「聖バレンチノ(バレンタイン)司祭殉教者」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日2月14日は、「聖バレンチノ(バレンタイン)司祭殉教者」の記念日です。なお、典礼歴にはありません。
ローマ皇帝クラディウスのキリスト教迫害下にあって、バレンチノはローマの司祭として熱心に宣教し、苦しむ人、貧しい人、病める人を助け導いていました。バレンチノの宣教をやめさせるように命令を受けたローマ判事アステリアは、目の不自由な娘がバレンチノの祈りによって治ったことから、家族全員で洗礼を受けキリスト教徒となりました。そのため皇帝は、バレンチノをはじめアステリアらを処刑しました。

バレンチノは、子どもをはじめ家畜などの病気を治しましたので、子どもや家畜の守護の聖人として人びとから親しまれていました。「ローマ殉教録」によると、この日に同名の司教が殉教しており、それらの伝説や奇跡などが重なったと考えられます中世になると、バレンチノの記念日に異性に愛の告白のカードを渡す慣習が広まり、恋に悩む人たちがバレンチノに取り次ぎを願いました。古代ローマで豊作を祈願するルペルカリア祭(2月中旬)に、女性が愛の手紙を書いて壺に入れ、手紙を受け取った男性がその女性をデートに誘うという習慣があり、それに結び付けられたといわれています。

『カトリック中央協議会』公式ホームページから
質問:「バレンタインデーって、教会と関係あるのでしょうか?」
回答:「あります。しかし残念ながら、贈り物をする習慣は教会とは関係ありません。」
バレンタインデーとはもともと、聖バレンチノの殉教を記念する日でした。ではなぜ、バレンチノが恋人たちの保護者としてあがめられるのでしょか?それは、バレンチノはイタリア・ウンブリア地方のテルニ(Terni)の司教で、ローマ皇帝によって処刑された殉教者と伝えられています(同じ日に記念する同じ名前の殉教者がいるのでややこしい)。
当時ローマ帝国の兵士たちは、「士気が落ちる」という理由で、結婚を禁止されていたとか。バレンチノは、こっそり若い恋人たちを結び付けていたそうです。それが皇帝クラウディオの怒りを買い、捕らえられ、270年(269年?)、棍棒や石でなぐり殺されたと言われています。
世界のカトリック教会では2月14日、聖チリロ隠世修道者と聖メトジオ司教を記念します。2人は9世紀に活躍した兄弟で、聖チリロはキリール文字でスラブ語の典礼書を作成した人物です。聖メトジオは司教になり、パンノニア(いまのハンガリー)で宣教。ヴェレラド(いまのチェコ)で亡くなりました。
(『毎日の読書』、『毎日のミサ』より)
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