キリスト者(クリスチャン) ブログトップ
前の10件 | 次の10件

チャールズ・ディケンズ のことば(第4日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「電気的な通信手段は、対面して勇敢で誠実であれと、心から鼓舞する人の代わりを果たすことは決してないであろう。」

チャールズ・ディケンズのことは、「チャールズ・ディケンズのことば(第1日目)2024.1.6」をご覧下さい。https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2024-01-06
ディケンズの生きたのは1812年~1870年ですが、この時代に、すでにディケンズは現代私達の時代を予測していたのです。「電気的な通信手段」とは、今でいう携帯電話や電子メールなどのことになります。その弊害を予測するとは凄いことですね。やはり何時の時代も、意思疎通の基本は “ 膝をつきあわせて、面と向かい合って ” なのです!
nice!(0)  コメント(0) 

チャールズ・ディケンズ のことば(第3日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「病気や悲しみも人にうつるが、笑いと上機嫌ほどうつりやすいものはこの世にない。」

チャールズ・ディケンズのことは、「チャールズ・ディケンズのことば(第1日目)2024.1.6」をご覧下さい。https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2024-01-06
病気や悲しみの伝染よりも、笑い(*^▽^*)の伝染の方がいいですよね。これはその人の心の持ち様だと思いますが、たとえ病気や悲しみの中にあっても、心の持ち様によっては、とても上機嫌とまではいかないでしょうが、笑い(*^▽^*) には変えることはできると私は確信しています。それは、信仰心があるからですね。神様は、いつも病人や悲しみにある人の側におられるからです。そう思うと心が安らかになりますから、上機嫌とまではいかないにしても笑いに変えることができるのですね。
nice!(0)  コメント(0) 

小原国芳のことば [キリスト者(クリスチャン)]

写真.JPG

「人生の最も苦しい、いやな、辛い、損な場面を真っ先に微笑みをもって担当せよ
玉川モットー 小原国芳 」

この記事は、過去にこのブログに掲載した記事の再掲載となります。
小原国芳(おばら くによし:1887年~1977年)先生は、キリスト教プロテスタン教会日本基督教団のクリスチャンで、教育学者、学校法人玉川学園の創立者です。なお、玉川学園はキリスト教系の学校ではありませんが、学内に礼拝堂があります。私が最も尊敬する教育者であり、偉大な “ 私学人 ” です。この言葉は、いつも私の自戒としてるところであり大好きな言葉です。しかし、 ” やっか い ” な言葉でもあります。でも、そこを克服してこそ、この言葉の真価が発揮できるのだと思います。「微笑みをもって」ですね。

小原先生のプロフィールですが、先生は鹿児島県に生まれ、13歳で通信技術養成所に入所し、鹿児島大浜海底電信所の技手となりました。後に鹿児島師範学校、広島高等師範学校を卒業しています。1913年に香川師範学校の教諭となり、1915年、29歳で京都帝国大学文学部哲学科に入学。大学卒業後、広島高等師範附属小学校の教諭、理事(教務主任に相当)となり、1919年に澤柳政太郎が成城学園を創設するに当たり、長田新の推挙で成城小学校主事(訓導)として赴任しています。

1926年に成城高等学校の校長となり、小田急電鉄の駅(現在の成城学園前駅)を招致して宅地開発を行いその利益で学校を建設する方法で成城学園を拡大しました。その手法を応用し(現在の玉川学園前駅)、1929年に自ら玉川学園を創設しました。玉川学園はその後、幼稚園・小学部・中学部・高等部・大学・大学院をそろえた大規模な総合学園に成長しました。先生は生前、自らを「玉川のオヤジ」と称し、「教壇で死にたい」とよく話していたそうですが、1977年12月に90歳で亡くなる数ヶ月前まで、点滴を受けながら大講義室の壇上で熱弁を奮い、まさに人生を教育に捧げた一生でした。

この言葉は、現在も玉川学園の教育理念(使命)として生きています。玉川大学・玉川学園のホームページの教育理念に次のとおり掲載されています。「………どの時代にあっても不満はあります。しかし、そうしたことを改善していく困難な仕事を誰かが担わなければならないのであれば、「人生の最も苦しい、いやな、辛い、損な場面を、真先に微笑をもって担当する」気概のある人こそが21世紀を先導していくに相応しい人です。この先には未知の苦難が横たわっていますが、失敗を恐れずに難関に挑戦していく『人生の開拓者』を育てていくこを本学は使命としています。………」とのことです。

写真は、ある方からいただいた色紙です。自室に飾ってあるのですが、先生直筆の本物と思いきや、後で分かったのですが、小田急線玉川学園前駅の近くにある大学の購買部で販売していました。この言葉は私の心に染みましたね~。先生は、単に苦しいのではなく、①最も苦しいと表現し、そして②嫌な、③辛い、④損であるとわかっていながら、⑤誰よりも先頭に立って、しかも、⑥微笑みをもってやるようにと説いておられます。これはすごい言葉です。6つも条件があります。何事も “ 率先してやる ” こと。組織のリーダー像の一つに挙げられることですね。そして大切なことは、最後にある微笑みをもってやることですが、微笑みをもってやるようにということは、「喜んでやりなさい」ということですね。
私の自戒とする言葉であり、65歳となった今でも目標とする言葉です。
nice!(0)  コメント(0) 

「斎藤宗次郎・雨ニモマケズ」のお話し [キリスト者(クリスチャン)]

この記事は、過去にこのブログに掲載した記事の再掲載となります。
◯次の文章は、斎藤宗次郎(さいとう そうじろう)という人が書いた『二荊自叙伝(にけい じじょでん)』という自伝に書かれている文章です。
「西郊に新築せる農学校を訪うて宮沢賢治先生に会うた。(中略)氏は予を款待して呉れた。椅子を取出して予をして之に倚らしめた。更に蓄音器によってピアノの数曲を予に供したのであった。予は例の如く冥目拱手して氏と共にベートーベンの第四シンフォニーに心耳を傾倒して恍惚たるものがあった。」
◯現代語に訳すと
「西の郊外に新しくできた農学校を訪問して宮沢賢治先生にお会いしました。(中略)先生は私を手厚くもてなして、椅子に座るように勧めてくれました。更に蓄音機(ちくおんき)でピアノの曲を数曲聴かせてくださいました。私は目を閉じて両手の指を組んで、先生と共にヴェートーヴェンの交響曲第4番に耳を傾け心を奪われうっとりしていたのでした。」
この文章を読む限り、宮沢賢治と斎藤宗次郎が親しい関係であったことが分かる内容ですね。今日は長くなりますが、斎藤宗次郎のご紹介をしたいと思います。

宮沢賢治といえば、『雨ニモマケズ』という詩が学校の教科書にも登場するくらい有名です。暗記している方もいると思いますが、ここに全文をご紹介します。
「雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういう者に
わたしはなりたい 」

【原文】
「雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ」

この詩の最後に「そういう者に、私はなりたい。」と書かれていますが、この「そういう者」の実在のモデルが存在したことをご存知でしょうか?その人こそ冒頭でご紹介した斎藤宗次郎です。宮沢賢治のこの詩は、斎藤宗次郎のことを詩にしているのです。斎藤宗次郎(1877年~1968年)は、キリスト教無教会派のクリスチャンです。岩手県東和賀郡笹間村(現在の花巻市)で、曹洞宗のお寺の三男として生まれました。小学校の教師になり、何かのきっかけで聖書を読むようになり、1900年の冬に洗礼を受けました。この時は、カナダのキリスト教プロテスタントのバプテスト派の宣教師から洗礼を受けていますが、やがて東京に出てからは、内村鑑三に傾倒してキリスト教無教会派の信徒になっています。

この時代は、キリスト教がまだ「耶蘇教(やそきょう)」となどと呼ばれ、人々から迫害されていたころでしたので、宗次郎はクリスチャンになった日に親から勘当されたそうです。町を歩いていると「やそ!」とあざけられ、何度も石を投げられたそうです。彼はいわれのない中傷誹謗を何度も受け、ついには小学校の教師を辞めることになります。また、宗次郎の長女はある日「ヤソの子供」と言われ腹を蹴られ、腹膜炎を起こして数日後9歳という幼さで帰天しました。(帰天(きてん)とは天国に帰ること、つまり死亡したということです。)

そのような悲惨な目に遭っても、彼は信仰を捨てずに生き続けました。ただ、宗次郎にも迫害(偏見)される一因はあるという研究者もいます。それは、養父の一周忌をキリスト教式で行っただけでなく、仏教の法事、神道の祭礼などを一切やめると親戚や近所の住民に一方的に通告し、一周忌に集まった人々には、もちろん酒などは一滴もふるまうことない、町の祭礼の寄付金は断り、神社の社殿の改築費の割り当てにも一切応じなかったそうです。そのように、その土地の旧来の慣習や風習に従わず、まったく妥協しないところがありました。

こんな頑なな態度をとっていたら、町の人々から反感をもたれるのは当然だろうと思いますし、このような時代に原理主義的な考えでいたら、融通がきかない頑固な人ということになってしまいますね。そのくらい “ 表裏のない真正直な性格で生き方に下手な人 ” だったのだと思います。私は、そこまで徹底した信仰にただただ自戒するのみです。教師を辞めることになった宗次郎は、朝3時から新聞配達をして生活をするようになり、重労働の中、肺結核を患い何度か血を吐きながら、それでも毎朝3時に起きて夜遅くまで働き、必ず聖書を読んで祈ってから寝るという生活を続けました。

不思議な事に、このような激しい生活が20年あまりも続いたにもかかわらず、彼の身体は持ちこたえていたそうです。これはもう主イエス・キリストの恩寵に守られていたからだと思います。また、自分の娘を失ったにもかかわらず、冬になって雪が積もると、彼は小学校への通路を雪かきをして道を作っていたそうです。彼は雨の日も、風の日も、雪の日も休む事なく、地域の人々のために働き続けました。また、新聞配達の帰りには病人を見舞い、励まし、慰めました。宗次郎の生き方は、第一にイエス・キリスト、第二に周りの人々、最後に自分という優先順位をつけていたとのことです。

やがて彼は、東京に引越しすることになったのですが、迫害していたはずの町長や、学校の先生や、たくさんの生徒、そして町中の人々が彼を見送るために駅に集まりました。人々は宗次郎がいつもしてくれたことに、感謝をしに駅に見送りにやってきたのでした。その人々の中に宮沢賢治もいて『雨ニモマケズ』の詩を創ったといわれています。宗次郎は、町のみんなから迫害され、愛娘が殺されたにもかかわらず、主であるイエス・キリストを信じ、そしてイエス・キリストの教えである「隣人への愛」と「人への赦し」を自らが実践したのです。これは誰でもできることではありませんね。1968年(昭和43年)に90歳で帰天されましたから、私が小学校4年生の年です。是非お会いしたかったですね。このような人を聖人として崇敬したいと思います。
428437362_large.jpg
ところで、斎藤宗次郎の自伝『二荊自叙伝』ですが、この「二荊(にけい)」について説明いたします。まず、荊(いばら)の意味ですが、これは、イエス・キリストが磔刑される時、荊の冠をかぶせられたのを「一」、つまり一番目とし、宗次郎もイエス・キリストに倣い、自分への荊の冠を「二」、二番目とする考えから二荊としたそうです。荊で編んだ冠ですから、頭にかぶれば痛いのは当然ですね。イエス・キリストの磔刑の場面を画いた絵画には頭から血が流れている様子が画かれています。これを宗次郎は、イエス・キリストの痛みを自分も同じように感じて同じ苦難を受けることで、主であるイエス・キリストと共にいるのだという想いを込めて「二荊」と名付けたようです。岩波書店から上下2巻で出版されましたが現在は絶版になっています。
nice!(0)  コメント(0) 

チャールズ・ディケンズ のことば(第2日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「今日できることを明日にしてはいけない。遅延は時間の泥棒だからだ。」

チャールズ・ディケンズのことは、「チャールズ・ディケンズのことば(第1日目)2024.1.6.」をご覧下さい。
このお言葉のとおりですね。このブログで似たような言葉を何度も取り上げていますが、仕事をする上で「先延ばし」は、社会人として絶対にしてはいけないことの第一義です。

◯中国の儒学者である朱子(しゅし)も次のとおり説いています。
「「今日やらなくても、明日やればいい」などという言葉は使ってはいけない。「今年やらなくても、来年やればいい」などという言葉は使ってはいけない。」
【原文】
「言うなかれ、今日学ばずして来日ありと。言うなかれ、今年学ばずして来年ありと。」
朱子(しゅし・中国福建省:1130年~1200年)は、中国の宋時代の儒学者です。姓は朱、諱(いみな:生前の実名)は熹(き)、字(あざ:実名以外の名)は元晦または仲晦、号は晦庵・晦翁・雲谷老人・滄洲病叟・遯翁など。朱子は尊称です。儒教の体系化を図った儒教の中興者であり、いわゆる新儒教の「朱子学」の創始者です。『論語』、『孟子』、『大学』と『中庸』(『礼記』の一篇から独立させたもの)のいわゆる「四書」に注釈を施したことで有名です。もちろんクリスチャンではありません。
昔から “ 先延ばし ” はいけないことだと賢人は説いています。今日できることは今日やる!これが人生における鉄則ですね。社会人としては当たり前の言葉です!
nice!(0)  コメント(0) 

チャールズ・ディケンズのことば(第1日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「この世に生きる価値のない人などいない。人は誰でも、誰かの重荷を軽くしてあげることができるからだ。」

チャールズ・ジョン・ハファム・ディケンズ(イギリス:1812年~1870年)は、イギリス・ヴィクトリア朝時代を代表する小説家です。主に下層階級を主人公とし弱者の視点で社会を諷刺した作品を発表しています。ディケンズ家は中流階級の家庭でしたが、父親は金銭感覚に乏しく、一家は貧しかったようです。チャールズが10歳のときに一家はロンドンに移りますが、濫費によって12歳のときに生家が破産します。父親は借金不払いのために収監され、チャールズは親戚の靴墨工場へ働きに出されました。工場での仕打ちはひどく、彼の精神に深い傷を残したそうです。

新聞記者を務めるかたわら、発表した作品集『ボズのスケッチ集(英語版)』が世に出ます。イギリスの国民作家とも評されていて、1992年から2003年まで用いられた10UKポンド紙幣に肖像画が描かれているほどです。英語圏では、彼の本、そして彼によって創造された登場人物が根強い人気を持って親しまれており、『オリバー・ツイスト』、『クリスマス・キャロル』、『デイヴィッド・コパフィールド』、『二都物語』や『大いなる遺産』などは、忘れ去られることなく現在でも度々映画化されており、英語圏外でもその作品が支持され続けていることを反映しています。晩年は創作力の衰えと並行して執筆を離れて公開朗読に熱中し、過労で死期を早めたそうです。1870年6月9日、ケント州の自宅で脳卒中により死去し、58年の生涯を閉じました。
クリスチャンらしい言葉ですね。大切なことは、すべての人が誰かのために尽くすことができるのです。これは「善き行い」の基本ですね。これぞイエス・キリストが説く「隣人愛」なのです。

◯新約聖書:マタイによる福音書・第11章・第28〜第30節に、次の聖句(イエス・キリストの言葉)があります。チャールズ・ディケンズの言葉は、イエス・キリストの聖句のようになりなさいと諭しているのですね。
「労苦し、重荷を背負っている者はみな、わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしの心は柔和で謙遜であるから、わたしの軛(くびき)を受け入れ、わたしに学びなさい。そうすれば、あなた方は魂の安らぎを見出す。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
『原文校訂によるフランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
nice!(1)  コメント(0) 

コーリー・テン・ブームのことば(第2日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「幸福というものは環境によって左右されるのではなく、その中における人間相互の関係によって決まる。」

コーリー・テン・ブームのことは、「コーリー・テン・ブームのことば(第1日目)2023.12.23」をご覧下さい。
幸福は、自分が置かれた環境やお金や物で決まるものではないのです。自分を取り巻く人間関係が良好であれば悩むこともないですし、たとえ人間関係以外で悩むことがあっても、人間関係が良好であれば誰とでも相談して解決できますよね。生きていく上で、良好な人間関係ほど大切なことはありません。
nice!(0)  コメント(0) 

コーリー・テン・ブームのことば(第1日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「赦しは、怒りの扉を開き、憎しみの手錠を外す鍵です。それは悲痛の鎖を断ち、利己心という足かせを断つものです。イエスの赦しは、わたしたちの罪を取り除くばかりでなく、あたかも罪などなかったかのようにしてくださるのです。」

コーリー・テン・ブーム(オランダ:1892年~1983・女性)は、キリスト教プロテスタント教会のクリスチャンで、第二次世界大戦中に多くのユダヤ人をナチスから助けたホロコーストの生残者です。ブームは、その体験を同名の映画にもなった自伝『わたしの隠れ場』に書き、1967年にイスラエルから諸国民の中の正義の人の栄誉を受けました。詳細は、次の著作をお読みください。感動そのものです。涙を流さない人はいないでしょう。
『わたしの隠れ場』いのちのことば社
『主のための放浪者-わたしの隠れ場 続編-』いのちのことば社
『何という愛』いのちのことば社

この言葉にある「赦し」は、「隣人への愛」と同様にイエス・キリストの最大の教えです。人に対する怒り、憤り、憎しみ、妬み、恨み、これらはすべて罪になるのですが、これを克服して赦すことは生涯にわたる大きな課題となります。それほど難しいものだと思います。イエス・キリストが私たちを赦したように、私たちも人を赦して心を解放すること。これが真の信仰となるのですね。この言葉は、ブームの信仰告白でもあります。
nice!(1)  コメント(0) 

キング牧師のことば [キリスト者(クリスチャン)]

現在、ウクライナやパレスチナのガザ地区で起きている戦争で、私が思い出すのはキング牧師の次の言葉です。
「闇で闇を追い払うことはできない。
光のみがそれを成し得る。
憎しみで憎しみを追い払うことはできない。
愛のみがそれを成し得る。」

◯この言葉は、キング牧師の言葉です。彼が「闇と光」と題して述べた中にあります。
「暴力の究極の弱点は破壊しようとする当のものを生み出してすまう悪循環でしかないことだ。
暴力によってウソつきを殺すことはできてもウソを殺すことはできないし真実を確立することもできない。
暴力によって憎しみを抱えた者を殺すことはできても憎しみを殺すことはできない。
反対に、暴力は憎しみを増大させるだけだ。そして、その連鎖に終わりはない。
暴力を暴力で返すことは、暴力を増殖し星のない夜の闇をさらに深めてしまう。
闇に闇を追い払うことはできない。光だけがそれを可能にする
憎しみに憎しみを消し去ることはできない。愛だけがそれを可能にする。」
IMG_5945.jpeg
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(1929年~1968年)は、アメリカ合衆国のキリスト教プロテスタント教会の牧師です。「キング牧師」の名で有名ですね。アフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者として活躍しました。「I Have a Dream(私には夢がある)」で知られる有名な演説を行い、1964年にノーベル平和賞を受賞、アメリカの人種差別(特にアフリカ系アメリカ人への人種差別)の歴史を語る上で、なくてはならない重要人物です。

1862年に、エイブラハム・リンカーン大統領によって行われた「奴隷解放宣言」により、アメリカ合衆国での奴隷制度は廃止されました。しかし、奴隷制度からの解放は直ちに人種差別の撤廃を意味するものではなく、その後も人種によって取り扱いを異なるものとすることや、特に学校やトイレ、プールなどの公共施設やバスなどの公共交通等において、白人と非白人等の区別に基づいて異なる施設を用いることは容認されたままだったのです。この人種差別撤廃を目指し、キング牧師は公民権運動(人種差別撤廃運動)をあらゆる困難に遭いながらも、非暴力主義を貫いて1968年に暗殺される最後の最後まで続けました。

1963年8月28日に行われたワシントン大行進において、リンカーン記念堂の前で有名な“ I Have a Dream ”(私には夢がある)で始まる演説を行い、人種差別の撤廃と各人種の協和という崇高な理想を簡潔な文体と平易な言葉で訴え広く共感を呼びました。演説は即興で行われたそうで、その内容は高く評価され、1961年に就任したジョン・F・ケネディの大統領就任演説と並び20世紀のアメリカを代表する名演説として有名になっています。インーネットで「キング牧師 私には夢がある」で検索してください。ワシントン大行進の際の演説全文を掲載したサイトが見つかると思いますので、皆さま是非お読みください。

この言葉ですが、
現在、ウクライナではロシアによる侵略戦争が行われています。パレスチナのガザ地区では悲惨な戦争が続いています。隣国が敵対する陣営に参加しそうだからその隣国を侵略するとか、身内が殺されたから憎い相手を殺すとか、憎しみによる侵略戦争や殺されたから殺すという憎しみによる報復の理論では、世界平和は絶対に訪れないということは誰でも分かっているはずです………しかし、宗教や民族などの違いによる長いながい歴史的な経緯よって、悲しいことに双方とももう憎しみの連鎖を断ち切ることができないでいるのです。

死刑制度にしても人が人を殺すことにかわりはありません。私は、死刑制度には反対です。私には肉親を殺されたことはありませんから、肉親を殺された方の心境には絶対になれないと思いますが、だからといって人を死刑にするということは、あってはならない殺人行為だと思います。そのような相手でも、「愛」をもって接することをキング牧師は説いています。イエス・キリストの最大の教えは「隣人への愛」と「人への赦し」です。非常に難しいことかもしれませんが、それでも愛と赦しは人間にとって一番大切な行為です。
nice!(0)  コメント(0) 

城山三郎のことば(第4日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「英語で『チャンス・メーカー』という言葉がありますね。
『チャンス・キャッチャー』とはいわない。
チャンスは、つくるものなんです。」

城山三郎のことは、「城山三郎のことば(第1日目)2023.9.18」をご覧ください。
なるほど納得の言葉です。よくチャンス到来とか言いますが、チャンスは受け身じゃなくて自分で作るものなのですね。
nice!(0)  コメント(0) 
前の10件 | 次の10件 キリスト者(クリスチャン) ブログトップ