吹奏楽日記2020.8.19(不定期連載〈私の吹奏楽人生〉再開!) [吹奏楽日記]

昨年の8月3日以来、久しぶりの吹奏楽日記です。約1年ぶりですね。その時の記事は「吹奏楽日記2019.8.3(感謝状)」という記事でした。アドレスは次のとおりです。https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2019-08-03
私は、中学2年生から大学4年生の9年間を吹奏楽部の活動で青春時代を謳歌し、現在の私という人間が形成されました。担当楽器は、中学2年間がトロンボーン、高校1年時からホルンでした。現在は、吹奏楽から完全に足を洗っていますが、テレビなどで吹奏楽の曲に出会うと、やはり懐かしさを感じますね。大学卒業後は、吹奏楽連盟の役員として連盟運営などの後進の指導に当たっていましたが、それも一昨年の3月に引退させていただきました。そのあたりのことは、このブログに書かせていただきましたのでご覧ください。
「吹奏楽日記2019.3.28(退任、そして引退)」次のアドレスは次のとおりですので、是非ともご覧ください。https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2019-03-28

そこで、私と吹奏楽の出会いから、引退までをこのブログに書き留めておこうと考え、昨年の3月に「不定期連載・<私の吹奏楽人生>第1回「出会い!」」を掲載いたしました。アドレスは次のとおりですので、こちらも是非ともご覧ください。https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2019-03-30
しかし、長い間掲載しないで放置していました( ̄▽ ̄;) そこで、連載を再開することにしました。第2回、第3回を続けて掲載いたしましたので、お読みいただければと思います。

◯不定期連載・<私の吹奏楽人生>第2回「快挙!」
昭和48年・中学3年生時は副部長となり、この年の吹奏楽部の合い言葉は「打倒・菰中!(菰野(こもの)町立菰野中学校)」でした。三重県吹奏楽コンクール中学校大編成の部で前年に県優勝をしている強豪校です。ほとんど実現不可能な合い言葉でしたが、この菰野中学を倒すことができれば、金賞はもちろん県代表になって東海大会に出場できるのです。恩師のW先生も前任校の四日市市立港中学校で金賞、優勝、県代表を経験しており、指導においてはピカイチです!が、なにせ初心者軍団の我が四日市市立南中学校吹奏楽部は、よほどの練習をしないと夢の域を脱することはできません。そこで、日曜日も練習日にしたのでした………ということは、休みなしの毎日練習となりました。今でいうブラッククラブですね(; ̄O ̄)

この年のコンクールは、課題曲は兼田敏作曲の「吹奏楽のための寓話」で、自由曲は「交響的断章」で有名なヴァーツラフ・ネリベル作曲の「フェスティーヴォ」でした。ヤマハ吹奏楽団浜松が演奏(レコーディング)して有名となった曲です。課題曲は途中に変拍子があり、本当によく練習しました。1期下の2年生の何人かはものすごく上達して、合奏(アンサンブル)の中心的な存在となっていきました。武蔵野音楽大学に進学したユーフォニウムのS君と一橋大学に進学したトロンボーンのI君は特に上手かったですね~。トロンボーン・パートでは、I君が1st(1番)の楽譜、私が2nd(2番)の楽譜でした。つまり後輩のI君の方が上手い!ということですね(⌒-⌒;)そのI君は、今では大学(大学院)教授となっています。

<I君のその後>
一橋大学商学部に進学。1982年大学卒業後、同大学院商学部研究科経て、米国スタンフォード大学に留学し、1988年同大学より意思決定科学専攻としてPh.D.を取得しました。学位取得後、カリフォルニア大学サンディエゴ校国際関係・環太平洋研究大学院客員助教授(1988年~1990年)、京都大学経済学部助教授 (1988年~1996年)、スタンフォード大学経済学部客員准教授(1993年)、大阪大学社会経済研究所助教授 (1996年~2000年)、コロンビア大学経済学部客員准教授(1998年)、一橋大学大学院商学研究科教授(2000年~2017年)、早稲田大学大学院経営管理研究科教授(2017年~)。1993年冲永賞受賞。2003年には日本経済学会から国際的に高い研究業績を挙げていることを評価され中原賞を受賞しました。

この年の三重県吹奏楽コンクール中学校大編成の部の結果は、なんと!ななんと!コンクール出場2年目にして金賞、優勝、県代表という快挙となりました!毎日一生懸命練習した成果ですが、まったく誰も予想しない結果でした。嬉しくて皆で号泣しました。さすがはW先生です。赴任2年目にして、しかも初心者軍団をよくぞここまで育ててくれました。しかし、閉会式が終わってからのW先生の第一声を覚えていますが、それは「こんな演奏で優勝なんかしてええんか~?」でした。この年に学んだことは、「絶対に諦めないこと。」でした。この62歳になった今でも生きている言葉です。ちなみに、このコンクールの実況録音盤もありますが………2ndトロンボーンの音が………外れている(; ̄O ̄)
(つづく)

◯不定期連載・<私の吹奏楽人生>第3回「衝撃!」
昭和48年、中学3年生の三重県吹奏楽コンクール中学校大編成の部(県大会)は、コンクール出場2年目にして金賞、優勝、県代表でした。そして、三重県代表として初めて東海吹奏楽コンクール中学校の部(全日本の支部大会)に出場しました。このコンクールは、愛知県、静岡県、三重県、岐阜県及び長野県の東海支部5県の代表校によって争われ、成績上位2校が全日本吹奏楽コンクール中学校の部(全国大会)に出場することになります。強豪校は演奏レベルの高い愛知県と静岡県に集中しており、結果は、愛知県の蒲郡中学校と静岡県の由比中学校が金賞・東海代表となりました。

ちなみに、私の四日市市立南中学校は正々堂々の銅賞でした(⌒-⌒;)三重県の四日市市から貸切りバスで、コンクール会場となっている名古屋市の愛知県勤労会館に向かったわけですが、みんな初出場ということもあって緊張感はありましが、バス旅行みたいなウキウキ気分もありましたね。ところで、愛知県勤労会館に着いた駐車場でのことですが、私達のバスが駐車したところに、右側に愛知県の蒲郡(がまごおり)中学校のバスが駐車し、続いて左側に静岡県の由比(ゆい)中学校のバスが駐車しました。結果的にこの2校が全国大会に出場することになるのですが。

さて、この時の実況放送です。なお、三重県四日市市は伊勢弁ですが、愛知県の尾張弁や三河弁の影響は受けず、どちらかというと関西弁です。
「おぉ~!みんな右のバス見てみ!蒲中(がまちゅう)のバスやで!」
「めちゃくちゃ上手い学校やん!」
「なんかおいらと顔が違うえで。」
「ほんまやな~。上手そうな顔しとるわ。」
「おぉ~!今度は左に由比中のバスが来たぞ~!」
「すっげ~な~!」
「いつも金賞取っとる由比中やろ。」
「あかんわ。こんな上手いところに挟まれたらもうおしまいや。」
「そや、もう終わったがな………。」

全員がバスの左右の窓に張り付いて、ワイワイ言っていたら………参加団体受付から戻ってきたW先生が「おまえらアホとちゃうか!ほんまに田舎もんやな~、わけのわからんこと言うとらんと、さっさとバスから降りやんか!」と(⌒-⌒; )
初出場ということで、もちろん緊張感はありましたが、正直バス旅行気分で来た田舎の純粋な中学生です。自分達の学校と演奏レベルがまったく違う両校の演奏に衝撃を受け、強烈な印象を心に刻んだコンクールとなりました。
(つづく)
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