「主の奉献」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日2月2日は、「主の奉献」の祝日です。
主の奉献の祝日は、イエス・キリストが生まれて40日後に、律法に従い、幼子イエス様が両親に連れられてはじめてエルサレムに行き、神殿で神にささげられたことを記念します。新約聖書のルカによる福音書・第2章に書かれています。この祝日は、エルサレムでは5世紀に、ローマでは7世紀に祝われるようになりました。10世紀に西方典礼では、この祝日は「マリアの清めの祝日」として祝われてきました。1960年の典礼刷新で、東方教会の伝統にそって再び「主の奉献の祝日」となりました。また、今日は「世界奉献生活の日」でもあります。共にお祈りを捧げましょう。

◯新約聖書:ルカによる福音書・第2章・第21~第38節
第21節「イエスの命名」
割礼を施すべき八日目になったとき、受胎の前にみ使いが告げたとおり、幼子はイエスと名づけられた。
第22~第24節「イエスの奉献」
さて、モーセの律法に定められた、彼らの清めの日数が満ちると、両親は幼子を主にささげるために、エルサレムに連れて行った。これは主の律法に、「はじめて生まれる男の子はみな、主に聖別された者である」と書き記されているからであり、また主の律法に述べられているところに従って、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽を犠牲としてささげるためであった。
第25~第35節「シメオンの賛歌と予言」
その時、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しく敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。また、聖霊が彼の上にあった。彼はまた、主が遣わすメシアを見るまでは決して死なないとの、聖霊のお告げを受けていた。彼は霊に導かれて神殿に入ると、律法の慣習に従って、両親が幼子イエスを連れてきた。シメオンはその子を抱きあげ、神をほめたえて言った。「主よ、今こそあなたのお言葉のとおり、あなた僕を、安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目で、あなたの救いを見たからです。この救いは、あなたが万民の前に備えられたもの、異邦人を照らす光、あなたの民イスラエルの栄光です。」 父と母は、幼子について言われた言葉を聞いて不思議に思った。シメオンは彼らを祝福して、母マリアに言った、「この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするために定められ、また、逆らいを受ける徴として定められています。あなた自身の心も剣で貫かれます。多くの人のひそかな思いが、露わにされるでしょう。」
第36~第38節「アンナ」
さて、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年老いていて、若いころ嫁ぎ、七年間、夫と生活をともしていたが、やもめとなり、すでに八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食と祈りのうちに神に仕えていた。まさしくその時、彼女も近づいてきて、神をほめたたえ、エルサレムの贖いを待ち望んでいたすべての人に、幼子について語った。
以上は『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
◯次の絵は、“光と影の魔術師”と称されるレンブラント・ファン・レイン(1606年~1669年)が、最末期に制作した『キリストの神殿奉献(1631年・61×48cm)』です。オランダのデン・ハーグにある「マウリッツハイス美術館」にあります。フェルメール作の名画『真珠の耳飾りの少女』を所蔵していることで有名な美術館ですね。実は、この絵の実物を2回も観たのです!2012年の8月に、上野にある東京都美術館で開催された「マウリッツハイス美術館展」で、展覧会の目玉であった『真珠の耳飾りの少女』を妻と観に(2回、妻は3回も!)行ったおりに展示してあったのです。この年の4月に洗礼を授けてもらったばかりで、聖書に関係する絵画は注意深く観ていました。
キリストの神殿奉献 (2).jpg
新約聖書のルカによる福音書・第2章・第22~第38節に画想を得たもので、幼子イエスの割礼の後、エルサレムの神殿へ赴いて幼子イエスを奉献するため、律法に従って家鳩の雛2羽又は山鳩ひとつがいを犠牲(いけにえ)として捧げるため(旧約聖書・レビ記・第12章)神殿に昇ると、聖霊に導かれていた老人シメオンが、神殿で幼子イエスを抱いて神を称えて、幼子イエスが救い主であることを宣言すると共に、後に降りかかる救世主イエスへの受難を予言する場面を老女預言者アンナと共に描いています。

この場面では、老女預言者アンナと老人シメオンによる聖告が劇的に表現されており、静寂とした神殿内へ射し込む救世主イエスや老シメオンらを照らす光は、神の啓示とも解釈できるほど神々しい輝きに満ち、観る者に信仰的な理解を促すことに成功していますね。このような静寂の中での光の表現は、“光と影の魔術師”と称されるレンブラントの最大の特徴であり真骨頂であります。なお、レンブラントは本作を描く数年前(1627年頃)に同じ主題で描いており、その作品は現在ハンブルク美術館が所蔵しています。

また、この場面は『聖母マリアの七つの悲しみ』の第一の場面「幼子イエスに関するシメオンの預言」でもあります。七つの悲しみは、この他に②「エジプトへの逃避」、③「3日のあいだ少年イエスとはぐれたこと」、④「十字架を背負って歩くイエスと出会ったこと」、⑤「イエスの十字架のもとに立ったこと」、⑥「十字架から降ろしたイエスの遺体を抱きとめたこと(ピエタ)」、⑦「埋葬の悲しみ」があります。詳しいことは、このブログの2020年9月15日に掲載した「悲しみの聖母のお話し」をご覧ください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2020-09-15

◯旧約聖書:レビ記・第12章・第1~第8節
「主はモーセに仰せになった。
イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。妊娠して男児を出産したとき、産婦は月経による汚れの日数と同じ七日間汚れている。八日目にはその子の包皮に割礼を施す。産婦は出血の汚れが清まるのに必要な三十三日の間、家にとどまる。その清めの期間が完了するまでは、聖なる物に触れたり、聖所にもうでたりしてはならない。女児を出産したとき、産婦は月経による汚れの場合に準じて、十四日間け汚れている。産婦は出血の汚れが清まるのに必要な六十六日の間、家にとどまる。
男児もしくは女児を出産した産婦の清めの期間が完了したならば、産婦は一歳の雄羊一匹を焼き尽くす捧げ物とし、家鳩または山鳩一羽を贖罪の捧げ物として臨在の幕屋の入り口に携えて行き、祭司に渡す。祭司がそれを主の御前にささげて、産婦のために贖いの儀式を行う。彼女は出血の汚れから清められる。これが男児もしくは女児を出産した産婦についての指示である。
なお産婦が貧しくて小羊に手が届かない場合は、二羽の山鳩または二羽の家鳩を携えて行き、一羽を焼き尽くす捧げ物とし、もう一羽を贖罪の捧げ物とする。祭司が産婦のために贖いの儀式を行うと、彼女は清められる。」
『新共同訳聖書』から
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