井深八重のことば [キリスト者(クリスチャン)]

「自分がここにいることは恵みです。神様からこの場を与えられたことを感謝しています」

井深八重(いぶか やえ・1897年~1989年)は、キリスト教カトリックのクリスチャンで、ハンセン病の看護に生涯を捧げた方です。

同志社女学校(現在の同志社女子大学)を卒業。長崎県立長崎高等女学校の英語教師となったのですが、病院でハンセン病と診断され、静岡県御殿場市の山深いところにある神山復生(かみやまふくせい)病院に隔離入院、3年後に誤診だったと判明しますが、病院に留まることを決意し、看護婦学校で資格を所得して病院初の看護婦(看護士)となりました。

父親は衆議院議員をつとめた井深彦三郎で、ソニーの創始者である井深 大は遠縁にあたります。
当時は、ハンセン病やその患者に対する激しい差別と偏見が存在した時代であったにも関わらず、極貧の状態だった神山復生病院の婦長として献身的な看護にあたり、生涯をハンセン病患者の救済に捧げました。
その活動は国際的に高く評価され、教皇ヨハネ23世より聖十字勲章、赤十字国際委員会よりナイチンゲール記章などを受章、日本カトリック看護教会(JCNA)初代会長に就任しています。

この言葉は、ハンセン病との誤診を受けたことについて聞かれた時、彼女はこのように語ったそうです。
裕福な家庭に育ち、実家に帰れば何不自由なく生活できたにもかかわらず、故郷から遠く離れた山深い富士山の裾野にある極貧の病院で、ハンセン病患者の看護に生涯を捧げるとは、なんと信仰に厚い慈しみ深い方だったのでしょうか。

このような方を聖母マリア様のような方というのでしょうね。
私は、昨年の冬のよく晴れた日に神山復生病院を訪問しました。
この病院は、明治19年にパリ外国宣教会のフランス人神父様が建てた病院が始まりです。今は財団法人神山復生病院という名称で、きれいな建物(病院、クリストロア宣教修道女会)と教会があります。
その中に、当時の建物が「復生記念館」として一棟だけ残され、井深八重の遺品などが展示されています。教会でお祈りを捧げ、近くにあるカトリック墓地に行ってお墓参りもしてきました。
小田急小田原線新松田駅でJR御殿場線(松田駅)に乗り換えて御殿場駅下車、バスに乗車して復生病院前下車徒歩2分です。
富士山が目の前に大きく見える素晴らしいところですよ。ただし、行って帰ってくるのに1日がかりですね。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0