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相田みつをのことば(第4日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

「美しいものを美しいと思える、あなたの心が美しい。」

相田みつをのことは、「相田みつをのことば(第1日目)2022.4.3」をご覧ください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-04-03-1
ありのままの姿を自然に素直に見つめることができれば、その人の心は美しいのです。そのような心を持つことができれば、自分の心も美しくなれるというこです。美しさは、物理的なものだけではないということですね。心も美しさの対象になります。見た目の視覚的な美しさではなく、心的に美しい人になりたいものです。
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相田みつをのことば(第3日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

「与えられた今日のいのちを
イキイキはつらつと生きる。
それが仏様の教えだと
私は受け止めております。」

相田みつをのことは、「相田みつをのことば(第1日目)2022.4.3」をご覧ください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-04-03-1
「前を向いて明るく一生懸命に生きる」ということですね。それが仏様の教えだということです。これは「与えられた命が縁起によって存在している。」という仏教における基本思想の一つです。曹洞宗(そうとうしゅう)の経典「修証義(しゅしょうぎ)」に、「生を明らめ、死を明らむるは仏家一大事の因縁(いんねん)なり。(生まれるということ、生きているということ、死ぬとはどういうことかをあきらかにすることこそ、仏教者としてもっとも大事なことである)」とありますが、この仏道における因縁である”生のある命”、すなわち”命を生きる”ということは、仏教における大切な教えであるのです。

この言葉と直接的に同類ではありませんが、キリスト教では、福音書にイエス・キリストの聖句として次のとおり書かれています。この聖句の「全身が輝いている。」ということと、相田みつをが仏教の教えとする「イキイキはつらつと生きる。」とは同じことですね。
◯新約聖書:ルカによる福音書・第11章・第33~第36節
「ともしびをともして、隠れた所や升の下に置く人はいない。燭台の上に置いて、入ってくる人たちに、明かりが見えるようにする。目は体のともしびである。目が健やかであれば、全身が明るい。しかし目が患えば、体は闇となる。だから、あなたのうちにある光が闇とならないよう、気を付けなさい。もし、あなたの全身が明るく、少しも闇の部分がなければ、ともしびがその輝きであなたを照らす時のように、全身あ明かりに満ちたものとなる。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

【修証義】
曹洞宗の開祖である道元禅師が、修行僧を対象に書いた著作『正法眼蔵(しょうほうげんぞう)』から、在家の信徒への布教を念頭において、在家で実践できる受戒などの要点を全5章31節にまとめたものです。学生時代に倫理学を専攻していた私は、経典を読んではよく唱えていましたが、今でも時折り、お葬式で曹洞宗のお坊さんが唱えているのを聴くことがあります。
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相田みつをのことば(第2日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

「人生において最も大切な時
それはいつでもいまです。」

相田みつをのことは、「相田みつをのことば(第1日目)2022.4.3」をご覧ください。
「今=現在という時を大切にする」ということ。これは、“時”というものが連続する人間の営み(生活)の中で、たぶん連続して時間を意識できる人はいないと思いますが、それだけに、結果として時間を無駄にしてしまっている人は多いのではないかと思います。過去、現在、未来という時間の連続性を意識しなくても、“時間を大切にするという心掛け”は誰にでもできることです。無駄になった時間を差引して、「有意義な(ためになった)時間」が多ければ多いほどいいですね。
また、「今」が「機会(チャンス)」だったらどうでしょうか。だた一度の機会(チャンス)だとしたら、これは“大変貴重な時”ということになりますね。それが今かもしれないと思うと、今を無駄にはできないのです。
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相田みつをのことば(第1日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

「あなたがそこにただいるだけで、
その場の空気が明るくなる。
あなたがそこにただいるだけで、
みんなの心がやすらぐ。
そんなあなたに私もなりたい。」

相田みつを(相田光男・あいだ みつを・雅号は「貪不安(ドンフアン)」・栃木県・1924~1991年)は、詩人で書家です。平易な詩を独特の書体で書いた作品で知られています。書の詩人、“いのちの詩人”とも称されています。栃木県足利市に生まれ、旧制栃木県立足利中学校在学中に書や短歌、絵に親しんでいましたが、喫煙の濡れ衣をきせられ、軍事教練の教官に嫌われたために進学を断念し、卒業後は歌人・山下陸奥に師事しました。歌会で生涯の師となる曹洞宗高福寺の武井哲応と出会い、在家しながら禅を学びました。書家を志して岩沢渓石に師事。関東短期大学夜間部国文科卒です。

私が一番なりたいと思う人間像です。私だけでなく、誰もがなりたいと思うような存在ですね。このような人には必ず平安があります。今まで生きてきた中で、一人だけこのような人にお会いしたことがあります。その人は男性で年輩の方でしたが、近くにいるだけで“安心感のオーラ”が感じられるのです。そのような人になりたいと思って随分経ってしまいましたが、いまだになれずにいます(⌒-⌒; )平安を享受(きょうじゅ)する人ではなく、“平安を生む人”になりたいですね。

【享受】
受け入れて自分のものとすること。受け入れて、味わい楽しむこと。
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良寛和尚のことば(第4日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

今日は良寛和尚の「戒語」です。
良寛和尚のことは、「良寛和尚のことば(第1日目)2021.7.29」をご欄下さい。今日も自分に当てはまる言葉ばかりです(; ̄O ̄)

一、すべてことばはおしみおしみいうべし ※惜しみ惜しみ
「言葉はよく吟味し、しゃべりすぎてはいけない。」
言うべきことは、相手に伝わるようポイントを整理して話すべきで、無駄な余計なことをベラベラ話してはいけないのです。

二、いうたことはふたたびかえらず
「一度言ったことは取り返しがつかないから、注意して話しなさい。」
思わず言ってはいけないことを口走ってしまうことはあるものですが、しかし、一度話したことは取り消しがきかないこともあります。それまで良好であった人間関係が、一瞬にして悪くなってしまいます。最も注意すべきことですね。

三、人にそうおうせぬことはいわぬがよし
「相手に合わないことは言わないほうがよい。」
相手が興味のない聞きたくもないことや、話しの内容が相手に合わないようなことは話してはいけないのです。会話は、相手のことを考えて話すべきですね。

四、さしてもなきことをろんずる
「大して重要でもないことを、大事のように論じてはいけない。」
些細なことでも話を大きくする人がいますが、重要ではない何でもないことを大袈裟に話しさないことです。内容が相手に正確に伝わりません。

五、おどけのこうじたる
「あまりおどけすぎてはいけない。」
会話におけるユーモアは、必要でなくても大切なことだと思います。しかし、それも度を過ぎれば相手に信用されなくなります。
以上です。完!
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良寛和尚のことば(第3日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

今日は良寛和尚の「戒語」です。
良寛和尚のことは、「良寛和尚のことば(第1日目)2021.7.29」をご欄下さい。もう身に浸みる言葉ばかりです!(⌒-⌒; )

一、くちのうちでものをいう
「ぼそぼそと独り言のように文句を言ってはいけない。」
相手に対して言いたいことがあるなら、面と向かってはっきり言ったほうがいいのです。ボソボソ言うのは相手に失礼になります!

二、しらぬ事をしったげにいう
「知らないことを知っているふうに言うのはよくない。」
知らないことは知らないとはっきり言うこと。知ったかぶりは、無知であることを証明するようなものです。後になって必ずやボロが出ます。恥をかきますよ!

三、客の前で人をしかる
「他人がいる前で人を叱ってはいけない。」
たとえ本人に落ち度があっても、恥ずかしい思いをさせられては素直に聞くことができないものです。ですから注意する時は、誰もいないところでしなければなりません。

四、にくきこころをもって人をしかる
「相手に対して憎しみなどの感情をもって人を叱ってはいけない。」
叱るときは、愛情をもってしかること。怒りや憎いという気持があって叱る意味がありません。相手に反省をほどこすのであれば、相手のためになるよう、その人の身になって話すことです。

五、おのがあしきことを人にぬりつくる
「自分が悪いのに他人に責任を転嫁して責めてはならない。」
これは論外ですね。他人に責任を擦り付けるなど言語道断です!反対に他人のミスを自分が被る(かぶる)ぐらいの度量の大きさがなくてはいけないですね。
今日は以上です。
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良寛和尚のことば(第2日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

今日は良寛和尚の「戒語」です。第1日目から20日ほと空きましたが、良寛和尚のことは「良寛和尚のことば(第1日目)2021.7.29」をご欄下さい。今日も勉強になります!

一、はな(鼻)であいさつする
「挨拶は適当にしてはいけない。」
いい加減な軽い挨拶を「鼻で挨拶する」と言いますが、大変失礼なことです!挨拶は、誰にでも心を込めて丁寧にすることですね。

二、人のへだつることをいう
「人を差別するようなことを言ってはいけない。」
人間は誰でも平等ですから差別をしてはいけないのです。 

三、人のきずくることをいう
「その人が気にしていることを言ってはならない。」
誰でも自分が気にしていることを言われるのは嫌なものです。そうであるならば、自分も他人には言ってはいけないのです。

四、はらたちながら人にことわりをいう
「心の中で怒りながら人に理屈を説いてはいけない。」
怒っている人の言うことは、それがたとえ正しくても素直に聞けないものです。他人に話をするときは、冷静にそして落ち着いてすることです。

五、神仏のことかろがろしくさたする
「神や仏のことを軽々しく口にしてはいけない」
神仏への信心や理解がないのに、尊い存在である神様や仏様のことを軽々しく口にしてはいけないのです。バチが当たりますよ!
今日は以上です。
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良寛和尚のことば(第1日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

良寛(りょうかん:1758年~1831年)和尚は、江戸時代後期の仏教の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家です。俗名は山本文孝。号は「大愚(たいぐ)といいます。良寛和尚は、皆さんよくご存じですね。今日から良寛和尚の語った「戒語(かいご:戒めの言葉)」を掲載します。すべて人間関係に役立つ言葉ですね。どれもこれも私の自戒とする言葉です( ̄▽ ̄;)

一、てがらばなし
「手柄話し(自慢話し)を得意になってしてはいけない。」
自慢話しをしても、聞く相手にとっては面白くもなんともないことで、相手に不愉快な思いをさせることになりますからしないことですね。

二、おのがいじをとおす
「自分の意地を通してはいけない。」 
意地を通すと人間関係が窮屈になるからしないことです。相手の気持ちも考えないとね( ̄▽ ̄;)

三、おしはかりにものをいう
「自分で確かめもしないのに想像や憶測でものを語って(言って)はいけない。」
想像はだいたいが現実とは違うものですね。これは人間関係を悪くする恐れがあり、人としてしてはいけない悪意につながります。

四、しんせつげにものをいう
「親切そうなふりをして語ってはいけない。」
本当はしないかもしれないのに、見せかけの親切はしてはいけないのです。不誠実です。このような人を偽善者(きぜんしゃ)といいます。

五、この事すまぬうちにかの事いう
「人の話の腰を折ってはいけない。」
人の話は最後までよく聴くことです。話しの途中で割って入って発言してはいけないです。
今日は以上です。
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夏目漱石のことば(第6日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

「前後を切断せよ、満身の力をこめて現在に働け。」

夏目漱石のことは、「夏目漱石のことば(第1日目)2021.5.7」をご覧ください。
漱石先生の力強いお言葉です。「前後を切断せよ」とは、「いつまでも過去に囚われるな!将来を考え過ぎて不安になるな!」と私は解釈します。そして、「満身の力をこめて現在に働け」とは、「今という時間を無駄にすることなく一生懸命にやれ!」と解釈します。そうです!大切なのは今・現在なのです。今・現在という時間を一生懸命にやれば、やがてそれが過去となり未来となるのです。
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夏目漱石のことば(第5日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

「自分に誠実でないものは、決して他人に誠実であり得ない。」

夏目漱石のことは、「夏目漱石のことば(第1日目)2021.5.7」をご覧ください。
漱石先生のお言葉のとおりです。単純な言葉ですが、とても大切な言葉ですね。どうしても自分の心に嘘・偽り等の不誠実なところがあると、当然のこと他の人に誠実に接することはできません。人間関係を良好に保ち、信頼関係を構築したいのなら、自分にも他の人にも同じように誠実な態度であるべきですね。
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