「聖ベルナデッタ」のお話し [聖人・福者・尊者]

3日前の4月16日は、聖ベルナデッタの任意の記念日でした。掲載するのを忘れていました( ̄▽ ̄;) ので、遅くなりましたが掲載いたします。聖ベルナデッタ様ごめんなさい。
1858年2月11日、村に住む14歳の少女ベルナデッタ・スビルー(フランス:1844年~1879年)が、村の郊外のマッサビエルの洞窟のそばで薪拾いをしている時に、初めて聖母マリア様がご出現されました。ベルナデッタは当初、自分の前に現れた若い婦人を「あれ」と呼び、聖母マリア様とは思っていなかったのでした。しかし、ご出現の噂が広まるにつれ、その姿・容姿から聖母マリア様であると噂されるようになりました。
聖ベルナデッダ.jpg
このように、聖母マリア様がベルナデッタの前にご出現されたそうです。ほとんどのルルドの聖母マリア様のご像は、水色の帯を締めてロザリオをお持ちです。
ルルドの聖母.jpg
写真左は、カトリック成城・聖タデオ教会の敷地内にある「ルルドの洞窟」のジオラマです。このように聖母マリア様がご出現されたそうです。このジオラマは、日本を含めて世界各国にある多くのカトリック教会の敷地に作られています。写真右は、私の部屋の祭壇にあるルルドの聖母マリア様のご像です。
IMG_3050.jpg聖母マリア様2.jpg
聖母のご出現の噂は、当初、教会関係者はじめ多くの人々から疑いの目を持って見られていました。ベルナデットが「あれ」が、ここに聖堂を建てるよう望んでいると教会の神父様に伝えると、神父様はその女性の名前を聞いて来るように命じました。そして、神父様の言いつけどおり、何度も名前を尋ねるベルナデットに、ついに「あれ」は、自分を「無原罪の御宿り(むげんざいのおやどり)」であると、ルルドの方言で告げたそうです。「無原罪の御宿り」とは、聖母マリアが、神の恵みの特別な計らいによって、原罪の汚れと咎を存在の初めから一切受けていなかったとする、カトリック教会における教義のことです。カトリック教会では、1854年に正式に信仰箇条として宣言決定されました。

これにより当初は懐疑的だった神父様も周囲の人々も聖母の出現を信じるようになりました。信ずるに至った理由は「無原罪の御宿り」がカトリックの教義として公認されたのは聖母出現の4年前の1854年のことで、家が貧しくて学校に通えず、当時の教会用語だったラテン語どころか、標準フランス語の読み書きも出来なかった少女が知り得るはずもない言葉だと思われたからです。以後、聖母マリア様がこの少女の前に18回にもわたって姿を現したといわれ評判になり、1864年には聖母マリア様がご出現されたという場所に聖母像が建てられました。この話はすぐにヨーロッパ中に広まったため、はじめに建てられていた小さな聖堂は、やがて巡礼者でにぎわう大聖堂になりました。

少女ベルナデッタは、聖母マリア様のご出現について積極的に語ることを好まず、1866年にヌヴェール愛徳修道会の修道院に入ってシスター・マリー・ベルナールとなり、外界から遮断された静かな一生を送りました。しかし、ベルナデッタは自分の見たものが聖母マリア様であったことをはっきりと認めていました。例えば1858年7月16日の最後のご出現の後のコメントでも、「私は、聖母マリア様を見るだけでした。」とはっきり述べています。1879年、肺結核によって35歳の若さで帰天(天に帰ること。つまり死ぬこと。)し、1933年に列聖され「聖ベルナデッタ」となりました。
聖母マリア様のお言葉により、ベルナデッタが洞窟の地面を掘ると泉が湧き、その水で病気の治癒などの奇跡が度々起こりました。しかし、なぜ治癒したのか?複数の医師が解明にのぞみましたが、説明はできませんでした。
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