教会日記2202.5.1「聖歌練習(聖歌奉仕活動)」 [聖歌日記]

今日は、体調管理のため朝は自宅でゆっくりし、カトリック成城・聖タデオ教会の主日のミサが終わってから、11時からの聖歌練習だけに参加しました。「聖霊降臨の主日」のミサは、昨夕の成城教会で与っています。
練習したのは、来週(6月12日)の「三位一体の主日」のミサで担当する5人一組の聖歌隊です。以前は、コロナ渦であることから4人一組だったのですが、先月から一人増えました。早く会衆(信徒)全員で歌いたいですね(*^▽^*)

歌う聖歌は、次のとおりです。初めて歌う聖歌がほとんどで、練習しないとまずいですね〜!(⌒-⌒; )
入祭の歌:カトリック聖歌集・第61番「さんみのみ神」
答唱詩編:典礼聖歌集・第48番「神の名は」、1、2番
アレルヤ唱:典礼聖歌集・第266番「三位一体」
奉納の歌:典礼聖歌集・第403番「友よ聞こう」4、5番
拝領の歌:典礼聖歌集・第41番「神のいつくしみを」
以上です。
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典礼聖歌集・第404番「羊かいがいて(羊飼いがいて)」 [聖歌日記]

次の典礼聖歌は、5月8日(日)にカトリック成城・聖タデオ教会での復活節第四主日のミサの聖体拝領の時に、成城教会聖テデオ聖歌隊が歌う聖歌です。なお、コロナ渦ですから会衆(信徒)は歌いません。聖歌隊も全員で歌うことなく、歌うのは5人一組の担当制になっています。
◯典礼聖歌集・第404番「羊かいがいて」
「羊飼いがいて たくさんの羊を飼っていた。
ある日その中の一匹が迷子になってしまった。
羊飼いは他の羊をおき、その一匹を探しに出る。
もし見つけたらどんなに喜ぶことだろう。
羊飼いはキリスト、その一匹はわたし
羊飼いはキリスト、その一匹はあなた
どんなに小さな一人をも
神は見すてることがない。」

この聖歌は、新約聖書のルカによる福音の第15章から採られています。
◯新約聖書:ルカによる福音書・第15章・第1〜第7節
「さて、徴税人や罪人たちがみな話しを聞こうとして、イエスのもとに近寄ってきた。すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを受け入れて、食事をともにしている」とつぶやいた。
そこで、イエスは彼らに次の喩えを語られた。
あなた方のうちに、百匹の羊を持っている者がいるとする。そのうちの一匹を見失ったら、九十九匹を荒れ野に残して、見失った一匹を見つけ出すまで、跡をたどって行くのではないだろうか。そして見つけ出すと、喜んで自分の肩に乗せて、家に帰り、友人や近所の人々を呼び集めて言うだろう、『一緒に喜んでください。見失ったわたしの羊を見つけましたから』。あなた方に言っておく、このように、悔い改める一人の罪人のためには、悔い改めの必要のない九十九人の正しい人のためよりも、もっと大きな喜びが天にある。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
このイエス様のご絵は、とても神様への愛に深い敬虔な方からいただきました。罪びとの私にぴったりなご絵です………ということは、イエス様の肩に乗っているのは私ということですね(⌒-⌒; )
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この聖句(イエス・キリストの言葉・聖書の言葉)ですが、まず「百匹の羊を持っている者=羊飼い」とは、神様=イエス・キリストのことで、「見失った一匹の羊」とは罪びとのことです。そして、「九十九匹」とは正しい人という意味です。この聖句は、「悔い改める一人の罪びとのためには、悔い改めの必要のない九十九人の正しい人のためよりも、もっと大きな喜びが天にある。」という意味になります。
九十九匹を荒れ野に残すという大きな危険を冒してまでも、羊飼いは見失った一匹の羊のために探し出そうとするのですね。つまり、神様=イエス・キリストは、たった一人の罪びとであっても大切な存在なのだと説いているのです。そして、神の恩寵(おんちょう)の外に出て行った罪を犯した罪びとでも、悔い改めて恩寵の中に戻ってこれるように、神様=イエス・キリストは救い出すのですね。
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教会日記2202.5.1「聖歌練習(聖歌奉仕活動)」 [聖歌日記]

今日は、体調管理のため朝は自宅でゆっくりし、カトリック成城・聖タデオ教会の主日のミサが終わってから、11時からの聖歌練習だけに参加しました。主日のミサは、昨夜のカトリック松原教会で与っています。典礼聖歌集・第404番「羊かいがいて」は初めて歌いました。音程を取るのが難しい曲ですね。練習します!

練習したのは、来週(5月8日)の主日のミサで担当する5人一組の聖歌隊です。以前は、コロナ渦であることから4人一組だったのですが、今月から一人増えました。練習が終わってから、府中市にある「カトリック府中墓地」にゼノ修道士様、「多磨霊園」に尊者北原怜子さんのお墓参りに行きます。雨が降りそうです(⌒-⌒; )

歌う歌は、次のとおりです
入祭の歌:典礼聖歌集・第35番「神に向かって」
答唱詩編:典礼聖歌集・第172番「わたしたちは神の民」、1、2、4番
アレルヤ唱:典礼聖歌集・第264番
奉納の歌:典礼聖歌集・第123番「主はわれらの牧者」
拝領の歌:典礼聖歌集・第404番「羊かいがいて」
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主日のミサ 聖歌奉仕活動再開! [聖歌日記]

緊急事態宣言は、9月30日をもって解除されることになり、したがって、緊急事態宣言発出以前に行っていた「条件付き公開ミサ」は、10月1日から再開されることになりました。まだコロナ渦にありますから、正式な司式のミサは行うことができません。ところで、ミサの再開は、ミサ中の聖歌奉仕活動の再開でもあります!嬉しいですね〜(^◇^)

私は、カトリック成城教会の「聖タデオ聖歌隊」に所属して、主日のミサで聖歌奉仕活動をしています。活動再開といっても、今はコロナ渦での「条件付き公開ミサ」です。残念ながら信徒全員で歌うことはできません。ですから、聖歌隊員4人1組(+オルガン奏者)となり、毎週日曜日の午前10時からの主日のミサだけを担当者を割り当てて活動します。

私の担当は、10月10日(日)10時からの主日のミサです。入祭の歌は、カトリック典礼聖歌集第63番「神は恵みと あわれみに満ち」、拝領の歌は、同聖歌集第402番「仕えられるためではなく」です。2曲だけではありますが、緊急事態宣言下では歌えなかったですから、やっとの思いで歌える喜びは大きいですね。これは神に感謝ですね!(^∇^)

さて、入祭の歌で歌うカトリック典礼聖歌集第63番「神は恵みと あわれみに満ち」ですが、この曲は、旧約聖書の『詩編』第145編・第8節から採られ、その聖句(聖書の言葉)が歌詞となっており、歌詞は「神は恵みと あわれみに満ち 怒るに遅く 慈しみ深い」となっています。聖句と少々違いがありますが、意味するところはまったく同じですね。
◯ 旧約聖書:詩編・第145編・第8節
「主は恵みに満ち、憐れみ深く、
怒るに遅く、慈しみに富む方。」
『聖書協会共同訳聖書』から

聖句(聖書の言葉)の意味は
「主(神)は、いつも恵みに満ちておられ、憐れみが深い神です。ですから、私たち人間が罪を犯しても、すぐに怒ることなく、慈しみて満たしてくださる方です。」ということです。だからと言って、罪を犯しても構わないということではありません。やはり、犯した罪は素直に認めて悔い改め、主に罪を告白して赦していただくことが大切ですね。
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『カトリック典礼聖歌集 第63番「神は恵と あわれみに満ち」』
答唱:神は 恵と憐みに満ち 怒るに遅く 慈しみ深い
1.あなたの豊かな恵みを思い
喜んであなたの正義を歌う
その恵みはすべてのものに及び
いつくしみは造られたすべてのものの上にある

2.神よ造られたすべてのものはあなたを讃え
あなたに従う人は感謝して歌う
かれらはあなたの国の栄光を語り
力あるわざを告げ知らせる

3.神の言葉は正しく
そのわざには偽りがない
神は悩みのうちにる者を支え
倒れる者をすべて立たせてくださる

4.神を待ち望むすべてのものに
命の糧を豊かに恵まれる
生きているすべてのものの願いを
神は豊かに満たされる

5.神の行われることはすべて正しく
そのわざは慈しみに満ちている
助けを求めるすべての人
心から祈る人のそばに神はおられる

6.神を畏れる人の願いを聞き入れ
その叫びを聞いて助けられる
神を愛する人はすべて神に守られ
神に逆らう者は退けられる
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典礼聖歌集第352番「聖霊の続唱」のお話し [聖歌日記]

今年の4月4日の「復活の主日」と、その後の復活節最終日にあたる5月23日の「聖霊降臨の主日」で、両日とも「続唱(ぞくしょう)」を聖歌隊の一員(コロン渦のため4人限定)として歌う栄誉に与りました。この続唱についてカトリック中央協議会のホームページから説明文を引用いたします。

「復活の主日と聖霊降臨の主日のミサでは、アレルヤ唱の前に続唱が歌われます。続唱とはラテン語の「セクエンツィア(Sequentia)」の訳で、「連続」、「続き」という意味です。中世のころ、アレルヤ唱の「アレルヤ(Alleluia)」の最後の「ヤ(ia)」の母音aに、装飾的な旋律が付けられるようになりました。9世紀以降、装飾的に音符が続く部分に後から歌詞を当てはめ、後にこの部分のみがアレルヤ唱から独立して「続唱」として歌われるようになったといわれます。かつてはアレルヤ唱に続けて歌われましたが、現在はアレルヤ唱と福音朗読の結びつきを重視して、アレルヤ唱の前に歌うことになっています。
復活の主日のミサでは、復活の続唱(Victimae paschali laudes)を歌います。この続唱は、ブルグンドのヴィポ(Wipo Bulgundus、10世紀末~1050年ごろ)によって11世紀初めに作られたといわれます。復活の続唱は、復活の月曜日から復活節第2主日までのミサでも任意で歌うことができます。
聖霊降臨の主日のミサでは、「聖霊の続唱(ヴェニ・サンクテ・スピリトゥス:Veni, Sancte Spiritus)」を歌います。この続唱は「黄金の続唱」とも呼ばれる代表的な続唱です。作者に関しては諸説がありますが、イギリスのカンタベリー大司教であったステファヌス・ラングトン(Stephanus Langton、1155年頃~1228年)とする説が有力です。」とあります。
「復活の続唱」は、このブログの「復活祭:典礼聖歌集・第345番と第351番のお話し 2021.3.21」に掲載いたしましたのでお読みください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2021-03-21-1

今日は、「聖霊の続唱」について書いてみました。まず、典礼聖歌集352番「聖霊の続唱」の歌詞を見てみましょう。この歌詞は、聖霊降臨を願う祈りの祈祷文でもあります。
「聖霊来てください。
あなたの光の輝きで、
わたしたちを照らしてください。
貧しい人の父、心の光、証の力を注ぐ方。
やさしい心の友、さわやかな憩い、ゆるぐことのないよりどころ。
苦しむ時の励まし、暑さの安らい、憂いの時の慰め。
恵み溢れる光、信じる者の心を満たす光よ。
あなたの助けがなければ、すべてははかなく消えてゆき、
だれも清く生きてはゆけない。
汚れたものを清め、すさみをうるおし、受けた痛手をいやす方。
固い心を和らげ、冷たさを温め、乱れた心を正す方。
あなたのことばを信じてより頼む者に、尊い力を授ける方。
あなたはわたしの支え、恵みの力で、救いの道を歩み続け、
終わりなく喜ぶことができますように。
アーメン。
アレルヤ。」

前述した説明文にありましたように、続唱(セクエンツィア:Sequentia) は、アレルヤ唱(Alleruia)に続けて歌われるため、"Sequentia" はラテン語の “sequor"「〜に続く」という言葉が由来になっています。現在はアレルヤ唱の前に歌われます。9世紀から15世紀にかけて多くの曲が作られましたが、16世紀半ばのトリエント公会議で4つの曲を残して廃止されたそうです。その後、1727年に聖母マリアの祝日の「悲しみの聖母」が追加され、次の5曲が公認の曲になりました。
5つの続唱(セクエンツィア:Sequentia)
1.「復活のいけにえに」:復活祭
"Victimae paschali laudes"
2.「来たりたまえ聖霊」:聖霊降臨祭
“Veni Sancte Spiritus"
3.「シオンよ汝の救い主を讃えよ」:聖体の祝日
“Lauda Sion"
4.「怒りの日」:レクイエム
“Dies irae"
5.「悲しみの聖母」:聖母マリアの祝日
“Stabat Mater"

聖霊降臨の主日に歌うのは典礼聖歌の「聖霊の続唱」です。この聖霊の続唱の旋律は、なんとなくグレゴリオ聖歌の"Veni Sancte Spiritus"の旋律を感じることができます。作曲した方が「グレゴリオ聖歌の旋律を遠く思い起こして」作曲されたそうです。典礼聖歌の「聖霊の続唱」は日本語、"Veni Sancte Spiritus"はラテン語ですが、の歌詞の内容はほぼ同じです。
◯ 『聖霊来たりたまえ(ヴェニ・サンクテ・スピリトゥス:Veni Sancte Spiritus)』
[A]
Veni, Sancte Spiritus, 聖霊来たり給え
Et emitte coelitus 天より御光の輝きを放ち給え
Lucis tuae radium.
Veni, Pater pauperum,  貧しき者の父、
Veni, dator munerum, 恵みの与え主、
Veni, lumen cordium. 心の光にます御者来たり給え。

[B]
Consolator optime, いと優れたる慰め主、
Dulcis hospes animae,  霊魂の甘美なる友、
Dulce refrigerium: 心の和やかなる楽しみ。
In labore requies, 疲れたる時の憩い、
In aestu temperies, 暑き時の涼しさ、
In fletu solatium. 憂うる時の慰め。

[C]
O lux beatissima, 至って幸いなる光よ、
Reple cordis intima, 主を信じる者の心に来たり満ち給え。
Tuorum fidelium. 
Sine tuo numine, 主の御助けあるにあらざれば、
Nihil est in homine, 人には罪ならざる所なからん
Nihil est innoxium,

[D]
Lava quod est sordidum, 乞い願わくば汚れたるを清め、
Riga quod est aridum, 乾けるを潤し、
Sana quod est saucium. 傷つけられたるを癒し給え。
Flecte quod est rigidum, 固きを和らげ、
Fove quod est frigidum, 冷えたるを暖め、
Rege quod est devium. 曲がれるを直くし給え。

[E]
Da tuis fidelibus, 主を頼む信者に
In te confidentibus,
Sacrum septenarium. 神聖なる七つの賜を施し給え。
Da virtutis meritum, 善徳の功を積み、
Da salutis exitum, 救霊の彼岸に至り、
Da perenne gaudium. 永遠に喜ぶを得しめ給え。

[F]
Amen, アーメン、
Alleluia.  アレルヤ。
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復活祭:典礼聖歌集・第345番と第351番のお話し [聖歌日記]

4月3日(土)夜の「復活の主日・聖なる徹夜祭」と4日(日)の「復活祭の主日・日中のミサ」で、カトリック成城教会の聖タデオ聖歌隊(4人に限定)は、いくつかの典礼聖歌を歌いますが、私が担当する4日は3曲歌います。その中の1曲に第345番「わたしは復活し」があります。この聖歌について、成城教会の山本主任司祭(神父様)が、以前に東京カテドラル聖マリア大聖堂・カトリック関口教会の主任司祭をお勤めの時に、関口教会のホームページに書かれた記事がありますので掲載いたします。

「復活節に歌われる典礼聖歌の一つに「わたしは復活し」がある。その歌詞は、復活の主日のミサの入祭唱からとられている(詩編139からのかなりの意訳である)。「わたしは復活し、あなたとともにいる。あなたはわたしの上に手をのべられた。あなたの知恵ははかりがたい。アレルヤ」(典礼聖歌345)
それでは、この歌詞の「わたし」とはだれのことだろうか。「あなた」とはだれのことだろうか。実は、「わたし」とは「復活のキリスト」、「あなた」とは「父なる神」であり、復活のキリストが父なる神をたたえている言葉なのである。今日のミサでも復活のキリストがわたしたちの真ん中におられ、父なる神をたたえて「わたしは復活し、あなたとともにいる。…」と歌っておられる。わたしたちもキリストのからだとしてキリストと一つになって、「あなたの知恵ははかりがたい。アレルヤ」と唱和するのである。
2015年04月18日 山本量太郎神父」

◯典礼聖歌集:第345番「わたしは復活し」
「わたしは復活し
あなたと共にいる
あなたはわたしの上に手をのべられた
あなたの知恵は測りがたい
アレルヤ
アレルヤ
アレルヤ」

復活祭でのもう1曲の重要な典礼聖歌を掲載いたします。それは、典礼聖歌集:第351番「復活の続唱(Victimae paschali laudes)」です。毎年のことですが、この続唱を静かなお御堂で気持ちを込めて歌っていると、「マリアよ、わたしたちに告げよ、あなたが道で見た事を、開かれたキリストの墓、よみがえられた主の栄光」のところから涙がにじんできて、最後の方は涙があふれ出て歌えなくなります………きちんと終わりまで歌ったことがありません。とても素晴らしい感動の聖歌です。それでは、まず、典礼聖歌集にある日本語の歌詞を掲載し、続いて原曲のラテン語歌詞を掲載いたします。

◯典礼聖歌集:第351番「復活の続唱」
(先唱)
キリストを信じるすべてのものよ
(会衆)
主の過越をたたえよう
こひつじはひつじをあがない
罪のないキリストは
罪の世にゆるしをもたらされた
死といのちとのたたかいで
死を身に受けたいのちの主は
いまや生きて治められる
マリアよ
わたしたちに告げよ
あなたが道で見た事を
開かれたキリストの墓
よみがえられた主の栄光
あかしする神の使いと残された主の衣服を
私の希望
キリストは復活し
ガリレアに行き待っておられる
ともにたたえ告げ知らせよう
主キリストは復活された
勝利の王キリストよ
いつくしみをわたしたちに
アーメン
アレルヤ」

この長い続唱は、原曲であるラテン語の正式名称は「ヴィクティマエ・パスカリ・ラウデス(Victimae Paschali Laudes)『復活のいけにえに』」というカトリック教会の聖歌の一つです。中世に多く書かれた続唱(セクエンツィア)の一つで、復活祭のミサのためのものです。ブルゴーニュ出身で神聖ローマ皇帝コンラート2世のシャプラン(宮廷付き聖歌隊長)であったヴィポ Wipo(活動 1020頃-1040頃)の作とされています。イタリアの作曲家オットリーノ・レスピーギによるグレゴリオ風協奏曲(1921年)2楽章冒頭のヴァイオリンソロ等に引用されています。
[A]
Victimae paschali laudes 過ぎ越しのいけにえに
Immolent Christiani. 賛美をささげよ、キリスト者たちよ。
[B]
Agnus redemit oves 子羊が羊を贖い。
Christus innocens Patri 罪のないキリストが父に
Reconciliavit 罪びとたちを
Peccatores. とりなされた。
Mors et vita duello 死と命とは戦い
Conflixere mirando, 驚くべき仕方でぶつかりあう。
Dux vitae mortuus 命の王は、死ぬことで
Regnat vivus. 生きて治められる。
[C]
Dic nobis Maria マリアよ、私たちに告げよ。
Quid vidisti in via? あなたが道で見たものを。
Sepulcrum Christi viventis 生きているキリストの墓を
Et gloriam vidi resurgentis. そして蘇られた方の栄光を、わたくしは見た。
Angelicos testes 証しする天の使と
Sudarium et vestes. 布と服を。
Surrexit Christus spes mea 私の希望、キリストは復活し
Praecedet suos in Galilaeam. ガリラヤに行き、待っておられる。
[D]
Credendum est magis soli 真を語るマリアを
Mariae veraci 信ぜよ
Quam Iudaeorum 嘘を語る
Turbae fallaci. ユダヤの群集ではなく。
Scimus Christum surrexisse 私たちは知っている。キリストが
A mortuis vere. 真に死から立ち上がられたことを。
Tu nobis victor Rex 勝利の王であるあなた、どうか私たちを
miserere. あわれみたまえ。
[E]
Amen, Alleluia. アーメン(かくあれ)
アレルヤ(神を讃えよ)
▲1570年以降、カトリック教会では[D]の前半の歌詞は歌いません。
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『豊中混声合唱団による高田三郎作品集 Vol.6・7 混声合唱のための典礼聖歌 I・II』のご紹介 [聖歌日記]

今日は、ミサで歌う典礼聖歌のCDのご紹介をします。聖歌は、混声合唱団が歌っていますから、とても重厚な歌声となっており、いつも私たち信徒がミサで歌っている時と違い、とても聴きごたえがあります。指揮は、聖歌を数多く作曲されている高田三郎氏です。合唱は、歴史のある大阪市の豊中混声合唱団です。私が持っているのは2枚のCDで、聖歌やミサ中の典礼曲などが52曲収録(2枚)されています。このCDは、是非ともお聴きいただきたいと思います!大大大お勧めです!(^∇^)
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◯ 『豊中混声合唱団による高田三郎作品集 Vol.6 -高田三郎 混声合唱のための典礼聖歌 I』
【曲目】
「待降節と降誕節の典礼聖歌」
1.天よ 露を したたらせ
2.すべての人の救いを
3.涙のうちに種まく人は
4.門よ とびらを開け
5.やみに住む民は光を見た
6.遠く地の果てまで
7.降誕節アレルヤ唱
8.喜びに心を はずませ
9.天は神の栄光を語り
10.栄光は世界に および
11.救い主を育てた母

「四旬節の典礼聖歌」
12.神を求めよ
13.主は豊かなあがないに満ち
14.四旬節詠唱
15.荒れ地のかわき果てた土のように
16.ちいさな ひとびとの
17.あなたのいぶきをうけて
18.主を仰ぎ見て
19.仕えられるためではなく
20.元后 あわれみの母
21.賛美の賛歌

「ミサ曲 やまとのささげうた」
22.あわれみの賛歌
23.栄光の賛歌
24.信仰宣言
25.感謝の賛歌
26.平和の賛歌

「典礼聖歌」
27.神の はからいは
28.行け 地のはてまで
【CD】
指揮:高田三郎
オルガン:木島美紗子
合唱:豊中混声合唱団
制作:有限会社アールミュージック、ジョバンニ・レコード
発売:2008年4月1日
定価:2,500円(税込)☆発売当時の定価

◯『豊中混声合唱団による高田三郎作品集 Vol.7 -高田三郎 混声合唱のための典礼聖歌 II』
【曲目】
「枝の主日 聖木曜日 聖金曜日の典礼聖歌」
1.ダビドの子
2.わたしの神
3.キリストは人間の姿で
4.いつくしみと愛(ウビ・カリタス)
5.父よあなたこそわたしの神
6.十字架賛歌(クルーチェム・トゥアム)
7.とがめの交唱(インプロペリウム)
8.ハギオス・ホ・テオス
9.十字架賛歌(2)(クルクス・フィデーリス)

「復活徹夜祭と復活主日の典礼聖歌」
10.キリストの光
11.復活賛歌
12.神よ あなたは わたしの力
13.谷川の水を求めて(詩篇42より)
14..栄光の賛歌
15.アレルヤ
16.叙唱前句・叙唱
17.感謝の賛歌
18.平和の賛歌
19.わたしは復活し
20.復活の続唱
21.天の元后 喜びたまえ

「典礼聖歌」
22.平和の祈り アッシジの聖フランシスコによる
23.来なさい 重荷を負うもの
24.神のみわざがこの人に
【CD】
指揮:高田三郎、須賀敬一(神のみわざがこの人に)
オルガン:木島美紗子
合唱:豊中混声合唱団
制作:有限会社アールミュージック、ジョバンニ・レコード
発売:2008年4月1日
定価:2,500円(税込)☆発売当時の定価

【髙田三郎】
髙田三郎(愛知県名古屋市:1913年〜2000年)は、作曲家で指揮者です。武蔵野音楽学校(現在の武蔵野音楽大学)師範科を卒業、その後、東京音楽学校(現在の東京藝術大学)の本科作曲部を1939年に卒業し、次いで同校研究科作曲部、同校聴講科指揮部で学んでいます。国立音楽大学教授、日本現代音楽協会委員長を務めました。合唱曲を中心に作曲を行ったほか、自作の曲を中心に指揮者としても活躍しました。
小さい頃から、自宅近くにあったプロテスタント教会に通っていましたが、1953年、40歳のときに洗礼を受け、カトリックの信徒となりました。洗礼名は「ヨゼフ・ダヴィド」です。第2バチカン公会議で成立した典礼憲章に基づき、それまでラテン語で行われていたミサが、各国語で行われることになったのを受け、日本カトリック司教団の依頼で典礼聖歌作曲に着手しました。グレゴリオ聖歌や日本古来の旋律など多種多様な研究を踏まえて、「ミサは全部神のことばで出来ている。だから間違った解釈で作曲してはならない」と、自身の信仰を問いながら、晩年に至るまで220曲あまりの典礼聖歌を作曲しました。1992年には「典礼聖歌の作曲を通して日本の風土への典礼の浸透に尽力した」として、教皇ヨハネ・パウロ2世から「聖シルベストロ教皇騎士団勲章」を授与されています。1997年には日本エキュメニカル協会から「エキュメニカル功労者賞」も受賞しています。
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「典礼聖歌集第322番 愛といつくしみのあるところ」のお話し [聖歌日記]

この記事は、このブログに3回目の掲載となります。
私は、典礼聖歌集第322番の「愛といつくしみのあるところ」が大好きです!メロディーも美しいですが、歌詞がいいですね~!この聖歌を早くパイプオルガンの伴奏で歌いたいです!転入(移籍)した成城教会にはパイプオルガンがありますから、もうすぐ長年の念願がかなえられます!
キリスト教の教会で歌う歌は、カトリック教会は「聖歌(せいか)」、プロテスタント教会は「賛美歌(さんびか)」といいます。ちなみに、司祭はカトリック教会は「神父(しんぷ)」、プロテスタント教会は「牧師(ぼくし)」といいます。

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典礼聖歌第322番「愛といつくしみのあるところ」
答唱
「愛といつくしみのあるところ
神はそこにおられる」

1.キリストの愛に結ばれ
共に喜び分かち合い
まごころ込めて神を敬い
愛の奉仕につとめよう
(愛といつくしみのあるところ
神はそこにおられる)

2.分け隔てを取り除き
ねたみと争いを避け
主キリストを囲んで
みな一つに集まろう
(愛といつくしみのあるところ
神はそこにおられる)

3.主キリストの輝くみ顔
聖者と共に仰ぎ見る
まことの喜び限りなく
世々とこしえに到るまで
(愛といつくしみのあるところ
神はそこにおられる)
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典礼聖歌集第322番「愛といつくしみのあるところ」のお話し [聖歌日記]

この連休は、不要不急の外出は自粛ですから、自宅で睡眠三昧、読書三昧、時代劇DVD鑑賞三昧などなど、普段できないことを実行して過ごしておりますが、その合間?に「聖歌」も歌っています。そこで、妻にピアノの伴奏をお願いしようと思ったのですが、妻も仕事でいつも帰りが遅いため、普段できなかったことのが山ほどありますので、お願いするのを遠慮して伴奏なしでアカペラで歌っています!関係のない話しですが、ずっ〜と家にいるためか、ご飯を食べ過ぎて体重が一段と増加しました!(; ̄O ̄)

このブログに以前書きましたが、私は典礼聖歌集第322番の「愛といつくしみのあるところ」が大好きです!メロディーも美しいですが、歌詞がいいですね!この聖歌をパイプオルガンの伴奏で聴くとすごく美しい聖歌であると感動します。私の所属する町田教会にもパイプオルガンが欲しい~!
ちなみに、キリスト教の教会で歌う歌は、カトリック教会は「聖歌(せいか)」、プロテスタント教会は「賛美歌(さんびか)」といいます。ちなみに、司祭はカトリック教会は「神父(しんぷ)」、プロテスタント教会は「牧師(ぼくし)」といいます。

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典礼聖歌第322番「愛といつくしみのあるところ」
答唱
「愛といつくしみのあるところ
神はそこにおられる」

1.キリストの愛に結ばれ
共に喜び分かち合い
まごころ込めて神を敬い
愛の奉仕につとめよう
(愛といつくしみのあるところ
神はそこにおられる)

2.分け隔てを取り除き
ねたみと争いを避け
主キリストを囲んで
みな一つに集まろう
(愛といつくしみのあるところ
神はそこにおられる)

3.主キリストの輝くみ顔
聖者と共に仰ぎ見る
まことの喜び限りなく
世々とこしえに到るまで
(愛といつくしみのあるところ
神はそこにおられる)
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典礼聖歌集 第305番「やみに住む民は光を見た」のお話し [聖歌日記]

今年の1月4日(金)のカトリック成城教会での初金のミサで、典礼聖歌集の第305番「やみに住む民は光を見た」を初めて歌ってから、私が大好きな聖歌の一つになりました。降誕節に歌われる聖歌ですから、季節限定みたいなところがありますが、一昨日(夜)と昨日の主日のミサで、「入祭の歌」として歌われました。この2日間で4回のミサにあずかりましたから、4回とも全力で歌わさせていただきました!特に最後のところの「神に栄光 人に平和」がいいですね〜!聖歌大好き人間の私には至福の時でした(^O^)
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典礼聖歌集第305番「やみに住む民は光を見た」
「やみに住む 民は光を見た
ダビドの街に 生まれた幼な子
すべての人を 救う恵み
すべての民に およぶ喜び
神に栄光 人に平和

世界よ 神を讃え歌え
神は来られた 告げよ知らせよ
すべての国に その救いを
すべての民に 不思議なわざを
神に栄光 人に平和」
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