「聖モニカ」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日は、聖モニカの記念日です。このブログの2018年8月27日に掲載した記事を今年もそのまま掲載いたします。
聖モニカ(北アフリカ・ダガステ:331年~387年)は、北アフリカ・ヒッポの司教アウグスティヌスの母で、キリスト教の聖人です。カトリック教会・聖公会・ルーテル教会・正教会で崇敬されています。息子の聖アウグスティヌスの記念日、8月28日の前日にあたります。息子アウグスティヌスの洗礼後、ほどなくイタリアのオスティアで没しました。亡くなる前、息子に「私が生きたかったのは、死ぬ前にカトリック信徒としてのあなたを見たかったからです。神はこの恵みをくださいました。この世でこれ以上することがあるでしょうか。」と話したそうです。

アリ・シェフェール作の「聖アウグスティヌスと聖モニカ」です。アリ・シェフェール(1795年~1858年)は、オランダドルトレヒト出身のフランスで活躍した画家です。
聖アウグスティヌスと聖モニカ.jpg
聖モニカの生涯は、息子のアウグスティヌスの著作『告白』に記載されており、北アフリカのタガステ(現在のアルジェリア)でキリスト教徒の家庭に生まれ育ったそうです。パトリクスという異教徒の男性と結婚し、アウグスティヌスらを産みましたが、夫の暴力や浮気性に悩まされ、さらに息子のアウグスティヌスが成長して放蕩生活を始めたことにも悩み、夫と息子の回心のために祈る日々が続きました。特にアウグスティヌスは身分の低い女性と同棲し、子どもまでもうけていたため、二人を別れさせて身分の高い女性と正式な結婚をさせたいと考えていました。

この祈りのお陰で、夫は死の前年に回心してキリスト教徒となりました。夫の死後、息子を追ってイタリアに渡っていたモニカは、親子共々ミラノの司教であったアンブロジウスの教えを受けて大きな影響を受けました。アウグスティヌスは、386年に回心してアンブロジウスから洗礼を受けました。モニカには息子のアウグスティヌスがキリスト教に改宗し、放蕩な生活を悔い改めたことが嬉しかったようです。アウグスティヌスの回心のためにモニカが悩み、その回心が果たされたことを喜ぶさまは『告白』に感動的に描かれています。是非ともご一読を!

モニカは、異教徒の夫をもったキリスト教徒女性の模範にして守護聖人として尊ばれており、さらに夫を亡くした婦人や既婚女性全般、ドメスティックバイオレンス被害者の守護聖人でもあります。また『告白』によれば幼年期に酒をたしなむ癖があったのを下女にとがめられて止めたことから、アルコール使用障害患者の守護聖人ともされています。アメリカ合衆国・カリフォルニア州・ロサンゼルス郡の西部に位置するサンタモニカ市(Santa Monica=聖モニカ)は彼女に由来しています。ちなみに、同じカリフォルニア州北部の西海岸に位置するサンフランシスコ市(San Frencisco=聖フランシスコ)は、修道会のフランシスコ会創設者の聖フランシスコに由来しています。
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