今日の日記2021.3.25(信仰生活近況) [日記]
2012年(平成24年)4月7日に、カトリック町田教会で洗礼を受けて9年となりますが、その前年に町田教会で入門講座を受講し、毎週ミサに与っていました。現在は、カトリック成城教会に転入し、成城教会の聖タデオ聖歌隊で教会の奉仕活動をしています。それと、信仰生活の一環として「山谷夜回りの会」のホームレス支援活動をしています。
カトリック教会の信徒として、信仰生活で得た一番大きなものは、なんといっても心の平安ですね。年を増すごとに安定しています。洗礼を受けるまでは、いつも多くの悩みを抱えており、いろいろな欲に凝り固まり、社会規範を逸脱しそうなこともあり、人の会話、顔色や世間体が気になり、いつも動揺し、心が休まることがありませんでした。
それが、一回でも多くミサに与り、毎日の日課として聖書を読んでお祈りに励んだ結果、心に平安を得ることができたのです。こうなると、今まで悩んでいたことが「なぜ、あのようなことで悩んでいただろうか。」と思えるようになり、次にいろいろな欲がなくなり、人の会話、顔色や世間体といったものに気を使うことがなくなったのでした。
しかも、相手の故意とわかっている悪意でさえも、赦せるようになりました。元々、悩み事があっても物事を長く引っ張らない、すぐ切り替えることができる性格なものですから、心の平安を得る下地はあったと思います。人間にとって生活の中に信仰があることは大切なことだと思います。信じるられること、信頼できること、すべてを委ねられること、それが心の平安を生むのですね。今日も一日感謝です。
カトリック教会の信徒として、信仰生活で得た一番大きなものは、なんといっても心の平安ですね。年を増すごとに安定しています。洗礼を受けるまでは、いつも多くの悩みを抱えており、いろいろな欲に凝り固まり、社会規範を逸脱しそうなこともあり、人の会話、顔色や世間体が気になり、いつも動揺し、心が休まることがありませんでした。
それが、一回でも多くミサに与り、毎日の日課として聖書を読んでお祈りに励んだ結果、心に平安を得ることができたのです。こうなると、今まで悩んでいたことが「なぜ、あのようなことで悩んでいただろうか。」と思えるようになり、次にいろいろな欲がなくなり、人の会話、顔色や世間体といったものに気を使うことがなくなったのでした。
しかも、相手の故意とわかっている悪意でさえも、赦せるようになりました。元々、悩み事があっても物事を長く引っ張らない、すぐ切り替えることができる性格なものですから、心の平安を得る下地はあったと思います。人間にとって生活の中に信仰があることは大切なことだと思います。信じるられること、信頼できること、すべてを委ねられること、それが心の平安を生むのですね。今日も一日感謝です。
2021-03-25 21:55
nice!(0)
コメント(0)
コメント 0