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『ミサ聖祭 聖書にもとづくことばと所作の意味』のご紹介 [キリスト教と読書]

このブログにミサに関する内容の書籍を何冊かご紹介してきましたが、今日ご紹介する『ミサ聖祭』は、ミサで司式される司祭の言葉や所作、また、会衆の応唱などの言葉を中心に、聖書にある聖句との関係に基づく起源を明らかにして、その本質的な意味を説明しています。今までご紹介してきたミサ関連書よりも。より専門的に書かれた書となっています。一見難しそうですが、私のような一般的な信徒でも読みやすい、大変ためになる本です。これを読み終わると、ミサに臨む姿勢が変わります!是非とも皆さんにお読みいただきたいと思います。
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◯Webサイトから
「教会はその長い歴史の中で、とくに聖書に由来する言葉やしるしに基づきながら、注意深くミサの典礼を整え、練り上げてきました。本書はアメリカのカトリック信徒である聖書学者、エドワード・スリ博士によって著された『ミサを巡る聖書的散策――典礼における言葉と所作の理解』に基づいた、ミサの典礼で用いられている言葉と所作の聖書的意味を明らかにする案内書です。一人でも多くの方々が本書を通して、ミサにおける典礼の言葉と所作の聖書的意味をこれまで以上に深く学び、噛みしめながら、より意識的・行動的にミサに参加することができるよう導かれていくことを願ってやみません。」
◯目次(本文202ページ)
序 神の国の体験としてのミサ
第1部 出発点
第2部 開祭の儀
第3部 ことばの典礼
第4部 感謝の典礼
第5部 閉祭の儀
結び 福音宣教の源泉であるミサ

書名:『ミサ聖祭 聖書にもとづくことばと所作の意味』
出版:株式会社フリープレス
著者:エドワード・スリ
訳・共著:田中昇/湯浅俊治
発売:2020年9月14日
定価:2,000円+税

◯訳・共著者の田中昇神父様をご紹介いたします。かなり異色なご経歴をお持ちの神父様です。神父様のご趣味はフルート演奏で、私が以前所属していたカトリック町田教会で、田中神父様のフルート演奏を2回聴いたことがあります。以前、町田教会で助任司祭をされていたこともあって、ローマに留学されていた時期、一時帰国された時は町田教会を訪れ、フルート演奏をご披露されていました。50年ほど吹奏楽演奏に関わってきた私が聴いても、プロなみの素晴らしい演奏であったことを覚えています。ちなみに、私は高校・大学でフレンチホルンを吹いていました。
〈プロフィール〉
埼玉県出身
1997年  大学生時代にカトリック教会と出会い関口教会で受洗
1999年    早稲田大学理工学部卒業
2001年  早稲田大学大学院理工学研究科博士前期課程修了 (応用化学専攻)
2001~2004 年 化学メーカーに勤務 (医薬の研究開発)
2004年   東京カトリック神学院入学
2010年   同神学院卒業 
2010 年  カトリック東京大司教区司祭として叙階される。町田教会助任司祭着任
2011 年  教皇庁ウルバノ大学にて神学学士号(STB)取得、同大学院に留学 
2014 年  教皇庁立ウルバノ大学にて教会法学教授資格課程修了・修士号(JCL)取得、帰国後、目黒教会助任司祭着任
2016年   北町教会主任司祭着任
2023年4月 豊島教会主任司祭着任(北町教会主任司祭を継続、兼務)   
*趣味はフルート演奏
宗教法学会、アメリカ教会法学会(CLSA)会員、上智大学神学部・同大学院神学研究科、南山大学人文学部 (在名古屋教皇庁認可神学部) 非常勤講師、東京カトリッ ク神学院教員、行政書士(入管申請取次資格者、著作権相談員)、墓地管理士、火葬技術管理士 1級、終活アドバイザー、甲種危険物取扱者等の資格
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『ミサ きのうきょう ミサがよくわかるために』のご紹介 [キリスト教と読書]

今日は、『ミサきのうきょう ミサがよくわかるために 改訂版』をご紹介いたします。
この本は書名が示すように、「カトリックで行われているミサはどのうようにして現行の形式になったのか。ミサでは何が行われているのかなど、歴史的背景とその意味をわかりやすく解説。今回、改訂版発刊にあたり、「第二バチカン公会議後の日本におけるミサの歩み」について、日本カトリック典礼委員会の宮越俊光氏による解説を新たに収載。」とドンボスコシャのホームページに紹介されています。
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ミサにおける歴史的背景や司式の意味など、ミサの基本的な知識を得られる内容となっています。これを読んでミサに与ると、心を新たにでき新しい発見ができるのではないかと思います。著者のピエール・ジュネル氏は、最も信頼の厚い典礼学の専門家の一人で、パリ・カトリック学院で典礼学講座を長年担当されました。同学院の創立当初から長年にわたり副学長の要職を務められた方です。
なお、昨年(2022年)の11月末に新しい「ミサ式次第」が施行され、奉献文などが変わっていますのでご承知おきください。

〈目次〉
推薦のことば
序文
○きのう 二千年の歴史
1 主の晩餐から教会の感謝の祭儀まで
2 イスラエルの遺産
3 ユダヤ・キリスト者の諸教会における感謝の祭儀
4 ギリシャ・ローマ社会の諸教会における感謝の祭儀
5 殉教者時代の感謝の祭儀
6 平和到来後の教会建設の林立
7 教父時代の感謝の祭儀
8 蛮族侵入時代の感謝の祭儀
9 カロリンガ王朝時代の感謝の祭儀
10 中世における感謝の祭儀
11 カトリック教会刷新時代の感謝の祭儀
12 典礼刷新期の感謝の祭儀
13 第二バチカン公会議後の感謝の祭儀
○きょう 主日のミサ
・感謝の祭儀の風景
14 主の日
15 会衆
16 あなたの家は美しい
17 祭壇の神秘
18 書と杯
19 白の装い
20 わたしは手を高く上げてあなたに祈る
21 神に向かって歌おう
・ことばの典礼
22 罪びとの民、喜びおどる民
23 神のことばを聴く
24 預言者、使徒書、福音書
25 キリストの声、教会の声
26 イエズスのよい訪れ
27 よい土地に落ちる種
28 唯一の主、唯一の信仰
29 すべての人のために祈りなさい
・感謝の典礼
30 パンとぶどう酒
31 神の栄光と世の救いのためなた
32 感謝の祈り
33 いつも、どこでも感謝する
34 受難の前夜
35 わたしの記念として
36 聖霊において
37 聖徒の交わりのなかで
38 主が来られるまで
39 第一奉献文
40 第二奉献文
41 第三・第四奉献文
42 わたしたちの日ごろの糧を今日もお与えください
43 主の平和がいつもみなさんとともに
44 パンを裂く
45 みな、これを取って食べなさい、みな、これを受けて飲みなさい
46 祭儀を超えて あなたがたはわたしの証人となるであろう
付録 日本におけるミサ典礼の刷新
キリシタン時代とミサ/第二バチカン公会議後の日本におけるミサの歩み
監修者あとがき
事項索引
◯詳細
書名:『ミサ きのうきょう ミサがよくわかるために 』四六判並製243頁
著者:ピエール・ジュネル
訳者:菊地多嘉子
監修:中垣 純
定価:本体1,100円(税込)
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『天使とは何か ー キューピット、キリスト、悪魔 ー 』のご紹介 [キリスト教と読書]

ご紹介する書籍は、岡田温司氏の『天使とは何か―キューピット、キリスト、悪魔―』です。このブログに再掲載(紹介)となります。著者の岡田温司(1954年~)氏は、西洋美術史の研究者、京都大学大学院人間・環境学教授です。ピーコ・デッラ・ミランドラ賞、第13回吉田秀和賞、第60回読売文学賞などを受賞しています。美術史研究者でもあり美術評論家でもありますね。
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書名:『天使とは何か』中公新書(2016年)
著者:岡田温司
出版:中央公論者(中公新書)
初版:2016年3月25日
定価:780円+税別(初版当時の価格です)

書名のとおりの内容ですが、西洋美術絵画や彫刻などに出てくる天使などの図象について書かれています。ところで、天使とキューピットは違うのです。両方とも愛らしい子どもの姿で翼があってかわいいのですが、違うのですね。天使は、ユダヤ教及びキリスト教における神の使者であって、キューピットは異教の愛の神のことだそうです。そういえば、皆さんよくご存知のキユーピー株式会社のマークは“キューピット”です。これは社名からなんとなく分かりますが、森永製菓株式会社のマークは“天使”なのですね。創業者の森永太一郎がクリスチャンだったからでしょう。ご存知でしたか?
◯キユーピー(「キューピー」ではない)株式会社(ブログ掲載文章・文献引用表示:ロゴマーク)
ロゴマークの由来
「創業者の大学の先輩のアドバイスによるもので、「キューピー人形のように誰からも愛されるように」との願いが込められています。」とのことです。
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◯森永製菓株式会社(ブログ掲載文章・文献引用表示:ロゴマーク)
ロゴマークの由来(ホームページから)
「1905(明治38)年、森永太一郎は森永のマークをつくろうと考えました。 彼は、当時よくつくっていたマシュマロが、欧米で「エンゼルフード」と呼ばれていることにヒントを得て、天使をモチーフしたマークを考え出しました。 」とのことです。
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岡田氏の著書は、単著、共著及び翻訳など多くありますが、ご専門が西洋美術史ですから、キリスト教、特に聖書に係る図象などの書籍(論文・評論)が多いですね。私が読んだものは次のとおりです。
『マグダラのマリア ― エロスとアガペーの聖女』
中公新書(2005年)
『処女懐胎─ 描かれた「奇跡」と「聖家族」』
中公新書(2007年)
『キリストの身体 ─ 血と肉と愛の傷』
中公新書(2009年)
『アダムとイヴ ─ 語り継がれる「中心の神話」』
中公新書(2012年)
『黙示録 ― イメージの源泉』
岩波新書(2014年)
以上です。
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『キリストへの道』のご紹介 [キリスト教と読書]

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今日ご紹介する『キリストへの道』は、信徒でなくても聖書に親しんだことのある方は、読んで理解できる内容であると思いますが、どちらかというと信徒向けの本ですね。信徒にとっては第三部が重要なところです。ここに書かれていることは、洗礼を受けてからの”振り返り”となります。私は、信仰の途中にある自分というものを見つめ直すよいチャンスとなりました。とてもためになった一冊です。

<著者のご紹介>
岩島忠彦(いわしま ただひこ)氏は、イエズス会司祭です。
1943年兵庫県生まれ。
1964年イエズス会入会
1975年司祭叙階
1982年ドイツ・ミュンスター大学で神学博士号取得
1983年から2014年まで、上智大学神学部で教鞭をとる(組織神学担当)
同学部長、教皇庁国際神学者委員会委員を歴任
1998年から日本カトリック神学会幹事、上智大学神学研究科委員長歴任
2014年4月、上智大学名誉教授
上智大学退職後、日本カトリック神学院講師(教会論担当)、聖イグナチオ教会での信仰講座を担当(入門講座・信徒講座)し、黙想指導ほか広く福音宣教に従事しながら現在に至る。
著書に『キリストの教会を問う―現代カトリック教会論』(中央出版社、現・サンパウロ)、『キリスト教についての21章』(女子パウロ会)、『イエス・キリストの履歴』(オリエンス宗教研究所)、『イエスとその福音』(教友社)他があります。

<女子パウロ会オンライン・ショッピングのホームページから>
晩年を前にして、神学博士としての深い知識をもとに、修道司祭として司牧、教育、信徒の養成にたずさわりながら長年キリストへの道を歩いている著者が、すべての人々に励ましと愛をこめて綴る随想と説教と講話集。親しみやすく、分かりやすく、現実に立って、キリスト教の核心と人生の確かな道を示す1冊!
キリスト信者にもキリスト教に関心のある人にも人生の指標となる書。
四十年前、叙階直後の挨拶のときに、自分が良き羊飼いの肩に乗せられ運ばれているように感じると述べました。今も基本的にその思いは変わりません。信仰を受けた者は、自力ではなく、キリストに担われて、キリストの業を続けるのだと思います。(本文より)

<目次>
はじめに
第一部 随想 ―日々に想うこと―
・二つの命を生きる
・五島という場所
・神々と神
・いつくしみの特別聖年
・一粒の麦
・「霊性」(スピリチュアリティ)について
・夏休み
・少年時代
・祝福
・「からだの復活を信じます」(使徒信条)
・イエズス会復興二百年
・時の節目―新年によせて―
・司祭

第二部 説教 ―聖書は何を語るか―
・真の平和
・夜祭
・カナと人生
・高い山と深い谷
・キリストの受難
・良い羊飼いは誰か
・キリスト者の道
・三位一体の神
・嵐を鎮めるキリスト
・パンの奇跡
・たたけ、探せ、求めよ!
・あなた方も去って行きたいのか
・末席に座りなさい
・王であるキリスト

第三部 講話 ―愛に包まれた人生―
・キリスト者であること―洗礼と堅信―
1 イエス・キリストの出来事
2 誰がこの愛を受けとめるのか
3 洗礼とは何か
4 堅信とは
・神の愛と罪―ゆるしの秘跡―
1 福音の核心としての神の愛と赦し
2 経験から知る罪
3 何が罪なのか―大罪と小罪
4 ゆるしの秘跡について
・キリストの形見 ―聖体の秘跡―
1 別れの晩餐―「現場」に立つ
2 「私の記念としてこれを行いなさい」
3 ミサの構造をみる
4 聖体と共に生きる

発行:2017年2月25日初版第一刷(四六判並製)
頁数:256ページ
発行:女子パウロ会
価格:1,400円+税(2017年7月5日購入時の定価です。)
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『愛とゆるし』のご紹介 [キリスト教と読書]

今日は、イエズス会の修道司祭のペトロ・ネメシェギ神父様の著作『愛とゆるし』のご紹介です。この文庫本は、聖母の騎士社の月刊誌「聖母の騎士」1990年7月号から1991年7月号までの連載記事「カトリック教室」を一部書き改めたものです。キリスト教の真髄に触れる内容を優しく分かりやすく書かれています。信徒ではない方が読んでも、ある程度は理解できると思いますが、やはり教会の入門講座を受講された信徒の方が読むと、より理解できる内容となっています………というか、信徒は必読の書ですね。ご一読をお勧めいたします。
<聖母文庫から>
「罪をゆるしていただいた人は、感謝をもって神に従いたい、という気持ちになります。キリスト教の本質的な教えは、イエスの死と復活と聖霊の到来のおかげで人間の一切の罪がゆるされるということです。聖霊に動かされて心を慈しみ深い神に対して開き、信仰、信頼、痛悔、神に従いたい望みをもって神の愛に応えるならば、神はわたしたちをあらゆる罪から清めてくださいます。キリストの福音は、神のゆるしの喜ばしい知らせなのです。(本書に記載されているネメシェギ神父様の言葉です)」
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書名:キリスト教信仰案内講座(5)『愛とゆるし』(聖母文庫)
発行:聖母の騎士社
発刊:1992年
定価:500円+税

なお、ネメシェギ神父様のプロフィールは次のとおりです。
◯ペトロのネメシェギ
1923年、ハンガリー・ブタ ダペスト生まれ。ブダペスト大学卒業後、修道会のイエズス会に入会、1952年に、司祭叙階、1956年に教皇庁立グレゴリアン大学で神学博士号を取得しました。1956年に来日してから1983年まで、上智大学神学部教授を務めました。1984年から1994年まで聖イグナチオ教会で講座や神学院で教えられ、1993年にハンガリーに帰国されました。
主な著書は、『父と子と聖霊・三位一体論』、聖母の騎士社から<キリスト教信仰案内講座>として『愛といのち』、『愛と恵み』、『愛と平和』、『神の言葉と秘跡』、『愛とゆるし』、『愛と永遠』の6冊があります。他に『どうすればしあわせに』、『ぼだい樹の笛』、『ペピの青春物語』(女子パウロ会)、『ひまわり』、『たんぽぽ』、『蛍』(南窓社)があります。どれも読みやすく素晴らしい内容の著作ばかりです。
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『典礼奉仕への招き』のご紹介 [キリスト教と読書]

今日ご紹介する『典礼奉仕への招き』は、最近、典礼に係る先唱奉仕や朗読奉仕に積極的にかかわるようになりましたので再読しているところです。このブログに過去に何度か掲載しましたが、再掲載いたします。

この本はミサのすべてについて、ポイントを抑えて簡素に書かれているため、読みやすく理解しやすい解説書となっています。特にミサに係る奉仕を担当する皆さんにお読みいただきたい本です。信徒向けに書かれていますが、信徒ではない方でもミサに興味のある方でしたら、ご一読の価値はあると思います………でも少々難しいかもしれませんね。
ところで、ミサに出席することを「与る(あずかる)」と書きます。つまりミサは司式する司祭(神父様)だけでなく、信徒も「参画する=与る」ということなのです。ミサのそれぞれの司式が、どのような意味を持っているのかを知ることは、ある意味、信徒として当たり前のことなのですが、知らないでミサに与っている方は多いのではないでしょうか。知っているのと、知らないでいるのとでは大変な違いがあります。まず、この本で知ることから始めてはいかがでしょうか。
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『典礼奉仕への招き』
著者:オリエンス宗教研究所編
出版:オリエンス宗教研究所
発行:初版発行:2005年1月10日・第2版発行:2016年6月10日
定価:1,650円(税込)
頁数:224ページ

<女子パウロ会のオンライン・ショップのホームページから>
「すべての信者が招かれている典礼奉仕の役割を理解し、実践するためのポイントをまとめました。祭壇奉仕や聖体奉仕ばかりでなく、障害をもつ方や高齢者、外国籍の信者の方とともに典礼をささげる場合、子どもの信仰教育とミサとの結びつき、「司祭不在のときの主日の集会祭儀」などについてもわかりやすく解説。終身助祭の現場での姿や、司祭が不在の際の実践例も紹介しています。教会委員や典礼委員のテキストとしてもご活用ください。

このたび刊行された第2版では、日本カトリック典礼委員会編『カトリック儀式書 ミサ以外のときの聖体拝領と聖体礼拝』改訂新版、日本カトリック司教協議会著『日本におけるミサ中の聖体拝領の方法に関する指針』、および『新しい「ローマ・ミサ典礼書の総則」に基づく変更箇所 2015年11月29日(待降節第一主日)からの実施に向けて』に基づいた内容に変更されています。また、第二バチカン公会議の『典礼憲章』『教会憲章』の本文引用がある箇所は、あらたに刊行された『第二バチカン公会議文書』改訂公式訳に準拠しています。」

<目次>
序にかえて―みことばと奉仕
Ⅰ ともにささげるために
第1章 典礼とわたしたちの役割
  1 典礼そのものが奉仕
  2 キリストが祈り、ささげておられる
  3 祭司としての神の民
  4 教会の歴史の中で
  5 だれもが祭司
第2章 集会づくりと進行のための奉仕
  1 案内係
  2 進行案内役
  3 先唱者
  4 聖歌隊と楽器奏者
  5 献金に関する奉仕
    Q&A 1 「信者」と「信徒」、2 「祭司」と「司祭」
第3章 障害者・高齢者とともに
  1 典礼と日常性
  2 一体化ということ
  3 話しかけることの大切さ
  4 障害に応じて
第4章 外国籍の信者とともに
  1 増え続ける外国籍信者
  2 だれもが参加できるミサの環境を
  3 文化の違いの意味
  4 ミサを計画する際に
  5 ミサの実践と可能性
第5章 子どもたちとともに
  1 典礼はおとなのために作られている
  2 子どもの発達段階に応じたくふう
  3 典礼における信仰教育
  4 主の食卓を囲む喜びを
  5 待者養成のポイント

Ⅱ 仕え合うために
第6章 朗読奉仕と聖歌奉仕
  1 聖書朗読の大切さ
  2 朗読の際の心得
  3 朗読の間の歌(答唱詩編・アレルヤ唱/詠唱)
  4 詩編唱者と会衆の心構え
  5 行列のときの賛歌
    Q&A 3 A年、B年、C年とは
    4 典礼暦年のしくみ
第7章 共同祈願に関する奉仕
  1 すべての人のための祈り
  2 共同祈願の始まり
  3 共同祈願の意向―『聖書と典礼』の試み
  4 各意向に関する留意点
第8章 祭壇奉仕
  1 祭壇奉仕とは
  2 祭壇奉仕者の役割
第9章 聖体奉仕
  1 ミサの中での聖体奉仕
  2 病人の聖体拝領のための奉仕
第10章 司祭不在のときの主日の集会祭儀
  1 主の日
  2 「集会祭儀指針」発表までの歩み
  3 「集会祭儀指針」が大切にすること
  4 残されている課題
コラム―集会祭儀、さまざまな試み
  1 共同宣教司牧の中で―大阪教区の場合
  2 信徒の共同奉仕として―札幌教区の場合
  3 終身助祭と集会祭儀―那覇教区の場合
エピローグ―生活の中での奉仕
共同祈願意向例文集
参考文献
索引―こんなときには?

◯著者紹介(執筆者―執筆順)、(  )内は執筆担当箇所
ムケンゲシャイ・マタタ(序にかえて)
淳心会司祭
石井祥裕(第1章、第2章、第6章、第7章、Q&A1~4)
上智大学講師、『聖書と典礼』編集長
橋本宗明(第3章)
社会福祉法人ぶどうの木・ロゴス点字図書館理事
アドルフォ・ニコラス(第4章)
イエズス会総長
紙崎新一(第5章)
長崎教区司祭、長崎教区元信仰教育委員会委員
幸田和生(第8章、第9章)
東京教区補佐司教
小田武彦(第10章)
大阪教区司祭、聖マリアンナ医科大学特任教授
井上玖美子(第10章コラム1)
大阪教区信徒(梅田ブロック)
佐藤章(第10章コラム2)
札幌教区信徒(苫小牧地区室蘭ブロック)
新垣宗堅(第10章コラム3)
那覇教区終身助祭
佐藤初女(エピローグ)
元仙台教区信徒、「森のイスキア」主宰、2016年帰天
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『キリストにならう』第2巻・第3章(第2日目) [キリスト教と読書]

「まず、あなた自身のうちに平和を保ちなさい。
そうすれば、他人にも平和を分けることができる。
平和な人は、偉大な学者よりも他人のためになる。
感情的な人は善さえも悪に変え、また悪を信じやすい。
ところが、平和を愛する人は、すべてを善に変える。
心に平和を保っている人は、誰をも疑わないが、
不平を言い怒りっぽい人は、いろいろな疑いに苦しめられる。
その人は、自分も平和を知らず、また他人の平和をも乱す。
またそうした人は、しばしば言ってはならないことを言い、
自分のしなければならないことをおろそかにする。
彼は他人のすることに気つかい、彼は自分の務めは怠る。
だから、あなたはまず、自分の霊魂について熱心でありなさい。
そうすれば自然に、隣人のことにも熱心に注意することができるであろう。」

『キリストにならう』の詳細は、「『キリストにならう』第1巻・第16章(第1日目)2023.6.14」をご覧ください。https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-06-14
そうですね、感情的になっては、その人に平和(平安・安らぎ)は訪れないでしょうね。自分の心が平安でいられるかは、いかに ” 心を平静に保つことができるか ” ということにつきると思います。怒りやすい、疑いやすいといった起伏の激しい人には平和(平安・安らぎ)は訪れませんね( ̄▽ ̄;)
他にも、一緒にいて心を煩わす人もダメですね。そのような人と一緒では心は平安にはなりません。性格、育った環境や生活状況の違いも大きな要素です。私のように、①信仰、②家庭、③仕事、④社会活動の4つについて、寝ている時間以外、ある意味常に行動している人間は、ごく普通の生活をしている多くの人たちに ” 煩わしさ ” というご迷惑をおかけしているのではないかと。反省しなければなりませんね。” 時と場合 ” ということもあり、難しいものがあります。しかし、不思議と平安な人のまわりには、平安を求めて人がたくさん集まってくるものです(⌒-⌒;)
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『キリストにならう』第1巻・第16章(第1日目) [キリスト教と読書]

「もしある人が、再度注意しても反省しないなら、口論を避けなさい。悪を善に変える神に、すべてを任せなさい。それは神のしもべのうちに、そのみ栄光とがあらわされるためである。他人の欠点や短所を耐え忍ぶように努めなさい。なぜならあなたにも、他人に耐え忍んでもらわなければならない多くの欠点があるからである。
自分で自分を思いのままにすることもできないのに、どうして他人をあなたの思いのままにすることができるであろう?私たちには他人に完全であってもらいたいと願うが、自分自身の欠点を直そうとはしない。」

このブログに何度か掲載しましたが、久しぶりに再掲載しました。
『キリストにならう(又は「ならいて」)』は、14世紀~15世紀ごろの神秘的文書であり、キリスト教カトリックでは、第2の聖書といわれているほどよく読まれた書です。修道会であるイエスズ会では、公式に訓練で使用しているそうです。カトリック教会だけでなく、多くのプロテスタント教会もこの本に高い評価を与えています。ジョン・ニュートンやプロテスタント教会メソジスト派創始者のジョン・ウェスレーも回心に影響を与えた書としてあげています。この書のラテン語版は、匿名で1418年ごろに出されて著者不明となっています。現在では、キリスト教カトリックの修道会士であるトマス・ア・ケンピス(ドイツ-オランダ:1380年~1471年)が著者であるとの説が有力ですが、それも異論があって現在も議論が続いているそうです。

写真は、私が愛用している『キリストにならう』です。ミニ・ロザリオと比較すると文庫本くらいの大きさですね。ここ数年はしていませんが、一時期はカバンに入れて一年を通して何度も繰り返して読んでいました。
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内容は、キリスト教の信仰に生きる人を完徳に至らしめるため、信仰における霊的生活の方法などを説いています。
①世俗的なものに固執せず、ただひたすらに謙遜して身を低め、自分自身を捨て去って苦難や非難にも耐え、ただ神を求めること。②人間である自らの弱さ、もろさ、罪深さをよく認識し、人に悪く言われようと軽蔑されようと、耐え忍び、何か手柄などたてても自分の功績とはしないこと。③すべての真理であり公正である神を信じ、信仰に帰依して人知を超えた難解な問題に対する深い知識を無理に得ようとはしないこと…………などなど、この書は修道に必要な生き方を説いています。

キリスト教修道会士の霊的な精神生活の完成のために書かれていますので、一般のキリスト教信徒には、少々合わないと思われる内容もあるように感じますが、それでも信仰のあり方や精神的な生活の指針などを説いていますので、真剣に霊的な信仰を願う方には、大いに役立つ貴重な書となります。また、昔から信徒でない方も多く読んでいることもあり、自己啓発としても参考になるのではないかと思います。私の読んでいる邦訳本は、フェデリコ・バルバロ神父訳の『キリストにならう(改訂版)』で、ドン・ボスコ社発刊のものです。文庫版くらいの大きさですので、聖書と一緒に持ち歩いて通勤電車の中で読んだりしています。
このお言葉ですが、まったくここに書いてあるとおりです!自分のこともできていないのに、他人のことを言えた立場ではないですね( ̄◇ ̄;)最も私の自戒するところです。
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『光あるうちに光の中を歩め』のご紹介 [キリスト教と読書]

2018年6月に、学生時代以来約30年ぶりくらい読んだ小説『光あるうち光の中を歩め』のご紹介です。
久しぶりにトルストイの長編小説『アンナ・カレーニナ』を読もうと、仕事帰りに書店によって、『アンナ・カレーニナ』文庫本・上中下3巻を手に取ろうと思ったら、その隣に同じトルストイ作の短編小説『光あるうち光の中を歩め』を発見し、懐かしくなって読むことになったのでした。
この『光あるうち光の中を歩め』は、帝政ロシア時大之の小説家レフ・トルストイの短編小説で、執筆時期は定かではありませんが、1890年に英訳され、1892年にジュネーヴでロシア語版が出版されています。ロシアでは1893年に検閲によって削られたものが発表されています。あらすじは次のとおりです。

「主人公は、裕福な商人の息子であるユリウスという自分のためにしか生きられない青年と奴隷の子どもであるパンフィリウスという熱心なキリスト教の信徒のそれぞれの人生とユリウスの回心についてのお話しです。
プロローグで、複数の人々が自分たちの人生を振り返ってどう思うかを話し合っていました。参加している者の誰一人として満足した人生を送っていないことが判明しましたが、でもキリスト教に倣った生活を送れるかというとそうも行かないという話しが進みます。
話は変わって、舞台は古代のローマ帝国に移ります。シリア出身の商人ユヴェナリウスの一人息子ユリウスと、ユヴェナリウスの奴隷の子どもパンフィリウスとの議論が話の中心となります。皇帝トラヤヌスの時代、イエス・キリストの弟子達は、世間から白眼視され肩身の狭い思いをしていました。キリキヤという街でユリウスは商売に精を出していて、宗教には全く関心を持っていませんでした。ところがパンフィリウスがキリスト教の信徒だと告げられ、そこから2人の何度も繰り返される議論が続きます。
しばらく2人は顔を合わせていませんでしたが、ユリウスは行政官になってローマ帝国本部の命令で、キリスト教徒の迫害する作業に取りかかっていました。そこで久し振りにパンフィリウスと再会し、結婚、教育、労働について話し合いました。妻エウラーリアの死後、ユリウスは自らパンフィリウスを訪問します。ユリウスはそれまでの生き方を回心し、罪を神に告白して赦しを願い、キリスト教に着得します。パンフィリウスに励まされたユリウスは社会生活に戻り、20年後にこの世を去ったのだった。」といものですが、少々粗筋が粗過ぎ(⌒-⌒;)ましたね。

要約すると、欲望や野心、功名心などの渦巻く俗世間にどっぷりつかっている豪商ユリウスと、古代キリスト教の世界に生きるパンフィリウス。ユリウスは何度かキリスト教の世界に走ろうと志しながらも、そのたびに俗世間に舞い戻りますが、しかし、長い魂の彷徨の末についに神の道に入るというものです。この小説は、「人生を幸福に生きるにはどうすれば良いのかについて人は迷い、悩み、苦しみながらその答えを探し求めて生きる。自分の欲望を捨てて、人のために生き、すべてを平等に愛しみ、神を信じることにより、真の幸福が得られる。」ということをトルストイはこの小説で説いています。聖書の福音書に伝えられているキリストの教えに従って生きよと説いた晩年のトルストイの思想を端的に示している小説でといえます。皆様も是非お読み下さい!

ちなみに、書名の『光あるうちに光の中を歩め』の題名は聖書からとられています。
◯新約聖書:ヨハネによる福音書・第12章・第35~第36節
「そこでイエスは彼らに仰せになった。「もうしばらくの間、光はあなたがたのうちにある。闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。闇の中を歩く人は、自分がどこへ行くのかを知らない。あなたがたは光のあるうちに、光の子となるために光を信じなさい。」イエスはこう話してから、そこを去り、群衆から身を隠された。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
光のあるうちに光の中を歩め.jpg
書名:『光あるうち光の中を歩め』
著者:レフ・トルストイ
訳者:原久一郎
出版:新潮社(新潮文庫)
初版:1952年6月30日(平成29年4月25日現在、第101刷)
定価:400円+税

◯トルストイのこと
このブログの2012年7月30日の「トルストイのことば」に書きましたが、改めて掲載します。
レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ(ロシア: 1828年~1910年)は、キリスト教ロシア正教会のクリスチャンであったのですが、小説『復活』で、書いた内容が教義に触れたために破門されています(現在でも破門のままだそうです)。帝政ロシアの小説家であり思想家で、ドストエフスキー、ツルゲーネフと並んで19世紀ロシア文学を代表する巨匠です………学校の国語の時間(文学史)で勉強しましたから皆さんよくご存じですよね。代表作に有名な『戦争と平和』、『アンナ・カレーニナ』、『復活』などがあり、文学のみならず、政治・社会にも大きな影響を与え、非暴力主義者としても知られています。

トルストイは超有名人ですので、作家としてのこと、小説などの作品のこと、思想、政治や宗教に係ることなどなど、経歴とそれについてのエピソード類に事欠かないのですが、書き始めると省略することが難しく、いつもよりもっともっと長くなりますので止めておきますね。
そこで一つだけ。
トルストイの奥さんであるソフィアは悪妻として知られ、ソクラテスの妻クサンティッペ、モーツァルトの妻コンスタンツェと共に「世界三大悪妻」に数えられています。しかし、それはトルストイが宗教活動や社会活動に傾倒して家庭を顧みなかったことや、キリスト教の影響(貧しく生きること)からか?小説などの印税や地代の受け取りを拒否しようとしたほか、著作権その他の遺産を「ロシア国民に移譲する」とする遺言状を作成しようとしていたことなど、また、ソフィアが10数人の子どもたちを養い、生活を守るために現実的に生きざるを得なかったこともあって、本当のことは分かりません。私は、トルストイが家庭を顧みない“超わがまま男”なだけであって、ソフィアは苦労をした良妻であったと思います。ちなみに、トルストイの映像および肉声が残されており、文学者の映像・音声としては最古のものだそうです。もっと昔の人かと思いました。
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『casa BRUTUS 2023年1月号 聖なる建築100』のご紹介 [キリスト教と読書]

今日は、『Casa BRUTUS 2023年1月号 No.273 聖なる建築100』のご紹介です。
まずは、紹介文をホームページから引用します。
「聖なる建築100
現存する日本最古の教会は1864年に長崎に建てられた大浦天主堂、最初期の洋風建築として国宝にも認定され、世界遺産の構成資産にもなっています。明治時代に入って日本でも「建築家」という職業が生まれた後、西洋の建築を日本にもたらした外国人からモダニズムの巨匠まで、さまざまな建築家が美しい教会やチャペルを手がけてきました。そんな一度は訪れたい聖なる建築、日本の美しい教会100選です!」
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この『Casa BRUTUS 1月号』は、とってもお美しいご夫人からいただきました。増刊号です。2022年12月8日に発売されたもので、最初の1月号と表紙が違うだけで内容はまったく同じです。キリスト教の信徒てしては、読み応え&見応えのある雑誌ですね。私の蔵書の一冊になりました。ただ、仕事や社会活動での出張で、日本全国92のカトリック教会を訪問してミサに与った私に一言だけ言わせていただくと、掲載写真に疑問あり!です。カトリック神田教会、カトリック松が峰教会やカトリック夙川教会などは、私が現地で撮ってこのブログに掲載した写真の方が、断然上手い(アングルなど)ですね!(⌒-⌒; )
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