19章・第19節~第20節
「ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上につけさせた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。イエスが十字架につけられた場所は町に近かったので、ユダヤ人の多くがこの罪状札を読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
nice!(0)  コメント(0) 

一般社団法人日本国際ギデオン協会の聖書 [キリスト教関係事項・用語等]

このブログに過去に掲載した記事を再掲載いたします。
ホテルに宿泊すると、ライティングデスクの引き出しにキリスト教の聖書が入っていたりします。キリスト教の信徒数が、日本国民全体の1%にも満たない(0.8あ%)のに、なぜ聖書が置いてあるのか?しかも、絶対数においては、日本で一番多いはずの仏教の仏典(お経)を置いているホテルは少ないのです。私は、キリスト教カトリック教会の信徒(クリスチャン)ですから、出張時には必ず聖書を持って行きます。聖書がホテルの部屋にあってもなくてもいいのですが、でも、なぜ置いてあるのか?は不思議に思っていました。

実は、これは国際ギデオン協会の日本法人である一般社団法人日本国際ギデオン協会が、無料でホテルに贈呈している聖書なのです。そもそもホテルへの聖書贈呈はアメリカで始まったのですが、一般社団法人日本国際ギデオン協会のホームページには、次のとおり書いてあります。https://www.gideons-jp.org/
「国際ギデオン協会の創設者の一人が『毎晩、寝る前に聖書を読む』ことを習慣にしていたことと深い関係があります。1898年秋、ウィスコンシン州ボスコベルの小さなホテルで、2人のビジネスマンが偶然、相部屋になりました。このうちの一人はかつて、死の床にあった母親と毎晩、必ず寝る前に聖書を読んで祈ることを約束しました。そして、それが長い間の習慣になっていました。お互いがクリスチャンであることを知った2人は共に聖書を読み、ひざまずいて、祈りをささげました。この出会いがギデオン協会発足のきっかけです。2人は、ビジネスマンが頻繁に利用するホテルに聖書を備えれば、宿泊者がいつでも聖書を読むことができると考え、1899年に協会を発足。1908年、モンタナ州スーペリア市のホテルに25冊の聖書を贈りました。ホテルへの聖書贈呈の始まりです」
ということです。

国際ギデオン協会は、キリスト教の教派ではありません。聖書を無償で提供(贈呈)し、その普及のために活動している団体です。もっと詳しいことは、上記に掲載したホームページをご覧ください。特にホームページの「協会について」と「よくあるご質問」のページをお読みください。よく理解できます!なお、国際ギデオン協会の聖書は非売品ですが、ほしい人は持って帰っていいそうです。これは聖書の普及のためですから、持ち帰りOKということなのです。持ち帰った部屋には、ホテル側が補充することになっています。
◯写真は、数十年前にホテルから持ち帰った聖書です。訳は「新共同訳」です。大きさは文庫本くらいです。
IMG_3208.jpg
◯現在の国際ギデオン協会の贈呈聖書です。(一般社団法人日本国際ギデオン協会のホームページから引用)
1d22a2b3505a0280dc8a16b35d47c63e.jpg
nice!(0)  コメント(0) 

「司教座」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

このブログに過去に掲載した記事を再掲載いたします。
日本のカトリック教会で「司教座聖堂」といえは、その司教区(又は大司教区)の司教(又は大司教)のいる教会(聖堂)のことで、「カテドラル」と言います。ラテン語では大聖堂のことです。「司教座」というように、首座たる大司教や司教がミサ中に着座する専用の椅子を指します。一般の司祭(神父)が座る椅子よりも豪華に作られています。ラテン語のエクレシア・カテドラリスEcclesia cathedralis(司教座cathedraのある聖堂)に由来するフランス語で、日本では、大聖堂の別称としても使われています。
◯イタリア・ミラノ市にあるミラノ大聖堂の司教座です。立派ですね~中世のどこか王国の玉座みたいです。まわりの彫刻がすごいですね~( ̄▽ ̄;)
938565-1-640x426.jpg
◯カトリック新潟司教区の司教座教会(カテドラル)であるカトリック新潟教会の司教座です。4〜5回ほどミサに与っていますが、美しい教会・聖堂です。司教座は聖堂内の祭壇の中央にあります。とても美しい佇まいですが、なんか美術館にある木工作品みたいですね~( ̄▽ ̄;)
新潟教会司教座.jpg
聖堂内に「司教座」、すなわち大司教や司教の権威を象徴する椅子があるのですが、通常は、教区に一つです。教区の母教会といえるもので、教区長である大司教や司教が公にミを司式し、教え指導する教会ということですね。現在、日本のカトリック教会は、16の教区に分かれており、16の司教座聖堂があります。例えば、カトリック東京大司教区の司教座教会は、文京区関口にある「東京カテドラル聖マリア大聖堂・カトリック関口教会」です。
◯カトリック横浜教区の司教座教会(カテドラル)であるカトリック山手教会の司教座です。10回ほどミサに与っていますが、この教会も美しく特に聖堂は見事な美しさです。司教座は聖堂内の祭壇左側にあります。山手教会は歴史が古く、1933年に鐘楼をもったゴチック様式の聖堂で、侍者の椅子を左右に控えてものすごく豪華な司教座となっています。
山手教会司教座.jpg
◯カトリック東京大司教区の司教座教会(カテドラル)である東京カテドラル聖マリア大聖堂・カトリック関口教会の司教座です。司教座の前に立っておられるのは菊池功大司教です。ある意味、現代的な司教座ですね。この写真は、東京大司教区の菊地功大司教様の「司教の日記」から拝借させていただきました( ̄▽ ̄;) 勝手にすみません!
chrism2102.jpg
東京カテドラル聖マリア大聖堂・カトリック関口教会の外観と内観の写真は、このブログの20174月26日に掲載した「教会日記2017.4.26(東京カテドラル聖マリア大聖堂・カトリック関口教会:「第2回平和旬間委員会拡大会議」)」をご覧ください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2017-04-26-3
nice!(0)  コメント(0) 

「説教台」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

このブログに過去に掲載した記事を再掲載いたします。
「説教台(又は講壇:プルピット)」は、ミサ中に司祭(神父様)が説教をする時に使用するものですが、「プルピット」という言葉は、「一段と高いところに置かれた囲まれた席」という意味で、捕鯨船の銛打ち台や工場の司令室などを意味します。
ヨーロッパの古い教会(聖堂)などでは、螺旋(らせん)階段で昇り、中2階ぐらいの位置に置かれています。いかにも説教は高いところから低いところにいる信徒に向かって垂訓するのだというふうに感じられますね。神様の言葉だからでしょうか。
そして、説教台には屋根があり、囲む囲いにはイエス様やマリア様や聖書にある物語の一場面など、なんとも美しい彫刻がほどこされ、ミサに集まった会衆(信徒)に「ありがたい!」と思わせる、注目に値するような立派な装飾が施されているのです。
◯イギリスのカンタベリーにあるイングランド国教会の総本山「カンタベリー大聖堂」の説教台です。豪華ですね~!ヨーロッパの古い聖堂には、必ず豪華で立派な大きい説教台があります。
650x_60503063.jpg
◯神奈川県横浜市山手にあるカトリック横浜教区の司教座教会(カテドラル)のカトリック山手教会の聖堂です。2017年8月11日の平日のミサに与った際に撮影させていただきました。正面の祭壇に向かって右側にある中2階になっているところに「説教台」が見えます。現在は、祭壇正面に向かって左側の祭壇上にあります。
山手教会2.jpg
説教台に近寄って撮影しました。なんか屋根もついて豪華な造りですね。でも、現在は使用していません。説教台は、歴史の長い教会の古い聖堂に見られますが、現在では聖堂を建て直したりして、全国でも数えるほどの教会(聖堂)でしか見かけなくなりました。聖堂の伝統を語る大切な遺産ですね。
山手教会.jpg
◯兵庫県西宮市にあるカトリック夙川(しゅくがわ)教会の聖堂内です。2017年8月20日の主日のミサに与った際に撮影させていただきました。正面の祭壇に向かって右側に説教台が見えます。
IMG_3974.jfif
説教台に近寄ってみると、これも屋根があって豪華な造りをしていますね~!現在は祭壇上にありますから、この説教台も使用されていません。
夙川教会説教台.jpg
◯カトリック松原教会の祭壇です。中央にある横長の祭壇の左側前方ある縦長の台が説教台です。この説教台は、ミサ中に司祭(神父様)や信徒が朗読する時に使用する「朗読台」も兼ねています。現代の聖堂は、できるだけ①簡素に、できるだけ②聴衆に近づき、③話しやすく、④聞きやすいことが求められています。ですから、現在のほとんどのカトリック教会は、祭壇上の左側に簡素な説教台が置かれています。
9B2664AC-BEB7-467E-BA1F-701A8C510BEC.jpeg
nice!(0)  コメント(0) 

「聖ペトロ使徒座」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日2月22日は、「聖ペトロの使徒座」の祝日です。
12使徒の1人で、使徒の頭であった聖ペトロは、キリストから「あなたはペトロ。わたしはこの岩(ペトロ)の上にわたしの教会を建てる。」と言われ、教会の礎としての使命を委ねられました。ペトロは、教会の最初の司教としてアンチオキアに使徒座を置き、その後ローマへ宣教に行きバチカンの丘に使徒座の基礎を築きました。

◯新約聖書:マタイによる福音書・第16章・第18~第19節
「そこで、わたしもあなたに言う。
 あなたはペトロである。
 わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てる。
 陰府(よみ)の国の門も、これに勝つことはできない。
 あなたに天の国の鍵を授ける。
 あなたが地上でつなぐことは、すべて天上でもつながれ、
 あなたが地上で解くことは、すべて天上でも解かれる。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

◯カラバッジョ(イタリア・ミラノ:1571年~1610年)作の『聖ペトロの磔刑(たっけい)』です。1600年〜1601年に制作されました。イタリア・ローマにあるサンタマリア・デル・ポーポロ聖堂にあります。カラバッジョの本名は、ミケランジェロ・メリージです。ミラノの小さな村カラヴァッジョの生まれのため、カルヴァッジョの通称で呼ばれています。ペトロは磔刑される時、イエス・キリストと同じ十字架では恐れ多いということで、十字架を逆さまにして磔(はりつけ)てほしいと願い出て、逆さ十字架で磔刑されたそうです。
cara17.1.1601.3.1.jpg
古代ローマでは、2月22日に亡くなった家族を記念する習慣があり、初代教会もその慣習を取り入れて教会の礎である聖ペトロを記念していました。4世紀に聖アンブロジオは、「ペトロがいるところに教会がある。教会があるところにキリストがいる。」として、この日の意味を明確にし、最高牧者としてのペトロの使命を浮き彫りにしました。聖ペトロの使命は、今日まで代々の教皇(現在266代教皇フランシスコ)に受け継がれています。

新約聖書の外典である『ペトロ行伝』にある聖伝では、ペトロはローマへ宣教し、皇帝ネロによるキリスト教徒迫害下で、逆さ十字架にかけられ、伝承によれば紀元67年に殉教したとされています。また同じ伝承によると、ペトロが迫害の激化したローマから避難しようとアッピア街道をゆくと、師であるイエス・キリストが反対側から歩いてきて、ペトロが「主よ、どこへいかれるのですか(Domine, quo vadis?)」と問うと、イエスは「あなたが私の民を見捨てるのなら、私はもう一度十字架にかけられるためにローマへ行く。」と答えられました。彼はそのお言葉を聞いて悟り、殉教を覚悟してローマへ戻ったということです。このときのペトロのセリフのラテン語訳「Quo vadis?(クォ・ヴァディス、「どこへ行くのですか」の意)はよく知られるものとなり、1896年にはポーランドのノーベル賞作家ヘンリック・シェンキエヴィチがローマにおけるキリスト教迫害を描いた同名小説を記し、ハリウッドでも同名タイトルで映画化されています。

◯このブログの2023年3月18日に掲載した「小説『クオ・ワディス』と映画『クオ・ヴァディス』のご紹介!」を是非ともお読みください。詳しく書いてあります。アドレスは次のとおりです。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-03-18
◯写真は、2016年に読んだ岩波文庫の『クオ・ワディス(上中下の3巻)』と2017年に購入したワーナー・ホーム・ビデオから発売された『クオ・ヴァディス』DVD(2枚組)です。
image.jpeg
nice!(0)  コメント(0) 

「セント・バレンタインデー」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

この記事は、このブログに過去に掲載した記事を再掲載しています。
先ほど、このブログに「聖バレンチノ(バレンタイン)司祭殉教者のお話し」を掲載したばかりですが、今度は、「セント・バレンタインデーの起源」について、一般的に伝えられているお話しを掲載いたします。

ローマ帝国当時、ローマでは2月14日は女神・ユノの祝日でした。ユノはすべての神の女王であり、家庭と結婚の神でもあります。翌2月15日は、豊年を祈願する(清めの祭りでもある)ルペルカリア祭の始まる日でした。当時の若い男たちと娘たちは生活が別で、祭りの前日、娘たちは紙に名前を書いた札を桶(壺)の中に入れることになっていました。翌日、男たちは桶から札を1枚引き、引いた男と札の名の娘は、祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていました。そして多くのパートナーたちはそのまま恋に落ち、そして結婚したそうです♡
ところが、ローマ帝国皇帝・クラウディウス2世は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、ローマでの兵士の婚姻を禁止したといわれています。キリスト教司祭だったバレンチノ(バレンタイン)は秘密に兵士を結婚させていましたが、捕らえられ処刑されたということです。処刑の日は、ユノの祭日であり、ルペルカリア祭の前日である2月14日があえて選ばれました。バレンチノは、ルペルカリア祭に捧げる生贄とされたということです。このためキリスト教徒にとっても、この日は祭日となり、恋人たちの日となった………という説が一般的です。

この伝説?には、史実の信憑性に問題があり、他に異論も異説もあるそうです。現在では伝説話しとして認識されています。カトリック教会における祝日の扱いは、「第2バチカン公会議」後の典礼改革で、史実の上で実在が明らかでない聖人たちがカトリック教会の典礼暦から整理された際に、2月14日の聖バレンチノの記念日は取り除かれました。要するに伝説の域を出ないということですね( ̄▽ ̄;)

日本では、1936年と1952年に神戸のモロゾフ菓子店がチョコを贈る習慣を宣伝し(流行らなかったそうですが)、1958年に東京のメリーチェコレートカンパニーが宣伝し(これも初めは流行らなかったようですが)、次第に盛んになって現在に至っているとのことです。日本の場合は、クリスマス(イエス・キリストの降誕祭)と同様にキリスト教に関係なく、完全に商業主義になっていますね…………でもチョコレートは欲しいです!
nice!(0)  コメント(0) 

「第31回世界病者の日」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

昨日2月11日は、「第32回世界病者の日」でした。昨日掲載するのを忘れていました(⌒-⌒; )
これは、ヨハネ・パウロ2世教皇によって定められました。ヨハネ・パウロ2世教皇は、世界旅行の際にも、一般謁見の際にも、常に、病者の方々と会うことを最優先なさっていました。こうした、教皇だからこそ、「世界病者の日」をお決めになられたのでしょう。教皇は、1985年、教皇庁に「教皇庁医療使徒職評議会」という新評議会を設置し、1993年から、2月11日、<ルルドの聖母>の祝日に「世界病者の日」を記念するようになりました。
この日は、全世界の病気で苦しんでいる方に、ふさわしい援助の手がさしのべられるように祈るとともに、病気の人自身が、苦しみの意味をよく受け止めることができるように奨められています。また、教会関係者のみでなく、一般の医療機関にも訴えるようにも奨められています。
◯フランシスコ教皇の「2024年『第32回世界病者の日』教皇メッセージ(2023.1.10)」は、カトリック中央協議会の次のページをご覧いただき、長文ですが是非お読みください。
https://www.cbcj.catholic.jp/2024/01/26/29024/

◯『病者のための祈り』
病気をしている方のために祈る祈祷文です。このブログに4回目の掲載となります。
病気で苦しんでいる方のために心を込めて祈りましょう。
「恵み豊かな神よ、
私たちの生涯はあなたの手によって導かれています。
御子(おんこ)イエスは、
私たちの苦しみを負い、
悲しみを担ってくださいました。
病の床にある兄弟(姉妹)◯◯◯◯さんのために祈ります。
苦しみの中で、キリストと共に十字架を負う人を、
キリストの力によって強めてください。
あなたの恵みによって健康を回復し、
(教会の集いの中で)心からの感謝をささげることができますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン。」
◯病気をしているご本人のお祈りは次のとおりです。
「神よ、
私は心をこめて祈ります。
病気で苦しむ私に目をとめ、
不安と孤独と失望に沈む時も、
私を支えてください。
病気を試練として受けとめ、
それに耐えさせてください。
私は苦しみをキリストの十字架に合わせ、
私自身と人々の罪を償います。
多くの病人を癒したキリストよ。
私の上に、
あなたのいつくしみ深い御手(みて)を差し伸べてください。
私たちの主イエス・キリストによって。
nice!(0)  コメント(0) 

「薔薇窓(ばらまど)」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

「薔薇窓(ばらまど)」とは、特にヨーロッパの教会など、ゴシック建築においてステンドグラスで作られた円形の窓で、模様がバラの花のように中央から放射状に伸びているものです。聖母マリア様は「奇(くす)しきバラの花」とも言われ、教会や大聖堂において薔薇窓はしばしば聖母マリア様を暗示しており、バラの花を精巧に模すこともあったそうです。だいだい17中世以降に薔薇窓と呼ばれるようななったそうです。

◯フランスの首都パリ市にあるノートルダム大聖堂の正面にある薔薇窓です。パリのノートルダム大聖堂(パリのノートルダム寺院とも)は、ゴシック建築を代表する建物であり、パリのシテ島にあるカトリック教会の大聖堂です。「パリのセーヌ河岸」という名称で、周辺の文化遺産とともに1991年にユネスコの世界遺産に登録されました。現在もノートルダム大聖堂は、パリ大司教座聖堂として使用されています。ノートルダムとは、フランス語で「我らが貴婦人」という意味で、すなわち聖母マリア様を指します。ですから、ノートルダム大聖堂という名称はパリだけでなく、いろいろなところにあります。写真は、2019年4月15日の火災前の大聖堂です。
9223FF99-BA05-4AE5-8CA6-7A6B32D9F37E.jpeg
◯大聖堂の南面にある大きく立派でとても美しい薔薇窓です!しかし、2019年4月15日の火災でどうなったのか?心配でかしが………早く再建して素晴らしい景観を見せてもらいたいものです。
220px-Notre-Dame_Sul_1.jpg15486018-sur-rosa-vitral-interior-de-notre-dame.jpg
◯私が所属するカトリック成城・聖タデオ教会の正面入口上にある薔薇窓です。ヨーロッパの大聖堂のようにはいきませんが、一応はステンドグラスにはなっています!………ガラスの色が薄いかも( ̄▽ ̄;)
15770BBF-9F7A-4A5A-91F1-FAC373D946E5.jpeg
【薔薇窓】
バラ窓(ばらまど)とは、特にヨーロッパの教会など、ゴシック建築においてステンドグラスで作られた円形の窓で、模様がバラの花のように中央から放射状に伸びています。聖母マリア様は「奇(くす)しきバラの花」とも言われ、教会や大聖堂においてバラ窓はしばしば聖母マリア様を暗示しており、バラの花を精巧に模すこともあったそうです。だいだい17中世以降に「薔薇窓」と呼ばれるようななったそうです。フランス・パリ市にある「ノートルダム大聖堂」は有名です。
◯フランス・パリ市にあるノートルダム大聖堂の薔薇窓をモチーフにしたペンダントです(*^▽^*)
ch109_01.jpg
◯イタリア・ミラノ市にあるミラノ大聖堂の薔薇窓をモチーフにしたペンダントです。
118522273-E3839FE383A9E3838EE5A4A7E88196E5A082EFBC88E3839FE383A9E3838EE381AEE38389E382A5E382AAE383BCE383A2EFBC89E38081E382B4E382B7E38383E382AFE6A798E5BC8FE381AEE69599E4BC9AE38081E38390E383A9E7AA93E380.jpg
thesacredsecret_assisi-mrwl04p_3_d_20230528170345.jfif
nice!(0)  コメント(0) 

「ルルドの聖母」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日2月11日は、「ルルドの聖母」の記念日です。なお、典礼歴にはありません。
ルルドとは、フランスのオクシタニー地域圏・オート=ピレネー県にあるルルドという地名で、聖母とは、14歳の少女ベルナデッタ・スビルーにご出現された聖母マリア様のことです。1858年2月11日、村の14歳の少女ベルナデッタ・スビルーが、郊外のマッサビエルの洞窟のそばで薪拾いをしているときに初めて聖母マリアが出現したといわれています。ベルナデッタは当初、聖母マリア様とは思っていませんでしたが、ご出現の噂が広まるにつれ、その姿かたちから聖母マリア様であると噂されていました。
ADE2C93E-3891-463A-9A57-1D0B1271B0F0.jpeg
◯フランス最南部のルルドにある「ロザリオ聖堂」と「無原罪のお宿り聖堂」です。
EA60BD90-70D6-4C34-8C27-57CE34458B4D.jpeg
◯次の写真は、私が所属するカトリック成城・聖タデオ教会の庭にある「ルルドの聖母」です。マッサビエルの洞窟の辺りに聖母マリア様が出現した風景を再現したものですが、世界各国の多くのカトリック教会の庭などにあります。(聖母像だけの教会もあります。)
A646DABF-002B-44D1-AFAF-1D6C57862B11.jpeg
◯私の自室の祭壇横にある「ルルドの聖母マリア像」です。
聖母マリア様2.jpg
聖母マリア様のご出現は、当然ながら教会関係者はじめ多くの人々から疑いの目を持って見られていましたが、神父がベルナデッタにその女性の名前を聞いて来るように命じると、「無原罪の御宿り」であると告げられたそうです。これによって当初は懐疑的だった神父も周囲の人々も聖母の出現を信じるようになりました。「無原罪の御宿り」がカトリックの教義として公認されたのは聖母出現の4年前の1854年のことです。
以後、聖母がベルナデッタの前に18回にもわたって姿を現したといわれ評判になりました。1864年には聖母があらわれたという場所に聖母像が建てられ、この話はすぐにヨーロッパ中に広まったため、はじめに建てられていた小さな聖堂はやがて巡礼者でにぎわう大聖堂になりました。

ベルナデット自身は聖母の出現について積極的に語ることを好まず、1866年にヌヴェール愛徳修道会の修道院に入ってシスター・マリー・ベルナールとなり、外界から遮断された静かな一生を送りました。ベルナデットは自分の見たものが聖母マリアであったことをはっきりと認めていました。例えば1858年7月16日の最後の出現の後のコメントでも「私は、聖母マリア様を見るだけでした。」とはっきり述べています。
1925年にベルナデットが列福され、1933年12月8日、ローマ教皇ピウス11世によって列聖されました。その後もベルナデットによって発見された泉の水によって不治と思われた病が治癒する奇跡が続々と起こり、鉄道など交通路の整備と相まって、ルルドはカトリック最大の巡礼地になり今日に至っています。

『ルルドの聖母への祈り』
「ああ汚れなき乙女マリア、あわれみの御母よ、
あなたは罪人のよりどころ、病人の癒し、苦しむ者の慰めです。
あなたは私が求めるもの、問題、苦しみをご存知です。
あなたはルルドの洞窟の御出現によって、
そこを特別な聖域とされ全世界からの人々の流れに恩恵を与えられました。
数年にわたり数多くの苦しむものは彼らの弱さに、
また魂、精神、身体に治癒を得させて下さいました。
そうして私はあなたの母としてのとりなしを願うために、
限りなき信頼を持ちみ元に進みます。
ああ愛する御母よ、私の願いを聞き入れ得させて下さい。
あなたの愛への感謝を通してあなたの徳にならうように努め、
私がいつの日かあなたの栄光を分かち合って頂けますように。
アーメン」
nice!(0)  コメント(0) 

「世界奉献生活の日」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日2月2日は、「世界奉献生活の日(World Day for Consecrated Life)」日です。
先ほど、このブログに掲載した「主の奉献のお話し」と合わせて掲載いたします。
1997年に教皇ヨハネ・パウロ2世によって制定され、毎年2月2日に祝われます。この日は、全教会が「福音的勧告」の実践をとおしてキリストに従うことを選んだ人々のあかしをもっとよく認め、また聖別された人にとっては、自分たちの奉献を新たにし、主への献身の力の源である熱心さの炎をいっそう燃やすための機会となることを意図しています。
教皇はこの日を制定した目的を3つのべておられます。
1.聖別奉献生活という賜物を与えてくださった主を賛美し、感謝すること
2.すべての人が聖別奉献生活の価値をよりよく知るようになること
3.奉献生活された人たちが、主が与えてくださった業のために共に集まり、祝うこと
教皇ヨハネ・パウロ2世は、世界で奉献生活を祝うこの日が、教会の宣教と聖性の上に豊かな実りをもたらすことを心から望んでいると言われ、後の教皇も毎年この日にメッセージを送られます。
nice!(1)  コメント(0) 
前の10件 | 次の10件 キリスト教関係事項・用語等 ブログトップ