2019年10月の訪問教会・支援活動記録 [訪問教会・支援活動記録]

今年の10月は、31日間ある中の19日間(61.2%)、5 の教会に回訪問し、19回ミサに与り19回ご聖体を拝領させていただきました。また、支援活動は2回行いました。

1日(火)………
2日(水)………
3日(木)成城教会:平日のミサ・7時から
  〃  支援活動:山谷夜回りの会・19時30分から
4日(金)聖イグナチオ教会:平日のミサ・18時から、初金の集い・19時から
5日(土)町田教会:主日のミサ・18時30分から
6日(日)………
7日(月)………
8日(火)成城教会②:平日のミサ・7時から
9日(水)成城教会③:平日のミサ・7時から
10日(木)成城教会④:平日のミサ・7時から
11日(金)成城教会⑤:平日のミサ・7時から
12日(土)………
13日(日)………
14日(月)神奈川県相模原市・相模原教会・平日のミサ・8時から
15日(火)………
16日(水)成城教会⑥:平日のミサ・7時から
17日(木)成城教会⑦:平日のミサ・7時から
  〃  支援活動②:山谷夜回りの会・19時30分から
18日(金)成城教会⑧:平日のミサ・7時から
19日(土)町田教会②:主日のミサ・18時30分から
20日(日)………
21日(月)………
22日(火)神奈川県相模原市・相模原教会②・平日のミサ・9時から
23日(水)成城教会⑨:平日のミサ・7時から
24日(木)成城教会⑩:平日のミサ・7時から
25日(金)聖イグナチオ教会②:平日のミサ・18時から
26日(土)高輪教会:主日のミサ・18時30分から
27日(日)………
28日(月)………
29日(火)………
30日(水)成城教会⑪:平日のミサ・7時から
31日(木)成城教会⑫:平日のミサ・7時から
以上です。
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「聖母マリアからロザリオを祈る人々への15の約束」のお話し [祈り]

10月は「ロザリオの月」でした。本来であれば月初めに掲載すべきでしたが、最後の31日になってしまいました(⌒-⌒; ) 聖母マリア様が、聖ドミニコと福者アランに、ロザリオを祈る人々へ約束された「15の約束」を掲載いたします。これを読んだらロザリオの祈りをしないわけにはいかないですね。毎日お祈りしたくなること間違いなしです!

1 ロザリオを熱心に唱えた全ての人に、私は特別な保護と豊かな恵みを約束します。
2 ロザリオを忍耐強く、繰り返し唱える人は顕著な恵みを受けるでしょう。
3 ロザリオは地獄に対する力強い武器になるでしょう。ロザリオは悪をくだき、罪から救い異端を追い払うでしょう。
4 ロザリオは徳と善業を行わせ、最も豊かな神の慈しみを注ぎ、世を愛するよりも神を愛させ、天国の永遠の富を望むよう魂を高めるでしょう。ああ、それらの魂がロザリオによって、自分を聖化しますように!
5 ロザリオを通して、私に自分をゆだねる人は滅びないでしょう。
6 それぞれの玄義を黙想しながら、ロザリオを信心深く唱える人は、不幸に打ち負かされる事も、不幸な死を迎える事もないでしょう。罪人は回心し、正しい人は恵みのうちに成長し、永遠の生命にふさわしい者となるでしょう。
7 ロザリオの信心に熱心な人は、教会による慰めや恵みなしに死ぬ事はないでしょう
8 ロザリオを唱える人は生きている間も、死に臨んでも、神の光、神の恵みに満たされ、祝福された者の功徳にあやかる者となるでしょう。
9 私はロザリオの信心に熱心な霊魂を煉獄から速やかに救うでしょう。
10 私のロザリオによって、本当の子供となった人は、天国ですばらしい栄光を受けるでしょう。
11 ロザリオを通して、あなたが願う事をあなたはきっと得るでしょう。
12 ロザリオを広める人々は、自分が必要とするあらゆる時に、私を通して助けを得るでしょう。
13 ロザリオによって結ばれた仲間が、生きている時も死んだ時も、天国の聖人と親しい交わりを持つ事が出来る様に、私は我が子イエズスを通して恵みをいただきました。
14 ロザリオを信心深く唱える人は、すべて私の愛しい子供たちで、イエズス・キリストの兄弟、姉妹なのです。
15 ロザリオの信心は、天の国に入る約束の特別なしるしなのです。
以上です。
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今日の日記2019.10.31(聖書を読む!) [日記]

今はお昼休みです。
毎日、就寝前にお祈りをした後、聖書を1章読んでいますが、お昼休みも、仕事など何もない限りは聖書を1章読むことにしています。主に新約聖書から福音書を読むことにしています。なぜか理由はわかりませんが、とにかく落ち着きますね (*^▽^*)

いつもカバンに入れている『原文校訂による口語訳 フランシスコ会聖書研究所訳註 新約聖書(小型版)』です。通勤電車の中でも読んでいます。文庫版の大きさですから携帯に便利ですね。
携帯用聖書2.jpg
ジーンズリメイクしたブックカバーです!
携帯聖書3.jpg
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教会日記2019.10.31(カトリック成城教会「平日のミサ」木曜日) [教会日記]

今日も出勤前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城教会の7時からの平日のミサに与りました。今朝は、昨日よりも少し暖かいでしょうか。今日も清々しい朝を迎えています!

6時50分から「ロザリオの祈り」の<光の神秘>から第 の玄義(黙想)をお祈りし、7時からのミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学一年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんのケガが完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
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ことわざ(第12日目) [今日の言葉(ことわざ)]

「狭き門より入れ」

これは、イエス・キリストの聖句からのことわざです。「狭き門」は、現在では転じて「入学試験や就職試験など、競争相手が多くて突破するのが難しいこと」の喩えとなっていますね。
◯新約聖書:マタイによる福音書・第7章・第13~第14節
「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」

この言葉は、イエス・キリストの聖句(言葉)です。このブログに、2016年4月8日に掲載して以来となります。久しぶりの登場ですね。「狭い門から入りなさい」と言われています。この場合、広い門(道)と狭い門(道)のどちらかを選ぶ時は、狭いほうを選びなさいということですね。この門をくぐるのは“人生の選択”です。生きていく上で、誰でもが通りたがる「広い門=楽な門(道)」を選ぶのではなく、選ぶ人が少ないような、「狭い門=厳しい門(道)」を通りなさいという意味であると私は解釈しています。

私たちは、楽な方向へ楽な方向へと進む道を選びがちですね。嫌なこと、辛いこと、難しいことをできるだけ回避しながら、逃避しながら要領よく生きていきたい。これが一般的な人間の感覚だと思います。イエス・キリストの教え(キリスト教の教義)では、人への中傷誹謗、悪意、妬み、恨み、憤り、淫らな行為など、これらはすべて罪になるのですが、楽な道に進むとこれらのことを平気で行って罪を犯してしまいます。このように罪を犯した人たちが悔い改めることもなく死ぬと、死後に復活することなく滅んでしまいます。

ですから、聖書にある(イエス・キリストの教えである)「人を赦すこと。」、「自分を愛する(大切にする)ように隣人を愛すること。」、「自分が人にしてもらいたいと思うことは、何でも人にすること。」などを実践するため、自らを律して厳しい道を進むことを説いているのです。そこには身分の違いや貧富の違いなどはないのです。どんなに偉いといわれる人であっても、みんなと同じように身をかがめて狭い門=厳しい門(道)から入る。そのような人たちは、死後に復活し、天の国で永遠の命を与えられるのですね。

この教えを非常によく現したものの一つに、日本の茶道の茶室の“造り”があります。茶道を創始した千利休(せんのりきゅう)は、キリスト教の影響を強く受けています。また、利休の高弟と言われる7人のうち、5人はキリスト教の洗礼を受けていますし、利休が最も頼りにした高山右近は、敬虔なクリスチャンでキリシタン大名の第一に挙げられる人物として有名ですね。最後まで信仰を守り抜いた戦国武将でした。

利休が生きた安土・桃山時代の豊臣秀吉もその後の徳川家康も、キリスト教を厳しく弾圧しましたので、現代の茶道にキリスト教の思想を見出すことは難しいのですが、それでも茶道には聖書の教えが明瞭に込められていると言えます。裏千家15代家元・千 玄室氏は明確にこれを認めておられます。茶道のお手前はキリスト教の聖餐式(ミサ)からとられているほどです。茶道でのお茶とお菓子は、明らかにミサである“パンと葡萄酒”です。茶道では、濃茶の作法で男子同士の場合、お茶を頂いた後、茶碗と出し袱紗を右手に乗せたまま、左手で懐紙で飲み口を拭き次客に手渡しますが、ミサにおいても使徒がカリス(杯)を順次手渡していく所作が最後の晩餐でありました。この濃茶の飲みまわしのことを「吸い茶」と言いますが、この「吸い茶」は利休が始めたとされています。

ところで、その茶室の造りですが、通常、茶室には庭園が設けられます。この庭園を考案したのは、キリシタン大名の古田織部という人ですが、心身の塵を払うために蹲(「つくばい」:手を洗うもの)が置かれ、最後の晩餐の時にイエス・キリストが弟子たちの足を洗った「洗足」や「洗礼」を象徴すると言われています。その傍らに灯篭(とうろう)が置かれ、火が灯されます。これは教会のミサでのローソクそのものです。
そして、独りしか歩くことができない「飛び石」が打たれます。それは、「狭き門」に至る狭い道と言われています。そして、茶室の入口(「にじり口」と言います)ですが、これは千利休が考案したものです。本当に小さくて、身体一つしか通れないように狭く、身を低くして入るようになっています。これは「世にあって身につけたものをすべて捨てて、謙虚になって茶室に入ること。そこには身分の違いも何もない。」ということを具現化したものです。聖書にある「狭き門」を現しているのですね。
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