「神の声を聴く」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

昨日付けで定年退職となりました。今日から新しい人生の始まりです!
さて、今日は「神の声を聴く」お話しです。
私は「神の声を聴いた」という人に出会ったことはありませんが、人から聞いたことやSNSなんかで聴いたという書き込みを見たことはあります。旧約聖書を読むと、「神の声を聴いた」という神からの言葉(預言)を託された人(預言者)がたくさん登場しますが、聖書における何千年という歴史の中では、ごく少数の人でしかありません。

私も神の声を聴きたいと思いますが、信仰をしていても現実的ではないという思いが強いですね。それは、私のような人間に神様が語りかけてくれるくらいなら、その前にもっと敬虔な、信仰熱心な人に語りかけることでしょう。私は信仰に不熱心とは思いませんが、私のような程度の信仰心の人なら、この世にいくらでもいるのではないかと。

では、神の声はどのような時に、どのような人に聴こえるのか?ということですね。用もないのに神が人間に語りかけることはないと思いますし、神の声が何でもないと時に聴こえるとは思えないですね。きっと理由があるはずです。それは、神が語りかけるのは、<神がその人を必要としている時>だからだと思うのです………少し難しいかも。

しかし、神の声はすでに私たちすべての人間に語りかけられているのです。すでに私たちは聴いているのです。それはどういうことでしょうか?それは聖書です。聖書の聖句(聖書にある言葉)で、すでに私たちは神からの声を聴いているのです。聖書にある聖句は神の言葉です。直接的ではありませんが、私たちは間接的に聴いているのです。

聖書を通して間接的に聴いている聖句を神の言葉として受け入れることが「神の声を聴いた」ことになるのです。でも、それだけでは不十分です。その神の声を行うこと、行いが伴わないならば神の声を聴いたことにはなりません。神の言葉を実践することですね。とにかく聖書を読みましょう!よく読んで神の声を聴きましょう。聖書ならいつでも神の声を聴くことができるのです。でも、一度でいいですから直接お聴きしたいものです。もし、神の声が聴こえたら、「主よ、ここに私がおります。この私を遣わしてください。」と申し上げたいですね。
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