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相田みつをのことば(第9日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

「あなたにめぐり逢えて本当によかった。一人でもいい、心からそう言ってくれる人があれば。」

相田みつをのことは、「相田みつをのことば(第1日目)2022.4.3」をご覧ください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-04-03-1
大いに共感です!このようなことを言ってもらえれば最高ですね。言ってもらいたいのですが、その前に言ってもらえるような人間になれるよう、努力しなければならないかもしれませんが、そうだとも言い切れませんね。人間の出来不出来ではありません。これは隣人(相手)への優しさや思いやりのある一言の大切さを説いている言葉だと思います。
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相田みつをのことば(第8日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

「悲しいときは全身で悲しみ、嬉しいときには手放しで喜ぶ。そういう人間で私はありたい。 」

相田みつをのことは、「相田みつをのことば(第1日目)2022.4.3」をご覧ください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-04-03-1
基本的に「喜怒哀楽」は、素直に表現することです。そのようなことができる人は、人間本来の感情を持った人です。すべては“素直であれ”ということですね。ただ、怒りは、カトリック教会においては7つの大罪の一つとなりますから怒ってはいけませんね。喜びも悲しみもすべての表現は、周囲の人に配慮して「TPO」を考えてからのことです。

【TPO】
Time(時間)、Place(場所)、Occasion(場合)の頭文字をとった略語です。本来は、時、場所、場合に即した服装をすべきだというファッション業界の提案として登場したものです。要は、時と場所、場合に応じた方法・態度(服装等を含めて)の使い分けのことですね。
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相田みつをのことば(第7日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

「そのうち、そのうち。弁解しながら日が暮れる。」

相田みつをのことは、「相田みつをのことば(第1日目)2022.4.3」をご覧ください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-04-03-1
“先延ばし”は社会人にとっては御法度です!まして先延ばしの弁解をするような人に信用はありません!その日にできることは、その日のうちに行うのです。これが社会人の鉄則です!
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相田みつをのことば(第6日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

「ともかく具体的に動いてごらん。具体的に動けば具体的な答えが出るから。」

相田みつをのことは、「相田みつをのことば(第1日目)2022.4.3」をご覧ください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-04-03-1
このお言葉のとおりです。まずはアクションを起こすことです!動かなければ(始めなければ)何も変わりませんし、得ることもできませんね。動けば動いただけの結果=成果はついてきます。まずは、アクションあるのみです!
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相田みつをのことば(第5日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

「他人のものさし、自分のものさし、それぞれ寸法がちがうんだな。」

相田みつをのことは、「相田みつをのことば(第1日目)2022.4.3」をご覧ください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-04-03-1
人や物を見る目(物差し)は、人によって違いがあります。それは、生まれた場所も育った環境も性格も違うわけで、寸法は人それぞれなのですから。自分や他人を比較したり、評価された結果に一喜一憂する必要はありません。それぞれ人や物を見る目(物差し)は違うのです。また、世間や他人に合わせることも時には必要となりますが、人と同じ物差しを持つことはありません。自分らしさを大切にしたいものですね。
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相田みつをのことば(第4日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

「美しいものを美しいと思える、あなたの心が美しい。」

相田みつをのことは、「相田みつをのことば(第1日目)2022.4.3」をご覧ください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-04-03-1
ありのままの姿を自然に素直に見つめることができれば、その人の心は美しいのです。そのような心を持つことができれば、自分の心も美しくなれるというこです。美しさは、物理的なものだけではないということですね。心も美しさの対象になります。見た目の視覚的な美しさではなく、心的に美しい人になりたいものです。
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相田みつをのことば(第3日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

「与えられた今日のいのちを
イキイキはつらつと生きる。
それが仏様の教えだと
私は受け止めております。」

相田みつをのことは、「相田みつをのことば(第1日目)2022.4.3」をご覧ください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-04-03-1
「前を向いて明るく一生懸命に生きる」ということですね。それが仏様の教えだということです。これは「与えられた命が縁起によって存在している。」という仏教における基本思想の一つです。曹洞宗(そうとうしゅう)の経典「修証義(しゅしょうぎ)」に、「生を明らめ、死を明らむるは仏家一大事の因縁(いんねん)なり。(生まれるということ、生きているということ、死ぬとはどういうことかをあきらかにすることこそ、仏教者としてもっとも大事なことである)」とありますが、この仏道における因縁である”生のある命”、すなわち”命を生きる”ということは、仏教における大切な教えであるのです。

この言葉と直接的に同類ではありませんが、キリスト教では、福音書にイエス・キリストの聖句として次のとおり書かれています。この聖句の「全身が輝いている。」ということと、相田みつをが仏教の教えとする「イキイキはつらつと生きる。」とは同じことですね。
◯新約聖書:ルカによる福音書・第11章・第33~第36節
「ともしびをともして、隠れた所や升の下に置く人はいない。燭台の上に置いて、入ってくる人たちに、明かりが見えるようにする。目は体のともしびである。目が健やかであれば、全身が明るい。しかし目が患えば、体は闇となる。だから、あなたのうちにある光が闇とならないよう、気を付けなさい。もし、あなたの全身が明るく、少しも闇の部分がなければ、ともしびがその輝きであなたを照らす時のように、全身あ明かりに満ちたものとなる。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

【修証義】
曹洞宗の開祖である道元禅師が、修行僧を対象に書いた著作『正法眼蔵(しょうほうげんぞう)』から、在家の信徒への布教を念頭において、在家で実践できる受戒などの要点を全5章31節にまとめたものです。学生時代に倫理学を専攻していた私は、経典を読んではよく唱えていましたが、今でも時折り、お葬式で曹洞宗のお坊さんが唱えているのを聴くことがあります。
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相田みつをのことば(第2日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

「人生において最も大切な時
それはいつでもいまです。」

相田みつをのことは、「相田みつをのことば(第1日目)2022.4.3」をご覧ください。
「今=現在という時を大切にする」ということ。これは、“時”というものが連続する人間の営み(生活)の中で、たぶん連続して時間を意識できる人はいないと思いますが、それだけに、結果として時間を無駄にしてしまっている人は多いのではないかと思います。過去、現在、未来という時間の連続性を意識しなくても、“時間を大切にするという心掛け”は誰にでもできることです。無駄になった時間を差引して、「有意義な(ためになった)時間」が多ければ多いほどいいですね。
また、「今」が「機会(チャンス)」だったらどうでしょうか。だた一度の機会(チャンス)だとしたら、これは“大変貴重な時”ということになりますね。それが今かもしれないと思うと、今を無駄にはできないのです。
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相田みつをのことば(第1日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

「あなたがそこにただいるだけで、
その場の空気が明るくなる。
あなたがそこにただいるだけで、
みんなの心がやすらぐ。
そんなあなたに私もなりたい。」

相田みつを(相田光男・あいだ みつを・雅号は「貪不安(ドンフアン)」・栃木県・1924~1991年)は、詩人で書家です。平易な詩を独特の書体で書いた作品で知られています。書の詩人、“いのちの詩人”とも称されています。栃木県足利市に生まれ、旧制栃木県立足利中学校在学中に書や短歌、絵に親しんでいましたが、喫煙の濡れ衣をきせられ、軍事教練の教官に嫌われたために進学を断念し、卒業後は歌人・山下陸奥に師事しました。歌会で生涯の師となる曹洞宗高福寺の武井哲応と出会い、在家しながら禅を学びました。書家を志して岩沢渓石に師事。関東短期大学夜間部国文科卒です。

私が一番なりたいと思う人間像です。私だけでなく、誰もがなりたいと思うような存在ですね。このような人には必ず平安があります。今まで生きてきた中で、一人だけこのような人にお会いしたことがあります。その人は男性で年輩の方でしたが、近くにいるだけで“安心感のオーラ”が感じられるのです。そのような人になりたいと思って随分経ってしまいましたが、いまだになれずにいます(⌒-⌒; )平安を享受(きょうじゅ)する人ではなく、“平安を生む人”になりたいですね。

【享受】
受け入れて自分のものとすること。受け入れて、味わい楽しむこと。
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良寛和尚のことば(第4日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

今日は良寛和尚の「戒語」です。
良寛和尚のことは、「良寛和尚のことば(第1日目)2021.7.29」をご欄下さい。今日も自分に当てはまる言葉ばかりです(; ̄O ̄)

一、すべてことばはおしみおしみいうべし ※惜しみ惜しみ
「言葉はよく吟味し、しゃべりすぎてはいけない。」
言うべきことは、相手に伝わるようポイントを整理して話すべきで、無駄な余計なことをベラベラ話してはいけないのです。

二、いうたことはふたたびかえらず
「一度言ったことは取り返しがつかないから、注意して話しなさい。」
思わず言ってはいけないことを口走ってしまうことはあるものですが、しかし、一度話したことは取り消しがきかないこともあります。それまで良好であった人間関係が、一瞬にして悪くなってしまいます。最も注意すべきことですね。

三、人にそうおうせぬことはいわぬがよし
「相手に合わないことは言わないほうがよい。」
相手が興味のない聞きたくもないことや、話しの内容が相手に合わないようなことは話してはいけないのです。会話は、相手のことを考えて話すべきですね。

四、さしてもなきことをろんずる
「大して重要でもないことを、大事のように論じてはいけない。」
些細なことでも話を大きくする人がいますが、重要ではない何でもないことを大袈裟に話しさないことです。内容が相手に正確に伝わりません。

五、おどけのこうじたる
「あまりおどけすぎてはいけない。」
会話におけるユーモアは、必要でなくても大切なことだと思います。しかし、それも度を過ぎれば相手に信用されなくなります。
以上です。完!
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