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「セント・バレンタインデー」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

この記事は、このブログに過去に掲載した記事を再掲載しています。
先ほど、このブログに「聖バレンチノ(バレンタイン)司祭殉教者のお話し」を掲載したばかりですが、今度は、「セント・バレンタインデーの起源」について、一般的に伝えられているお話しを掲載いたします。

ローマ帝国当時、ローマでは2月14日は女神・ユノの祝日でした。ユノはすべての神の女王であり、家庭と結婚の神でもあります。翌2月15日は、豊年を祈願する(清めの祭りでもある)ルペルカリア祭の始まる日でした。当時の若い男たちと娘たちは生活が別で、祭りの前日、娘たちは紙に名前を書いた札を桶(壺)の中に入れることになっていました。翌日、男たちは桶から札を1枚引き、引いた男と札の名の娘は、祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていました。そして多くのパートナーたちはそのまま恋に落ち、そして結婚したそうです♡
ところが、ローマ帝国皇帝・クラウディウス2世は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、ローマでの兵士の婚姻を禁止したといわれています。キリスト教司祭だったバレンチノ(バレンタイン)は秘密に兵士を結婚させていましたが、捕らえられ処刑されたということです。処刑の日は、ユノの祭日であり、ルペルカリア祭の前日である2月14日があえて選ばれました。バレンチノは、ルペルカリア祭に捧げる生贄とされたということです。このためキリスト教徒にとっても、この日は祭日となり、恋人たちの日となった………という説が一般的です。

この伝説?には、史実の信憑性に問題があり、他に異論も異説もあるそうです。現在では伝説話しとして認識されています。カトリック教会における祝日の扱いは、「第2バチカン公会議」後の典礼改革で、史実の上で実在が明らかでない聖人たちがカトリック教会の典礼暦から整理された際に、2月14日の聖バレンチノの記念日は取り除かれました。要するに伝説の域を出ないということですね( ̄▽ ̄;)

日本では、1936年と1952年に神戸のモロゾフ菓子店がチョコを贈る習慣を宣伝し(流行らなかったそうですが)、1958年に東京のメリーチェコレートカンパニーが宣伝し(これも初めは流行らなかったようですが)、次第に盛んになって現在に至っているとのことです。日本の場合は、クリスマス(イエス・キリストの降誕祭)と同様にキリスト教に関係なく、完全に商業主義になっていますね…………でもチョコレートは欲しいです!
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「第31回世界病者の日」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

昨日2月11日は、「第32回世界病者の日」でした。昨日掲載するのを忘れていました(⌒-⌒; )
これは、ヨハネ・パウロ2世教皇によって定められました。ヨハネ・パウロ2世教皇は、世界旅行の際にも、一般謁見の際にも、常に、病者の方々と会うことを最優先なさっていました。こうした、教皇だからこそ、「世界病者の日」をお決めになられたのでしょう。教皇は、1985年、教皇庁に「教皇庁医療使徒職評議会」という新評議会を設置し、1993年から、2月11日、<ルルドの聖母>の祝日に「世界病者の日」を記念するようになりました。
この日は、全世界の病気で苦しんでいる方に、ふさわしい援助の手がさしのべられるように祈るとともに、病気の人自身が、苦しみの意味をよく受け止めることができるように奨められています。また、教会関係者のみでなく、一般の医療機関にも訴えるようにも奨められています。
◯フランシスコ教皇の「2024年『第32回世界病者の日』教皇メッセージ(2023.1.10)」は、カトリック中央協議会の次のページをご覧いただき、長文ですが是非お読みください。
https://www.cbcj.catholic.jp/2024/01/26/29024/

◯『病者のための祈り』
病気をしている方のために祈る祈祷文です。このブログに4回目の掲載となります。
病気で苦しんでいる方のために心を込めて祈りましょう。
「恵み豊かな神よ、
私たちの生涯はあなたの手によって導かれています。
御子(おんこ)イエスは、
私たちの苦しみを負い、
悲しみを担ってくださいました。
病の床にある兄弟(姉妹)◯◯◯◯さんのために祈ります。
苦しみの中で、キリストと共に十字架を負う人を、
キリストの力によって強めてください。
あなたの恵みによって健康を回復し、
(教会の集いの中で)心からの感謝をささげることができますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン。」
◯病気をしているご本人のお祈りは次のとおりです。
「神よ、
私は心をこめて祈ります。
病気で苦しむ私に目をとめ、
不安と孤独と失望に沈む時も、
私を支えてください。
病気を試練として受けとめ、
それに耐えさせてください。
私は苦しみをキリストの十字架に合わせ、
私自身と人々の罪を償います。
多くの病人を癒したキリストよ。
私の上に、
あなたのいつくしみ深い御手(みて)を差し伸べてください。
私たちの主イエス・キリストによって。
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「薔薇窓(ばらまど)」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

「薔薇窓(ばらまど)」とは、特にヨーロッパの教会など、ゴシック建築においてステンドグラスで作られた円形の窓で、模様がバラの花のように中央から放射状に伸びているものです。聖母マリア様は「奇(くす)しきバラの花」とも言われ、教会や大聖堂において薔薇窓はしばしば聖母マリア様を暗示しており、バラの花を精巧に模すこともあったそうです。だいだい17中世以降に薔薇窓と呼ばれるようななったそうです。

◯フランスの首都パリ市にあるノートルダム大聖堂の正面にある薔薇窓です。パリのノートルダム大聖堂(パリのノートルダム寺院とも)は、ゴシック建築を代表する建物であり、パリのシテ島にあるカトリック教会の大聖堂です。「パリのセーヌ河岸」という名称で、周辺の文化遺産とともに1991年にユネスコの世界遺産に登録されました。現在もノートルダム大聖堂は、パリ大司教座聖堂として使用されています。ノートルダムとは、フランス語で「我らが貴婦人」という意味で、すなわち聖母マリア様を指します。ですから、ノートルダム大聖堂という名称はパリだけでなく、いろいろなところにあります。写真は、2019年4月15日の火災前の大聖堂です。
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◯大聖堂の南面にある大きく立派でとても美しい薔薇窓です!しかし、2019年4月15日の火災でどうなったのか?心配でかしが………早く再建して素晴らしい景観を見せてもらいたいものです。
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◯私が所属するカトリック成城・聖タデオ教会の正面入口上にある薔薇窓です。ヨーロッパの大聖堂のようにはいきませんが、一応はステンドグラスにはなっています!………ガラスの色が薄いかも( ̄▽ ̄;)
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【薔薇窓】
バラ窓(ばらまど)とは、特にヨーロッパの教会など、ゴシック建築においてステンドグラスで作られた円形の窓で、模様がバラの花のように中央から放射状に伸びています。聖母マリア様は「奇(くす)しきバラの花」とも言われ、教会や大聖堂においてバラ窓はしばしば聖母マリア様を暗示しており、バラの花を精巧に模すこともあったそうです。だいだい17中世以降に「薔薇窓」と呼ばれるようななったそうです。フランス・パリ市にある「ノートルダム大聖堂」は有名です。
◯フランス・パリ市にあるノートルダム大聖堂の薔薇窓をモチーフにしたペンダントです(*^▽^*)
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◯イタリア・ミラノ市にあるミラノ大聖堂の薔薇窓をモチーフにしたペンダントです。
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「ルルドの聖母」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日2月11日は、「ルルドの聖母」の記念日です。なお、典礼歴にはありません。
ルルドとは、フランスのオクシタニー地域圏・オート=ピレネー県にあるルルドという地名で、聖母とは、14歳の少女ベルナデッタ・スビルーにご出現された聖母マリア様のことです。1858年2月11日、村の14歳の少女ベルナデッタ・スビルーが、郊外のマッサビエルの洞窟のそばで薪拾いをしているときに初めて聖母マリアが出現したといわれています。ベルナデッタは当初、聖母マリア様とは思っていませんでしたが、ご出現の噂が広まるにつれ、その姿かたちから聖母マリア様であると噂されていました。
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◯フランス最南部のルルドにある「ロザリオ聖堂」と「無原罪のお宿り聖堂」です。
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◯次の写真は、私が所属するカトリック成城・聖タデオ教会の庭にある「ルルドの聖母」です。マッサビエルの洞窟の辺りに聖母マリア様が出現した風景を再現したものですが、世界各国の多くのカトリック教会の庭などにあります。(聖母像だけの教会もあります。)
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◯私の自室の祭壇横にある「ルルドの聖母マリア像」です。
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聖母マリア様のご出現は、当然ながら教会関係者はじめ多くの人々から疑いの目を持って見られていましたが、神父がベルナデッタにその女性の名前を聞いて来るように命じると、「無原罪の御宿り」であると告げられたそうです。これによって当初は懐疑的だった神父も周囲の人々も聖母の出現を信じるようになりました。「無原罪の御宿り」がカトリックの教義として公認されたのは聖母出現の4年前の1854年のことです。
以後、聖母がベルナデッタの前に18回にもわたって姿を現したといわれ評判になりました。1864年には聖母があらわれたという場所に聖母像が建てられ、この話はすぐにヨーロッパ中に広まったため、はじめに建てられていた小さな聖堂はやがて巡礼者でにぎわう大聖堂になりました。

ベルナデット自身は聖母の出現について積極的に語ることを好まず、1866年にヌヴェール愛徳修道会の修道院に入ってシスター・マリー・ベルナールとなり、外界から遮断された静かな一生を送りました。ベルナデットは自分の見たものが聖母マリアであったことをはっきりと認めていました。例えば1858年7月16日の最後の出現の後のコメントでも「私は、聖母マリア様を見るだけでした。」とはっきり述べています。
1925年にベルナデットが列福され、1933年12月8日、ローマ教皇ピウス11世によって列聖されました。その後もベルナデットによって発見された泉の水によって不治と思われた病が治癒する奇跡が続々と起こり、鉄道など交通路の整備と相まって、ルルドはカトリック最大の巡礼地になり今日に至っています。

『ルルドの聖母への祈り』
「ああ汚れなき乙女マリア、あわれみの御母よ、
あなたは罪人のよりどころ、病人の癒し、苦しむ者の慰めです。
あなたは私が求めるもの、問題、苦しみをご存知です。
あなたはルルドの洞窟の御出現によって、
そこを特別な聖域とされ全世界からの人々の流れに恩恵を与えられました。
数年にわたり数多くの苦しむものは彼らの弱さに、
また魂、精神、身体に治癒を得させて下さいました。
そうして私はあなたの母としてのとりなしを願うために、
限りなき信頼を持ちみ元に進みます。
ああ愛する御母よ、私の願いを聞き入れ得させて下さい。
あなたの愛への感謝を通してあなたの徳にならうように努め、
私がいつの日かあなたの栄光を分かち合って頂けますように。
アーメン」
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「世界奉献生活の日」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日2月2日は、「世界奉献生活の日(World Day for Consecrated Life)」日です。
先ほど、このブログに掲載した「主の奉献のお話し」と合わせて掲載いたします。
1997年に教皇ヨハネ・パウロ2世によって制定され、毎年2月2日に祝われます。この日は、全教会が「福音的勧告」の実践をとおしてキリストに従うことを選んだ人々のあかしをもっとよく認め、また聖別された人にとっては、自分たちの奉献を新たにし、主への献身の力の源である熱心さの炎をいっそう燃やすための機会となることを意図しています。
教皇はこの日を制定した目的を3つのべておられます。
1.聖別奉献生活という賜物を与えてくださった主を賛美し、感謝すること
2.すべての人が聖別奉献生活の価値をよりよく知るようになること
3.奉献生活された人たちが、主が与えてくださった業のために共に集まり、祝うこと
教皇ヨハネ・パウロ2世は、世界で奉献生活を祝うこの日が、教会の宣教と聖性の上に豊かな実りをもたらすことを心から望んでいると言われ、後の教皇も毎年この日にメッセージを送られます。
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「主の奉献」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日2月2日は、「主の奉献」の祝日です。
主の奉献の祝日は、イエス・キリストが生まれて40日後に、律法に従い、幼子イエス様が両親に連れられてはじめてエルサレムに行き、神殿で神にささげられたことを記念します。新約聖書のルカによる福音書・第2章に書かれています。この祝日は、エルサレムでは5世紀に、ローマでは7世紀に祝われるようになりました。10世紀に西方典礼では、この祝日は「マリアの清めの祝日」として祝われてきました。1960年の典礼刷新で、東方教会の伝統にそって再び「主の奉献の祝日」となりました。また、今日は「世界奉献生活の日」でもあります。共にお祈りを捧げましょう。

◯新約聖書:ルカによる福音書・第2章・第21~第38節
第21節「イエスの命名」
割礼を施すべき八日目になったとき、受胎の前にみ使いが告げたとおり、幼子はイエスと名づけられた。
第22~第24節「イエスの奉献」
さて、モーセの律法に定められた、彼らの清めの日数が満ちると、両親は幼子を主にささげるために、エルサレムに連れて行った。これは主の律法に、「はじめて生まれる男の子はみな、主に聖別された者である」と書き記されているからであり、また主の律法に述べられているところに従って、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽を犠牲としてささげるためであった。
第25~第35節「シメオンの賛歌と予言」
その時、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しく敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。また、聖霊が彼の上にあった。彼はまた、主が遣わすメシアを見るまでは決して死なないとの、聖霊のお告げを受けていた。彼は霊に導かれて神殿に入ると、律法の慣習に従って、両親が幼子イエスを連れてきた。シメオンはその子を抱きあげ、神をほめたえて言った。「主よ、今こそあなたのお言葉のとおり、あなた僕を、安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目で、あなたの救いを見たからです。この救いは、あなたが万民の前に備えられたもの、異邦人を照らす光、あなたの民イスラエルの栄光です。」 父と母は、幼子について言われた言葉を聞いて不思議に思った。シメオンは彼らを祝福して、母マリアに言った、「この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするために定められ、また、逆らいを受ける徴として定められています。あなた自身の心も剣で貫かれます。多くの人のひそかな思いが、露わにされるでしょう。」
第36~第38節「アンナ」
さて、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年老いていて、若いころ嫁ぎ、七年間、夫と生活をともしていたが、やもめとなり、すでに八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食と祈りのうちに神に仕えていた。まさしくその時、彼女も近づいてきて、神をほめたたえ、エルサレムの贖いを待ち望んでいたすべての人に、幼子について語った。
以上は『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
◯次の絵は、“光と影の魔術師”と称されるレンブラント・ファン・レイン(1606年~1669年)が、最末期に制作した『キリストの神殿奉献(1631年・61×48cm)』です。オランダのデン・ハーグにある「マウリッツハイス美術館」にあります。フェルメール作の名画『真珠の耳飾りの少女』を所蔵していることで有名な美術館ですね。実は、この絵の実物を2回も観たのです!2012年の8月に、上野にある東京都美術館で開催された「マウリッツハイス美術館展」で、展覧会の目玉であった『真珠の耳飾りの少女』を妻と観に(2回、妻は3回も!)行ったおりに展示してあったのです。この年の4月に洗礼を授けてもらったばかりで、聖書に関係する絵画は注意深く観ていました。
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新約聖書のルカによる福音書・第2章・第22~第38節に画想を得たもので、幼子イエスの割礼の後、エルサレムの神殿へ赴いて幼子イエスを奉献するため、律法に従って家鳩の雛2羽又は山鳩ひとつがいを犠牲(いけにえ)として捧げるため(旧約聖書・レビ記・第12章)神殿に昇ると、聖霊に導かれていた老人シメオンが、神殿で幼子イエスを抱いて神を称えて、幼子イエスが救い主であることを宣言すると共に、後に降りかかる救世主イエスへの受難を予言する場面を老女預言者アンナと共に描いています。

この場面では、老女預言者アンナと老人シメオンによる聖告が劇的に表現されており、静寂とした神殿内へ射し込む救世主イエスや老シメオンらを照らす光は、神の啓示とも解釈できるほど神々しい輝きに満ち、観る者に信仰的な理解を促すことに成功していますね。このような静寂の中での光の表現は、“光と影の魔術師”と称されるレンブラントの最大の特徴であり真骨頂であります。なお、レンブラントは本作を描く数年前(1627年頃)に同じ主題で描いており、その作品は現在ハンブルク美術館が所蔵しています。

また、この場面は『聖母マリアの七つの悲しみ』の第一の場面「幼子イエスに関するシメオンの預言」でもあります。七つの悲しみは、この他に②「エジプトへの逃避」、③「3日のあいだ少年イエスとはぐれたこと」、④「十字架を背負って歩くイエスと出会ったこと」、⑤「イエスの十字架のもとに立ったこと」、⑥「十字架から降ろしたイエスの遺体を抱きとめたこと(ピエタ)」、⑦「埋葬の悲しみ」があります。詳しいことは、このブログの2020年9月15日に掲載した「悲しみの聖母のお話し」をご覧ください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2020-09-15

◯旧約聖書:レビ記・第12章・第1~第8節
「主はモーセに仰せになった。
イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。妊娠して男児を出産したとき、産婦は月経による汚れの日数と同じ七日間汚れている。八日目にはその子の包皮に割礼を施す。産婦は出血の汚れが清まるのに必要な三十三日の間、家にとどまる。その清めの期間が完了するまでは、聖なる物に触れたり、聖所にもうでたりしてはならない。女児を出産したとき、産婦は月経による汚れの場合に準じて、十四日間け汚れている。産婦は出血の汚れが清まるのに必要な六十六日の間、家にとどまる。
男児もしくは女児を出産した産婦の清めの期間が完了したならば、産婦は一歳の雄羊一匹を焼き尽くす捧げ物とし、家鳩または山鳩一羽を贖罪の捧げ物として臨在の幕屋の入り口に携えて行き、祭司に渡す。祭司がそれを主の御前にささげて、産婦のために贖いの儀式を行う。彼女は出血の汚れから清められる。これが男児もしくは女児を出産した産婦についての指示である。
なお産婦が貧しくて小羊に手が届かない場合は、二羽の山鳩または二羽の家鳩を携えて行き、一羽を焼き尽くす捧げ物とし、もう一羽を贖罪の捧げ物とする。祭司が産婦のために贖いの儀式を行うと、彼女は清められる。」
『新共同訳聖書』から
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「フェレイラ神父」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

クリストヴァン・フェレイラ司祭(神父)(1580年(和暦:天正8年)~1650年11月4日(和暦:慶安3年10月11日))は、ポルトガルのジブレイラ出身のカトリック司祭・宣教師です。イエズス会士でもありましたが、長崎で捕縛され拷問によって棄教(ききょう)し、後に沢野忠庵(さわの ちゅうあん、忠安とも)を名乗ってキリシタン弾圧に協力したことになっています。遠藤周作の小説『沈黙』のモデルになりました。また、マーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙 サイレンス』で、フェレイラ神父役をリーアム・ニーソンが務めていましたね。

イエズス会の司祭であるフェレイラ神父様が来日したのは、すでにキリスト教の布教が困難を極めていた1609年(和暦:慶長14年)でした。日本語にすぐれ、日本のイエズス会の中心となって働いていましたが、イエスズ会日本管区の管区長代理を務めていた1633年(寛永10年)に長崎で捕縛されました。1633年10月18日(和暦:寛永10年9月17日)、長崎において中浦ジュリアン神父様らとともに「穴吊り(あなづり)の刑」に処せられました。この刑は、過酷な苦痛をもたらしますが、事前になかなか死なないように処置をされ、しかし棄教の意思表示は自由にできるようにされるため、耐え抜くのは困難でした。その中でも他の者はすべて殉教しましたが、5時間後にフェレイラ神父様のみが耐え切れず棄教したそうです。
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岩波文庫から出版されている、レオン・パジェス著、クリセル神父校閲・吉田小五郎訳の『日本切支丹宗門史(上・中・下の3分冊・現在は絶版)』の下巻(P255)に次のとおり書かれています。少々長いですが引用します。なお、本書は昭和12年に初版され、旧字・旧文体ですので現代文字・現代文に修正しました。
「十月十八日、長崎でイエスズ会の管区長ポルトガル人クリストファル・フェレイラ神父と、イエズス会の日本人神父ジュリアノ・中浦が穴の中に入れられた(注1)。……(中略)……難教者たちの日本に於ける伝導は、四十二年、二十九年、二十三年、十七年、及び十年を数えていたので、この教会の最も花々しいものの一つであるべきこの殉教が、イエズス会の立派な宣教師、否管区長その人の背信によって暗くされた。
拷問五時間の後、二十三年の勇敢の働き、改宗の無数の果実(注2)、聖人のように忍耐された無数の迫害と難儀によって、確り(しっかり)していそうに見えたフェレイラ神父が、天主(注3)の正しく計り知れない審判によって、哀れに沈没(注4)した。
偶像崇拝の徒は(注5)、この破滅を喝采すれば、イエズス会では、実に苦い涙を流した。しかし、その会員の祈り(注6)と、日本の最初の使徒聖フランシスコ・ザビエルの代願(注7)は、他の宣教師の犠牲の代償で、精神的に死んだ不幸な背教者を復活させた、クリストファル・フェレイラは、二十年後に、その立ち返りと殉教とによって、イエズス・キリストの教会と、彼が所属するイエズス会を慰めた。フェレイラ神父は、当時五十四歳で、イエズス会にあること三十七年であった。」
(注1)「穴吊りの刑」の穴に吊されたこと
(注2)「改宗の無数の果実」とは、多くの日本人(仏教徒)をキリスト教に改宗させたこと
(注3)「天主」とは神様のこと
(注4)「沈没」とは棄教したこと
(注5)日本人のこと。この場合は幕府の役人を指す
(注6)イエズス会士の祈り
(注7)この場合の「代願」とは、聖フランシスコ・ザビエルにお願いしてお祈りしてもらうこと
【棄教】
棄教とは、主に政治的な弾圧により自分が信仰していた宗教に対する信仰を放棄するよう、その時代の権力者などにより外発的に動機づけられることにより、自らの信仰を放棄することです。
【穴吊りの計】
キリスト教信者を棄教させるために使われた刑罰です。ですからなるべく死なないように、苦痛を長引かせる様に考え出されました。ある意味火あぶりや磔よりも残酷な刑罰といえます。この刑罰はかなり効果的であったらしく、外国人の宣教師達もこれで何人も棄教しました。
①まず地面に深めの穴を掘ります。
②そこに汚物(糞尿など)を入れます。
③受刑者のこめかみの部分に少し傷を付けます(これは逆さ吊りにした時、血が下がってすぐに死なないよう、血抜きの目的があります)。
④受刑者の手足や胴をグルグルに縛り、掘った穴に頭や上半身が入るように逆さ吊りにします。
⑤あとは棄教する意志を示すか、死ぬまでそのままです。中浦ジュリアン神父様は、吊されてから4日目に亡くなりました。

棄教したフェレイラ神父様は、沢野忠庵と名乗って日本人妻を娶り、他の棄教した聖職者とともにキリシタン取締りに当たりました。1644年(和暦:正保元年)には、キリスト教を攻撃する『顕疑録』を出版したことになっています。これとは別に、天文学書『天文備用』や医学書『南蛮流外科秘伝』などにより、貴重な西洋科学を日本に伝えています。管区長代理であったフェレイラ神父様の棄教は、イエズス会とヨーロッパのカトリック教会に衝撃を与え、多くの宣教師が日本潜入を志願しました。実際に潜入した宣教師たちは捕縛され、ある者は殉教し、ある者は棄教しました。棄教した司祭の中に、フェレイラ神父様とともに遠藤周作の小説『沈黙』のモデルとなったジュゼッペ・キアラ神父様がいます。

前述のとおり『日本切支丹宗門史』を記したレオン・パジェスは、フェレイラ神父様が死を直前にしてキリスト教に立ち帰ったことを伝えています。ただ、確証はありません。なお、遠藤周作はフェレイラ神父様の子孫と名乗る女性に会ったことを書き残しています。フェレイラ神父様の娘婿に門下の医師・杉本忠恵がいて、のちに幕医となっているそうです。フェレイラ神父査様の墓所は、東京都台東区谷中の瑞輪寺(ずいりんじ)で、ここにある娘婿の杉本家のお墓に合葬されているそうです。戒名は「忠庵浄光先生」です。お墓詣りに行こうと思ってなかなか行けないでいます。今年こそはですね。

最後に述べておきたいのは、フェレイラ神父様が棄教を表明したことは、その後生きながらえたことから事実であると判断できます。だからといって、心底棄教したかどうかは、真実は誰にもわからないことであって、私はフェレイラ神父は ” 偽装棄教 ” だと思うのです。イエス様の「地の果てまで福音を述べ伝えよ。」という使命を帯びて日本に侵入し、信仰に生きてきたフェレイラ神父様が、心底棄教したとは思えないのです。また、キリスト教を攻撃する『顕疑録』を出版したことになっていますが、それは幕府の役人側がいくらでも操作できることであり、信憑性に欠けていて説得力はありません。

私は、迫害されて殉教しなかった者が、すべて棄教したとか背教したなどと捉えることには絶対に反対です。死を迫られて、たとえ死ぬことが恐ろしくなって殉教しなかったといって、その人の信仰は偽物だと決めつけるのは、今を生きている人間でいったい誰が言えるのでしょうか。何か考えがあってのことに違いありません。人間は弱いのです。死にたくはないのです。死が恐ろしいのです。人間はいつまでも弱い生き物なのです。今、フェレイラ神父様はイエス様のもと、天の国で諸聖人とともに主の食卓に与っていると私は信じています。主はどこまでも哀れみ深く、どこまでも慈しみ深いのです。
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「世界子ども助け合いの日」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日1月28日(1月の最終日曜日)は、「世界子ども助け合いの日」です。カトリック教会では、1月の最後の日曜日を「世界こども助け合いの日」と定めています。 これは、175年前にフランスで始まった活動で、子どもたち自身が、今助けを必要としている世界のどこかの子どもたちのことを考え行動しようという日です。 世界中のカトリック教会の主日のミサで、世界中の子どもたちのためにお祈りします。詳しくは、教皇庁児童宣教事業のホームページをご覧ください。
https://j-missio.org/about/children/
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「神のことばの主日」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日1月21日は、「神のことばの主日」です。
フランシスコ教皇が、年間第三主日を「神のことばの主日」と定められました。要旨は次のとおりです。(カトリック中央協議会のホームページから)
https://www.cbcj.catholic.jp/2020/01/24/20015/

◯教皇フランシスコの意向による「神のことばの主日」の制定について
(2020/01/24)
日本司教団関連 お知らせ 典礼委員会
「教皇フランシスコは、自発教令の形式による使徒的書簡『アペルイット・イリス(Aperuit illis)』を、2019年9月30 日(聖ヒエロニモ司祭の記念日)に公布して、年間第三主日を「神のことばの主日」と名付け、「神のことばを祝い、学び、広めることにささげる」(3)ことを宣言されました。また、「神のことばの主日」は、キリスト教一致祈禱週間(毎年1月18日~25日)とも重なり、「わたしたちがユダヤ教を信じる人々との絆を深め、キリスト者の一致のために祈るように励まされる」(3)よう、エキュメニカルな意味を深めるものでもあります。
上記書簡の日本語訳は以下からダウンロードすることができます。
教皇フランシスコ自発教令『アペルイット・イリス』ダウンロード(PDF)」
https://www.cbcj.catholic.jp/wp-content/uploads/2020/01/francisco_aperuit_illis.pdf
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「キリスト教一致祈祷週間」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

2024年のキリスト教一致祈祷週間は、1月18日(木)〜25日(木)の期間で全世界で行われます。今回のテーマは、「あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい」(新約聖書:ルカによる福音書・第10章・第27節)です。キリスト教の諸教会では、毎年この1週間を“キリスト教一致祈祷週間”と定めています。切に祈られたイエス様の心を大事にして祈る期間です。
キリスト教会の歴史では、16世紀にルターによる宗教改革が起こり、キリスト教世界に対して、聖書(福音)の純粋な精神に立ち戻るように呼びかけました。しかし、歴史の中で政治や民族抗争などが絡み、教会分裂と混乱が生じました。20世紀になって、世界各地でキリスト者が教派を超えて一致しようという運動が盛んになり、1968年以来、毎年テーマを決めて、一致のための祈りがささげられています。
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今年は、教皇庁キリスト教一致推進省と世界教会協議会が共同で任命した国際チームが、2024年キリスト教一致祈祷集会のための資料を検討し、最終決定をする会合を、2022年9月25日から29日までローマで開催しました。
この資料の起草は、教皇庁キリスト教一致推進省から、ブルキナファソのエキュメニカル・チームに託され、エキュメニカルな召命を受けた同国のカトリック共同体であるシュマン・ヌフ協同体がまとめました。祈りと黙想の草稿作成にあたっては、カトリックのワガドゥグー大司教区、プロテスタント諸教会、エキュメニカルな各団体の代表者が協力を惜しみませんでした。
ブルキナファソの政治的・社会的状況は不安定ですが、そのような状況下でキリスト教一致祈祷週間の小冊子を準備することは、キリストの愛がすべてのキリスト者を結び付け、その分裂よりも強いものであることを認識する助けとなりました。
日本でも、世界に広がる教会と心を合わせてキリスト者の一致を祈るため、カトリック中央協議会と日本キリスト教協議会が共同で翻訳した資料を小冊子『キリスト教一致祈祷週間』として発行し、ポスターとともにご案内しています。小冊子には以下の内容が盛り込まれています。
・その年のテーマの解説
・エキュメニカル礼拝式文
・八日間の聖書の黙想と祈り
・作成担当国のエキュメニズムの現状
この小冊子は、キリスト教一致祈祷週間の期間だけでなく、一致を求める個人の祈りや共同の祈りのために年間を通して用いることができるよう配慮されています。
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