教会日記2018.3.25(聖週間・受難の主日(枝の主日)日曜日) [教会日記]

カトリック町田教会聖堂の祭壇に飾られた棕梠(シュロ)の枝です。
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今日は、カトリック町田教会で、早朝7時30分からの主日のミサ(第一ミサ)に与ってきました。
今日から、教会において最も大切な「聖週間」が始まりました。4月1日(日)の「復活日」の前日までの一週間を「聖週間(せいしゅうかん)」といいます。また「受難週(じゅなんしゅう)」ともいいますが、この受難とは、イエス・キリストが十字架で磔刑(たっけい:十字架のはりつけの刑)されたことをいいます。
今日(3月25日)は、「枝の主日(えだのしゅじつ)」、29日(木)は「聖木曜日(「主の晩餐」とも言います。)」、30日(金)は「聖金曜日(「主の受難」ともいいます。)」、31日(土)は「復活徹夜祭(ふっかつてつやさい)」です。この復活徹祭で「洗礼式」が行われます。、29日からは「聖なる三日間」といいます。

◯「枝の主日(えだのしゅじつ:(「棕梠(シュロ)の主日」ともいいます。)」
聖週間の初日となる「枝の主日(えだのしゅじつ:(「棕梠(シュロ)の主日」ともいいます。)」は、キリスト教カトリック教会では祝日で、復活祭の一週間前の日曜日に当たります。この祝日は、イエス・キリストがロバに乗り、エルサレムに入城した時を記念するものです。新約聖書の「ヨハネによる福音書」では、エルサレムに来たイエス・キリストを、イエス・キリストの通る道で棕梠(シュロ)の木の枝を振ったり道に敷きつめたりして、「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に。」と叫び喜び迎えました。
このイエス・キリストがエルサレムに入城した時の、その群衆の様子をミサの中で思い起こすため、皆さんは聖歌を歌いながら、棕梠(シュロ)の枝(写真)をもって神父様から祝別(祝福)して(聖水をかけて)もらうのです。その日が今日でした。祝福(祝福)を受けた枝はもらって帰り、来年の「灰の水曜日」まで家の中に飾っておきます。
また、この日の典礼の最大の特徴は、司祭(神父様)と複数の朗読者、さらには会衆全員の参加による「イエスの受難の朗読」が行われることです。朗読は通常、『マタイによる福音書』からとられています。イエス・キリスト役は司祭(神父様)、ローマ帝国の総督ポンティオ・ピラト役は信徒から1人、群集役は信徒全員、語り手は信徒から1人です。今日も悲しくも感激のある朗読となりました。

新約聖書:ヨハネによる福音書・第12章・第12~第15節
「その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、/イスラエルの王に。」イエスはろばの子を見つけて、お乗りになった。次のように書いてあるとおりである。「シオンの娘よ、恐れるな。見よ、お前の王がおいでになる、/ろばの子に乗って。」」

◯聖木曜日(「主の晩餐」とも言います。)」
聖木曜日(せいもくようび)は、復活祭前の週の木曜日のこと。「洗足木曜日(せんぞくもくようび)」とも呼ばれます。聖木曜日からの三日間は特に尊重され、「聖なる三日間」と呼びます。イエス・キリストと使徒たちの「最後の晩餐(さいごのばんさん)」を記念する日であり、その席でイエスが(へりくだりの行いとして)弟子たちの足を洗ったという記述が福音書に見られるため、「洗足木曜日」という呼称が生まれました。また、カトリック教会ではこの日を「司祭職の制定の日」としており、司教が司祭たちに聖香油を渡す慣習があります。

新約聖書:ルカによる福音書・第22章・第14~第19節 ※「最後の晩餐」
「時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」」

新約聖書:ヨハネによる福音書・第13章・第3~(中略)第15節 ※「洗足」
「イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。(中略)さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」

◯「聖金曜日(「主の受難」ともいいます。)」
聖金曜日(せいきんようび)は、復活祭前の週の金曜日のこと。「主の受難日」とも呼ばれます。福音書の記述をもとにイエスの受難を思い起こす特別な典礼や祈りが行われます。カトリック教会では聖金曜日には断食を行う習慣があます。断食といっても完全な絶食ではありませんが、「大斎(たいさい)」と「小斎(しょうさい)」を行います。
※「大斎・小斎」の意味は、このブログの「四旬節「灰の水曜日のお話し2018.2.14」をお読みください。 
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