「赦し」のお話し [聖書]

◯新約聖書:マタイによる福音書・第18章・第21~第22節
赦し(副題)
「その時、ペトロが近寄って、イエスに尋ねた。『主よ、わたしの兄弟がわたしに罪を犯した場合、何度、赦さなければなりませんか。七回までですか。』イエスはお答えになった、『あなたに言っておく。七回どころか、七の七十倍までである。』」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

◯新約聖書:ルカによる福音書・第17章・第3~第4節
罪の赦し(副題)
「もしあなたの兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして、悔い改めるなら、彼を赦しなさい。また、もし彼が一日に七度、あなたに対して罪を犯し、七度あなたのもとに戻ってきて、そのつど、『悔い改めます』と言うなら、彼を赦しなさい。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

両福音書の聖句とも、副題として「赦し」が付いています。この聖句で「兄弟」とあるのは、自分に関係する隣人たちのことです。7の70倍ですから490回赦しなさいということではなく、とことん赦しなさい、際限なく赦しなさい、無限に赦しなさいと説いているのですね。イエス・キリストの教えは、大きく言って「隣人への愛」と「人への赦し」の二つです。ですから、このブログの表題タイトルも「愛と赦し」にしたのです。

イエス・キリストは、いかに人の過ちを赦すことが大切なのかを福音書の中で何度も何度も繰り返して説いています。人間は「赦せない」、「赦さない」となると、それだけで憎しみや怒りが増して心が平和でいられなくなり、やがて相手を罵り、争い、そして殺人、それが発展して紛争、最終的には戦争の世の中になっていくのです。現在、世界で行われている戦争や紛争が物語っていますね。もう話し合いどころではありません。

ですから、平和の神でもあるイエス・キリストは、真の平和を実現させるためにも何度も「赦し」を説くのです。これこそ私たち全人類が自戒すべき大切な言葉だと思います。今まで生きてきて、赦してもらいたいと思い、赦してもらったことの一つや二つはあったと思います。今までない人でも、これから赦してほしいと願う時が必ずきます。その時に赦してもらいたいのなら、自分も普段から人を赦すべきではないでしょうか。

特に、この「赦し」は、イエス・キリストが使徒(弟子)たちに教えた、キリスト教における最高にして最大の最重要なお祈りである『主の祈り』にもあります。
◯『主の祈り』
「天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をお赦しください。わたしたちも人を赦します。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
アーメン。」

また、『マタイによる福音書』には、イエス・キリストが使徒(弟子)たちにお祈り方を教える場面で、この『主の祈り』が唱えられるのですが、その直後にイエス・キリストから次の聖句が語られます。ここに「天の父」とあるのは、三位一体の神であるイエス・キリストの父である神のことです。
◯新約聖書:マタイによる福音書・第6章・第14〜第15節
「もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださる。しかし、あなた方が人を赦さないなら、あなた方の父も、あなた方の過ちを赦してくださらない。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

ちなみに、イエス・キリストは、復活して天の昇る直前、使徒(弟子)たちを福音宣教に派遣する場面で、使徒たちに次のとおりお話しされています。
◯新約聖書:ヨハネによる福音書・第20章・第23節
「誰の罪であれ、あなた方が赦せば、その罪は赦される。あなた方が赦さないなら、赦されないまま残る。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
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