『キリストにならう』第1巻・第16章(第1日目) [キリスト教と読書]

「もしある人が、再度注意しても反省しないなら、口論を避けなさい。悪を善に変える神に、すべてを任せなさい。それは神のしもべのうちに、そのみ栄光とがあらわされるためである。他人の欠点や短所を耐え忍ぶように努めなさい。なぜならあなたにも、他人に耐え忍んでもらわなければならない多くの欠点があるからである。
自分で自分を思いのままにすることもできないのに、どうして他人をあなたの思いのままにすることができるであろう?私たちには他人に完全であってもらいたいと願うが、自分自身の欠点を直そうとはしない。」

このブログに何度か掲載しましたが、久しぶりに再掲載しました。
『キリストにならう(又は「ならいて」)』は、14世紀~15世紀ごろの神秘的文書であり、キリスト教カトリックでは、第2の聖書といわれているほどよく読まれた書です。修道会であるイエスズ会では、公式に訓練で使用しているそうです。カトリック教会だけでなく、多くのプロテスタント教会もこの本に高い評価を与えています。ジョン・ニュートンやプロテスタント教会メソジスト派創始者のジョン・ウェスレーも回心に影響を与えた書としてあげています。この書のラテン語版は、匿名で1418年ごろに出されて著者不明となっています。現在では、キリスト教カトリックの修道会士であるトマス・ア・ケンピス(ドイツ-オランダ:1380年~1471年)が著者であるとの説が有力ですが、それも異論があって現在も議論が続いているそうです。

写真は、私が愛用している『キリストにならう』です。ミニ・ロザリオと比較すると文庫本くらいの大きさですね。ここ数年はしていませんが、一時期はカバンに入れて一年を通して何度も繰り返して読んでいました。
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内容は、キリスト教の信仰に生きる人を完徳に至らしめるため、信仰における霊的生活の方法などを説いています。
①世俗的なものに固執せず、ただひたすらに謙遜して身を低め、自分自身を捨て去って苦難や非難にも耐え、ただ神を求めること。②人間である自らの弱さ、もろさ、罪深さをよく認識し、人に悪く言われようと軽蔑されようと、耐え忍び、何か手柄などたてても自分の功績とはしないこと。③すべての真理であり公正である神を信じ、信仰に帰依して人知を超えた難解な問題に対する深い知識を無理に得ようとはしないこと…………などなど、この書は修道に必要な生き方を説いています。

キリスト教修道会士の霊的な精神生活の完成のために書かれていますので、一般のキリスト教信徒には、少々合わないと思われる内容もあるように感じますが、それでも信仰のあり方や精神的な生活の指針などを説いていますので、真剣に霊的な信仰を願う方には、大いに役立つ貴重な書となります。また、昔から信徒でない方も多く読んでいることもあり、自己啓発としても参考になるのではないかと思います。私の読んでいる邦訳本は、フェデリコ・バルバロ神父訳の『キリストにならう(改訂版)』で、ドン・ボスコ社発刊のものです。文庫版くらいの大きさですので、聖書と一緒に持ち歩いて通勤電車の中で読んだりしています。
このお言葉ですが、まったくここに書いてあるとおりです!自分のこともできていないのに、他人のことを言えた立場ではないですね( ̄◇ ̄;)最も私の自戒するところです。
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