「聖ドミニコ司祭」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日は、聖ドミニコ(スペイン:1170年~1221年8月6日)司祭の記念日です。聖ドミニコは、“グスマンの聖ドミニコ”と呼ばれ、カトリックの修道士で、修道会のドミニコ会の創設者です。スペイン語名は、ドミンゴ・デ・グスマン・ガルセス(Domingo de Guzmán Garcés)で、一般的に聖ドミニコと称されます。記念日は8月8日です。嘲笑される人々、偽りを訴えられた人の守護聖人です。
私の大好きなスペインの画家エル・グレコ作の「祈っている聖ドミニコ」です。
聖ドミニコ.jpg
1170年に、現在のスペインの旧カスティーリャ地方の貧しい農村カレルエーガで生まれ、6歳から母方の叔父が首席司祭を務める教会で勉強しました。貧しくともそれなりに環境は良かったのですね。14歳から28歳までパレンシアに住み、後にパレンシア大学へと発展するパレンシアの学校で、6年間は人文科学と哲学を学び、4年間は神学を学びました。

しかし、多くの飢え渇く貧しい人々がいるなか、勉強ばかりしていられないと思い立ち、自分の持ち物を売り払い全て施しました。意欲に燃えてアナトリアへの伝道を教皇に申し出て、司教と共に異端であるカタリ派の蔓延するラングドック地方に送られ、そこで「カトリックの伝道は、異端と同様の熱情と厳格主義が必要である。」と悟り、それ以後は清貧の生活に入りました。

この頃、異端の人達をどうにか回心させたいと祈っていたところ、聖母マリアが現れてドミニコにロザリオを渡したという逸話があります。そのためドミニコ会がロザリオの普及に貢献したとも言われています。このブログの「聖母マリアからロザリオを祈る人々への15の約束のお話し2017.1.16」を是非お読みください。毎日お祈りしたくなります!

ドミニコは、どんな相手でも神の慈しみによって存在している尊い命であるという認識を忘れず、まずは自分の心を開いて、相手からも学ぼうという謙虚な姿勢で対話に臨んだそうです。その過程で、相手の中から真理を探そうと努力しました。このような方法で南フランス、スペインを旅して説教をしてまわり、回心する者はたちまち増えたそうです。

同時にドミニコに共感する者たちも集まるようになり、1206年にドミニコ会(説教者兄弟会)を結成しました。1216年に教皇ホノリウス3世に認可されています。3度司教になるよう勧められますが全て拒み、司祭のまま1221年に死去しました。ドミニコの生涯は真理を求める一生であり、その説教は真理に基づいた説教だったと伝えられています。

【ドミニコ会】
ドミニコ会は、1206年、ドミニコの説教に共感した人々が集まり結成されました。1216年にローマ教皇ホノリウス3世によって認可されたカトリックの修道会で、正式名称は「説教者修道会」(Ordo fratrum Praedicatorum) で、略号は「OP」です。
ドミニコ会は、同時期に成立したフランシスコ会同様、清貧を特に重んじたため、併せて「托鉢修道会」と呼ばれることもありましす。また、神学の研究に励み、学者を多く輩出したドミニコ会は、異端審問の審問官に任命されることが多かったため、「ドミニコ会士 (Dominicanis)」をもじって「主の犬 (Domini canis)」とも呼ばれました。この呼び名は反対者にとっては畏怖と揶揄であり、ドミニコ会員たちにとっては誇りでありました。
ドミニコ会における神学研究の伝統はアルベルトゥス・マグヌスとその弟子トマス・アクィナスを生み出すことで頂点に達しました。他にもマイスター・エックハルトやシエナのカタリナ(女子信徒会)、バルトロメ・デ・ラス・カサスなど多くの有名会員を輩出しています。
日本では、学校法人聖ドミニコ学園が、幼稚園、小学校、中学校及び高等学校を設置しています。
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