須賀敦子のことば [キリスト者(クリスチャン)]

「人が生きるのは、答をみつけるためでもないし、だれかと、なにかと、競争するためなどでは、けっしてありえない。ひたすらそれぞれが信じる方向にむけて、じぶんを充実させる、そのことを、私たちは根本のところで、忘れて走ってきたのではないだろうか。」

須賀敦子(兵庫県芦屋市:1929年~1998年)は、随筆家でイタリア文学者です。 20代後半から30代終わりまでイタリアで過ごし、40代は“専業非常勤講師”として活動し、50代以降はイタリア文学の翻訳者、随筆家として活躍しました。著作、翻訳本はたくさんあり、「須賀敦子全集」全8巻+別巻が、河出書房新社から出版されています。聖心女子大学(カトリックの大学)の一期生で、同期に元国連難民高等弁務官の緒方貞子氏、後輩になんと皇后陛下の正田美智子様がいらしたそうです。

キリスト教カトリック系の学校に通い、後にカトリックに入信しています。教会での奉仕活動に打ち込みながら聖心女子大学を卒業後、1年後に慶應義塾大学大学院の修士課程に進学。フランスの神学の研究でパリ大学に留学するために大学院を中退。しかし、パリの雰囲気が肌に合わず、次第にイタリアに惹かれるようになり、イタリア語の学習がイタリアへの傾倒を決定的なものにしたとのことです。その後、ローマに住んでいます。

1960年、後に夫となるジュゼッペ・リッカ(ペッピーノ)と知り合い、この年にペッピーノと婚約し、翌年11月にウディネの教会で結婚。ミラノに居を構えてペッピーノとともに日本文学のイタリア語訳に取り組みました。しかし1967年にはペッピーノが急逝。1971年にはミラノの家を引き払って日本に帰国しました。帰国後は、慶應義塾大学の嘱託の事務員を務めながら上智大学などで語学の非常勤講師を務めました。“専業非常勤講師”の状況は50歳になるまで続きました。

須賀氏は、「ひたすらそれぞれが信じる方向にむけて、じぶんを充実させる。」と話されています。この言葉の前後の様子が分かりませんが、私は、“自分というものが世間に流されず見失わず、自分の意思(自信)をしっかりと持った生き方をし、自分を生涯成長させること”と解釈します。続けて「根本のところで、忘れて走ってきたのではないだろうか。」と話されています。忙しい毎日に自分の本当の生き方を忘れ見失い、人生も終わりになって“はっ”と気づくのですね。生き方は人それぞれです。しかし、人生というのは、その時々に立ち止まって振り返り考える必要があるのではないかと思います。
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