聖フランシスコ・サレジオのことば(第1日目) [聖人・福者・尊者]

「この世で寛大さほど強いものはなく、真の強さを身につけた者ほど寛大になる。」

フランシスコ・サレジオ(フランス:1567年~1622年)は、キリスト教カトリックの司祭です。カトリック教会と聖公会で「聖人」に列せられています。スイスのジュネーブで司教を務め、 17世紀の宗教改革の困難な時代にあって、カトリック教会の司牧者として大きな働きをしました。著作をよくしたということから作家、ジャーナリストの守護聖人になっています。著作としては「信心生活入門」などが有名で、“貧者の友”としても知られています。フランシスコ・サレジオの聖人記念日は1月24日です。

2007年10月10日調布サレジオ神学院聖堂で開催された「チマッティ神父の哲学・教育学博士号取得100周年記念コンサート」にて収録されたCDです。全14曲 1,500円+税 四ッ谷にあるドン・ボスコにおいて販売しています。
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サレジオはサヴォイア地方の貴族の家に生まれ、自由学芸を修めたあとでアヌシーや名門パリ大学で法学を学んでいましたが、周囲の期待を裏切り、世俗の栄達を捨ててカトリック司祭になる道を選びました。宗教改革期、ジュネーブはカルヴァン派の拠点となっていたため、カトリックのジュネーブ司教は(現在の南フランス)のアヌシー滞在を余儀なくされていました。この時代にジュネーブ司教となったサレジオは、困難な状況にあっても熱心な説教やわかりやすく書かれた著作によって活躍し、優れた精神的指導者として名声を得ました。

1610年には霊的指導者をしていたシャンタルの聖フラシスカと共に女子修道会「聖母訪問会」を設立しています。1622年12月28日、サヴォイア公の随員として訪れたパリで客死。長く活躍したアヌシーに葬られ、今でもその墓がアヌシーにあります。1661年、列福。1665年、列聖。1877年にはピウス9世によって「教会博士」とされました。
19世紀、北イタリアのトリノで活躍した司祭ヨハネ・ボスコ(後に聖人)は、自らの修道会の名前をフランシスコ・サレジオにちなんでサレジオ会としました。これはサレジオが、サヴォイアゆかりの聖人であるだけでなく、彼の柔和な人柄、著作による宣教活動、貧しい人々への共感などに司祭ヨハネ・ボスコが大きな影響を受けていたからでした。

さて、聖サレジオの言葉ですが、「寛大」とは、辞書によると「度量が大きく、思いやりがあり、むやみに人を責めないこと。また、そのさま。」という意味です。寛容ともいいますが、私は、寛大な人という場合の定義は、「人の罪を(誤り)を赦せること」が寛大(又は寛容)な人であるとしています。他人の自分に対する過ちは、頭で赦せても、心ではなかなか赦せないものですね。ても、それを素直に赦せる人が寛大な人なのです。ただし、愛を持って赦すのです。私の自戒とするところです。
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