新約聖書:マタイによる福音書・第27章・第20〜第26節 [聖書]

「しかし、祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放し、イエスを殺すことを願うように群衆を説き伏せた。そこで、総督は人々に向かって尋ねた、「この二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」。人々は答えた、「バラバを」。ピラトは言った、「それでは、メシアと呼ばれるイエスの方、どうしたらよいのか」。人々は答えた、「十字架につけろ」。ピラトは言った、「いったい、あの男がどんな悪事を働いたというのか」。しかし、人々はますます叫び立てた。
「十字架につけろ」
ピラトは、すべての骨折りが無駄になり、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。「この男の血について、わたしには責任がない。お前たちが自分で始末するがよい」。民はみな、これに答えて言った、「その男の血は、われわれとわれわれの子孫の上に」。そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打たせた後、十字架につけるために引き渡した。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

『マタイによる福音書』のこの部分は、イエス・キリストが十二使徒(弟子)の一人であったイスカリオテのユダの裏切りによって、ユダヤ人の祭司長、長老達に捕まった後、ローマ帝国の属州であるユダヤ地域を支配する、ローマ帝国駐留軍のポンティオ・ピラト総督の官邸に連行され、イエス・キリストを死刑にしようと押し寄せたユダヤ人の祭司長や長老達、その他のダヤ人群集とのやり取りを描写していますね。

バラバ(正式にはバラバ・イエス)とは、暴動を扇動、殺人や強盗の罪人です。『マルコによる福音書』によれば、過越し祭のたびの慣例となっていた罪人の恩赦にあたって、ピラト総督はイエスの放免を期して、バラバかイエスかの選択を民衆に問いかけました。しかし、祭司長や長老たちにそそのかされた群集はバラバの赦免とイエスの処刑を要求し、ピラトは不本意ながらこれに従ったためバラバは釈放されました。

この「その男の血は、われわれとわれわれの子孫の上に。」の聖句が、現代に至るまでユダヤ人迫害に利用されてきました。この“言葉の報い”は、イエス・キリストが磔刑され、復活して昇天された紀元28年ごろの後、66年~74年に行われたローマ帝国とユダヤ属州との戦争で、ユダヤ民族の心のよりどころであったエルサレム神殿が破壊され、ユダヤ側の敗北をもって“言葉の報い”は終わったと解釈されています。

しかし、キリスト教原理主義者やユダヤ民族に敵対する勢力などは、この言葉を根拠にして、イエス・キリストの死は永久的にユダヤ民族の責任ということを唱え、中世からユダヤ民族の迫害などを度々行ってきました。そのもっとも有名で規模的に大きいものが、第二次世界大戦中にナチス・ドイツのヒトラーによって行われた強制収容所の毒ガス室でのユダヤ人の大量殺害です。これを「ホロコースト」と言います。

新約聖書には、収録順に『マタイによる福音書』、『マルコによる福音書』、『ルカによる福音書』及び『ヨハネによる福音書』の4つの福音書が収められていますが、この言葉は唯一『マタイによる福音書』しか記載されていません。どうして『マタイによる福音書』にしか記載されていないのかは不明ですが、福音記者であるマタイは、後々このような悲惨な迫害を引き起こすなどということは、もちろん夢にもみないことだったでしょう。

【ホロコースト】
第二次世界大戦中の国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)率いるナチス・ドイツが、ユダヤ人などに対して組織的に行った絶滅政策・大量虐殺のことを指します。580万人~600万人が殺害されたと言われています。元来はユダヤ教の宗教用語にあたる「燔祭」(en)(獣を丸焼きにして神前に供える犠牲)を意味するギリシア語で、後に転じて火災による大虐殺、大破壊、全滅を意味するようになりました。
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