教会日記2020.8.28(カトリック成城教会「平日のミサ」金曜日) [教会日記]

今日も出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城教会での7時からの平日のミサに与りました。先ほど10分間くらいゲリラ豪雨でした~( ̄▽ ̄;) 今日はこのような単発的な豪雨があるのでしょうね。お出かけの際は傘をお忘れなく!予想最高気温は35度となっています!雨が降ってとても蒸し暑くなります! ( ̄▽ ̄;) 東京都の熱中症情報は、すでに「危険」となっています。今日もこまめに水分補給をしましょう!

さて、ミサでは聖アウグスティヌス司教教父教会博士の記念日をお祝いしてお祈りしました。そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学2年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病気が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
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「聖アウグスティヌス司教教父教会博士」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日8月28日は、聖アウグスティヌス司教教父教会博士の記念日です。このブログに昨年の8月28日に掲載した記事を再掲載いたします。
アウグスティヌス(354年11月13日~430年8月28日)は、北アフリカのタガステに生まれました。若いころは放蕩な生活(同棲をして子どもを作ったり………)を送り、マニ教(邪教)に入信しましたが、ついに回心してキリスト教カトリックの信仰を受け入れ、387年に現在のイタリアのミラノでアンブロジウス司教(四大ラテン教父・西方の四大教会博士の一人で聖人)から洗礼を受けました。祖国である北アフリカに帰って修道生活を送り、やがてヒッポの司教に選ばれました。以後34年間、模範的な司牧者として説教と多くの著作によって市民を教え導き、当時の邪教や間違った教えに果敢に立ち向かい、深遠な学識をもってキリスト教を宣教しました。

古代キリスト教時代の司祭、神学者、哲学者であり説教者です。“ラテン教父”とよばれる一群の神学者たちの一人で、教会博士の称号を持っています。キリスト教がローマ帝国によって公認され国教とされた時期を中心に活躍し、正統信仰の確立に貢献し、古代キリスト教世界のラテン語圏において多大な影響力を及ぼしました。その思想的影響は、西欧のキリスト教に止まらず、西洋思想全体に及んでいるといっても過言ではありません。アウグスティヌス自身は、プラトン・新プラトン主義、ストア思想に影響を受けていました。すでにギリシア教父はギリシア思想とキリスト教の統合に進んでいましたが、アウグスティヌスにおいて、新プラトン主義とキリスト教思想が統合されたことは、西洋思想史を語る上で外すことができないほど重要なものとなっています。その思想は、近世〜現代の哲学者であるアルトゥル・ショーペンハウアーやフリードリヒ・ニーチェにまで影響を与えているくらいです。

有名なアウグスティヌの著作『告白録』です。この著作は、アウグスティヌスの青年時代の罪深い生活からキリスト教への目覚めをたどっており、40歳くらいまでの自叙伝となっています。西欧において最初期に書かれていた自伝にはよく見られる内容であり、その後中世までおよそ1000年にわたってキリスト教徒の作家に強い影響を及ぼす雛形となりました。
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◯著作名『告白録』
著者:アウレリアス・アウグスティヌス
訳者:宮谷宣史
発行:教文社
初版:2012年2月29日
定価:4,800円+税

………ということですが、私は、恐れ多くもこの超偉大な聖人の御名(みな)を自分の洗礼名にしてしまいました!………あまりにも偉大すぎました!(; ̄O ̄)が、誠に恐れ多いことですが、洗礼名をアウグスティヌスとしたのも、紆余曲折を経てキリスト教に回心した非常に人間臭いところのある、偉大な聖人を尊敬しているからなのです。
フィリップ・ド・シャンパーニュの1645年頃~1650年頃の作品です。ロサンゼルス・カウンティ美術館蔵
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なお、醸造業者、印刷業者、神学者の守護聖人であり、多くの都市の守護聖人ともなっています。カトリック教会、正教会、聖公会、ルーテル教会で聖人となっています。母親のモニカも聖人になっています。日本の正教会(日本ハリストス正教会)では福アウグスティンと呼ばれています。なお、イングランドの初代カンタベリー大司教も同名のアウグスティヌスであるため、聖アウグスティヌスは、これと区別するため「ヒッポの聖アウグスティヌス」と呼ばれています。(「ヒッポ」は、聖アウグスティヌスが司教を務め亡くなった北アフリカ北部の都市名のこと。)

【教父】
教父(きょうふ)とは、キリスト教用語で古代から中世初期、2世紀~8世紀ごろまでのキリスト教著述家のうち、とくに正統信仰の著述を行い、自らも聖なる生涯を送ったと歴史の中で認められてきた人々のことです。古代キリスト教時代に活躍した「四大教父(偉大な4人の教父)」は次のとおりです。
聖アンブロジウス
聖アウグスティヌス
聖ヒエロニムス
聖グレゴリウス1世教皇(大聖グレゴリウス)
【教会博士】
教会博士(きょうかいはかせ)とは、キリスト教カトリック教会おいて、聖人の中でも特に学識にすぐれ、信仰理解において偉大な業績を残した人に送られる称号のことです。
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教会日記2020.8.27(カトリック成城教会「平日のミサ」木曜日) [教会日記]

今日も出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城教会での7時からの平日のミサに与りました。今日の予想最高気温は33度となっていますが、お昼ごろから雨が降るとのことです。とても蒸し暑くなるのでしょうね( ̄▽ ̄;) 東京都は、昨日に引き続き「厳重警戒」が出ています。熱中症に注意ですね。今日もこまめに水分補給をしましょう!

さて、ミサでは第一朗読を急遽担当し、「使途パウロのコリントの教会への手紙」を朗読しました。そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学2年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病気が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
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「聖モニカ」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日8月27日は、聖モニカの記念日です。このブログに昨年の8月27日に掲載した記事を再掲載いたします。
聖モニカ(北アフリカ・ダガステ:331年~387年)は、北アフリカ・ヒッポの司教アウグスティヌスの母で、キリスト教の聖人です。カトリック教会・聖公会・ルーテル教会・正教会で崇敬されています。息子の聖アウグスティヌスの記念日、8月28日の前日にあたります。息子アウグスティヌスの洗礼後、ほどなくイタリアのオスティアで没しました。亡くなる前、息子に「私が生きたかったのは、死ぬ前にカトリック信徒としてのあなたを見たかったからです。神はこの恵みをくださいました。この世でこれ以上することがあるでしょうか。」と話したそうです。

アリ・シェフェール作の「聖アウグスティヌスと聖モニカ」です。アリ・シェフェール(1795年~1858年)は、オランダドルトレヒト出身のフランスで活躍した画家です。
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聖モニカの生涯は、息子のアウグスティヌスの著作『告白』に記載されており、北アフリカのタガステ(現在のアルジェリア)でキリスト教徒の家庭に生まれ育ったそうです。パトリクスという異教徒の男性と結婚し、アウグスティヌスらを産みましたが、夫の暴力や浮気性に悩まされ、さらに息子のアウグスティヌスが成長して放蕩生活を始めたことにも悩み、夫と息子の回心のために祈る日々が続きました。特にアウグスティヌスは身分の低い女性と同棲し、子どもまでもうけていたため、二人を別れさせて身分の高い女性と正式な結婚をさせたいと考えていました。

この祈りのお陰で、夫は死の前年に回心してキリスト教徒となりました。夫の死後、息子を追ってイタリアに渡っていたモニカは、親子共々ミラノの司教であったアンブロジウスの教えを受けて大きな影響を受けました。アウグスティヌスは、386年に回心してアンブロジウスから洗礼を受けました。モニカには息子のアウグスティヌスがキリスト教に改宗し、放蕩な生活を悔い改めたことが嬉しかったようです。アウグスティヌスの回心のためにモニカが悩み、その回心が果たされたことを喜ぶさまは『告白』に感動的に描かれています。是非ともご一読を!

モニカは、異教徒の夫をもったキリスト教徒女性の模範にして守護聖人として尊ばれており、さらに夫を亡くした婦人や既婚女性全般、ドメスティックバイオレンス被害者の守護聖人でもあります。また『告白』によれば幼年期に酒をたしなむ癖があったのを下女にとがめられて止めたことから、アルコール使用障害患者の守護聖人ともされています。アメリカ合衆国・カリフォルニア州・ロサンゼルス郡の西部に位置するサンタモニカ市(Santa Monica=聖モニカ)は彼女に由来しています。
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教会日記2020.8.26(カトリック成城教会「平日のミサ」水曜日) [教会日記]

今日も出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城教会での7時からの平日のミサに与りました。今日の最高気温(予測)は34度となっており、東京都は「厳重警戒」が出ています。実際の体感気温は、36~37度くらいになるのでしょうか?!Σ( ̄ロ ̄lll) 毎日熱中症に注意ですね。こまめな水分補給をしましょう!

さて、ミサでは第一朗読の担当で、「パウロのテサロニケの教会への手紙」を朗読しました。そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学2年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病気が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
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聖人名由来の地名のお話し [聖人・福者・尊者]

昨日は、カトリック教会では「聖ルイ」の任意の記念日でした。聖ルイとは、フランス国王ルイ9世(1214年~1270年)のことです。12歳で国王に即位し、幼い彼に代わり母ブランシュが王権を代行していましたが、1236年からは彼が実権を握り、以後35年間国を治めました。内政に力を入れ長期の平和を保ったため、彼の治世の間、フランス王国は繁栄しました。国内外を問わず、争いを収めるよう努力したためヨーロッパの調停者と呼ばれています。また、彼は、深い信仰をもった憐れみ深い王であり、国内の経済の安定を図るとともに、各地に貧しい人びとや病人のために救済施設をつくり、教会を建て、またソルボンヌ大学を発足させました。彼は、シトー会、フランシスコ会、ドミニコ会のよき理解者・保護者でもありました。死後列聖されたように、高潔で敬虔な人格から理想のキリスト教王と評価されています。ただ、晩年、熱心な信仰心からイスラムに占領されたエルサレムを奪還しようと十字軍を起こしましたが、途中チュニスで伝染病にかかり亡くなりました。

さて、この聖人の名前由来のアメリカ合衆国の都市があります。それはどこでしょうか?
それは、ミズーリ州東部にある「セントルイス」です。「セント=聖」・「ルイス=ルイ」で、セントルイスです。これは、アメリカ独立戦争以前、フランス人が毛皮の取引所を設け、聖人となっていた聖ルイ9世(聖王)に因んで、サン=ルイ(Saint-Louis:英語ではセント=ルイス)と命名したからだそうです。他にも、アメリカには聖人の名前由来の都市がありますのでご紹介しましょう。

◯サン・フランシスコ(San Francisco)
これは、「聖フランシスコ」からですね。「サン=聖」・「フランシスコ」はそのままです。アメリカ西海岸にある大都市です。聖フランシスコは、修道会のフランシスコ会を創立した有名な聖人ですね。スペインのフランシスコ会の修道士によって築かれた街です。
◯ロス・アンジェルス(Los Angeles)
これもアメリカ西海岸にある大都市です。聖人ではありませんが、「天使たち」という意味のスペイン語です。Losは男性名詞の定冠詞の複数形。Angeles は天使。スペイン語の発音はロスアンヘレスです。正確には「天使の女王である聖母マリアの街」ということで、正式には「El Pueblo de Nuestra Señora la Reina de los Ángeles」というそうです。
◯サン・ディエゴ(San Diego)
これは、「聖ディエゴ」からです。「サン=聖」・「ディエゴ」はそのままです。スペインのフランシスコ会士で聖人の「アルカラのディエゴ」のことです。カルフォルニア州にある都市です。1542年に発見されたときは、一旦は「San Miguel(サンミゲル/聖ミカエル)」と名付けられたものの、1602年にサン・ディエゴに改名されました。
◯サンタ・バーバラ(Santa Barbara)
これは、「聖バルバラ」からです。「サンタ=聖」・「バーバラ=バルバラ」です。カリフォルニア州南部にある都市で、元はスペイン人によって造られた街です。
◯サンタ・モニカ(Santa Monica)
これは、「聖モニカ」からです。「サンタ=聖」・「モニカ」はそのままです。カルフォルニア州にある都市です。由来はスペイン人が初めてこの地を訪れたとき、聖モニカの祝日だったからだそうです。聖モニカは、聖アウグスティヌスのお母さんですね。
◯サン・ノゼ(San Jose)
これは、「聖ヨセフ」からです。カルフォルニア州にある都市で、カトリック教会の修道会フランシスコ会の修道士の入植によって築かれた街です。スペイン語のSan Joséは、「聖ヨセフ」を意味します。聖ヨセフは、イエス・キリストのお養父さんですね。

まだまだあるようですが、アメリカ合衆国の西海岸地域や南部地域に、どういうわけで聖人名が由来となっている都市があるのでしょうか?すでにお分かりいただいたと思いますが、それは、大航海時代にスペイン人がアメリカに入植して開拓していったからですね。要するに、西海岸地域や南部地域はスペインの入植地だったわけです。スペイン王国は、現在でもそうですがキリスト教カトリック教会の国でもありますので、聖人名を記念として地名にし、平安と繁栄のお恵みを願ったのですね。現在のアメリカ合衆国は、キリスト教でもプロテスタント教会の信徒が多く、プロテスタント教会は聖人を認めていませんので、新しく都市ができた場合は聖人名が地名になることはないと思います。
ちなみに、「アメリカ」の由来は、イタリア人探検家であるアメリゴ・ヴェスプッチさんの名前からだそうですよ。ご存じでしたか?アメリカ大陸を最初に発見した人物と言えば、クリストファー・コロンブスです!アメリゴさんの前にコロンブスさんがアメリカ大陸を発見していたのは事実ですが、コロンブスはアメリカ大陸をアジア(インド)だと勘違いをしていたため、彼の名前は付かなかったそうです( ̄▽ ̄;)
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教会日記2020.8.25(カトリック成城教会「平日のミサ」火曜日) [教会日記]

今日も出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城教会での7時からの平日のミサに与りました。今日は、先週のような暑さになりそうです!Σ( ̄ロ ̄lll) 熱中症に注意ですね。こまめな水分補給をしましょう!

さて、ミサではご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学2年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病気が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
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巷のことば(第11日目) [今日の言葉(巷の言葉)]

「明日やろうはバカやろうだ。」

この言葉も出典不明です。
そのとおり!先延ばしは行けません。今日やれることは絶対に今日中にやること。明日は明日で、また新たなことが待っているのです。社会人として先延ばしは御法度ですぞ!
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教会日記2020.8.24(カトリック成城教会「平日のミサ」月曜日) [教会日記]

今日は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城教会での7時からの平日のミサに与りました。19日から昨日(23日)までお盆休みだったのですが、今日からは仕事です。先週よりは気温が…………少しは下がるか?ですね。このお盆休みは、毎日それなりに用があり忙しかったのですが、読書の時間をは例年よりもとれましたね。8月1日からですと単行本を8冊読了しました(*^▽^*)

さて、ミサでは聖バルトロマイ使徒の祝日をお祝いしてお祈りしました。そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学2年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病気が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
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「聖バルトロマイ使徒」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日8月24日は、イエス・キリストの使徒(弟子)である「聖バルトロマイ使徒」の祝日です。このブログに昨年の8月24日に掲載した記事を再掲載いたします。
聖バルトロマイは、イエスの12使徒の1人で、別名ナタナエルとも呼ばれ、イスラエルのカナに生まれ育ちました。使徒であった友人フィリポの勧めでイエス・キリストと出会ったとき、イエスは「まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない」(ヨハネによる福音・第1章・第47節)とバルトロマイのことを言いました。この出会いをきっかけに、彼は弟子としてイエス・キリストに従いました。

伝承によると、イエス・キリストの復活後、彼はインドとアルメニアで宣教し、インド又はアルメニアで殉教したとされています。彼の遺骸は、983年にローマに移され、聖堂に安置されました。職人の守護の聖人とされています。日本では、キリシタン時代にとても尊敬されていた聖人であり、最初のキリシタン大名大村純忠が洗礼を受けた際に、聖バルトロマイを守護の聖人に選んだといわれています。肖像画は、皮剥ぎの刑で殉教したといわれていることから、例えば、バチカンのシスティーナ礼拝堂に描かれているミケランジェロ作の「最後の審判」には、剥がれた自分の皮とナイフを持った姿で描かれています。ただ、この皮の顔はミケランジェロの自画像になっているとのことです。

ミケランジェロの大作「最後の審判」です。
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聖バルトロマイが、剥ぎ取られた自分の全身の生皮を持っています(; ̄O ̄)上の絵の中心にいるイエス・キリストの右下に描かれています。聖バルトロマイは、アルメニアで伝道活動をしていたときに既存宗教の指導者から恨まれ、捕らえられて生きながら皮を剥がれて殉教したことから描かれているのです。
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◯新約聖書:ヨハネによる福音書・第1章・第45~第51節
「フィリポはナタナエルに出会って言った。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは、「来て、見なさい」と言った。
イエスは、ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、彼のことをこう言われた。「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」ナタナエルが、「どうしてわたしを知っておられるのですか」と言うと、イエスは答えて、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われた。
ナタナエルは答えた。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」イエスは答えて言われた。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」更に言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」
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