不定期連載・<私の吹奏楽人生>第1回「出会い」 [吹奏楽日記]

吹奏楽との出会いは、昭和47年・四日市市立南中学校の2年生になる前の1月でした。入学以来剣道部に所属していましたが、吹奏楽部を退部希望の友人が、先輩から「退部するなら、身代わりをつれてこい!」と言われたらしく、その身代わりを私が買って出て、剣道部を退部して吹奏楽部に入ったのでした。そのころの剣道部は、テレビで高校剣道部の青春ドラマ「打ち込め青春!」の影響で人気があり、1年生だけで30人を超えるほどおりましたから、面や胴といった防具が足りません。毎日竹刀の素振りばかりでつまらない日々を過ごしており、いつか退部してやろうと思っていたところでした。

入部した翌々月の3月の春休みに、隣の吹奏楽の強豪四日市市立港中学校から音楽のW先生が、4月からの転勤の前に吹奏楽部の実態調査?のためにやって来たのでした。その時が、恩師W先生との最初の出会いでした。まだ30歳前ぐらいだったと思います。国立三重大学教育学部出身、三重大学吹奏楽団で学生指揮、オーボエを吹いていたそうです。後に、教頭そして校長となって定年退職されました。決して大袈裟ではなく、いわゆる“人格”としての現在の私があるのは、恩師W先生のお陰です。私の人間形成に大きな影響を与えた3人の教師の一人でした。あっ(⌒-⌒; )まだお元気です!

20数名しかいなかった吹奏楽部をなんとか45人編成(当時の大編成)にするため、新入生はもちろんのこと、2年生も勧誘しました。おかげで、私の同期は野球部、サッカー部、バスケット部、茶道部などの退部者がいます。勧誘の合い言葉は「吹奏楽部に入って長野に行こう!」でした。この年の吹奏楽コンクールの東海大会は、長野市で開催されることになっていましたから、田舎者の中学生には魅力的な言葉でした。しかし、約半数は初心者でコンクールに出場したこともなく、金賞をとって三重県代表になるのは夢のまた夢の話しでしたね。ちなみに、担当楽器はトロンボーンでした。

この年の三重県吹奏楽コンクールは、勧誘で部員を寄せ集めた成果もあって、中学校大編成の部に初出場を果たしました。結果は銀賞でした。銅賞ではなくて嬉しかったことを覚えています。課題曲は岩井直溥作曲の「シンコペーデットマーチ・明日に向かって」、自由曲はロナルド・ティルマン作曲の「チェルシー組曲」でした。上出来も上出来の演奏でしたが、ステージ上で膝はガクガク手は震え(; ̄O ̄)それまでの人生で一番緊張するという経験をしました(⌒-⌒; )録音したレコードがありますから、今でも聴こうと思えば聴けます。
(つづく)
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