教会日記2020.8.6(カトリック成城教会「平日のミサ」木曜日) [教会日記]

今日は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城教会の7時からの平日のミサに与りました。今日も暑くなりそうですが、清々しい朝を迎えています!(^∇^)

ミサでは、「主の変容」の祝日をお祝いしてお祈りし、広島に原爆が投下されてから75年を迎え、犠牲となった人々の永遠の安息をお祈りいたしました。
そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りし、共同祈願では、『新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り』をお祈りしました。
また、行方不明となっている小学2年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病気が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
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「主の変容」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日8月6日は、「主の変容(しゅのへんよう)」の祝日です。「主の変容」とは、新約聖書の福音書に記述された、イエス・キリストが弟子(使徒)であるペトロ、ヨハネと、大ヤコブの3人を伴い、高い山に登って旧約聖書に出てくる預言者のモーセとエリヤと語り合いながら、白く光り輝く姿を弟子たちに示したと聖書に記された出来事のことです。
高い山とは、「タボル山」」と伝承されていますが、聖書には山の名についての記載はありません。山において、イエス・キリストは、旧約時代の大預言者とともに語り合いながら光り輝く姿を弟子達に見せたと伝えられており、教会では、この世的な意味でのキリストの勝利(イスラエルの解放)を願う弟子達に対し、自らの受難を予言し続けたキリストが、これから受ける苦難に際して信仰し続ける希望を与えるためにこの奇蹟を行ったと伝えられています。

ラファエロ作の「キリストの変容」1520年の作品です。バチカン美術館所蔵。ラファエロ・サンティ(イタリア:1483年〜1520年)は、盛期ルネサンスを代表するイタリアの画家で建築家です。ラファエロの作品は、その明確さと分かりやすい構成とともに、雄大な人間性を謳う新プラトン主義を美術作品に昇華したとして高く評価されており、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロとともに、盛期ルネサンスの三大巨匠といわれています。
主の変容2.jpg
<作品の説明>
上部は伝説のタボル山でのキリストの変容を中心に右がモーセ、左がエリヤ。その下に横たわって目を蔽うているのは弟子(使徒)の3人で、左からヤコブ、ペトロ、ヨハネ。左端の二人は、この絵を依頼したメディチ家が支援する司祭と肖像画家のユスゥトス。下部の左側はキリストの使徒たち九人、右側は悪霊につかれた息子と父母や家族・親族たちのグループの九人。画面手前の婦人は母の妹と思われます。彼女は両手で男の子を指し、アンデレと若いフィリポに話しかけ、甥の癒しを求めているようです。弟子たちは癒すことが出来ず当惑し、キリストによる癒しを待ち望んでいます。息子は変容のキリストを見上げ、キリストにより悪霊から解放された瞬間を表現しています。右手で息子を指さしているのはタダイ、彼の左は 熱心党のシモンです。奥の左端はユダ、その右がアルファイの子ヤコブ。左手前の本を持っているのがマタイです。キリストを指さすのはバルトロマイ?マタイの後はトマス?と思われます。

◯新約聖書:マタイによる福音書・第17章・第1~第9節
「六日の後、イエスはペトロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、 高い山にお登りになった。 その時、彼らの見ている前でイエスの姿が変わった。 顔は太陽のように輝き、衣は光のように白く光った。すると、彼らの前にモーセとエリヤが現れて、イエスと語り合っていた。 ペトロが口を挟んで、イエスに言った。 「主よ、わたしたちがここにいるのは、素晴らしいことです。 お望みなら、わたしはここに三つの仮の庵を造りましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、一つはエリヤのために。」 ペトロがまだ言い終わらないうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。 すると、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者。彼に聞け」。 弟子たちはこれを聞いて倒れ伏し、非常に恐れた。 イエスは近づいて、彼らに触れて仰せになった。「起きなさい。恐れることはない。」 彼らが目を上げてみると、イエスのほかには、誰も見当たらなかった。
一同が山を下りるとき、 イエスは彼らにお命じになった。「人の子が死者の中から復活するまでは、 今、見たことを誰にも話してはならない。」
『原文校訂による口語訳 フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
「主の変容」は、次の福音書にも記載されています。
◯新約聖書:マルコによる福音書・第9章・第2~第8節
◯新約聖書:ルカによる福音書・第9章・第28~第36節

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